川越駅 その9

2017-12-31 12:01:33 | 日記

慈眼堂古墳→赤門→本地堂(民家)→瓦径塚→仙芳塚。山手線の鬼門は上野駅。上野寛永寺の本堂は上野戦争で長州藩の撃ったアームストロング砲が命中。焼失してしまいました。明治2年。渋沢栄一と木戸孝允(桂小五郎)が当時廃寺だった喜多院の本地堂瑠璃殿を新河岸川の舟運で移築します。「るり」は留+离。肌の新陳代謝です。瑠璃はラピスラズリ。金緑石。日本語の緑は青も含みます。金緑石は筋力の意思。胸筋で胸襟の開きがこちらです。

民家の垣根。壁を「みんな」のために開いた形です。以前にお家の方がわざわざ説明をしてくれたのです。その時はここで引き返し。今回は小径を抜けたのよ。

慈眼堂→開かずの赤門がこちら。

でも横から自由自在に出入りできます。通りを挟んで小径を抜けるとお家一軒分の広場がありました。

ここが仙芳塚。いわく。仙芳仙人(せんぽうせんにん)は古くは海だった場所にやってきて龍神に土地を分けてもらいました。仙芳「拡げた袈裟だけ土地をください」龍神「いいですよ」。拡げた袈裟は大きくなって大地の台地ができました。住む所がなくった龍神は龍が池の一角にお堂を立ててもらいます。どちらかと云うと仙芳仙人が騙し取った形ですが。水辺。河原。入り江。水子の見えない膜から大地の台地。肉体を頂いた例えを伝えているのよ。

日枝神社正面。喜多院本地跡。山王権現正面。垂迹本地堂跡。「すいじゃく」は衰弱に通じます。垂れは液体の垂れで脇汗。心拍やお乳の垂れではないのよ。脇汗は誰でもかきますね。看板はもろもろの神や仏の集合地。跡形です。脇の下なのでひっついたり離れたり。いたってふつうの約束の地です。





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