峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

私の在り方

2007年12月31日 | 暮らし
絵理子さんが帰って来た。
前日、高校時代の同窓会に出席するため佐賀市まで来ており、この日午前10時半頃佐世保駅に着くことになっていた。私は正午まで授業だったので女房どのとくるみさんが迎えに出かけ、ちょうど授業が終わる頃、買い物を済ませ3人で帰って来た。

絵理子さんは現在、大学で広報と国際交流の仕事を担当しているそうだが、とてもやりがいがあり毎日が楽しいという。先日も大学の理事・上司のお伴をしてある市の市長を訪問したそうだが、いろいろと興味深い話を聞かせてくれた。また、前職で海外を担当していたことが国際交流を担当することにつながったようで経験を活かせているようだ。

大学職員という仕事、結婚が現実問題となってきたとき、結婚しても続けられる仕事をと転職を考えざるを得なくなった。親しかった大学時代の先輩がこの職にあったことからこれだとひらめいたそうだ。
仕事そのものが楽しいのに加え、職場の雰囲気が高速道路を走っていたところから一般道路に降りたような感じで、当初はその違いに戸惑いを覚えたというが、今はそのことが心の余裕につながっているようだ。
何より大きいのが転職を決意せざるを得なかった勤務時間の差だ。とにかく、午前0時を回らなければ早いという毎日の帰宅時間、1週間に1度の休みも満足に休めなかったという超多忙な状況から、ほぼ定刻の5時には帰途につくことができ、まるまる週休2日で祝祭日は休みになったというのだから劇的な変化だ。

絵理子さんは、中高の英語の教員免許を持っていることから教職も考えたそうだが、中学校の教員は部活の顧問をしなければならず、毎日の帰宅時間が8時前後になるという状況を聞き無理だと思ったという。絵理子さんが最も大切に考えているのは家庭を持ち、子供を育てるということなのだからだ。
同様に高校の教員も大変なようだ。先日、有紀さんの高校の3者面談に出かけたが、元旦も補習が行われるという冬期休暇中の補習の時間割を見、先生たちも大変ですねとの私の言葉に、まだ若い担任は、私たちには正月はありませんからと笑顔で元気に応えられた。若い教師の意欲には敬意を払うが、せめて、お正月3が日くらいはみんなゆっくり過ごせる暮らしを目指すべきだ。決して難しいことではない。政治の、企業のリーダーが決断すればいいだけのことなのだ。
みなが休んでる時を好機とばかりに物を売ろうとする資本家、競って生徒を少しでも偏差値の高い大学に押し込もうとする高校に予備校、そしてそれに乗っかってしまった労働者と小市民、そうしてみながもがき苦しんでいる。

労働時間の問題、賃金の問題、直近の生活保護費の切り下げ問題、なぜか議論はみなが暮らしにくい方へと収束する。
少子化問題は、国の根幹を揺るがす極めて重大な問題なのに、長く続いてきた自民党政府にその危機感はなかったし、今もない。それは、これまで出されてきた政府の少子化対策を見れば分かる。信じられないほど陳腐【ちんぷ】でお粗末で形式的なものだからだ。

絵理子さんのように、その仕事が好きだけれど結婚するために転職せざるを得なかった女性が多くいるだろう。また、その仕事が好きだからと結婚を出産をあきらめざるを得なかった女性も多くいるだろう。
私たちは、私たちの在り方を腹を据【す】えて考え直さなければならないところにきている。

我が家の重大ニュース

2007年12月29日 | 家族
今年も残すところきょうを含めて3日となり、テレビ番組ではこの1年を振り返る「重大ニュース」ものが目につくようになった。そこで、それに倣い我が家の重大ニュース・ベスト10を挙げてみた。

1、絵理子さんと研二くんとの婚約調【ととの】う。
2、絵理子さん「九州地区国立大学法人等職員採用試験」第一次試験合格。大学による第二
  次試験合格採用決定。
3、研二くんのご両親と我が家の家族との顔合わせなる。
4、くるみさん、全国中学選抜将棋選手権大会で2年連続4位入賞を果たす。
5、くるみさん、有紀さんに続き、佐々中学校体育祭で赤組応援団長を務める。
6、有紀さん、橘香館体育祭で応援副団長を務める。
7、有紀さん、英検2級合格する。
8、くるみさん、漢検準2級・英検3級・数検3級合格する。
9、くるみさん、文化祭合唱コンクールの実行委員を務める。
10、裕二郎、櫻門ボクシング会幹事になる。

今年は絵理子さんが上位を独占した。しっかりと、自分の人生を切りい拓いて生きているのを感じる。
有紀さんとくるみさんも、学校での友人との関係を大切に今を充実させ生きているのが感じられる。

女房どのに関するものが挙がらなかった。「何かなかった?」と聞くと「何もなかった」との答。それが一番だ。
人生には大波小波があるからこそ、平凡で穏やかな日々を送ることが最も難しく、幸せなことだと考える。
家族の大波小波を女房どのが船底でしっかり支えてくれている。

さて、実は個人的に最も驚いたのが10番目のニュースだった。
4年ぶりに送られてきたOB会名簿、表紙をめくり、何気なく役員の名前を目で追ううちに我が目を疑った。伝統ある櫻門ボクシング会、その幹事職に何の実績も貢献も無い私の名前が連ねてあったのだ。
おそらくは斉藤先生の推挙によるものだろう。総会・祝賀会等すべて東京で行われているので失礼している。今後も実際のところ何のお役に立てそうもない。しかし、斉藤先生のお気持ちにお応えしなくてはならない。学生のために私に何ができるか、これを機に考えてみたい。

募金

2007年12月28日 | 民生児童委員
一昨日の新聞の社会面の片隅に小さく「北九州市が7人を処分」さらに小さく「生活保護問題で」という記事があった。
記事によると、北九州市で生活保護を受けられなかった3人が2005年から今年にかけて相次いで孤独死しているのが見つかった問題で、窓口で不適切な対応をしたとして関係者が処分されたというのだ。

12月になると全国各地で「歳末助け合い募金」が行われる。ちなみに佐々町では「歳末助け合い」のような募金等が年間10回ほど町内会を通して行われているが、それに私たちの町内会のほとんどの所帯が毎回応じている。
毎年、年度末にその集計をし回覧で報告しているが、昨年度の総額が237,720円だった。これを世帯数117で割ると1軒当たり年間2,031円の出費となる。これを多いとみるか少ないとみるか議論の分かれるところだろうが、それはさておき、集まった募金を社会福祉協議会に届けるたび、この国の庶民の義理堅さというか、律儀さというか、生真面目さというか、長いものには巻かれよ精神というか、事なかれ主義というか、お上の言う通りとするさもしい思いか、はたまた主体性の無さというか、思考停止というか、いや、私たちはそれらをすべて内包しているのだ。
一方、日常茶飯事の着服・背任・横領・収賄、さらには近年、ようやく明るみに出てくるようになった偽装、いったいこれらはどう前者と結びつくのか、いや、おそらくは表裏一体をなしているのだ等とぼんやり考えている。

さて、集められた浄財は該当者に配られる。その該当者を町内会単位であげるのが地区担当の民生委員の仕事だ。つまり、民生委員は町内会で暮らしておられるみなさんの暮らし向きをよく把握していなければならない。そうでなければ、せっかくの浄財が活かされない。
民生委員から上げられたものは、その調査書に基づき「歳末助け合い募金配分委員会」で審議決定される。私も、それに加わったことがあるが、集められた浄財がすべて配分されていないことに驚き、同時に憤りに近いものを覚えた。該当者が多く、それを絞り込むのが分配委員会だと思っていたが、先ず、上げられてきている件数そのものが少ないのだ。したがって、上がってきたものは基本的にすべて了承される。いわば、民生委員の顔が立つ仕組みになっているといえる。
それでは、余った浄財はどうするかというと、さまざまな品物に化けている。もちろん、それは公共物として役立つはずだが、その使い道は明らかに「歳末助け合い募金」の趣旨とは異なる。私はその席で、集まった浄財はすべてその趣旨に則【のっと】り使われるべきだと主張した。平成14年のことだったが、その後、私はその委員会に呼ばれていない。

分配委員会にあげるための「歳末助け合いお見舞い該当者調査書」というのが事前に民生委員に配られるのだが、そこには書き込むための欄が限定されている。分配委員会に出席してからというもの、私はその調査書を複写し、なるべく多くの所帯の苦しい状況を伝えるように心がけている。
今年、ご高齢者の所帯に加え、初めて2組の若い母子家庭所帯を挙げていた。当初、挙げていたみなさんにお見舞金が出ることとなった。しかし、若い所帯を挙げていたのが私だけだったということを聞いた。若い所帯に対し厳しい意見があったことも聞いた。西町だけ挙がってきている件数が多いという批判もあったと聞いた。
結局、一度お預かりした分配金の中から、一件だけ待ったがかけられた。応じるしかなかった。すべては分配委員会で決められることなのだから。

歳末助け合い募金の金額の目安は250円と明記されている。配分されてしかるべき方々も250円募金される。
そうやって集まった浄財は、一軒でも多くの所帯にすべて配分されなければならない。そうできないのであれば募金の金額の目安を下げるべきだ。

歳末助け合い募金以外、集められた浄財はどのように使われているのだろう。困っている人たち、苦しんでいる人たちが自ら命を絶たなければいけないような社会であってはならないはずだ。

歴史的事件の目撃者

2007年12月26日 | 家族
おふくろさんに頼まれていた年賀状をようやく仕上げ、過日暇を見つけ届けに出かけた。

おふくろさんの家を訪ねても用を済ませると、そそくさと帰るのが常で、それを後ろめたく思っている。しかし、その日、冬のせいだったのだろうか、黄昏【たそがれ】時だったからだろうか、しばらくおふくろさんの話に付き合ってやろうという気になった。私のそんな気持ちを感じ取ったのだろう、おふくろさんがお茶を勧めてくれた。
お茶をすすりながら、久しぶりにおふくろさんの話に耳を傾けた。そのほとんどが世話役をさせていただいている老人会のこと、町内会のことだった。が、1つ驚く話があった。

先日、佐世保で起きた散弾銃乱射事件、なんと、その日、その時刻に事件現場となったあのスポーツクラブの3階で義弟はトレーニングに励んでいたというのだ。
お盆に皆が集まったとき、たまたま妹の夫と弟の息子が偶然同じスポーツクラブに通っていて、時々顔を合わせるという話が出ていたが、すっかり忘れていた。
甥【おい】もその日、行く予定だったのが、何かの都合で行けなかったそうで難を逃れた。

事件直後、義弟は駐車場に行くことも許されず、ランニングにショートパンツの格好のまま毛布に包【くる】まれ、報道記者に取り囲まれたりしながら、近くの武道館に避難させられたらしい。
その後、迎えに来た妹の車に乗り帰宅したということだったが、さぞかし怖い思いをしたことだろう。

しかし、義弟も甥っ子も勤務後、スポーツクラブ通いとはずいぶん優雅な生活をしている。

超えて行こう

2007年12月25日 | 家族
子供たちが冬休みに入ると、こちらは忙しさに拍車がかかる。
通常の授業のほかに冬期講習会が始まった。午前中は9:00~正午。午後は13:00~16:00。その後、小学生の授業が16:00~18:00、夜は19:00~22:00と続く。やらなければならないことも控えている。
だが、悩んでも、いらだっても仕方ない

やはり長崎だからなのだろうか

2007年12月19日 | 暮らし
佐世保乱射 自ら幕…真相は闇 なぜ2人を標的 馬込容疑者「奇行目立つ人」(産経新聞) - goo ニュース

なぜ、長崎県で佐世保で重大な事件が発生するのか。絵本作家・長谷川集平さんが今回の事件についてなんと書いておられるか気になり、久しぶりに長谷川さんのホームページを訪ねた。
掲示板に、こうあった。「またしても佐世保、またしても長崎です。ぼくはさらに長崎というこの闇の奥深くに分け入るしかありません」

一昨年、長崎県で中高校生の自殺が相次いだ。その際、2005年09月24日付けで「長崎だからなのか」という文章を記した。あらためて、長谷川さんの言葉を重く受け止めている。

物事の成り立っているすじみち

2007年12月14日 | 暮らし
教会で銃撃犯とみられる男の遺体を発見 佐世保乱射事件(朝日新聞) - goo ニュース

昨夜7時半過ぎ、教室の子機が鳴り、女房どのからその一報を聞いた。またしても長崎県で、佐世保で大変なことが起こったとの思いを抱きながら居間に降りて行く。
報道を聞き、心配した絵理子さんが女房どのの携帯電話にかけてきてくれたのだ。間もなくテレビで事件を知らせるテロップが流れてきた。
「何で、佐世保でばっかり起きると…」コタツの中で、くるみさんがつぶやいた。

何故、長崎県で重大な事件が発生するのだろう。事が起きるには理由がある。

2007年12月13日 | 私塾
昨日は、午後3時半から佐々町民生児童委員協議会の定例会、その後6時からの懇親会に出席した。
いつものように午前中に藤田くんから電話があり、迎えに来てもらった。きょうは奥様の運転だ。

月曜日「あひる学級(乳幼児を持つ親の講座)」の講師依頼の文書が教育委員会から正式に届いた。
日頃、教育委員会や学校に対し、ついつい批判的な立場から発言することの多い私を、いったいどなたが推されたのかと思っていたところ、担当がかつての塾生の保護者だった。なるほどである。

が、今年度のこの講座の講師の顔ぶれを見ると「長崎幼児誘拐殺害事件」発生当時、県中央児童相談所長をしておられた川原ゆかりさん始め、大学の教授・准教授等、公的な立場で働いておられる著名な方々ばかりだ。
先日も、私のような名もない一介【いっかい】の私塾の人間で本当にいいんですか。何を言うか知りませんよと脅【おど】かしたが、それでいいと言われた。ずいぶんと腹が据【す】わっておられる。