後法は前法に勝る。
法律の世界で使います。後からできた法律は、前にできた法律より、効力が勝る。
人類は間違えるんです。昔の法律には間違っているところがあるんです。昔の民法も、マニアックですが、「解除の請求を妨げず」みたいな、日本語として間違えた用語を使ったりしていた(解除はすぐ効力が発生するので「請求」するものではない)。
判例も同じ。昔の判例より、新しい判例の方が、解像度が高いんです。
有名なところでは、昭和27(1952)年ですから72年前、離婚で「踏んだり蹴ったり」判決というのがありました。有責配偶者からの離婚請求は認められない。それを許したら、離婚される人が「俗に言う踏んだり蹴ったり」だから。
でも、この判例は覆されて、今の世では、有責配偶者からの離婚請求は認められました。
法律の世界ってのは、こうやって「時の経過とともに解像度が上がる」社会です。
例えば。
地裁判決をもらった後の高裁判決。結論は同じでも、理由づけをくっつけます。地裁の判決の誤植とかを直します。地裁が見落とした点を付け加えます。
ほとんどの高裁判決が、地裁判決より「解像度が高い」んです。地裁判決よりも高裁判決の方が、詳しいんです。
これも、ある種の「後法は前法に勝る」なんです。
今話題の、袴田巌さんの無罪判決がいい例です。
58年前から、袴田巌さんには、有罪判決が何度も何度も下りました。でも、58年かけて、袴田巌さんは、無罪を勝ち取りました。冤罪だったんです。
この、一番最近の「後法」に敬意を払う、というのが我々の態度なんです。無罪を勝ち取った袴田さんに対して、いまだに「人殺し」と揶揄することは、58年の理不尽な冤罪と戦ってきた袴田巌さんと、最新の判断をした裁判所、いや、日本の司法システム全体への、冒涜なんです。
鈴木エイト氏がやっているのも、この「司法に対する冒涜」なんです。
たしかに、12年半監禁された後藤徹さんの事件は、刑事事件にならなかった。
しかし。
その後、後藤徹さんが、4年半の民事裁判を経て(高裁は15度も「違法」な監禁と評価しました)、2015年、最高裁で、「拉致監禁された被害者」だというお墨付きを得たんです。完全勝利したんです。
その後藤さんに対して、「引きこもり」と揶揄することは、袴田巌さんに対して「アイツは人殺し」と言い続けるような、非常識であり、司法への挑戦であり、民主政の破壊行為なんです。
ちなみにこの鈴木エイト氏は、後藤徹さんから名誉毀損で訴えられています。
その裁判で、エイト氏は、いまだに後藤さんを「引きこもり」だと言っています。でも、「地裁や高裁で否定された証拠」しか出していません。
これは、袴田巌さんを「人殺し」呼ばわりして、その証拠として、58年前の「間違った」判決の、今は否定された証拠を出しているようなものです。
長くなりました。
後法は前法に勝る。
後藤徹や袴田巌を揶揄することは許されない。許してはいけない。
こういう真っ当なことが認められるために、私は日々戦っています。
後藤徹さんを代理する、対鈴木エイト訴訟では全力を尽くしています。
皆様の応援をよろしくお願いします。
た。と言うのだろうか?