川越駅 その12

2017-12-31 22:02:28 | 日記

川越市顔の左顎。東電のすぐ近くに浮島神社があります。

参道の真ん中に遊女川(よながわ)の水源があります。左顎のお隣。涎(よだれ)の頰を寄せる。腕枕の熱いチューですね。遊女川の本流は総合福祉センターのオアシスのお尻に繋がって新河岸川に流れます。

県道15号線。口の三井病院から鎖骨の川越成田山別院を通り小仙波交差点に進むと武蔵野うどんがあります。手前の小さな水場が整備されてます。

武蔵野うどんのお尻。細い水路を辿ると小仙波交差点の新琵琶橋につきます。

目の前はアイフルホーム。愛がいっぱいの家。住の重で獣。衣食住の重みで人間像の見えないクサリ。象徴が首を長くした麒麟。木林の木々の囃し立て。背比べですね。雑木林の臓器のオリを表します。

ここまでが胎内の赤ちゃんが伸ばす手の先っぽ。新琵琶橋で因果が変わります。

先ほどの水場は市役所小仙波庁舎の駐車場の隣を結んでいます。

郭町浄水場。第四水源。「くるわ」。廓=郭。广「げん」の有る無し。「まだれ」。家の屋根を表しています。遊郭の「かこい」。土手の曲輪。曲がりくねり。遊女川は「ゆうじょ」。宥恕は寛大な様子でゆるす事。如+心。虚構自然の「なにか」も赦してもらいたいと思っているのよ。

道路照明灯立替工事。「みち」の証明と「めいとう」の合成。名湯、明答、名刀。明答は正解かどうかは向こう側が決めます。答えを明々白々に云うことです。結ぶと証明と明答。虚構自然にとっての閃きや灯りに見えているのよ。

小仙波町2-49。49は子宮。2ー4。02水星の目と04にく月の口唇。目元から口元に伸びるほうれい線。法令線。頰の垂水(たるみ)。シワシワ。曲輪(くるわ)の堀なおしです。



川越駅 その11

2017-12-31 19:34:40 | 日記

喜多院前の駐車場。お花が咲く百花園がありました。

真ん中が百花園。上は入間川の東武線鉄橋の下で水遊びする子どもたち。夏場だけの臨時の入間川駅。もと田面沢駅のあったところ。田面沢駅は開業時の9番目駅。土星の大地母神の駅(易)。大正3年5月1日。ゴイの家畜印。メーデーの労働の日。同年6月17日。新河岸駅と上板橋駅の二つが同時オープン。9番土星は11番の宿星になりました。翌年の大正4年。川越西町駅(川越駅)がオープン。田面沢駅は12番目の海王星。入間川を羊水にして泥の子を宿しました。入間川鉄橋が開通。坂戸方面に線路が伸びました。お役ごめんの田面沢駅はそのまま廃駅。卵になる前に流れてしまいました。泥は尼。匕は女性器。尸=屍。女性器の尸の水の流れが泥。水海と大地の境界線。新河岸駅は大正3年6月17日に新しい9番目の土星印をもらったのよ。冥途、冥土、明度。メイド星です。

新河岸駅の東西を結ぶ跨線橋駅舎は完成しましたが。東口はまだまだこれから。東口ロータリーができるとわたしの因果が通りやすくなるのよ。
大正8年。明治39年に開業したちんちん電車。乗り合い馬車も負けじと対抗していましたが姿を消していきました。西武大宮線のちんちんの勃起。馬は魔。掛け合わせの象徴のサラブレッド。種馬です。廃線の西武大宮線はちんちんの自製が切れた現れです。

喜多院と日枝神社の間。心臓と肩腕の間は腋。百花園の百花は丸広百貨店の百貨。百貨=百花。貨=花。共通するのは化。上半身も下半身も「化ける」ことは可能なのよ。循環紙幣社会だと当たり前に開く花園です。百科事典の百の咎「とが」。命の弄びの罪科も新陳代謝するように徐々に身軽になっていきます。
百花園が駐車場の注射になっています。心臓に刺さった杭。大きな杭は命に関わりますが針灸の針だと懲りがほぐれますね。
産毛のウブ。生。初。産。初心。恋愛のどきどきもドキドキするものなのです。

仙波山。「あんたがたどこさ」の童謡手まり歌。肥後は比護。卑語。卑しい言葉。肥後の肥(こえ)の後ろ。熊本県43の九州竜の腦幹。仙波は千葉。羊水の揚水。湧き出る始めの用水。韻は「湧き出る思い」。赤ちゃんが欲しいと思う母心も作られた常識です。掛けあわせの赤ちゃんはとても悲しい行為の現れなのよ。





川越駅 その10

2017-12-31 15:00:02 | 日記

仙芳「せんぽう」は戦法。先鋒。旋法は音階の後ろ。律を巡る回る「韻」の奏でる。人間像の音。虚構自然の音。「のっとる」戦法に掛けています。人間像を支配する何かは支配者層の層。あの人この人。あれもこれも。層なので名前は関係ありません。層を有ると認知するとお役目も軽くできますね。

仙芳仙人が袈裟を拡げてとった大地は大袈裟です。わたしは宇宙全ての有る無しに大風呂敷を広げているのよ。

お尻にタッチ。因果を結びました。

もと県道1号浦和・川越線の喜多院門前通りがこちら。日枝神社は赤坂の山王日枝神社と結んでいます。勧請のお呼ばれをしたのね。川越市顔の肩・腕・手。枝葉の伸びで日枝なのです。

左の小脇には無抵抗。底なしの抵抗なし。定稿の定まり。手結港(ていこう)可動橋の高知県。踏切の遮断機と船を通す可動橋がついてます。列島の高知県39は「こうち」の巧遅。巧緻。狡知。拘置の刑の留置場。韻は本音の留まり。手結港可動橋は本音の出し入れですね。 
定稿がない。決まり文句がない。呪文が覚えられない。度々お寺や神社に顔をだしていますが一向に呪文らしき物がないのね。ただの顔見世で開く因果です。

ご神木の杉。スギは椙、杦、柀。昌は「あきら」。唱歌。久は死体を後ろ側で支えた字面で「とこしえ」「永久」の象徴。木の魂で気根。既婚の結婚のオリ。硬い誓い。永遠の誓い。結婚の血痕で血の契り。掛けあわせです。気根はキネで杵。杵と臼で餅つきのぺったんこぺったんこ。性交の性器の打ちつけです。掘って掘って。契り千切りしておりものを垂れてきました。

過ぎを結びなおし。厄の「わざわい」で災い。禍と過。咼は丸い骨の穴。オリが軽くなると柀の皮を自在できるようになります。生きている限り無尽蔵に出てくる新陳代謝の皮膚のことです。
左の小脇の無抵抗はもと古札を捨てる場所。「こさつ」は子殺。子になれずに流れた井戸です。深い井戸。水脈は龍が池弁財天のお池に繋がっているお話があります。
日枝神社は肩・腕・手。胎内の赤ちゃんが腕を広げた先っぽが龍が池(双子池)。または新河岸川と県道15号と国道254号が交じる新琵琶橋となります。腕の振る井戸なのよ。





川越駅 その9

2017-12-31 12:01:33 | 日記

慈眼堂古墳→赤門→本地堂(民家)→瓦径塚→仙芳塚。山手線の鬼門は上野駅。上野寛永寺の本堂は上野戦争で長州藩の撃ったアームストロング砲が命中。焼失してしまいました。明治2年。渋沢栄一と木戸孝允(桂小五郎)が当時廃寺だった喜多院の本地堂瑠璃殿を新河岸川の舟運で移築します。「るり」は留+离。肌の新陳代謝です。瑠璃はラピスラズリ。金緑石。日本語の緑は青も含みます。金緑石は筋力の意思。胸筋で胸襟の開きがこちらです。

民家の垣根。壁を「みんな」のために開いた形です。以前にお家の方がわざわざ説明をしてくれたのです。その時はここで引き返し。今回は小径を抜けたのよ。

慈眼堂→開かずの赤門がこちら。

でも横から自由自在に出入りできます。通りを挟んで小径を抜けるとお家一軒分の広場がありました。

ここが仙芳塚。いわく。仙芳仙人(せんぽうせんにん)は古くは海だった場所にやってきて龍神に土地を分けてもらいました。仙芳「拡げた袈裟だけ土地をください」龍神「いいですよ」。拡げた袈裟は大きくなって大地の台地ができました。住む所がなくった龍神は龍が池の一角にお堂を立ててもらいます。どちらかと云うと仙芳仙人が騙し取った形ですが。水辺。河原。入り江。水子の見えない膜から大地の台地。肉体を頂いた例えを伝えているのよ。

日枝神社正面。喜多院本地跡。山王権現正面。垂迹本地堂跡。「すいじゃく」は衰弱に通じます。垂れは液体の垂れで脇汗。心拍やお乳の垂れではないのよ。脇汗は誰でもかきますね。看板はもろもろの神や仏の集合地。跡形です。脇の下なのでひっついたり離れたり。いたってふつうの約束の地です。





川越駅 その8

2017-12-31 10:21:25 | 日記

川越成田山別院が左の鎖骨。成田空港は空の玄関口。成田山は玄関口に鎖の因果を施した現れです。玄関口なので口。内なる声の縛りつけ。川越成田山は日中お経が流れっ放しです。CDかカセットか。だいたい人の思い。内声は何かを呟いていますね。本堂の左端にいるのがお厄を引き受ける「おびんするさま」。鎖骨の中のクサリを体験しています。

12月28日。骨董市が開いていました。骨頭で骨董。頭=董。監督する。蓮の根っ子。レンコン。古いものを並べる。頭の古い部分。振るい部分を並べる。鎖骨の開きで結び直しですね。

喜多院の本堂は潮音殿。「しお」の音を聴く場所。心臓の心音。金縛りが解けると人間像は背中腰で潮を吹きます。「しお」「えん」が抜けた人間像がお参りに来ます。心音が身軽になりますね。

潮音殿の右隣が苦ぬき地蔵。クサリ+古い=「いにしえ」のクサリ。

一段上がった所に慈眼堂が立っています。天海僧正のお堂です。「じげん」の示現。字源。時限。時言。総じて次元。鼓動の胸打ち。小さな上下運動で波。昂ぶりですね。

弁財天。お池は心臓の脈。喜多院と仙波東照宮の境目に位置。小さな谷間です。

仙波東照宮は左のおっぱい。お山の階段を上ります。今回は門戸は閉まっていましたが何度か入っています。乳首にも神経玉は透っているのさ。