峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

有紀さんの引越し

2012年03月31日 | 家族

26日、有紀さんが引越した。
午前10時頃、赤間の有紀さんの部屋に着くと、すでに絵理子さんと天使、それに有紀さんのボーイフレンドが荷造りと掃除に励んでいるところだった。

荷物を、絵理子さん・ボーイフレンド君・私の3台の車に振り分けて積み込んだ。
絵理子さんと天使は、引越しのお祝いにと絵理子さん・研二くんが有紀さんにプレゼントした冷蔵庫と洗濯機と電子レンジが配達されるからと一足先に、箱崎の新居へと向かった。絵理子さん・研二君は、近くに住んでいることもあって有紀さんを物心両面から支えてくれている。

昼前に荷物の積み込みを終えることができ、有紀さんとボーイフレンド君の乗った車を私が先導し、箱崎に向かった。

赤間の部屋は6階だったが、新居も7階だ。エレベーターを使うので高所だからといってそれほど大変なことはないのだが、皮肉にもオートロックが煩わしい。ボーイフレンド君が私にとても気を遣ってくれるのが嬉しかった。

すべての荷物を運び込み終えた時には優に正午を過ぎていた。何はさておき昼飯だ。みんなで、すぐ近くの食堂に飛び込んだ。店は、好みの品を一品、一品、選ぶ仕組みになっていた。空腹も手伝い、どれも美味しそうに見えてあれもこれもと欲張ってとってしまった。
テーブルに着いてみると、ボーイフレンド君がおかずを一皿しかとっていないではないか。先に好きなだけとってよと声をかけていたのだが、遠慮しているのだ。彼に好き嫌いはないかと尋ねるとないと言うので、私のとってきた皿から少しずつ分けてやった。

食べ終えると、私と絵理子さん・天使は絵理子さん宅へ向かった。その夜は絵理子さん・研二くん宅で1泊することにしていた。有紀さんは後で合流する。女房どのは、昼から暇をもらい、高速バスと電車を乗り継ぎ、夕方合流することになっていた。

絵理子さん宅まで彼女の車の後を走ったが、再三の睡魔におそわれた。1人なら、こんなときはすぐに車をとめ、しばらく目を閉じるようにしている。ほんの5分程度でもスッキリする。

夜、有紀さんと女房どのが合流し、研二くんも仕事から帰ってきてみんながそろった。食卓を囲み、絵理子さんの手料理をみんな食べた。天使を中心に夜遅くまで話に花が咲いた。


23年度町内会総会

2012年03月30日 | 町内会長

24日、午前中に将棋同好会の例会に顔を出す。15人ほどのみなさんが和気藹々と対局を楽しんでおられた。
間近に迫ってきた将棋祭りに関し、みなさんとあれこれ打ち合わせる。

翌25日、午後1時より集会所にて23年度の町内会総会を開催した。
冒頭の挨拶で、他者の悪口を言わないこと。すべての者に、それぞれ役割があること。ご高齢者は町内会の後輩に甘え上手になること。町内会に暮らす者、一人ひとりのために町内会が在ること。自立した町内会で在ること等々、新しい時代に相応しい、新しい町内会の在り方、また町内会に暮らす者の在り方を提唱した。


有紀さんの大学卒業の日

2012年03月29日 | 家族

ほんの些細なことから自分の弱さを嫌というほど思い知らされることがあった。弱さは自身の境遇・前途を破壊して顧みない危うさを内包している。その淵を覗くところまで容易に転がり落ちてしまった。そんな私を救ってくれたのは、やはり女房どのであり、子供たちであった。

大切な人ほど辛く当たってこなかったか。愛する人ほど悲しい思いをさせてこなかったか。
何を大事にすべきか分かっているのに、それをおろそかにしてきた愚かな私がいた。
大切な人たちのために、愛する人たちのためにもう一度、生きなおしてみたい。

23日、有紀さんが大学を卒業した。
前日、徹夜したまま卒業式に臨むために午前5時過ぎ我が家を発った。女房どのは、あいにく仕事を休めず私1人出かけた。途中、二度三度と高速道のサービスエリアに車をとめ、心身を休めながら古賀インターまでたどり着いた。古賀インターから国道3号線に出たところでコンビニの駐車場に車をとめ、女房どのが用意してくれたサンドイッチを頬張った。
ひと息ついた後、有紀さんが髪を結い、着付けをしてもらっている美容室へと向かった。
赤間に着いてほどなく、美容師さんにエスコートされ有紀さんが美容室から姿を現した。ピンク地の着物とダークグリーンの袴に身を包み、髪はきれいにセットされ、メークも施されている有紀さんは、見違えるばかりに美しく輝いていた。

美容師さんたちに見送られ、いったん有紀さんの部屋に寄った後、大学へと向かった。駐車場から卒業式の式場となっている武道館までの道すがら、また式場入り口で、先日、我が家に寄ってくれた有紀さんの友人のみなさんと声を交わすことができた。

卒業式の間、有紀さんの幼かった頃のことを思い出していた。
姉の絵理子さんのように、有紀さんもまた独自の道を自ら切り開き力強く歩き始めている。よく育ってくれたと感謝したい。

卒業式の後、有紀さんはゼミやサークルの集まりに参加し、その後、謝恩会に出席する予定になっていたので式終了後、そのまま有紀さんと別れ、絵理子さんと天使のもとに車を走らせた。
絵理子さん宅で天使と共に昼食をとり、天使と積み木で遊んだ。
穏やかで温かな家庭を絵理子さんはしっかりと築いている。


善意が集まる

2012年03月23日 | 将棋

昨日の午前中、出来上がった将棋祭りのチラシの一部を持って印刷屋さんがやって来た。実は、この印刷屋さん、私の高校時代の同級生である。たまに出す私塾のチラシを彼に頼んでいる。
同級生だから儲けさせてやりたいが、今回ばかりは安くあげてくれるよう頼んでいた。3色刷りで、盤・駒のイラスト入りの注文だったので多少高くなるかなと思っていた。「安くしといたよ!」と言って帰っていったが、後で請求書を見ると、いつもの私的なものと比べれば、なるほど安くなっていた。

午後、外出してこまごまとした用事を済ませた後、将棋祭りの会場にしている農業体験施設よりさらに上の標高300mの高原で、農薬・化学肥料を用いないお茶作りに長年取り組んでおられる北村さんを訪ねた。もちろん、我が家で飲むお茶は北村さんとこで出来たものだ。
普段、そのお茶を町中の店で求めているが、春とか秋のカラッと晴れた週末の昼下がりなどには、女房どのを誘って北村さんとこまでドライブして求める。
そんなとき、北村さんとこでは必ずお茶を出してもてなしてくださる。ひとしきり、あれこれ話し込んでおいとますることになる。

昨日、北村さんとこにおじゃましたのは、我が家のお茶を求めるのと共に、きたる将棋祭りの賞品に佐々町ならではの何かをと思い立ってのことだった。
北村さんに将棋祭りの趣旨をお話するや否や、参加者の人数分だけペッボトルのお茶を用意しましょう。そして、賞品には十宝草を10パック出させて下さいとあっという間に揃え、私の草に積み込んでくださった。
それからしばし、いつものようにあれこれお話し、山を降りた。

その帰り道、近所の青崎広告さんに寄り、「歓迎・深浦康市九段」の横断幕と会場の案内板を頼んだ。

みなさんの善意で、いい将棋祭りになりそうな予感がする。


私の役割

2012年03月22日 | 将棋

25日の町内会の総会で配布する冊子の資料として今年度の活動報告、並びに収入・支出それぞれの決算書、さらに来年度の活動計画案、予算案の作成を終え、昨日の午後、印刷に出した。

一方、その1週間後の「佐々町将棋祭り」へ向けての準備も大詰めを迎えている。昨日は、朝日・毎日・読売・西日本・長崎の各新聞社の佐世保支局へ電話で告知をお願いし、内容をファックスで流した。早速、当日の取材を申し出ていただく社もあった。
また、先週末、新聞折り込みのチラシの原稿を印刷屋に出していたが、そのゲラ刷りが午前中に上がってきた。今週土曜、新聞と共に各家庭に配られる予定だ。
先だって、この催しを町の体育文化振興事業にとそのための申請書を提出していたところ、それが認められた。そこで、多少の経費が使えることになった。

午後には、町内の2つの小学校と中学校を訪ねた。
それぞれ校長先生にお会いし、学童農園へ将棋のプロのすごい人がやって来て、楽しい将棋のお祭りが行われるそうだよと児童・生徒に伝えてくださいとお願いした。

その後、役場へ向かった。今回のことについて何かとご理解、お力添えいただいた町長、そして議会議長、さらには副町長にあらためてご案内の文書をお届けした。

このせっかくの機会に、将棋という素晴らしい文化と、深浦康市という偉大な棋士に1人でも多くの方々に触れていただきたいと願っている。私のできることに努めたい。


私は、私だ

2012年03月21日 | 夫婦

昨日の祭日は、夕方、女房どのと買い物に出かけた以外、仕事をしている女房どのの傍で日がな一日寝転んで過ごした。

そんな中、午後1時からNHKBSで映画「モンゴル」を見た。
わずかたりとも揺るぐことのない夫婦愛、恩義に報いる心、自分は誰とも違う自分であり続けようとする意志、志の高さなど、あらためて感ずるところがあった。


余寒

2012年03月19日 | 将棋
金曜日、口石小学校の卒業式に出席した。
卒業する子供たちに、我が子の幼い頃の姿が重なって見え、涙が溢れた。

午後3時、役場に副町長を訪ね、あらためて将棋祭りについてお話をさせていただいた。

午後6時からは、町内会にお住まいだった方のお通夜に出席。ついこの前までお元気でお話をさせていただいていた方が、またあちらに行かれた。ご高齢者の方々とお付き合いさせていただいていると、こちらとあちらの境があってないように思える。人は、一人でこの世に来て、一人でこの世を去って行く。

土曜日午前10時から佐々町将棋同好会の総会を開いた。
この会も、早いもので3年目を迎える。徐々に会員数を増やし、活動も多岐に渡ってきている。
4月1日には大きなイベントが控えている。日本古来の文化である将棋の持つ魅力をより多くの人たちに伝えることができ、ひいては町の活性化、交流人口の増加に多少なりとも寄与できればと願っている。

日曜日、25日の町内会総会を控え、その資料作りにとりかかった。
午後からは町内会で行うデイサービスの案内にご高齢者のお宅を一軒一軒まわった。

梅の花が咲き、ウグイスのさえずりは高く響いているが、余寒なお厳しく春はまだ遠い。

捨てるが始まる

2012年03月17日 | 家族
私たちの天使は、すっかりおしゃべり上手になっていた。
彼女のお母さんとの「ごっこ遊び」が実に微笑ましい。その様を見ているだけで幸福になる。

木曜日、午後からいよいよ絵理子さん主導により大片付けが開始された。
最初に驚かされた。なんと、全員分のマスクが用意されてある。それに透明の大型のゴミ袋持参だ。絵理子さんの並々ならぬ意気込みが感じられる。
いよいよ教室の一角にあるクローゼットの整理に手が着けられた。

愛らしい人のために

2012年03月16日 | 将棋
水曜日、有紀さんと2人で昼食をとる。
午後1時半から民生児童委員協議会の定例会に出席、会議の合間に4月1日の将棋祭りのPRをさせていただき、協力をお願いした。
午後2時半に町長にお会いする約束をしていたので、民児協の定例会を2時過ぎに中座する。

町長室で町長にお会いし、将棋祭りについてお話しさせていただく。
将棋という文化の振興、また町の活性化、さらには交流人口の増加といった観点から、今回の事業へのご理解とご協力をお願いする。
午後3時からの交通安全対策協議会に出席するため、町長と共に5分前に会議室へ移動、第9次佐々町交通安全計画案の審議に加わった。

夕方5時から授業が控えていたので、交通安全対策協議会を15分前に中座する。
この日、夕方、天使とそのお母さんが帰って来ることになっていた。
天使の愛らしい笑顔と、愛らしいおしゃべりと、愛らしい仕種にもうすぐ会える。

はち切れる若さ

2012年03月15日 | 家族
「片付けようよ!」
今年の正月、みんなが揃っている場で、絵理子さんが有紀さんとくるみさんに呼びかけた。
絵理子さんは、最近流行りの「断・捨・離」にはまっているらしい。
僕の物もどんどん捨てられちゃうんですよと研二がこぼしていた。

ありがたいことに我が家もその標的となった。お姉ちゃんの熱い呼びかけに妹たちも応じざるを得ない。有紀さんの受験が済み、新しい部屋が決まる3月中旬に集まろうとあっという間に決まってしまった。

その先陣を切り、有紀さんが帰ってきた。
有紀さんは、卒業旅行の締めくくりに先週末からサークルの仲間と西海市に別荘を借り切り、ハウステンボスを始め、佐世保周辺の観光を楽しんでいた。旅行先は、有紀さんが帰省するのに合わせて選んでくれたらしい。
帰省する前日まで、有紀さんは佐世保でみんなと別れることになっており、私がそこまで迎えに行く予定になっていた。
ところが、当日、彼らは佐世保市内まで来て、私を見てみたいという話になったようだ。8人揃って1台のワゴン車に乗り込み、我が家までやって来た。

せっかく来たんだからと彼らを家の中に招き入れた。ほんの短い時間だったが、おしゃべりをし、みんなで写真を撮った。
若いって、断然いい。