真実は常に矛盾の中にある。
と思ったエピソードをご紹介します。
私の#英語交渉術セミナーでは、一見すると矛盾するメッセージを伝えている。
かたや、間違ってもいいから喋ろう、多くのexposureが大事だ、Fail fastで学んでいこう、みたいな。特にSpeakの文脈で。
一方では、many many とか very very みたいな貧困な形容詞ばかり使っていると、知性を疑われるよ、語彙力は知性だよ、メールでも三単現のsがないだけで、やっぱり足元を見られてるところはあるよ、って。Writeの文脈の事が多いかな。
上の2つはある意味、矛盾している。かたや「失敗しろ」って伝えておきながら、舌の根の乾かぬうちに「失敗するな」的なメッセージを伝えている。
うん、ある意味、矛盾かも。でも、どちらも間違っていない。一朝一夕に英語はできるようにならない。若い頃は失敗して、失敗して、恥をかいて、それでゆくゆくはいい上品な英語を喋って書いてください、ってこと。
大きな時間軸で捉えると矛盾はそんなにないはず。でも表面的なテキストのみからは矛盾を感じちゃう。
でも、一般的に、矛盾を抱え込んで生きていくのが人生なわけだし。なんでもかんでもクリスタルクリアになるんなら人生楽ちんすぎるだろう。真実は矛盾の中にある。それを自分なりにどう昇華するか。
小説なんかも、クリアカットに書かれたビジネス本では人生の悲哀も味わいも分からない。だからその「矛盾」をどう整理してどう抗ってどう対処するか、ってところは、千万字を費やした小説ではないと処理できない。そこに小説の存在意義があるんだと思う。