御着城を歩こう。  - 「軍師官兵衛」ゆかりの城① -

2014-02-02 23:47:30 | まち歩き
御着城 ごちゃくじょう  (兵庫県姫路市)


NHK大河ドラマ 「軍師官兵衛」、出だし好調ですね。
久々に戦国モノの力作で、毎週楽しみにしています。

ちなみに、黒田官兵衛を演じる岡田准一さんは、大のお城好きなんだそうです。
最近、仕事で熊本に行ったときも、
「時間が無いから!」
と渋るマネージャーさんを
「ちょっと見れるだけでもいいから・・・」
と、拝み倒して、車で熊本城の周りを一周してもらったんだとか。


さて、ドラマの今の段階で、主要な舞台として登場するお城が二つあります。
まずは、黒田家の居城・姫路城。
のちの「白鷺城」のイメージとは程遠い、未だ砦のような姿の姫路城です。
もうひとつは、官兵衛の主君・小寺政職(こでら・まさもと)・・・片岡鶴太郎さんが演じる、いつも鼻が赤い殿様ですね。
その小寺政職の居城・御着城(ごちゃくじょう)です。

関西在住の人でも、御着城なんて知らないという人は多いかもしれません。
今回は、その御着城をご案内致しましょう。



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御着城の跡は、姫路市御国野町御着にあります。
姫路城から東南東へ約5キロメートル。
JR山陽本線の姫路駅から、大阪・神戸方面へ向かって一駅目の御着駅が最寄りです。


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御着城は、城の西側から南側を天川が大きく蛇行して流れていて、これを天然の堀として活用しています。
また、北側から東側にかけては外堀を廻らし、防衛ラインを形成していました。

御着城は、永正16年(1519)に小寺政隆が築城し、則職、政職と小寺氏3代の居城でした。
しかし、羽柴秀吉の播磨侵攻により、天正6年(1578)から翌7年頃に、小寺政職は御着を追われ、やがて御着城も廃城になりました。


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御着城跡を描いた絵図です。
江戸時代中期の宝暦5年(1755)に描かれたものです。
この絵図から、御着城は本丸・二ノ丸を中心に、2重ないし4重の堀を廻らせた堅固な城だったことが分かります。
現在、堀は残っていませんが、所々にわずかな高低差でその痕跡を留めています。


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それでは、御着城を訪ねてみましょう。
JR御着駅の改札を出て、正面の道を北へ200メートルほど直進すると、東西方向の道と交わります。
この東西方向の道が、かつての山陽道(西国街道)です。
山陽道を右折(東進)して、さらに200メートルほど進むと、天川橋があります。
天川橋を渡れば、そこはもう御着城内です。


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天川橋の上から見た天川です。
御着城の天然の堀でした。


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天川橋を渡った先に延びる山陽道です。
御着城は、街道を城内に取り込んだ城郭でした。
この地が軍事上のみでなく、交通・経済の要衝でもあったと言えるでしょう。
城が廃された後も、この街道沿いの一帯は宿場町「御着宿」として賑わいました。


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天川橋から100メートルほど山陽道を歩いたら、左折する道との交差点があります。
ここで、一旦山陽道から外れ、左折(北進)してみましょう。
少し歩くと、道の右手に一段高くなった土地があります。
これが本丸の名残です。


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本丸跡は、今は小寺大明神の境内で、遊具が置かれた小公園です。
宝暦5年(1755)に描かれた絵図には、本丸と二ノ丸の跡はおよそ3~4間(約5~7メートル)の高さがあったと記されています。
かなり削られて、敷地も狭くなっています。

小寺大明神は、御着城主・小寺氏一族をはじめ、城に関係した人々を祀っています。


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本丸跡から国道二号線を挟んだ向かい側(北側)は、二ノ丸跡です。
模擬天守のような建物が見えます。
歩道橋を使って、二ノ丸跡へ渡ってみましょう。


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歩道橋の上から、かつての御着城の中心部を見下ろしてみました。
現代の「山陽道」である国道二号線が、城跡を縦断しています。
道路の開削による段差から、この一帯が高地になっていたことが分かります。


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二ノ丸跡は「御着城跡公園」になっています。
入り口には、「御着城址」の石碑があります。


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二ノ丸跡に建つ模擬天守のような建物は、昭和52年(1977)に建てられた姫路市役所の東出張所です。
御着城跡の一角が、今も役所として機能しているというのが何だか面白いです。

ちなみに、大河ドラマ「軍師官兵衛」のオープニングで流れるCG映像の中に、これによく似た建物が出てきます。
御着城を表現しているのでしょうか?
今度、大河ドラマを観られる時に、探してみて下さい。


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出張所の西側に、石塀で囲まれた立派な墓所があります。
官兵衛の祖父・黒田重隆(大河ドラマでは竜雷太さん)と、官兵衛の生母・明石氏(同じく、戸田菜穂さん)が祀られています。
子孫にあたる福岡藩主・黒田家によって、江戸時代後期の享和2年(1802)に建てられたものです。


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墓所の中、向かって左が黒田重隆、右が生母・明石氏の五輪塔です。


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さて、出張所の裏側(北側)にも珍しい遺構があるので、ぜひ見学していきましょう。

この石橋は、江戸時代後期の文政11年(1828)に建造された天川橋です。
御着城跡へ来る途中に渡った、あの天川橋の位置に架けられていました。
昭和47年(1972)の洪水で中央部が崩落したため、新橋の架け替えに伴いここに移築されました。


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ちなみに、この石橋が架かっている凹地は、御着城の堀跡です。


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二ノ丸跡の「御着城跡公園」の北側から東側にかけては、城の輪郭が比較的良好に残っています。
段丘の裾には、堀跡の凹地が続いています。


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堀跡の凹地をたどって、南に歩いてみましょう。


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国道二号線を越えて南に進むと、右手(西側)に大歳神社(ださいじんじゃ)があります。
少し寄り道してみましょう。


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大歳神社の絵馬堂には、色鮮やかな絵馬が数多く掛けられています。
江戸時代の御着宿の繁栄を物語るものです。

それぞれの絵馬に描かれているのは、日本の歴史上の名場面です。
ちなみに、これは ..... 「清須会議」ですね。
秀吉が三法師を抱いて登場するクライマックスシーンです。
絵馬を一点ずつ見ながら、これは何の場面だろう? と、考えてみるのも楽しいひと時です。


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大歳神社の南側で、再び山陽道に戻ります。
西に向かって歩いてみましょう。
このあたりは、江戸時代の御着宿の面影がよく残っています。


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少し行くと、山陽道が不自然に屈曲しているところがあります。
今は自動車の通行の安全のため、ゆるいカーブに改修していますが、もとはクランク状の屈曲でした。
即断はできませんが、あるいは戦国時代の御着城の防衛に関する遺構の可能性も考えられ、興味深いです。

では、このまま山陽道を西に歩き、JR御着駅に戻りましょう。

なお、御着は歴史の宝庫で、他にも見どころのある遺跡がいくつか有ります。
余力があったら、播磨国分寺跡、壇上山古墳などにも足を延ばしてみて下さい。




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