聚楽第 -発掘調査現地説明会Ⅱ ② 石垣の特徴をじっくり観察しました-

2012-12-29 11:12:53 | まち歩き
聚楽第 じゅらくだい (京都府京都市上京区)



今回(12月24日)の現地説明会で見聞した石垣の特徴を写真に収めてみました。


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石垣は、加工されない自然石を使用しています。
自然石を安定良く据えるとともに、比較的平らな面が石垣の表面に出揃うように巧みに積み上げています。





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この角度から見ると、石垣の表面がいかにピッタリと揃っているかが良く分かります。
まるで定規で線を引いたように、見事に一直線に築かれています。
表面加工しない自然石をここまで自在に扱ってしまう職人技には、本当に驚嘆させられます。





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この写真は、検出された石垣の最も西側の部分です。





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そして、こちらは石垣の最も東側の部分。


西と東の両端の石垣を、それぞれの石垣からほぼ同じ距離に立って撮影してみました。

写真を並べて比較すると、東側ほど大きな石材が使われていることが明確に見て取れます。

この石垣の東の端から、さらに20mほど東に本丸の大手門があったと推定されています。
来訪者に見せることを意識して、大手門に近い石垣ほど大型の石材を配置したと考えられています。




 ・・・・・・・・ 参考 ・・・・・・・・



「見せることを意識して、大手門に近い石垣ほど大型の石材を配置した」 という点について、参考に八幡山城 (滋賀県近江八幡市)の石垣を見てみましょう。

八幡山城は、天正13年(1585)に秀吉の甥・秀次の居城として築かれました。
聚楽第が築かれるのは翌・天正14年(1586)ですから、この二つの城郭の石垣は兄弟分のような関係と言えます。



(参考①/八幡山城)
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八幡山城の中で、山腹に設けられた秀次居館の石垣です。
この撮影地点の西方(画面左側)に、居館の正面入り口の門に通じる通路が設けられています。





(参考②/八幡山城)
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そしてこちらは、①の撮影地点より20mほど西方(画面左側)、つまり門に近づいた場所で撮った写真です。

石垣の高さは、①・②どちらの撮影地点もほぼ同じです。
しかし、②の石垣は石材の一つ一つが大型のため、詰まれた石の段数は①の石垣よりもかなり少なくなっています。

主要な門に近い石垣ほど大型の石材を配置する傾向が、ここでも見て取れます。



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