峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

立候補

2018年04月30日 | 子育て日記

「クラブの部長になったよ。」くるみさんは学校から帰って来るとすぐにそう話してくれました。
学校のバスケットクラブの部長に自ら立候補したようで、結局、他に立候補者がいなく自動的にくるみさんに決まったとのことでした。
新学期が始まり間もなく、図書委員会の部長になったと張り切っていましたが、今度はクラブの部長を積極的に引き受けたというのです。
「なんでみんな部長に立候補しなかったんだろうね?」と訊くと、「副部長にもだれも手を挙げんかったとよ。いろいろやれば面白いとにねぇ。」と言います。

くるみさんは、私が有紀さんにいろいろ語ることを聞いています。有紀さんからは中学校の出来事を友達のことを先生のことを聞いています。
有紀さんもそうでした。絵理子さんが高校生の頃から、私が絵理子さんに話すのを側でじっと聞いていたものです。私の話が終わり、階下に降りると今度は絵理子さんにいろいろ学校のことなどを尋ねていたようです。
今でもこの関係は変わりません。3人を前にして私が真面目な話しをすることはありません。
それはともかく、ここ数年私が彼女らに強く語り続けていることは主体的に生きることの大切さです。

               2004427日(火)記


主体的に生きる

2018年04月29日 | 子育て日記

  友達から相談受けて語り合う友情育てる充実した時

昨日のジュニア歌壇に掲載された有紀さんの歌です。とにかく人とのかかわりが面白くてならないようです。
平日はもちろんのこと、先日の土曜も日曜も応援団の打ち合わせや練習で友達や卒業生とずっと一緒だったようです。ダンスのリーダーも引き受けたと生き生きとして語っていました。
有紀さんの担任は新しく佐々中に来られた方ですが、そんな有紀さんがたいへん積極的な生徒に映っていたそうです。
ところが本来、有紀さんはそれほど積極的でもなければ、目立ちたがりやでもありません。むしろ静かで穏やかで口数の少ない方です。
ただ、何事においても主体的に取り組みたいという思いが彼女の底流に着実に育っていることは確かなので相対的にはそう映ることもあるのでしょうか。

動けばあつれきが生じます。だからといってあつれきが生じるのを恐れて動かなければ面白くも進歩もありません。そこを乗り越えて、真に互いを分かり合えることだってあります。あえて、火中の栗を拾う役割も必用です。それを担える機会があれば喜んで担いなさい。
私は常日頃、有紀さんにそう語っています。

               2004427日(火)記


早朝練習

2018年04月28日 | 子育て日記

今朝、有紀さんがいつもより早く登校するといいます。応援の練習があるそうです。おそらく自分たち・黄組だけだろうといいます。
昨日、何があったかは聞きませんでした。
先生の指示や、にらみが効いていないと動けない大多数の子どもたち。主体的に自ら考え、行動した経験の乏しい子どもたち。そんな集団を有紀さんはどうやってまとめ、盛り上げていくのでしょうか。

              2004421日(水)記


ありがとうボクシング

2018年04月28日 | 暮らし

 

母校・日本大学の保健体育審議会ボクシング部創部90周年を記念して、その記念誌がこの度、発刊された。
先輩諸氏のご配慮で私も「ありがとうボクシング」と題して拙文を寄稿させていただいたが、あの具志堅用高さんを始め多くの沖縄の若者をボクシングを通して育ててこられた金城眞吉先輩の遺稿となった「人生ボクシング一筋」と共に掲載されたことは恐縮至極であり、光栄の極みである。

我が日本大学ボクシング部は、昨年の第70回関東大学リーグ戦4連覇にて31回の優勝を数え、さらに全日本大学王座決定戦においても4連覇で28回目の優勝を飾ることができた。この戦績は、学生スポーツ界の中にあって驚異的な数字であろう。この歴史と伝統ある日大ボクシング部のOBであることを誇りに思う。

私は、ボクシングから多くのことを学び、貴重なものを得ることができた。
ボクシングと出会ったおかげで今の私が在る。


泣けばいい

2018年04月27日 | 子育て日記

今夜、中2の塾生のある男の子が「きょう学校で峰野さんが泣きよらしたです。」と耳打ちしてくれました。

帰宅した際は必ず「ただいま!」と私に笑顔を見せてくれる有紀さん、きょうも変わりありませんでした。
応援の練習が思った通りに進んでいないんだなとすぐに思いました。

中1と中3の4組、中2の4組・5組合わせて有紀さんが応援団長として束ねる黄組の団員数は約160人です。そんなに簡単にいくわけがありません。
黄組だという塾生にきょうの練習の様子を聞くと、声を出さない子が何人かいたとのこと。

有紀さんは日曜日の午前中から登校し、夕方帰ってきました。聞くと友人と2人で応援合戦で使う曲を決めたり、流れ・段取りを決めたりしていたと話してくれました。帰宅した後はグッタリしていました。

一生懸命取り組めば取り組むほど泣いたり笑ったりです。
悲しかったら思いっきり泣けばいいのです。悔しかったら身をよじって悔しがればいいのです。そうすれば、そこから何かが生まれてきます。知恵であったり、力であるでしょう。
端(はな)から上手くいくわけはないし、上手くいかないほうがいいのです。生きていく強い力がそこから生じるのですから。
ファイト!

                2004420日(火)記


有紀さん応援団長に

2018年04月26日 | 子育て日記

  三度目の体育大会気合入れ優勝目指して団長になる

  友達と運動場で駆け回る予鈴のチャイムがすぐ鳴り響く

有紀さんの最近の歌です。

佐々中学校の運動会は春に行なわれます。クラス別、縦割りの各組対抗戦で優勝が争われるのですが、応援団長は例年各組の3年生から選ばれます。
一昨日、「団長になったよ」と有紀さんが部活を終え帰ってきました。その2,3日前から担任や級友に団長に推されていると聞いていましたが、有紀さんは「副団長になりたい」と話していたのでした。

昨夕、私とくるみさんがギターとピアノで「世界で一つだけの花」の音を合わせているところへ有紀さんが帰って来ました。そのまま居間に寝転がるので「応援の練習、きつい?」と声をかけると、「2年生の女の子がきょうの練習、かなり面白かったねっていよった(言っていた)。きついけど、やりがいがある」とのこと。

絵理子さんが高校3年生の体育祭で、やはり縦割りの青組のダンスのリーダーを務めたことがありました。1年生のときから憧れていた伝統ある体育祭の「ダンス」、絵理子さんは体育祭本番まで全精力を傾けて取り組んだようでした。
体育祭当日、それは私の想像をはるかに超える素晴らしいパフォーマンスでした。かなりハードな練習だったのでしょう、絵理子さんは、げっそりリやせていました。
それでも、
絵理子さんは大きな感動と共にかけがえのないものを得たはずです。ダンスが終わった後、グランドの端で絵理子さんと一緒に写真に納まろうとする下級生の列は長く伸びていました。

有紀さんとくるみさんにそのことを話してやりました。

               2004417日(土)記
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その後、くるみさんも中学3年の体育祭で応援団長を務めることになった。
2人が特段、男勝りという訳でもないし、目立ちたがり屋という訳でもない。むしろ、その逆だと思うが、例年、男の子が務める応援団長を何故か控えめな2人が務めた。


学校は大盤解説会

2018年04月25日 | 子育て日記

4月7日、ホテル万松楼で朝日オープン選手権五番勝負の第一局が行なわれました。
この日、有紀さんとくるみさんの学校は大盤解説会場でした。
朝8時半に会場に着き、会場の設営を手伝いながら対局が始まるのを待ちました。

その日の朝日新聞には、二人が前夜祭で深浦さんと羽生名人に花束を渡すところが大きくとりあげられていて、その話題を中心に二人は関係者の方々にいろいろ話しかけられているようでした。

午前中に先崎八段と中倉女流初段の指導対局がありました。事前の申し込みで当選していた二人は有紀さんが先崎八段と、くるみさんが中倉女流初段とのいずれも二枚落ちに臨みました。
指導対局の大きな意義はプロ棋士と一局を指すことそのものにあるのでしょう。何かを感じ取ることができたはずです。得難い経験です。
昼食後、二人は終局まで大盤解説会場の一番前の席に座りっぱなしで加藤九段と先崎八段の解説に聞き入っていました。5時間ほどだったのでしょうか。帰宅後は二人ともぐったりしていたそうです。
この日いい勉強をさせていただきました。

               2004415日(木)記


誰かのための私でありたい

2018年04月24日 | 子育て日記

  思い出が頭の中をかけ巡り去られる先生涙でにじむ

離任式の後、詠んだのでしょう。有紀さんの最近の歌です。
春休みのある日の夕方、有紀さんに電話がかかってきました。有紀さんが敬愛してやまない先生からでした。先生はフィアンセが大学院を卒業し、遠く山形の地で就職されるの機に退職され、彼の元に行かれるのです。
その先生と写真などいくつか交換するものがあったのでしょう、家の近くで待ち合わせをしたといいます。
数分後、有紀さんが出かけたころあいを見計らって、表に出てみると女房どのもくるみさんも、有紀さんにくっ付いて出ていました。
私は先生とは初対面でした。我が家から距離を置いて車を止めておられました。上がってお茶でもとおすすめしましたが遠慮なさいました。無理にお誘いしてもと思い、女房どのと二人でこれまでのお礼を申し上げ、ひきあげました。
玄関まで戻り、振り返ると、先生はくるみさんに何か話しかけておられるところでした。
3人は、別れを惜しむかのようにしばらく立ち話をしていました。
それは、とてもとても美しい光景でした。
ありがたいとしみじみ思いました。そして私も、だれかのためのそんな存在でありたいとずっと思っています。

  春休み新年度からの生活に期待ふくらみ心がおどる

これも有紀さんの歌です。
担任はだれだろう。期待と不安を胸に今朝登校していきました。

200446日(火)


友達と過ごした夜

2018年04月23日 | 子育て日記

   叱られるほどはしゃいだ夜 峰野くるみ

 早朝四時、私たちの部屋は、さわがしかった。
 そしてI先生が部屋のドアを開けて
「静かにしろ!」
と大きな声で私たちをしかりました。
 初めての学童農園宿泊でとても興ふんしてしまいました。
 私たちは、ルールを守らずに、かい中電灯で人の顔を照らしたり、ゲームをしたりしてしまいました。
 しかられた後でも、先生の気配を感じたら「来た!ねたふりしよう!」
と言ってねたふりをしました。
 しかられたのは、私たちだけではなく、他の部屋の人も夜おそくまで起きていてとてもしかられたそうです。ちなみに、私たちは十一時まで起きていたけれど、夜はしかられませんでした。
 六時半ごろからラジオ体そうを始めました。
 あくびをしたりして、ねむそうな人もいたけれど、ほとんどの人は、もう目が覚めていました。
 ラジオ体そうが終わると、次は朝食の準備にとりかかりました。
 朝食のメニューは、りんご、みそ汁、ごはんなどでした。私は、とてもおなかがすいていたので
「おいしい。」
と言いながら、バクバク食べました。
 お風呂の準備やふとんのしき方などをお世話して下さいました。こういうのは、学童農園の方々の『やさしさ』だと思います。
 学童農園をはじめ、いろいろな方々の『やさしさ』がなければ、とても楽しい宿泊学習には、ならなかったと思います。
 このことから私は、人と人とのかかわり方とは、本当に大事だなあと思いました。私もこういう『やさしさ』を持つために、これから、あいさつや会話などを通して、『やさしさ』を身につけたいと思います。
 いつもは、一緒にお風呂に入ったり、ねたりしないので、今回の宿泊学習は、とても思い出に残りました。また行きたいです。

有紀さんもそうですが、くるみさんは友だちや先生との交わりにたいへん興味があるようです。春休みは、ほとんど朝早くから夕方まで友だちと遊んでいました。
きょうの始業式を前に昨夜から、「ドキドキする!」と興奮気味でした。クラス替えで担任が今日決まるからです。

               200446日(火)


反省と抱負

2018年04月22日 | 子育て日記

 私が2年生になってからの1年間で一番大きな反省点は、主体的な生活が送れていなかったことです。
家庭学習においてもその日の宿題をするだけで、自分から進んで問題を解くということがあまりありませんでした。
普段の学校生活でも先生からの指示を待つことが多く、自主的な活動ができませんでした。これからはもっと主体性を持つことを心がけたいです。
 3年生では自分が今しなければならないこと、自分がしたいこと、自分にできることを常に考えて生活したいと思います。
一年後に振り返ったとき、後悔することが一つもないように、毎日を楽しく過ごしていきたいです。

この文章は、修了式で2年生を代表して有紀さんが発表したものです。
2年2組の最後の学級通信に載っていました。発表は、担任に依頼されてのものでした。
4月から3年生になります。2年生の頃から有紀さんの進学先を彼女と話し合ってきました。要点は真に有紀さんに相応しい高校はということです。
2年生の3学期の始めには結論が出ました。発表した有紀さんの文章にあるような彼女の考えを尊重してもらえるような高校ということです。私の知り得る情報・資料・印象等を提供し、合わせて私の考えも述べてきたうえで、有紀さんが決意しました。
春休みから、そのための取り組みを始めています。主体的に。

                2004327日(土)