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2月2日衆議院で斎藤隆夫が軍部の日中戦争処理方針を非難する反軍演説を行う。(1940)

2013-02-02 | Weblog

斎藤は「粛軍演説」で軍部の政治関与を批判するなど、国民からの注目を浴びるも、警察・軍部から監視され、暗殺まがいの脅迫状などの攻撃も受けた。「国家総動員法案に関する質問演説」において、国家総動員法の危険性を指摘するも、二大政党は斎藤の主張を無視し、全会一致で成立。その後、過労から転倒して打撲し、脳梗塞の疑いで病床に着く。日中戦争の長期化につれ、病床の斎藤の元へ日増しに、「なぜ、斎藤は沈黙するのか」という類の問い合わせが増加し、国民の声を議会に届けるべく、「国家総動員法反対演説」から2年ぶりの登壇を決意。1939年11月18日原稿の起草に着手、演説の練習を必死に繰り返す。
1940年1月14日、阿部信行内閣が総辞職し、16日、ドイツに接近する軍部と異なり、親英米派である米内光政内閣が成立し、その後召集された、第75議会の衆議院本会議での、2月2日の議題「国務大臣の演説に対する質疑」における、立憲民政党所属の当時71歳、斎藤隆夫による1時間半に及ぶ午後3時からの「支那事変処理を中心とした質問演説」(いわゆる「反軍演説」)である。久しぶりの斎藤の演説ということで、傍聴席は満員であった。
議会召集後、民政党院内主任総務俵孫一に質問の旨を通告したが、軍部におもねる総裁町田忠治は質問に否定的な意向であったが、斎藤はこれを無視。
米内総理、閣僚の演説の後、民政党小川郷太郎の傾聴に値しない原稿朗読演説、立憲政友会中島派、東郷実の政府・軍部に弱腰の議場から嘲笑が漏れるほどの演説であった。

斎藤によれば、演説の要点は以下の通りである。
第一は、近衛声明なるものは事変処理の最善を尽したるものであるかどうか
第二は、いわゆる東亜新秩序建設の内容は如何なるものであるか
第三は、世界における戦争の歴史に徴し、東洋の平和より延(ひ)いて世界の平和が得らるべきものであるか
第四は、近く現われんとする支那新政権に対する数種の疑問
第五は、事変以来政府の責任を論じて現内閣に対する警告等
「演説中小会派より二、三の野次が現われたれども、その他は静粛にして時々拍手が起こった」と、演説中の議場は静かであったことを記している。そして、「しかし、議場には何となく不安の空気が漂うているように感ぜられた」と付け加えている。 演説当日の具体的様子として斎藤は、「時局同志会や社民党から私の演説は聖戦の目的を冒涜するものであるという意味の声明を発するようである」と記している。
演説直後、陸軍大臣の畑俊六は「なかなかうまいことを言うもんだな」と感心していたという。また政府委員として聞いていた武藤章や鈴木貞一も「斎藤ならあれぐらいのことは言うだろう」と顔を見合わせて苦笑していたという。
また、衆議院議長で、身内の民政党の小山松寿は斎藤の演説中に「聖戦の美名云々」などのメモを記し、衆議院書記官長大木操に渡し、職権により、演説全体の3分の2程度、約1万字にも及ぶ、軍部批判にあたる箇所を削除させた。大木は抵抗したものの小山に屈し、「私はこの時職を賭して戦うべきであった」とのち、日記で悔いている。なお、大木は秘密会の議事録を、陸軍の焼却要求から守り抜き、日記で斎藤除名の様子を詳細に記述するなど、当問題についての貴重な史料となっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/反軍演説

他には...........................


国際航空業務再開の日

▲東大寺大仏造営の僧行基没(749)
▲神聖ローマ帝国成立(962)
▲ニューアムステルダム(現在のニューヨーク)に正式に市の資格が与えられる。(1653)
▲ロビンソン・クルーソーのモデルといわれるスコットランド人船員のアレキサンダー・セルカークが太平洋の無人島で発見される。(1709)
▲アメリカが対メキシコ戦争に勝利。米墨戦争終結のためのグアダルーペ・イダルゴ条約に調印。(1848)
▲メジャーリーグのナショナルリーグ設立。(1876)
▲ギリシャがオスマン帝国に宣戦布告。(1878)
▲ヘルツ、電磁波を検出(1882)
▲ニューヨークのグランド・セントラル駅の現在の駅舎が使用開始(1913)
▲日本初のバスガール登場(1920)
▲ジュネーブ軍縮会議開催(1932)
▲アメリカ、裁判で初めて嘘発見機使用(1935)
▲大日本国防婦人会・愛国婦人会・大日本聯合婦人会を統合して大日本婦人会が発足。(1942)
▲スターリングラード全域でドイツ軍が降伏(1943)
▲戦後、禁止されていた国際航空業務が再開され、日本航空の初の国際線、東京~ホノルル~サンフランシスコ線が就航(1954)
▲京阪神急行電鉄宝塚線庄内駅において、車両故障時の対応の不手際から、激怒した乗客が線路を封鎖して電車を止める。(庄内事件)(1956)
▲米ヴァージニア州で黒人と白人の共学が実現(1959)
▲原水爆禁止国民会議が結成(1965)
▲アメリカン・バスケットボール・アソシエーション発足。(1967)
▲アメリカ合衆国環境保護庁(EPA)が発足する。(1970)
▲元陸軍軍曹・横井庄一さん帰国(1972)
▲第11回冬季オリンピックが札幌で開催(1972)
▲超能力者のユリ・ゲラーが来日し、民放テレビ各社の番組に出演(1974)
▲「徹子の部屋」放送開始(1976)
▲アパルトヘイト: 南アフリカのフレデリック・ウィレム・デクラーク大統領がアフリカ民族会議などを合法化し、ネルソン・マンデラの釈放を約束。(1990)
▲7桁新郵便番号制度導入(1998)
▲エジプトで反ムバラク派のデモ隊とムバラク派のデモ隊が衝突。多数の死傷者を出す。(2011)

誕生:ファラ・フォーセット(女優1947) ちわきまゆみ(タレント1963) 
   寺尾(力士1963) 田口恵美子(1966) 馬渕よしの(1966) 
   HISASHI[GLAY](1972)

誕生花:ぼけ (Chaendmeles)   花言葉:平凡