峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

志半ば

2009年01月22日 | 町内会長
一昨夕、女房どのに6時からお通夜に出かけてくるからとメールすると、折り返し彼女の職場の同僚だった方の義理のお父様のお通夜もその夜に行われる旨のメールがあった。お通夜の行われる場所が「東光寺」とある。私が向かおうとするお寺だった。名前を確認すると同じ方のお通夜だというのが分かった。

故人は現職の町内会長さんだった。昨年6月に体調を崩され、その後入退院を繰り返しておられたという。しかし、1ヶ月前の12月の町内会長会には出席しておられた。私たちにはそのことを明かしておられなかった。
町内会長として町内会の集会所建設という大仕事に力を注いでおられる途中だった。
まだ65歳という若さで永田志方町内会長は逝かれた。ご冥福を祈る。
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大寒

2009年01月21日 | 夫婦
週末の土日、久しぶりに予定がなく女房どのと2人家でのんびり過ごすことができた。

例年、師走から正月にかけて柚子【ゆず】湯を楽しむ。しかし、今季はそれをまだ果たせずにいた。
忙しいとは「心を亡くす」と書くとしばしば耳にするが、私もそのような状態だったのかもしれない。わが身1人であれば、それはそれですむことかもしれないが共に暮らす人がいれば捨て置くわけにもいかない。思い立ち、果樹園に出てバケツいっぱい黄色く色づいた柚子の実を収穫し、その夜、今季初めての柚子湯を2人して楽しんだ。
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新しい年の始まり

2009年01月05日 | 夫婦
元旦は、年末に帰省していた有紀さんとくるみさん、それに女房どのと私の4人で迎えた。絵理子さんのいない初めての元旦だった。もっとも、昨年も受験を控えた有紀さんが元日から登校したため帰省しなかった。子供たちの成長につれ、正月の迎え方も変化してきている。来年の正月は、どんなふうに迎えるのだろう。

新春2日、研二くんの実家で年越しをした絵理子さんが研二くんと共に帰ってきた。その日の朝に研二くんのおばあちゃんがついたという餅【もち】や、研二くんのおばあちゃんとお父さん・お母さんで大切に育てた米などお土産をたくさん抱えて。

3日、研二くんも含め6人で吉井の春日神社に初詣し、その足でお墓に参った。その夜は、きょう5日が誕生日の有紀さんの祝をしようと皆で佐世保の街に繰り出した。

4日は塾の冬期講習会再開、私の仕事始めだ。
そして昼過ぎ、翌日からの仕事に備え、絵理子さんと研二くんが帰って行った。やはり明日から授業が始まる有紀さんも2人の車に同乗した。
3人を見送って間もなく、同じく翌日から補習が始まるくるみさんを女房どのが送って行った。
そして、私は再び午後から冬期講習会。

夜、女房どのと2人で食事をとる。心が穏やかになっていた。
新しい年の日常が始まっている。
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だれもが希望を

2009年01月01日 | 夫婦
あけましておめでとうございます。
だれもが希望を持てる社会が1日でも早く訪れますように祈ります。

元日の朝は銀世界でした。写真は2階の北側窓から見た今朝の風景です。

あなたが幸せでありますように。
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