峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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我が家の愛車遍歴最新事情 その6 風になる瞬間

2019年05月31日 | スポーツ
1人で出かけるときはもちろんだが、女房どのと2人で近場に出かける際も大抵ウインドを用いた。

冬場にルーフを開け放して走るのが好きだった。
冷え込みが厳しい日でも足元に暖気を当てていれば、セーターの上からジャンパーをまとうくらいで十分だった。

用もないのに無性にオープンにして車を走らせたい衝動に駆られ、女房どのが買い物に出かけるのに合わせ、1人で気の向くままドライブすることもあった。

昨年12月にタイヤを新しいのに交換し、今年1月に車検を受けたばかりだった。だが、あることから思い立ってウインドを手放すことにした。

これまでのどの車もそうだったように、手放す前日、ウインドをピカピカに磨き上げた。車内も埃1つ無いよう掃除した。

今、ウインドはアルベグランデの展示場で再び新しい人との出会いを待っている。

我が家の愛車遍歴最新事情 その5 フレンチオープン

2019年05月30日 | スポーツ
私の愛車遍歴の始まりは24歳の時だった。
最初に手に入れた車はフォルクスワーゲン・ビートル、設計は20世紀最高の自動車設計者と評されるフェルディナント・ポルシェ。その独特のフォルムに、目にも鮮やかなオレンジ色の車体、やはり一目惚れだった。

次に求めたのが発売したてのフォルクスワーゲン・初代ゴルフD(ディーゼル)、ジウジアーロによるスタイリングでレモンイエローの車体だった。
たまたまドイツ車と巡り合い、知らず知らずらずそれを乗り継いでいた。
やがて時は流れ、子供たちが自立し、再び単純に好きな車に乗ろう思った時、イタリア車に惹かれた。

ルノー・ウインドと出会ったちょうどその頃、コペンの車検が間近に迫っていた。出会いはタイミングだ。

「ルノー・ウインド ベースグレード」、 1,6Lの5速マニュアル。左ハンドルでオープン2シーター。ボディーカラーはブルー・マジョレル。車名のウインドから連想される鮮やかな青色だ。
この車の特徴は、何といってもその電動オープン機構だ。ルームミラー近くにあるロックを外し、シフトレバーの前にあるスイッチを押すと、ルーフパネルが後ろに180°反転し、トランクリッドの上の収納スペースに収まる。その間、わずか10秒ちょっと。信号待ちの間になんなく開閉が出来る速さだ。ちなみにコペンの電動開閉に要する時間は約20秒だった。

コペンと入れ替わり我が家にやって来ることになったオープン2シーターは、フランス車だった。

我が家の愛車遍歴最新事情 その4 スウェディッシュ・セダン

2019年05月24日 | スポーツ
くるみさんが就職する際、車が要るというので私が車選びのアドバイスをした。
そこで薦めたのがヨーロッパ車のコンディションのいい中古車。
ネットで探しているうちに福岡市の「アルベグランデ」という代表自ら仰る「コテコテのヨーロッパ車」を扱う中古車販売店に出くわした。

当時、そこに掲載されていたラインナップの中から1,6Lのオートマ6速、ボディーカラーはパッションレッド、シートはソフトベージュの本革仕様。スタイリッシュなクーペフォルムも含め、全てがくるみさんにぴったりの1台だと感じた「ボルボS60 T4」を薦めた。

くるみさんと私は趣味趣向が似通っている。彼女も気に入り、すんなりと私の提案を受け入れてくれた。今も大切に乗っているようだ。

ボルボS60は別に、気になった車があった。それが「ルノー・ウインド」だった。

我が家の愛車遍歴最新事情 その3 少年の夢

2019年05月23日 | スポーツ
こうしてコペンとも運命的な出会いをしてしまったのだった。
直ぐに購入を決意したが、Kさんが正月の方が色々と特典が付くからと言うので年が明けるのを待って求めた。

ダイハツ コペンアクティブトップ(2002年6月~2012年8月生産モデル)、660ccのマニュアルモード付4速オートマ。
美しいデザインのオープン2シーターで電動開閉式ルーフ、決して広くはないがラゲッジルームもある。さすがにキャディバッグは入らなかったが、助手席にちゃんと収まった。
ロングドライブや高速道はアルファロメオに任せ、毎日のようにコペンで街中を走った。

少年の頃からの憧れのオープンカー、それは遠い夢のままで終わるはずだった。
ルーフを開け放ち、季節を感じながら車を走らせている瞬間、私は正に夢の中にいた。

我が家の愛車遍歴最新事情 その2 オープン2シーター

2019年05月22日 | スポーツ
あれは、数年前の年の瀬の夕方のことだった。
何の用だったかまでは記憶にないのだが、女房どのと2人佐世保市方面へ向け車を走らせていた。
吉岡町のダイハツの店に差し掛かった時、女房どのが「あのコペンの色いいね」と声を上げた。その車は、国道沿いにあるダイハツ吉岡店の中古車展示場の最も目立つスペースに展示されていた。私の好む濃いグリーンの車体が目を引いた。
市内での用件を済ませての帰り道、辺りは既に薄暗くなってきていたが、とりあえずその店に寄ることにした。

ほとんどの従業員の方々は退社されている様子だったが、後に色々とお世話になるKさんが嫌な顔ひとつせず応接してくれた。
いつしか、すっかり夜のとばりが落ちる頃となっていたのでちょっと見て、出直すつもりでいたが、Kさんが熱心に試乗するよう勧めるので、それではと応じることにした。

是非とも高速道も走ってみてくれとのことだったので、吉岡店を出て相浦中里ICから佐世保中央IC間を通り、吉岡店に戻って来るコースを、女房どのを助手席に乗せ走ってみた。
ローダウンされているということもあり地面すれすれの低い着座位置、路面の凹凸が直に伝わってくるかのようなハードな乗り心地、きびきびとした走り。軽とは言え、スポーツカーそのもののコペンにたちまちのうちに魅了されてしまった。

我が家の愛車遍歴最新事情 その1 アルファロメオ

2019年05月19日 | スポーツ
我が家は現在、女房どのと私の2人暮らし。なのに車を3台所有していた。
3人の子供たちがそれぞれ自立し、残りの時間が少なくなってきているのを意識するようになった時、運転できるうちに好きな車に乗ろうと思ったことからだ。

結婚して以来、ずっと軽自動車に乗っていた女房どのは普通車を希望した。そうして、手に入れたのがアルファロメオ・ミト・イモラ。ネットで見つけ、北九州市まで出かけて求めた。

アルファロメオブランド「ミト」の150台限定車「アルファロメオ ミト"イモラ”リミティッドエディション」、すなわちミト・イモラは、1,4Lターボエンジン搭載の6速マニュアル、3ドアハッチバックでボディーカラーは限定車専用独自のコルサイエロー(「コルサ」はイタリア語で「疾走」)、シートは黒の本革仕様、イモラ専用の18インチアルミホイールを装備している。
また、ベースとなっている「ミト」はミラノ(Milano)でデザインされ、トリノ(Torino)で生産されたことから、それぞれの頭文字をとって「Mi・To」と名付けられたが、限定車は、さらにかつてF1グランプリも開催されていたサーキット場のある都市の名「イモラ」を冠した。いかにもレーシングカーのイメージだ。
女房どのは、彼女に似つかわしい愛らしい顔ながら、しかしスポーツマインドに富んだミト・イモラを運転し、颯爽と今日も買い物に出かける。

私が探し求めたのは、黒のボディーカラーに真っ赤なレザーシートのアルファロメオGT、2ドアクーペの魅惑的な車体のデザインは、あのベルトーネによるもの。四国の松山まで出かけ即決で購入した。ついでに道後温泉を楽しめるというおまけがついていた。
後日。この車1台だけのために担当者が松山から我が家までトラックに載せ、大切に運んできてくれたのには感激した。

アルファGTは、2,0Lの電子制御クラッチを用いた5速セミオートマ、アルファロメオ独自の「セレスピード」というシステムだ。通常のオートマとは異なりオートマモード付マニュアルといった感じだ。したがって、アクセルを踏まないのに車が勝手に動き出すようなことがない。1速、2速でぎくしゃくする感じは否めないのだが、それも高速になると全く問題ない。オートマの手軽さとマニュアルの操作性の爽快さを併せ持っている。

いずれにしても、この車は真のGT(グランツーリスモ)カーだと今でも思っている。ロングドライブが全く苦にならず、走れば走るほど運転する楽しさが増す車だった。
ところが、ある日、信号で停止したままエンジンがストップするというトラブルに見舞われた。それから間もなくして現在のアルファ159に乗り換えたが、機会があれば再びGTに乗ってみたいと思わせる程いい車だった。

アルファ159は、ミト・イモラと同じアルファロメオ北九州で求めた。4ドアセダンの精悍な車体のデザインは、数々の世界の名車を手がけたジウジアーロによるもので2,2Lの6速セミオートマ、GT同様のセレスピードだ。ルビーレッドのボディーカラーに、イタリアを代表する高級家具メーカーのポルトローナ・フラウ製のベージュのレザーシート等々、細部にまで車作りへのこだわりが見て取れる。
GTと比べ後発車とあって159のセレスピードの精度は格段に上がっている。曲がりくねった山道をパドルシフトを細かく操作し、意のままに車を走らせる快感は堪らない。

アルファロメオのデザインが、走りが私と女房どのの感性をくすぐってやまない。

明日に輝け

2019年05月08日 | 将棋
深浦康市九段のお弟子さんの1人に北海道出身の斎藤優希・奨励会三段がいる。現在22歳だから佐々木大地五段より1歳年下となる。

優希くんと大地くんの2人は、奨励会の初段から二段にかけてしばらく競る時期があった。しかし、大地くんはそこから見事に抜け出し、晴れてプロ棋士となり、現在の活躍がある。一方、優希くんは足踏みが長く続いた。
だが、それでも優希くんは歯を食いしばり精進したのだろう。プロ棋士になる一歩手前の所まで、なんとかたどり着くことが出来た。

優希くんがプロ棋士になる一歩手前の三段リーグ入りを果たしたのは第63回リーグ戦だった。
半年かけて戦われるそのリーグ戦で優希くんは、初戦で勝利した勢いのまま5連勝という快進撃を見せた。6戦目で1敗したものの、その後再び2連勝。この時点で7勝1敗のトップタイに躍り出ていた。

初段、二段で苦労した分、三段リーグは1期抜けかと大いに期待した。
だが、その後にまさかの4連敗を喫し、最終的に11勝7敗の成績に終わり、四段昇段はならなかった。
三段リーグ2期目となる第64回リーグ戦では順位を大きく上げて臨んだものの9勝9敗に終わる。
そして3期目となる第65回リーグ戦を現在、戦っているところだが、初戦から4連敗スタートと苦しい展開となっている。

優希くんとは久しく会えていないが、どんな青年に成長しているのだろう。なんとなく想像はできる。
顔立ちや体つき、そして人柄は想像できる。しかし、彼の悔しさや辛さはきっと私の想像を超えるものに違いない。
頑張れと安易に言うのもはばかられるが、でも頑張ってほしい。

師弟同行

2019年05月03日 | 将棋
NHK杯将棋トーナメント1回戦第4局、佐々木大地五段VS畠山鎮七段戦が先の日曜日にテレビ放映された。
結果は、大地五段が畠山玉を鮮やかに即詰みに討ち取り、見事初戦を突破した。

解説に当たっておられたのが大地五段の師匠である深浦康市九段、この日、深浦さんはたいそうご機嫌の様子だった。

棋士にとって全国放送のNHK杯出場は晴れの舞台に違いない。厳しい奨励会を這い上がり、厳しい予選を勝ち抜き、ようやっと出場できる晴れ舞台、その道のりが並大抵でないことは誰よりも師匠が分かっている。
入門を許した頃のまだ幼かった少年がB級1組の歴戦の猛者と今、その晴れの舞台で戦っているのだ。深浦さんの心情、察するに余りある。

解説中、深浦さんは大地五段を指して、師弟の関係であることを踏まえられてのことだろう「佐々木」と呼び捨てにしておられた。ところが、大地五段が勝ちを収めた直後、それが「佐々木五段」に変わった。

終盤の大地五段が劣勢と思われたところからの指しまわし、さらには最後の鮮やかな即詰みを、深浦さんはたいそう感心しておられたが、それは、師匠としての見方から一人の棋士としての見方へ変わった瞬間だったのかもしれない。

この勝利で、佐々木大地五段は2018年度の勝数ランキングにおいて堂々の単独1位となった。
ちなみに対局数が2位、勝率が4位、連勝ランキングも3位に入っている。

佐々木大地五段のこれからがいよいよ楽しみである。

結婚記念日

2019年05月01日 | 子育て日記
昨日も書いたが、5月1日は私と女房どのの結婚記念日である。
朝一番に女房どのから「結婚記念日、おめでとう。」と言われ「おめでとう。」と私も返した。

「令和」が始まる特別なこの日に婚姻届けを提出しようと考える人たちが少なからずいたようで、役所の中でので彼らの様子がテレビ画面に映し出されていた。
これから始まる彼らの夫婦人生が幸多からんことを祈る。