yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

篤姫の輿入れ道中

2008-12-13 07:09:51 | 歴史

12月11日夜のNHK総合テレビで、篤姫の輿入れについて新発見があったとの報道がありました。嘉永6年(1853年)島津斉彬公の養女、篤姫は将軍家定との婚儀のために鹿児島から江戸に行きました。途中、京都の近衛家に立寄ったのは確かですが、その間どのような経路で移動したのか、陸路であったか海路であったのかは現在まで謎でした。最近になって、岡山市西郊の矢掛町(やがけまち)の本陣、石井家に宿泊した際の古文書が発見され、解読された結果、山陽道を通過して京都に向かったことが明らかになりました。旧本陣石井家は国の重要文化財に指定されている名家で、一般公開もされています。石井家から発見された文書には薩州姫君が宿泊されたこと、西の御丸(家定将軍)に輿入れする道中であったこと、宿泊代として銀3枚、主人への心付け2両(合計して現在の約40万円)などと書かれています。当時としては稀少な甘いゆべし85本が供されたともありました。約300人のお供を従えて威風堂々、島津家の栄誉を誇示するかのようにして江戸に下ったとの事です。因みに江戸に着くまでには今で言えば約5億円かかったとか。これは鹿児島大の原口泉教授によれば「島津家の政治パフォーマンス」であったことは明白であるとのことです。NHKの大河ドラマでは婚儀反対派を刺激しないよう、秘かに婚儀が整えられたことになっていましたが、事実は公然たる輿入れであったようです。<o:p></o:p>

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