峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

欲張りもほどほどに

2022年10月05日 | 移住
1日は24時間。あれもこれも出来るはずはない。何かを行えば、やりたくても出来ない何かがでてくる。至極当たり前のことだ。
それが分かっているようで、その実、全然分かっていない。

ブログを記す際、パソコンを用いるのだが、パソコンが立ち上がるのにそこそこ時間を要する。
その点、スマホはスピーディーだ。さらに、写真をアップするにも容易ということもあり、このところ専らInstagramばかり利用している。

とにかく、やりたいことが多すぎる。どうして、こうも欲張りなのだろう。我がことながら困っている。

新風を

2022年04月21日 | 移住
午後から雨の予報だったので、午前中のうちに、それに備える作業に励んだ。

昼食の用意が出来たことを知らせる「いつでもいいよ!」の女房どのの声に昼になったのに気付くと同時に、パラパラと雨が降り出した。

昼食は、北海道展が開かれていたからと「花畑牧場」のピザ、それに野菜の付け合わせと野菜スープ。

食事を済ませると、女房どのは美容室に出かけて行った。

1人お茶を飲み、ゆっくりしているところに電話が入る。区長からだった。
振興協議会の会合を来月16日にもう一度開き、紅葉祭りについて検討することになったとのこと。
予期しない展開に驚きつつも、ほくそ笑む思いだった。

区長とゆっくり話をする機会もなかったので、この際、振興協議会について、また、地域の状況について意見交換した。

電話の最後に、思ったことは口に出さないと気が済まない性分なので、今後も、あの調子でバリバリ言いますがよろしいでしょうかとお伺いを立てると、ああ、ええですよとお墨付きをいただいた。

せっかくなのだから、新しい風を吹き込めたらと考えている。

私が私に期待するもの

2022年04月20日 | 移住
久し振りにパソコンを開いた。
近頃は、といってもずっとそうなのだが、日ごとに移り変わっていく周囲の樹木や草花、小動物の様子にうっとりしつつ、草花・樹木・野菜の手入れに勤しんでいる。
ところが、それらに加えて、ちょっと前からDIYにまで手を伸ばしてしまう強欲ぶりで、1日が24時間では足りませんなどと罰当たりなことをFacebookでつぶやいたりする始末。こんな調子でいいのだろうかと、ふと省みたりもする。

ところで、近隣の4地区からなる「三国地区振興協議会」という、まぁ過疎化・高齢化の著しいこの地域を何とか盛り上げていこうとする組織がある。結構なことだが、自治体主導というところが気になる。少なくとも私が見聞きしている限り、この類の話は、そこに暮らす人たちが主体的に行動を起こさない以上、それが機能することはない。

それはさておき、区長からの要請を受け、今年度からその委員を務めることになった。
その今年度第1回目の会合が一昨夜開かれ、出席した。
午後7時から振興協議会を開くという事前の案内だったので定刻20分ほど前に会場の地区公民館に着いていた。
ところが、時計の針が午後7時を回っても、その前に開かれている区長会が終わりそうもない。
他の委員の方々もお待ちになっていたので、定刻を過ぎていますよと一声かけたところ、ようやく終えられた。

会場に入り、当地区の区長の隣に座り、区長会が延びた理由を尋ねると、新年度の会長・副会長が決まらなくて‥、とのことだった。

振興協議会には15、6名程の出席者がいたが女性はたったの1人、それも地域おこし協力隊の方だ。
停滞している地域が抱える共通の問題点を、やはりここも抱えているのだ。

この日の協議事項は、各地区の振興協議会の新委員の紹介・新会長・副会長・監事の確認・会計及び監査報告・その他となっていたが、新会長・副会長が決まらず、コロナ禍を理由にこの3年は何もしておらず収支決算も何もあったものではなかった。

新年度の事業については、八塔寺ふるさと村内の風景を題材とした写真コンテストを行う旨の発表があった。だが、コロナ禍以前に行われていた春祭りや夏祭り、運動会、紅葉祭り等への言及はなかった。

最後の「その他」のところで、きちんと感染対策をした上で、何か行うことは出来ないだろうかと発言した。
私の意見に対し、反対と賛成の意見が述べられた。
最終的には、もう少し様子を見て、8月に会合を開き、そこでどうするか決めましょうとの会長の言葉で、この夜の会合はお開きとなった。

私が私に期待する与えられた役割をしっかり果たしていきたい。

ノルスタジー故か

2022年02月24日 | 移住
北京・冬季オリンピックが閉幕した。
とかく問題のあるオリンピックではあったが、それはさておき、冬季オリンピックならではの各種競技を堪能した。

そんなことで、朝から晩までアスリートたちの妙技に酔いしれ、女房どのと2人して、声援を送り、歓声を上げ、時に、ため息をついたりしていたのだが、その合間を縫い、精を出していたのが薪割りだ。

令和元年に現在住んでいる築75年の古民家を購入した。
購入の決め手は、先ずは古民家であったこと。 さらにはリノベーションされていてすぐにでも住むのが可能だったこと。 水洗トイレだったこと。 集落から程よい距離にあり、広大な庭・畑・雑木林が家屋と一体となって繋がっていたこと等々あるが、風呂を薪で沸かすという点もポイントが高かった。

今のキャンプブームが起こるずっと前から、焚火を趣味と公言するほど炎を眺めるのが好きだった。

小学5,6年生の頃に住んでいた借家が五右衛門風呂だった。当然、誰かが風呂を沸かさなければならなかったのだが、私は好んで、その火起こし役を買って出ていた。

新聞紙を丸めて焚口に詰め、その上に細い薪を置く。 そうしておいてマッチで新聞紙に火をつける。 細い薪が燃え出したら、少しずつ太めの薪をくべていく。 太い薪に火が着いた後に石炭を置く。 ここのタイミングが難しく、そう簡単に石炭は燃えてくれなかった。 何度も何度もやり直したものだ。
だからこそ、石炭に火が移り、ゴオッ~という音と共に勢いよく石炭が燃え出した時の喜びを昨日のように覚えている。
難しいから面白い。その後に火起こし以外のことでも幾度か経験してきたことだ。

母親と行った薪拾い。ぼた山での石炭拾いを懐かしく思い出す。
風呂を電気やガス式にリフォームすれば、伐採木を引き取りに行ったり、雑木林で枯れ木を拾い集めたり、薪割りをするような手間暇が省けるようになるが、それらのことを含め炎の揺らぎと合わせ、余計なこと一切を考えずにのほほんとしていられた幼い日の長閑な温もりを、知らず追いかけているのかもしれない。

やはり、私は今、少年の頃を生きている。

住民自治の危機

2022年02月02日 | 移住
先月27日に予定されていた第5回備前市男女共同参画推進審議会が新型コロナウイルスの感染再拡大により書面会議となった。事実上の中止だ。
明日、第4次備前市男女共同参画基本計画案が会長・副会長によって答申されることになっている。

この審議会に、私は公募に応じて参加しているが、まともに意見を述べられる機会を得たのは第1回目の会議の時だけだった。
第2回目は書面会議。第3回目はオンラインで参加した。そして、第4回、第5回と書面会議になってしまった。

さらに、今月8日には「備前市まち・ひと・しごと創生懇談会」が開かれる予定になっていたが、こちらも中止の連絡が入った。
やはりコロナの感染が広がっているからというのがその理由だ。

この会は、2020年度末で計画が終了した備前市まち・ひと・しごと創生総合戦略の評価について意見交換する場として設けられていた。

事前に資料が郵送されていた。市の担当者が作成した評価報告書について書面(A4 用紙1枚)で意見を提出するよう求められ、既にそれは提出し終えている。

また、当日の議事内容は、第1期総合戦略の評価について、成果目標の2020年度における進捗状況の把握・評価。そして、第1期総合戦略全体を通しての意見交換。さらには、2022年度以降の効果検証や懇談会のあり方についての意見交換とあった。ただし、各委員1人あたり3分間という制限時間が設けられてあった。

男女共同参画社会の実現、そして地方創生の実現、何れも国家・地方自治体にとって最重要課題の1つであり、生半可な議論や施策では如何ともし難い難題だ。

それを数回の審議会を通しただけで「はい出来上がりました」となっている現状を憂う。
さらには、計画を作るより重要とも言えるそれなりに分量のある事業の評価報告書についてA4用紙1枚で意見をまとめ、事業の評価・検証を委員1人あたりわずか3分で議論しろというのは無茶すぎる話だ。

自治体がいつまでたっても、こうしたアリバイ作りのようなことをやっていては、望ましい社会の到来など夢のまた夢と言わざるを得ない。
このことは、佐々町時代から提言し続けていることだが、先の当市の振興計画審議会の席上でも、その旨発言している。

懇談会の中止を電話で知らせてきた担当者にも、あえて上記したようなことを話し、理解を求めた。

ただでさえ、まちづくりについて深い審議・議論が求められているところに、コロナが追い打ちをかけるがごとく、こうした状況を作り出している。
住民自治が危機にさらされていると言えば、大袈裟だろうか。

ウイズコロナ時代における審議会等の新たなあり方に知恵を絞りたいが、取り敢えずは、せめてオンライン会議の実施を願いたい。

名物「かきおこ」

2022年01月18日 | 移住
日曜日のお昼に「かきおこ」をいただいた。
「かきおこ」とは広島風でも関西風でもない備前市日生(ひなせ)町特有の牡蠣入りお好み焼きの名称だ。

移住して間もない頃に参加した市の総合計画審議会の席で、この「かきおこ」が話題に上ったことがあった。
それまで「かきおこ」の名前すら知らなかった私は、いったい何の話をしているのだろうと、それの想像もつかないまま、話を聞いていた。

「かきおこ」は、備前市日生町のいわゆるご当地グルメだ。日生地区を中心に15軒ほどの店で季節限定メニューとして提供されているらしい。

その後、「かきおこ」が何たるかを知ることになるが、食する機会はなかった。

この日、昼食に登場した「かきおこ」は、冷凍食品として販売されているもので、製造は、地元・日生町「幸徳堂」さん。

「瀬戸内 日生 カキオコ」
「岡山県内屈指の牡蠣の名産地・日生。栄養豊かな瀬戸内海で丁寧に育てたふっくら大粒な日生牡蠣をたっぷりのせました。」とあった。

いつか、日生の店で食べようねと、女房どのと話した。

導かれるように

2022年01月13日 | 移住
改めてだが、私が住む所は「加賀美」であり、隣接して「都留岐」に「多麻」とある。

「加賀美」は「鏡」に通じ、「都留岐」は「剣」、「多麻」は「玉」に通ずる。
鏡・剣・玉と揃えば、日本神話において、天孫降臨の際に天照大神が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授けた3種類の宝物・「八咫鏡(やたのかがみ)」「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」すなわち、三種の神器に通じる。

さらに、我が三国地区の隣は「神根(こうね)」地区だ。「神根神社」も存在する。

何故、このような地名が付いているのか定かではないのだが、この地域の雰囲気からして、私の暮らす一帯は、何とも神々しさに満ちている。

ちなみに、私の父方の祖父である峰野佐久馬は宮司だった。したがって私は神道なのだ。

(明治22年【1890年】川内在住・峰野佐久馬宮司の発案により地区住民の海上安全・大漁満足・五穀豊穣を祈願し建立された)と、今も平戸市川内町の住民によって大切に守られている金毘羅神社建立の経緯が、新たに再建された記念碑に記されてある)

私は、導かれ、この地にやって来たたのかもしれない。

新たな役目

2022年01月12日 | 移住
「おひまち」で集会所に出向いた際、新年度から「三国地区振興協議会」に出てくれるよう、改めて区長から要請を受けた。
前任者の任期が今年度で切れるとのことで、既に昨春からその話をいただき、私でよければと受諾していた。

私が暮らす所は「加賀美」という地域だが、この集落のほとんどが「都留岐(つるぎ)」に属する。その他、近接して「多麻」・「笹目」という地域がある。

明治の頃に出来た「町村制」施行により、かつてのこの4つの村が合併して「三国村」となり、その後、昭和の大合併で吉永町・神根村・三国村が新・吉永町となった。
さらに、先の平成の大合併で備前市・日生町・吉永町が合わさり、新・備前市となっている。

現在の三国地区は、8つの集落からなっているようだが、その人口は合わせても200人ほど。日本各地の中山間地域同様に少子高齢化・過疎が進み、共同体の機能を維持するのが非常に厳しい状況に直面している。

そんな中、岡山県では「おかやま元気・集落」と銘打ち、当地区のような地域の支援策を講じているらしく、「三国地区振興協議会」は、どうやら、その文脈にあるようだ。

一口に「地域活性化」とは言うが、それ程たやすいことではない。が、かと言って、そうそう簡単に集落が消えてなくなるわけでもないだろう。

木材や農産物、または水資源の供給など、中山間地域の持つ公益的な機能は極めて貴重であり、その自然の美しさや豊かさ、大らかさなどと相俟って、この国に暮らす全ての人々の共有の財産として大切に維持されなければならない。

そこで、私に何が出来るか。
決して、具体的なアイデアを持ち合わせているわけではない。しかし、これまでもそうであったように、私独自の視点から積極的に意見を出し、みなさん方と議論を深めていこう。そう考えている。

信仰と共にある暮らし

2022年01月10日 | 移住
土曜日、午前10時から地区の集会所で、五穀豊穣・地区の繁栄・家内安全を祈願する「おひまち」という神事を皆さんと共に行った。

現在、この地区に専業農家は無いが、元々は農業で生計を立てていた家がほとんどの地域だ。
コロナ禍で地区の総会や運動会等の行事は取り止めているが、信仰的な集会だけは欠くことなく開かれている。

人間の力だけではどうすることもできない、天変地異の影響を大きく受けざるを得ない農業を中心とする暮らしにおいて、神や仏に頼らざるを得なかった先人の思いが強く今に伝わっているのを感じる。

当地に移り住み、野菜作りの真似事を始めてみて、そのことが少しだけ分かるような気がする。

もっとも、神事の後に開かれていた酒席は、この2年間、開いていない。
当地のことを、もっともっと知りたいと思っているのだが、その貴重な機会が奪われているのを少々残念に思っている。

我が家で餅つき

2022年01月06日 | 移住
12月29日に次女家族が帰って来た。
その夜は、いつものようにシャンパンから始まりワイン5本が空いた。

5歳になる糸葉さんは「絶対、寝ない!」と張り切っていたが、さすがに日付が変わる頃には眠りに落ちた。
アルコールが駄目な女房どのも、その後に床に就いたようだった。

かく言う私も、前日の寝不足がたたり、早めにダウンしてしまった。
残った3人は深夜の3時位まで、飲み、且つお喋りしていたそうだ。

明けて30日、この日、午前中から餅をつくつもりでいた。だが、女房どのと糸葉さんを除く4人が見事に二日酔い。布団から起きられなかった。

ようやく、みんなが居間に揃ったのが午前10時頃。遅い朝食をとり、重い腰を上げて火をおこし始めたのは午後2時を回っていた。

そこから、もち米5Kg、蒸籠4枚を、皆でワイワイガヤガヤ、日が落ちる前までにはつき上げることができた。

餅つきは、手間暇かかる。餅が欲しければ、金を払えばいくらでも手に入る。そのような時代になって、各家庭で餅をつかなくなって久しい。

でも、餅つきは楽しい。お金で買えない楽しさがある。

今朝も、いつも朝食にいただくパンの代わりに、きな粉とアンが添えられ餅が食卓に上った。しばらくは、存分に正月の味を楽しむことが出来そうだ。