峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

私は これでいいんだろうか

2005年10月31日 | 暮らし
今夜6時半から、佐々町老人保健福祉計画及び介護保険事業計画策定委員会の第1回目の会合に出席しました。
この長い名称の委員会は今度で3期目を迎えるようですが、私は介護保険被保険者代表として今期初めて委嘱【いしょく】を受けました。
きょうから2月まで5回開かれます。いろいろありますが、要は3年に1度の介護保険料の値上げのために存在する委員会なのだというのが1回目の会議に出ての感想です。
つまり、「町内のさまざまな分野を代表する方々にお集まりいただき、審議・ご検討いただいた結果、介護保険料の額をこれこれいくらにする必要があるとのご回答をいただきました」というクッション、あるいは逃げ的なものとしてこの委員会が用意されているとどうしても思われるところがあります。
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困った性分【しょうぶん】

2005年10月30日 | 民生児童委員
11月22日に長崎県北部の市町村の民生児童委員が一堂に会し研修会が開かれます。その中で、民生児童委員としての人格・識見【しっけん】を向上させることを目的に委員間で討議が行われます。そのための問題提起の1つを佐々町民生児童委員協議会が行うこととなり、その役割を私が担うことになっています。

8月の佐々民生児童委員協議会の定例会の席で、前月訪れたハンセン病療養所・菊地恵楓園での研修に関して感想を述べたことを後日、協議会の会長に発表してくれと依頼されたのでした。
私の考えが、佐々町の民生児童委員を代表するに相応しいとは決して思っていない私は、固辞【こじ】したのですが、再三にわたる会長の要請を断ることができず、とうとうお引き受けしてしまいました。半分、後悔しています。

その問題提起のタイトルと簡単な内容を事前に主催者に報告するようになっていて、その文書の提出期限が明日31日、会長には今日30日までに社会福祉協議会まで届けておくように言われていました。

まだ日にちがたっぷりあるなと思って昨日まで1行も書かずにいました。
昨夜、ブログを書いた後、一服してから書き始めようと思いゴロリと横になりテレビを見ているうちにあっという間に2時になりました。頭がボーっとなってきて「明日にしよう」とそのまま寝てしまいました。

今朝、日曜日でしたが、女房どのは学校の「学年レクリエーション」とかいう行事のため、いつも通り出かけて行きました。
私は、パジャマのままコタツの中でうつらうつらしていたのですが、ピンポ~ンという訪問を知らせるチャイムの音に起き出し、玄関のドアを開けるとアッツウーさんと虎君でした。
町営のアパートが当たったので引っ越すという挨拶に来てくれたのでした。きょう、引越しだそうです。わずか1ヵ月足らずで西町を去ることになりましたが、引越し先は歩いても5分足らずの所です。また、遊びにいらっしゃいと言って別れました。

アッツウーさんと虎君の訪問をきっかけに起きることにしました。女房どのが用意してくれていた朝食をとり、コーヒーを飲みながら新聞に目を通し、洗濯物を干し終わる頃にはNHKテレビ将棋トーナメント、郷田九段対先崎八段の戦いも駒がぶつかるところとなりました。
「書き物は午後にしよう」とコタツに入って将棋観戦です。勝負は、鮮やかな仕掛けから途切れることのない攻めで郷田九段が勝ちました。

感想戦が終わり、有線放送の正午を告げるチャイムが鳴ると同時に女房どのが買い物袋を両手に提げて帰って来ました。
くるみさんも含め3人で昼食をとりました。日曜日、昼食を済ませた後は「新婚さんいらっしゃい」「クイズ・アタック」を続けて見るのが我が家の習慣となっています。この日もそうでした。
その後、チャンネルを切り替えて「たかじんのそこまで言って委員会」まで、ずるずるとテレビに翻弄【ほんろう】されてしまいました。

すでに、午後3時です。これはいかんと2階の教室に行き、ようやくペンを走らせ始めました。推敲【すいこう】を重ね、文書が出来上がったのが午後5時過ぎ、集まっていた赤い羽根募金もついでにと社会福祉協議会に向かいました。
結局、社会福祉協議会の大瀬さんに文書を託したとき、時計の針は5時半を回っていました。

追い詰められないとやれないという性分は困ったものです。
民生児童委員研修会での問題提起は10分ほどの時間が振り当てられています。11月21日までにその原稿を書き上げなければなりません。

まだ、日にちがあります。
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希望の光は、どこにある

2005年10月29日 | 中学生
昨夜、塾で、教室に一番最後まで残った中3の女の子がおもむろに「先生」と声をかけてきました。
普段【ふだん】、自ら話しかけてくるような子供ではなく、いかにも唐突【とうとつ】だったので、何事かと少し驚きながら「何?」と答えました。

話は深刻なものでした。
その日の放課後、友人と2人、帰ろうと玄関までやってくると、靴箱の中の友人の靴がハサミでズタズタに切り裂かれていたというのです。

友人のこと、最近のクラス・学校のことなどをひととおり聞き、私なりの思いを話しているうちに、帰りの時刻を10分ほど過ぎてしまいました。迎に来ていただいているお母さまを待たせては気の毒です。
今回のことについて、直接、私が何をどうできるものではないが、彼女の話を聞いて、たいへん心を痛めたということ。そして、このような悲しいことが起こらない社会の実現のために、私なりに精一杯努力することを約束し、また、話をしようと、この夜は帰しました。

恐れていることが佐々中学校で起きています。本来、学校の教師によって回復させられるべき子供たちの魂が、こともあろうか、学校によって傷つけられている疑いがあります。
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私の気持ちは そんなに大切だろうか

2005年10月28日 | 暮らし
朝8時半から午後2時半まで、西町公民館で「ふれあい地域デイサービス」を開きました。
町内会のボランティアの方々による手作りの昼食をいただいた後、社会福祉協議会から来ていただいているヘルパーさんお2人のパフォーマンスをご高齢者のみなさんと共に楽しみました。

中で、ヘルパーさんがカラオケで軍歌を2曲かけられました。私は、モニターの画面に映し出される戦時中の様子を複雑な気持ちで眺めていましたが、間もなく、ご高齢者の中に目頭【めがしら】を押さえていらっしゃる方が何人かいらっしゃるのに気が付きました。
曲が流れ終わった後、数人の方が戦地へ赴【おもむ】かれた時のお父上やお兄さまのご様子を口々に語られました。

「もはや戦後ではない」等と言われて久しくなりますが、父や兄や友など、親しい人を戦争に持っていかれた彼らにとって、戦争は決して遠い過去の話ではないのです。

遺骨を収集できず、今も遠く南洋の島で眠るお父上を偲【しの】び「雨ざらし、日ざらしになっとるとやろね」とつぶやかれる老人に、私はおかけする言葉がありませんでした。

同じような思いをされている中国や韓国の人たちがいらっしゃるだろうことは想像に難【かた】くありません。

頑【かたく】なに靖国神社参拝を繰り返す小泉首相は「2度と戦争しないという意味と戦没者に対する哀悼の意を込めて参拝している」と説明しています。小泉さんのお気持ちはよく分かります。
よく分かりますが、それは小泉さんの気持ちです。中国や韓国の人たちの気持ちは別のところにあります。
自分の気持ちばかりを大切にしても周りの人と仲良くやっていけないのは家族間でも、クラスの中でも、町内会の中にあっても、国家間でも同じのように思います。

家族の中にあって、自分の気持ちだけを貫【つらぬ】けば、どうなるでしょう。
「戦争になっても仕方がない」と言わんばかりの小泉首相の頑なさです。
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絵本で交流

2005年10月27日 | 絵本の読み聞かせ
朝一番、町の公民館に出向き、12月10日・11日の餅【もち】つきに必要な道具一式を押さえました。先ずは一安心です

午後2時から佐々町立図書館「図書ボランティアの会」代表者会に出席しました。
来る11月14日に佐々町立図書館で開かれる第7回・読み聞かせグループ交歓交流会に関して協議を行いました
今年も県北の市町を始めとして、大村・諫早、西彼、佐賀県の伊万里市と11市町から11の「読み聞かせ」のグループが一堂に会します。
旅費から弁当代まで、すべて自費での参加となります。みなさん、個人の自由な意思で集まって来られるのです
7年目を迎えるこの交歓交流会は私たちの誇りです
1時間半ほどかけて、すべてのことを決めました。

図書館から真っ直ぐ、清峰高校図書部に出向きました。
11月8日に大村市で開かれる長崎県高等学校文化連盟・第2回ライブラリーフェスティバルの分科会で、清峰高の図書部員が「読み聞かせ」等の実技実演を行うことになっています
この日は、それに向けてのチェックを行いました。

野口さんと私も「読み聞かせ」を行うことになっているようです。その後、参加している生徒たちに実際に「読み聞かせ」をやってもらう手伝いをさせていただきます。

新立さん、ガンバレ
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夢を叶【かな】えるまで もう一歩

2005年10月26日 | 町内会長
午後7時から町内会の10月度の定例班長会が開かれました。
今夜の班長会で正式に「餅【もち】つき」を提案し、みなさんに同意いただきました。嬉しかったなぁ~

ソフトボール大会、運動会、大綱引き大会と大きな行事に町内会のみなさんと共に力を合わせて進んで参加してきました。また、その度に懇親会を開いてきました。
着実に親睦【しんぼく】の輪が広がり、活気が出てきています
しかし、これまで町内会のすべての人に参加していただくわけにはいきませんでした。
でも、私は、どうしても西町町内会の全世帯、すべての人が参加できる何かをしたいと考えていました。
そうして思いついたのが餅つきでした

かまどで火をおこすのは面白いものです。もち米を蒸篭【せいろ】で蒸【む】すのは楽しみです。杵【きね】で餅をつくのは喜びです。つき上がった餅を切るのは熟練の技です。餅を丸めるのは和【なご】やかです。餅を食べるのは幸せです。
たとえ、そのいずれができなくとも、餅を食べることならすべての方ができるはずだと考えました。お餅を食べていただくことで全員参加です

数ヶ月前から、根回しをしていました。特に、ご実家で毎年、餅つきをしているという、さとし君のお父さんの協力をいただくことになり、勇気100倍でした

今夜の定例会に、さとし君のお父さんに出席をいただきました。みなさんの同意を得て、具体的な話を進めるためです。おかげさまで、大方、決まりました。

私が町内会長をお引き受けして一番やりたいこと、それは、町内会のすべての人が参加して何かを楽しむことです。
ささやかで、大きな夢に向かって、私たちは足並みをそろえようとしています
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新たな うねり

2005年10月25日 | 将棋
勝者の賞金3,200万円という将棋界最高位のビッグタイトルを争う、第18期竜王戦七番勝負の第1局が福島県会津若松市できょうから始まりました。
若干21歳の渡辺竜王は初の防衛戦、一方、32歳の挑戦者・木村一基七段は始めてのタイトル挑戦ということで、とてもフレッシュなタイトル戦となっています。おまけに、NHK衛星放送の解説が24歳の山崎六段ということで、本当に新鮮な顔ぶれです。

渡辺竜王はブログで、ご自身のこと、ご家族のことなどを自由に表現しています。

木村七段は、奨励会を抜けるのに12年もかかっています。ちなみに、羽生4冠が3年、渡辺竜王が6年です。
同世代の友人が、どんどんプロになっていくのを複雑な思いで見ていたと木村七段は語っています。
しかし、2001年度には勝率1位賞、最多勝利賞、最多対局賞を受賞するなど、プロ棋士の間でもその実力は高く評価されています。
通算勝率は0.717と羽生4冠に次ぐ高勝率を上げています。

私が、プロ棋士の方と少し深くお話させていただく機会を得た方が2人います。一人が森下卓九段、もう一人が山崎隆之六段です。
山崎さんは、単に若いというだけではない純な魂を感じる人でした。
それが、きょうのNHK衛星放送での解説ぶりにもよく表れていました。

古い常識に囚【とら】われない、個性的な3人のパフォーマンスを楽しみたいと思います。
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スポーツが面白いぞッ

2005年10月24日 | スポーツ
祇園精舎【ぎおんしょうじゃ】の鐘の声、諸行無常【しょぎょうむじょう】の響きあり。娑羅双樹【しゃらそうじゅ】の花の色、盛者必衰【じょうしゃひっすい】の理【ことわり】をあらわす。おごれる人も久しからず、唯【ただ】春の夜の夢のごとし。たけき者も遂【つい】にはほろびぬ、偏【ひとえ】に風の前の塵【ちり】に同じ。(平家物語・祇園精舎より)

祇園精舎(お寺)の鐘の音は、すべてのものは絶えず変化していくことを教えているようであり、娑羅双樹の花の色は、盛んな者は必ず衰【おとろ】えるという道理を表しています。
おごり高ぶっている人も、長く続くものではありません。それは、ちょうど、さめやすい春の夜の夢のようなものです。
勢いの盛んな者も、やがては滅びてしまいます。それは、もっぱら、風によって吹き飛ばされてしまうゴミのようなものです。

プロ野球が変わってきています。
ジャイアンツの監督が原さんに代わりましたが、原さんの言葉がうつろに響いて聞こえます。
日本シリーズでのロッテが新鮮です。
一方、海の向こう、大リーグのワールドシリーズ、ホワイトソックス対アストロズ戦、ホワイトソックスが連勝しましたね。
きょうの井口選手、ワールドシリーズでの初ヒットが出て、攻守にいいプレーが見られました。第3戦以降の活躍が楽しみです。

日曜日の菊花賞、ディープインパクトが最後の直線で先行馬を鮮やかにかわし、皐月【さつき】賞・ダービーに続き3歳クラシック3競走を制し、見事、史上6頭目の三冠馬になりましたね。
デビューから7戦全勝の達成で、無敗三冠馬はシンボリルドルフ以来、21年ぶり2頭目という快挙だそうです。

ディープインパクトは体脂肪率が極めて低いそうですが、体脂肪率の低い馬はひずめが薄いそうです。
そのため、普通に蹄鉄【ていてつ】を打ち込むと、ひずめが割れる恐れがあるとのことから、ディープインパクトの蹄鉄は特殊な接着剤で装着されています。

まさに、サラブレッド中のサラブレッド、ディープインパクトらしい逸話【いつわ】です。
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悲しみは青空のように

2005年10月23日 | 学校教育
午前中、佐々中学校の文化祭に女房どのと出かけました。
合唱コンクールを聴くために体育館に向かうと入り口に受付がありました。机の上に各学年・各クラスの生徒の氏名が書いてあり、来場した保護者が生徒の氏名の右横の空欄に○を付けるようになっています。
鉛筆を取り、印を付けようと名簿を見ていた女房どのが「くーちゃんの名前がないよ」と先を行く私を呼びました。
まさか、と思って名簿を覗き込みましたが「峰野くるみ」の文字はありませんでした。それではと他のクラスの転校生の名前も確認しましたが、やはりありませんでした。

何ということでしょう。驚くほどの無神経ぶりです。もう、話にもなりません。
先日、くるみさんの担任に、指摘するのもこちらが恥ずかしいようなことを、お話させていただきましたが、昨日の今日です。萎【な】えてしまいそうです。

そんなことは別に、くるみさんは元気です。クラスの合唱コンクール実行委員として、きょうまで精一杯取り組んできたからでしょう。帰宅してからクラスが金賞を獲れなかったことを盛んに悔しがっていました。
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穏やかな秋の日に吾子帰る

2005年10月22日 | 家族
きょうは清峰高校の文化祭の日でした
図書部は絵本の「読み聞かせ」を行ないました。みんな、緊張しながらも、いい「読み聞かせ」ができました
お昼にカレーライスをご馳走になり、隣の茶道部の茶室でお茶もいただきました。

帰宅後、地域デイサービスの案内の残りを行いました。帰宅すると午後6時、久しぶりに電車で帰省する有紀さんを佐世保駅まで女房どのと迎に行きました
有紀さんとみぃーちゃんが初対面しました
有紀さんは、相変わらず寮生活が楽しいといいます。なかなか佐々に帰ってきません。久しぶりに4人で夕食の食卓を囲みました
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