観測にまつわる問題

政治ブログ。政策中心。「保険」「相続」「医者の給与」「国民年金」を考察する予定。

性善説では政治は出来ない

2010-12-26 17:23:28 | 政治システム・理論
日本国憲法前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。あなたは北朝鮮や中国の公正と信義を信頼して、安全と平和が守られると思うだろうか?これは性善説であり、一々真面目に捉えていては、安全も平和も守れない。参考程度に無視するに限ると私は思う。憲法を改正してこんな文は捨ててしまえばなお良い。大抵の読者もそう思うだろう。

ところで、問題は現行の二院制だ。

①法的拘束力の無い問責決議案が出ればどうすべきなのか?
②仮に辞任すべきとした時にねじれたらどうなるのか?
③参議院で多数を占めた野党は与党にとって信じられる存在か否か?
④ねじれた時に参議院の権力が過大であると、事実上衆議院が優越しなくなることになるが、どう考えるか?

考えてみよう。

①法的拘束力のない問責決議案は参考程度に無視すべきではないか。
②問責決議案が通ったら辞任すべきと考えれば、ねじれた時、野党は好き放題やるだろう。
③与党は一種の運命共同体である。野党は政権が欲しくて仕方が無い。
④参議院が事実上優越してしまうと、衆議院の優越を法的拘束力をもって認める現行憲法下での政治が更に混迷を深めるのは確実だ。その混乱を収拾するため、超法規的な存在が求められるかもしれず、そうなると法治国家で無くなる。法治国家でなくなると、権力者の好き放題だ。法は権力者をも縛る。あなたは法から解き離れた権力者の統治下で暮らしたいか?その息子の統治下ならどうだろう?

性善説の現行憲法を性悪説的に解釈してその場を凌ぐことが大切だ。憲法改正で問題の根源を絶った方がいいのは言うまでも無い。すなわち今やるべきことは、問責決議案なんてものは参考程度に無視してしまうことである。ただし、菅政権にとって、世論の批判が強い仙谷氏に関しては世論を「重く受け止めた」方が良い。ねじれた上に世論の支持を失ったら、行き着く先はハッキリしている(個人的には仙谷氏に一連の責任を取らせて、尖閣上陸で世論に訴えるという行動なら支持できる)。

大方の国民は人がいいので、普通、こういうことは考えないだろう。そしてそれ自体はいいことでもある。しかし、魑魅魍魎が跋扈する政治や外交の世界では、暴走させないためのルールが必要だと信じている。