川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

水俣 補遺

2024年05月18日 | 社会・時事など
先日行った水俣で、聞いたりしたこと。

■ 共産党が、「被害者」をいまだに「作り出して」いる。詐病で、、、

 被害者としての賠償請求したら210万円もらえますよ、とか言って、住民をたぶらかして、「被害者」を捏造している。
 それで恩着せがましく迫って、党員にするスキームらしい、、、

 だから、熊本/水俣では、水俣病は「左翼運動」の一環として受け取られている。

■ なんで「熊本」という名前なのかなと思ったら、加藤清正前は、「隈本」だったらしい。
 隈というのは、崖の下とか、そういう地理的な意味らしい。

■ 熊本市の隣あたりに、「八代」(やつしろ)市がある。

 そこ出身の歌手が、先日亡くなった、八代亜紀。ちなみに麻原彰晃も八代出身。八代亜紀の5歳下。

■ 熊本市に、「水前寺」ってのがある。水前寺清子は、この辺の出身。

 熊本出身の演歌歌手は、もう一人、石川さゆりもいる。

■ 熊本産の産物は:

  •  みかん
  •  トマト
  •  スイカ
  •  晩白柚(ばんぺいゆ、でっかい柑橘類)
  •  井草

 が有名。

■ 邪馬台国は熊本にある説。

 特にこれという史跡があるわけではないらしい。

■ 宮崎滔天も熊本でしたね。

■ 徳富蘇峰は、8歳まで水俣にいた。彼は新島襄から洗礼を受けてクリスチャンになっていた。
 
 水俣に蘇峰記念館がある。

■ そういえば、「熊本バンド」と言って、明治初期には熊本でキリスト教の洗礼を受けた一団がいました。海老名弾正とか。


 そのころは熊本が先進的だったのだろうか。

■ 水俣病の補償が遅れたのは、悪名高い「見舞金30万円」契約。1959(昭和34)年末の、12月30日。
 現金が必要な大晦日近くに、これにサインしちゃったから、おってさらなる補償を求めることが困難になった家族も多い。この契約では、「おってチッソの責任が認められても、お金は払わない」って条項があったから。
 当時の30万円は、今の150万円くらいだそうな。

■ この「30万円見舞金契約」は、1973年3月20日の歴史的判決で、「公序良俗違反」とされました。

 チッソが悪いってわかったのに、30万円しか払わない、それ以上払わない、ってのはやっぱりおかしいよね。
 
■ 水俣闘争の闘士といえば、川本輝夫さん。 

 資料館とかには、彼の写真がたくさんありました。

 川本さんが、自分を水俣闘争に駆り立てた動機として、「居合わせた者の責任」みたいなことを書いていた(相思社で写真を撮りそびれた…)。私が感じている「知ってしまった者の責任」と似ている。

 要するにインテグリティですね。

■ 川本さんは、東京のチッソ本社前の座り込み時、ゴタゴタで、傷害罪で起訴され、一審で有罪となった。

 でも高裁でひっくり返った。良心的な高裁判断。

 〜〜〜以下ウィキから引用〜〜〜
 1年6ヶ月のチッソ本社前での座り込みやチッソ本社重役との自主交渉については、警備員らによる暴行があり反撃も十分できないまま、逆に(川本は)1972年12月27日に傷害罪で起訴され、懲役1年6ヶ月の求刑を受け、一審判決は罰金5万円・執行猶予1年の有罪判決であった。

 しかし、高等裁判所では被疑事実が認定されつつも
「本件は訴追を猶予することによつて社会的に弊害の認むべきものがなく、むしろ訴追することによつて国家が加害会社に加担するという誤りをおかすものでその弊害が大きいと考えられ、訴追裁量の濫用に当たる事案である」
との理由で公訴棄却となり、最高裁で確定している。
 〜〜〜以下引用〜〜〜

権力はいつでも過ちを犯すものですね。


■  たぶんこの高裁判決時、加害者のチッソの、社長の島田さんが、「川本さんを有罪にしないで」っていう嘆願書(上申書)を書いた。相思社に現物があった。

 チッソ島田社長にも、インテグリティがありました。

 
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