撮影日 : 平成25年2月10日(日)
会 場 : 兵庫県立武道館 (姫路市西延末)
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諸賞流 和 (しょしょうりゅう やわら)
諸賞流和は、平安時代に坂上田村麻呂によって創始された夢想観世流和(むそうかんぜりゅう やわら)に始まる柔術です。
夢想観世流の流名は、田村麻呂が清水観世音に祈願して、夢想の中に和(やわら)を伝えられたことに因みます。
時代は下って鎌倉時代、源頼朝が鎌倉に幕府を開いた時、朝廷の勅使を饗応するため角力会を催しました。
各地から強者が集められた中で、夢想観世流27代目・毛利宇平太国友が、体格は小柄ながら抜群の強さを発揮して、頼朝をはじめ諸将が大いに感嘆しました。
諸将が賞した(褒め称えた)ことに因み、以後、流名を「諸賞流」に改めました。
江戸時代、陸奥国の盛岡藩(藩主:南部家)の家臣・岡武兵衛庸重が鎌倉に行き、諸賞流和に入門します。
そして、47代目の宗家を継承しました。
以後、諸賞流和は盛岡藩で継承されてゆき、57代目・松橋宗年の時、御留流(藩外不出)の武術に定められました。
諸賞流和は、明治維新後も盛岡で継承されてゆきます。
昭和54年(1979)には、盛岡市指定の無形文化財にも認定されました。
現在も盛岡市に道場を構え、稽古が行われています。
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立会 「大殺」
相手の太刀を瞬間にかわし、当身を入れて倒す。
最後に逆手で決める。
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「山落」
目潰をかけて、肩を押しながら足をかけて倒す。
そして拳骨で急所を打つ。
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「大小搦」(だいしょうがらみ)
相手に刀を取られ引き倒されながらも、一瞬の隙を突いて足で急所を蹴る。
① 刀で相手に斬り掛かろうとしたところを・・・
② 刀を奪われてしまった。
③ そして、引き倒されるが・・・
④ 一瞬の隙を突いて、足で相手の急所(首)を蹴る。
⑤ 見事に形勢逆転。相手を締め上げる。
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小手乱
柔道の巴投に似た投げ技だが、一番先に急所を蹴る。
そして、頭から投げ落とす。
(以下、次号)
会 場 : 兵庫県立武道館 (姫路市西延末)
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諸賞流 和 (しょしょうりゅう やわら)
諸賞流和は、平安時代に坂上田村麻呂によって創始された夢想観世流和(むそうかんぜりゅう やわら)に始まる柔術です。
夢想観世流の流名は、田村麻呂が清水観世音に祈願して、夢想の中に和(やわら)を伝えられたことに因みます。
時代は下って鎌倉時代、源頼朝が鎌倉に幕府を開いた時、朝廷の勅使を饗応するため角力会を催しました。
各地から強者が集められた中で、夢想観世流27代目・毛利宇平太国友が、体格は小柄ながら抜群の強さを発揮して、頼朝をはじめ諸将が大いに感嘆しました。
諸将が賞した(褒め称えた)ことに因み、以後、流名を「諸賞流」に改めました。
江戸時代、陸奥国の盛岡藩(藩主:南部家)の家臣・岡武兵衛庸重が鎌倉に行き、諸賞流和に入門します。
そして、47代目の宗家を継承しました。
以後、諸賞流和は盛岡藩で継承されてゆき、57代目・松橋宗年の時、御留流(藩外不出)の武術に定められました。
諸賞流和は、明治維新後も盛岡で継承されてゆきます。
昭和54年(1979)には、盛岡市指定の無形文化財にも認定されました。
現在も盛岡市に道場を構え、稽古が行われています。
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立会 「大殺」
相手の太刀を瞬間にかわし、当身を入れて倒す。
最後に逆手で決める。
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「山落」
目潰をかけて、肩を押しながら足をかけて倒す。
そして拳骨で急所を打つ。
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「大小搦」(だいしょうがらみ)
相手に刀を取られ引き倒されながらも、一瞬の隙を突いて足で急所を蹴る。
① 刀で相手に斬り掛かろうとしたところを・・・
② 刀を奪われてしまった。
③ そして、引き倒されるが・・・
④ 一瞬の隙を突いて、足で相手の急所(首)を蹴る。
⑤ 見事に形勢逆転。相手を締め上げる。
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小手乱
柔道の巴投に似た投げ技だが、一番先に急所を蹴る。
そして、頭から投げ落とす。
(以下、次号)