峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

破綻している年金制度

2009年05月31日 | 暮らし
年金制度、争点化? 新試算で「格差拡大」 野党追及、与党にも不信感(産経新聞) - goo ニュース

政府のいう「100年安心」の年金制度が事実上破綻【はたん】していることが明らかになった。
つまり、政府は国民をだまし続けてきたことになる。そもそも、今回の厚労省の試算からしてごまかしがある。夫が40年間加入し、妻は専業主婦というのがモデルとなっているが、昨今、共働きの家庭の方が多数なのは明らかだ。

現役世代の平均手取り月収に比べ、年金受給世帯が厚生年金をいくら受け取れるかを示すのを所得代替率というようだが、2050年時点で、そのモデル世帯が50・1%となっている。
ところがだ、40年間共働きの世帯は39・9%しか受給できないことになっている。
50%という数字が先にあり、それをモデルとすべく、数字に見合う世帯を選んだと考える方が自然だろう。
50%以上というのは小泉政権下の公約である。50%を下回る数字を出せば、野党に攻勢をかけられることこと必至だ。それでごまかした。ひどい話だ。

厚生年金よりもっとひどいのが国民年金だ。私のような自営業者は、死ぬまで働き続けなければならない。
その国民年金の加入率は、今や61,5%にまで落ち込んでいる。未来に希望が持てない社会では、いきおい「今さえよければ」と考えてしまうのは人情だろう。加えて、国民年金の受給額より生活保護費の方が高いという現象がすでに表れている。これでは「いざとなれば生活保護をもらうから、年金保険料は払わない」と考えるのも人情だ。

2008年発表の総務省の資料によると、派遣社員や契約社員、パートやアルバイトなど非正規雇用者の割合が34%になっているが、彼らの加入は国民年金だ。非正規雇用の割合は増加の一途をたどっている。

現行の年金制度はすでに破綻してしまっているのだ。
政府・与党は、いつまで国民をごまかし続けようというのだ。一刻も早く、破綻を認め、真に100年安心できる制度改革に着手すべきだ。

先の党首討論で麻生首相は「国民の最大の関心事は西松問題」との見解を示したが、果たしてそうだろうか。
医療、介護、そして年金の問題が私たちの社会に大きな暗い影を落としている。

新しい革袋を

2009年05月30日 | 暮らし
土曜日の午前10時過ぎ、女房どのは野菜を求めに、決まって隣町の地域活性化センターに出かける。
この日は、わが佐々町の「皿山祭り」が開催される日でもあり、一緒に出かけた。

いつものように有機・無農薬の野菜類をどっさり購入した後、折り返して皿山公園に向かった。

この日は曇り空で、肌寒く感じるほどだったが、すでにたくさんの方がさまざまな催しを楽しんでおられた。

解散総選挙の日程が云々されているが、私たちの町では来月21日に町長選・町議選が行われる。
先だって行われた合併特例法による住民投票では、合併協設置に反対する得票が賛成票を上回ったが、今度の町長選では今一度、単独か合併かを争点に前副町長と前町長とが町民に信を問うことになる。

この日、16日の告示を前にすでに出馬を表明している両候補予定者は、大勢の来場者の中に顔見知りを見つけては、この時ばかりと挨拶に余念がなかった。

今回、図らずも町長選をめぐっての候補者擁立の舞台裏を垣間見ることになったが、古い枠組みを変えないことには決して新しい流れにはならないと強く感じた。

平成の市町村合併で、早い時期から合併を拒否する宣言を出していた福島県矢祭町に倣【なら】い「町長の報酬を半額・議員の報酬は日当制・サラリーマンでも立候補できるよう議会の開催は夜に、などを訴えて立とうか。そうでなきゃ、変わらんばい」などと、半分真面目に女房どのに話したことがあったが、実際のところそれほどの覚悟はない。

しかし、ダイナミックに旧来の組織・制度・慣習・方法などを変えて新しいものにしていかない限り、政治は一部の人たちだけのもののままだ。

61,6-18,3

政治家の理念

2009年05月29日 | 暮らし
14兆円にものぼる補正予算がきょう成立したようだ。

歴史的な不況下、政府が当初予算で30兆円超、補正で10兆円超の国債、つまり借金をしてでも積極的な財政出動を行うのは理解できるが、問題は、その中身だ。例えば117億円も使い国立のマンガ館のようなものを作る必要はないはずだ。

麻生さんは、日本のマンガやアニメが国際的に高い評価を受けているのを幸いに、自身のマンガ好きをひけらかしておられるようだが、一部、顰蹙【ひんしゅく】を買っている向きがあることを、どうやら気付いていらっしゃらないのだろう。
それはさておき、マンガを箱物に結びつけるような思考は安直過ぎるというより、いかにも政策に対する理念のなさの表れだといえよう。

一昨日の党首討論の中で、鳩山代表は「人の幸せを自分の幸せと思えるような世の中にしたい」と持論の「友愛」の政治理念を語った。それに対し、麻生首相は「理念や抽象論ではなく、現実問題にどう対応していくかだ」と反論した。
鳩山さんがどのような社会を実現させたいのか、その言葉から何となくイメージできる。一方、麻生さんの言葉をずいぶん聞いてきたが、彼のそれはさっぱり伝わってこない。

政治家は理念をこそ語るべきだと考える。それが、時の政権を握る者であったり、政党を代表するような者であればなおさらのことだ。
また、抽象的な表現でなければ、あまねく国民にリーダーの意図するところは伝わらない。残念ながら、麻生首相からは具体的な話しか聞くことができず、その政策から何を目指しているのかも見えてこない。定額給付金の話がそうだし、低炭素社会の実現を目指すと言いながら、高速道路の料金を一律千円に値下げしたりというようなことがそうだ。
しばしば、麻生首相は「わたいは、会社を経営していたから分かるが」と言われるが、いかにも具体的で現実的なアプローチだ。

ただ、麻生首相を見ていて、1つだけ感心することがある。それは意外にも感情的にならないところだ。
記者会見や予算委員会でのやり取りを見ていると、かなりきついことを言われているがキレない。先日、くるみさんが、感情的になる先生が多い。なぜ、感情的になるのだろうと言っていたが、中学生もそのことをよく話している。
授業の前に、先生がきょうは機嫌がいいか悪いか生徒間で話し、先生のご機嫌をうかがいながら授業に臨んでいるという。ホント、感情的になる大人が多い。

政治家も例外ではない。最近では福田前首相に森元首相、古くは佐藤首相が感情的な人だった。そういえば、麻生さんのおじいちゃんである吉田茂さんは「バカヤロー」と言って解散に追い込まれたようだから感情的な人だったのだろう。
それに引き換え、麻生首相は失言や漢字の読み間違いや何を言っているのか分からないところがあるが、なかなか解散に追い込まれないなぁ。

核廃絶へ

2009年05月28日 | 暮らし
来日している国際有識者会議「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会」の共同議長を務めるオーストラリアのエバンズ元外相が、日本などが安全保障をゆだねるアメリカの「核の傘」は核廃絶・軍縮に向けた障害になるとの認識を示し、核の傘への依存について日本政府の再考を希望すると述べ、核廃絶を訴えながら、核の傘は必要だとするダブルスタンダード(二重基準)では世界に説明がつかないだろうと話したと今日付けの新聞が伝えている。
その通りだと思う。

力でねじ伏せ、従わせようとしても、事態は悪化こそすれ真の解決には決してつながらない。それは、歴史が証明している。
ブッシュ前米大統領がイラン・イラクと共に北朝鮮を「悪の枢軸」と称して敵対政策をとらず、アメリカが先頭に立ち、核廃絶に向かっていたならば、北朝鮮は核を持つに至らなかったかもしれない。

麻生首相は今日の参議院予算委員会の中で、安保理に北朝鮮に対する追加制裁を含む決議を求めることを表明した。
追加制裁してどうなるというのだろう。北朝鮮は、いっそう頑【かたく】なになり、強硬になるだけだろう。

今こそ、核廃絶へ向かいたい。

61,9-17,7

日本の果たすべき役割

2009年05月27日 | 暮らし
首相トップ外交 北包囲へ 米は抑止力提供明言(産経新聞) - goo ニュース

北朝鮮の核兵器による威嚇【いかく】に対し、日米は核の傘による威嚇で応じる。
これでは、まるでジェームスディーンの映画「理由なき反抗」の中に出てくる、チキンレースと同じではないか。
若者がそれぞれの車に乗り込み、崖に向かってフルスピードで突っ走り、ギリギリのところで車から飛び降りる。相手より早く飛び降りれば、チキン(臆病者)の烙印【らくいん】を押され、それを恐れて無理すれば車もろとも崖から真っ逆さま。なんとも不毛なゲームだ。

人間が人間を殺傷し合う戦争は、いかなる理由があろうとやってはいけないし、そのためのどんな兵器の実験も決して行ってはいけない。ましてや核実験など言語道断である。それは人類の総意であるべきだ。
それでは、北朝鮮のチキンレースをどうやったら止めさせられるか。

核兵器廃絶を目指す核拡散防止条約は1963年に国連で採択され、1970年に発効している。
また、宇宙空間・大気圏内・水中・地下を含む、あらゆる空間での核兵器の核実験による爆発、その他の核爆発を禁止する包括的核実験禁止条約が1996年に国連で採択された。

しかし、核拡散防止条約国の中で、第二次世界大戦の戦勝国である米・ロ・英・仏・中の5カ国は依然として核兵器を持ち続けており、査察を受ける義務もないという傲慢ぶりだ。
さらに、包括的核実験禁止条約においても、採択はされたもののアメリカを始め、批准していない国があるため発効していない。

オバマ大統領は、麻生首相との電話会談の中で「北朝鮮の核実験は重大な脅威で容認できない」と応じ、「核の傘」を含めた米国の抑止力の提供を重ねて明言したとある。
だが、そのアメリカは人類を5,6回殺傷する力があるといわれる核弾頭を1万発以上保有し、千回以上の核実験を行ってきた。今でも臨界前核実験を繰り返し行っていると伝えられている。

何より、アメリカは核実験のみならず、他国に、それも2度も原爆を投下した唯一の国ではないか。
その被爆国である日本の首相がアメリカの核の傘に入ってチキンレースに臨んでいる。
広島・長崎の被爆者及び、その遺族の方々の苦しみを麻生首相はどのように受け止めているのだろう。

国家間の核抑止という危ういチキンレースは誤った思想だ。
一刻でも早く、アメリカを始めとする核保有国は核を全廃し、話し合いのテーブルに着くべきだ。
少なくとも、世界で唯一の被爆国の首相である麻生さんは、今こそ全世界に向けて、そのメッセージを強く発する責任がある。

61,6-17,6

過重労働

2009年05月26日 | 学校教育
日本のあちらこちらで小中学校の先生による家庭訪問が始まっていることだろう。
女房どのは、昨日から始めているそうだ。

それにしても学校の先生の仕事も大変だ。
女房どのの場合、7時に家を出る。学校の勤務は7時20分から17時20分までだそうだ。ほぼ10時間学校いる。
18時に帰宅した後、家事をこなし、入浴、夕食を済ませた後、答案の採点や学級通信作りにほぼ3時間費やしている。

家庭訪問が始まった昨日・今日、勤務は19時までになるという。帰宅は19時半を過ぎている。
今夜、塾の授業が済み居間に下りると、着替えもしないで答案に丸をつけていた。

昨夜は、仕事の合間に横になったりするなど、相当疲れている様子だったので、仕事が済んだのを見計らい、マッサージしてやった。
マッサージの途中から寝入っていたようだが、終わったよと言うと、やおら立ち上がり、まるで酔っ払いのようにふらふらしなが「おやすみ~」と寝室へ向かった。

現在22時40分、背後で女房どのはまだ、答案の採点を行っている。これは、もう大変どころの話ではない。明らかに度を超えている。
女房どのは、私だけじゃないからね。みんな頑張っているからというが、教員の個人の頑張りに任せていいという問題ではない。

ここしばらく、マッサージを続けねばなるまい。

61,4-16,5

家族の昼食

2009年05月24日 | 家族
昨日、女房どのと2人で大村までドライブを楽しんだ。くるみさんと昼食を共にするためだ。

このところ、くるみさんの土曜日は、昨年度いっぱいで退職されたY先生のお宅を、友だちと訪ねるのが常になっているようだ。
この日もその予定だったようだが、翌日曜日のカラオケ行きと天秤にかけ、Y先生のお宅は、いつでも行けるからと、この日に私たちに付き合ってくれることになった。

それにしても橘香館の先生方には、本当にいろいろとお世話になっているようである。同級生も、みんな仲がいいという。存分に高校生活を楽しんでいるようだ。

いつもの農村レストランでバイキング料理を楽しみ、これまたいつものように「ドラモリ」に寄り、日用品を補充し、くるみさんを寮まで送った。

62,0㎏-17,9%

ポジティブに考える

2009年05月23日 | 暮らし
昨日は地域デイサービスの日で、町内の皿山公園に出かけることにしていた。年に1度は公民館を離れ、野外へと出かける。ご高齢者のみなさんもボランティアのみなさんも楽しみにしておられる。

前日が雨で、この日は午前中は曇るものの正午から晴れの予報だった。前夜、大丈夫と踏んでいたのだが、当日、有線放送でご案内をかける時刻の午前8時半になっても小雨が止まない。
出発の予定時刻は午前10時半だ。決行すべきか、お弁当を公民館でいただくか、みなさんのお気持ちと天気予報を考え合わせ、1時間様子を見ることにし、その旨放送した。
やがて午前9時半、黒い雲が依然として空を覆っている。が、雨は上がっている。よし、決行だ。

再度、放送をし、帰宅してから準備を整え、集合場所に車を回すと、出発20分前だというのにすでに4人のご高齢者がお見えだった。お1人は2時間前から、家を出ておられ、おいていかれたのではと心配なさっておられたという。

この日のように野外に出かける時には車が必要になる。一昨年前までは社会福祉協議会のワンボックスカーを利用することができた。ワンボックスカーならば、たしか1度に9人は運べた。私が2往復して、ボランティアの方にだけ車で行っていただければよかったのだが、昨年から社会福祉協議会の車を利用できなくなった。

それでも、みなさんは出かけることをお望みである。
事故のことなど話し合ったが、結局、ボランティアのみなさんがリスクを承知で車を出すということになり、昨年から分乗して出かけている。
この日は18名の参加があり、車5台に分乗して出発した。

皿山公園ではシャクナゲの花が盛りを過ぎ、菖蒲【しょうぶ】の花がこれからというところだったが、それでもみなさん「有難か!(有難い)」とお喜びだった。このような機会でもなければ、一般的なお一人暮らしのご高齢者が野外にお出かけになることなどないのだ。

そもそも、この地域デイサービスの主催者は社会福祉協議会である。しかし、対象者への案内、出欠の確認、弁当の手配から車の手配に割り振り等々、実際の運営はすべて民生児童委員が行っている。
万が一、事故が起こったらどうなるのだろう。もちろん私の責任は免れないだろう。

みんなでお弁当をいただき、花を愛【め】で、公園内の直売所で買い物を楽しみ、無事、西町へ戻った。みなさんに感謝の言葉をいただいた。

人生だから、いいこともあれば悪いこともある。悪いことばかり考えて萎縮【いしゅく】していてもしょうがない。
私は一歩踏み出す。一歩踏み出すことにより前途は開ける。

61,8-17,9

だんだんよくなる

2009年05月22日 | 暮らし
昨日は午後1時半から町の社会福祉協議会の評議員会に出席した。
心持早めに出かけたところ、まだお一人しかお見えでなかった。この日、出かける頃になって雨が降り出したのだが、その天気のことなどを話しているうちに、お一人、またお一人と次第に顔ぶれがそろってきた。

世間話をしながら、先にいただいている資料に目を通していると、ある委員の方が何やら用ありげに近づいてこられた。お顔もお名前も存じ上げている。私よりも上の世代の方で、このような委員会とか協議会とかでご一緒するくらいの間柄である。
「ブログ、更新している?シロウオ漁の私の写真、載せてたやろ^^」
「あ~ぁ!」

同じ佐々町に住んでおられる方から、時々、こうしてお声をかけていただく。嬉しいことだ。
すぐに更新されなくなるブログが多いので続けるようにと激励を受けた。

ネット上にホームページを開き、あれこれと書き出して丸6年が経つ。私の場合、書くことで自らの思想・思考を確かめているところがある。そして、それはそのまま私のメッセージであり、それを毎日、100人以上もの方に受け止めていただいているのだから、とてもやりがいのある作業となっている。
いつまで続けようかなど先のことは自身の人生と一緒で全く考えたことがない。
なるようになるし、なんとかなるし、だんだんよくなる。

61,6-17,5

始まった裁判員制度

2009年05月21日 | 暮らし
「画期的」「身引き締まる思い」=法曹三者が抱負-裁判員制度開始で(時事通信) - goo ニュース

画期的といえば、確かにそうには違いない。立法や行政に関しては国民の意思が直接反映される仕組みがあるが、司法に関してのみ、それがなかった。
新しく始まった裁判員制度は、その司法の中核をなす裁判に国民が直接参加するというものだ。まさに画期的ではある。

民主的な政治の基本原則は、国の政治の主人公は国民であり、政治の在り方は国民自らが決めるというところにある。
つまり、政治における最高権力は国民にあるとするのが国民主権の原理だ。その観点からすれば、司法に国民が直接参加する機会を得ることは国民にとって歓迎すべきものではある。制度がスタートしたのだから、私たち国民1人ひとりが主体的に主権者としての意識を涵養【かんよう】し、政治権力が真に国民のために用いられるよう努める必要はある。

しかし、今回の制度については、さまざま指摘されているように拙速の感は免れない。反対する人たちも少なくないように伝えられている。
反対の代表的な声として「人を裁くことを押し付けるな」というのがある。
これは、日本国憲法が保障する基本的人権の中心にある国家の介入や干渉を排除して人々の自由を保障する自由権に拠るものだ。自由権の精神の自由の中に、思想・良心の自由がある。

職業として裁判官を選んだ人たちはともかく、私にも人を裁くという思想はない。

61,6-17,0