峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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棋士の昼食から見えてきたこと

2022年02月04日 | 暮らし
昨日の記事の中で、棋士に昼食の注文を取りに来たのが将棋連盟の女子職員だったと記した。
将棋連盟の職員かどうかは定かではないのだが、女性であるのは確かだった。いや、それも定かではないのだが、そんなことを言っていては切りがないので先に進めよう。

順位戦は持ち時間が長いので、勝負が決着するのは大抵その日の深夜に及ぶ。
したがって、対局者は、昼食も夕食も対局をいったん中断してとることになる。
この日も夕方、再び連盟の職員と思われる方が対局室に現れ、両対局者から注文を受けた。
その方は、昼食の注文を取りに来た職員とは異なってはいたが、やはり女性だった。

何度となく、この場面を目にしているが、少なくとも私が見ている限り男性が注文を取りに来たことはない。

男女共同参画推進に関する話の中で「固定的な性別役割分担意識」という言葉がしばしば出てくる。
男は仕事、女は家庭というように、男性、女性という性別を理由として役割を固定化してしまう意識のことだ。

ジェンダー平等を旗印に、女性社員の管理職への登用を推し進める企業で、当たり前のように女性社員による「お茶汲み」が続けられていたという笑い話のような事実がある。

上記2例のように、私たちは無意識のうちに「男性は主要な業務・女性は補助的業務」というように、性別により役割を固定化してしまっているように思われる。

1999年に施行された男女共同参画社会基本法により、各自治体は男女共同参画基本計画を策定するのを始めとして、男女共同参画社会の実現を目指し、様々な施策を展開している。

しかし、毎年、発表される「ジェンダーギャップ指数」のスコア・順位に見られるように私たちの国の男女格差は相変わらずのままだ。

「男女共同参画推進」・「ジェンダー平等」・「女性活躍推進」・「個性と能力を認め合うまちづくり」等々、勇ましく美辞麗句は飛び交ってはいるものの、その実態はお寒い限りだ。

改めて、私は、私の心の深いところにある男女の関係における役割意識について問うてみる。

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