観測にまつわる問題

政治ブログ。政策中心。「保険」「相続」「医者の給与」「国民年金」を考察する予定。

「解決すべき領有権の問題は存在していない」という公式見解について

2010-10-31 22:50:12 | 政策関連メモ
日本政府の尖閣に関する公式見解は「解決すべき領有権の問題は存在していない」ということのようである(外務省HP平成22年9月25日)。これを何時頃から言い始めたのかについては、竹島問題に絡んでやや疑問があるのだが、それはさておき、この見解について検討する。例えば、テレビで尖閣問題を取り上げられる時、こうした政府見解(「領有権問題は存在しない」なども含む)を持ち出し他の発言者の言葉を訂正する光景がよく見られるから(今日も見た)、この公式見解を確認検討しておくことは、重要だろうと思う。

確かに、これまでこのブログでも確認したように、中国に領有権があるようには全く思えない。「解決すべき領有権の問題は存在していない」とは間違った見解ではないだろう。だが、この見解を言うことで、何か尖閣諸島の問題が解決に向かうかのような風潮には、明確にNOと言っておきたい。何故なら、日本が領有権の問題は存在しないと言おうが言わまいが、元々中国が自らの意志において領有権争いを演出することは可能であり、既にそれは実行されたからである。例えば、温家宝首相が尖閣体当たり事件を受け国連で演説したことがそうである。だとすれば勿論、日本側が尖閣の領有権に関して日本の領土で一致しているならば、領土に関して争いが存在していることを認めても何ら問題がないということになる。日本が認めようが認めまいが中国の意志で事実上の領土問題化できる以上、論理的にそうとしか言えまい。つまり、一々訂正するというよく見る光景は全くの無駄であり、寧ろ問題が存在しないかのような誤解を広めて対策が遅れるならば、有害とさえ言える。そして実際に何の対策も採られてこなかったのだ。今となっては、素直に問題を直視していた方が良かったのは明らかだろうと思う。

ここで注意しておきたいのが、韓国は竹島問題において領土問題化を避けている(「争いの無い領有権を有している」の類)のでやり方が上手いというような言説である。領土問題をウォッチしている人は見かけたことがあるはずだ。もうお分かりだと思うが、韓国がどのような言動を採ろうとも、日本の意志次第で国際問題化は可能である。目立つところで騒げばいいだけのことであり、韓国が反応しないなら既成事実化すればいいだけの話である(100%過敏に反応すると思うが)。つまり竹島問題が国際問題化しないとすれば、悪く言って日本政府の怠慢であり、韓国のやり方の巧拙は関係が無いということである。

必ずしも今すぐ竹島を国際問題化しろとまでは言わない。同じ民主主義国陣営として、一定の配慮はあっていいだろう。だが、竹島は日本の領土であり、その気になればいつでも国際問題化出来るとだけは、言っておかなければならない。この問題でも、尖閣と同じく、事勿れか知らないが、不十分な対応しかしてこなかったのだ。

領有権問題が存在しないと言うとか、国際問題化しないため相手にしないとか、そんなよくある言説は、日本がどう主張しどう行動するか認識を深めることを妨げる効果があると考えられ、寧ろ有害とさえ言えて、実際に何もせず、後退に後退を重ねたということである。何のことは無い。間違った考えに基づき、間違った方向に行っていたのだろう。

最後に、北方領土問題に関して領有権争いがどうとか、国際問題化がどうとか、そういう言説を見た覚えが私は無いが、同じである。国際問題化しないのが問題だと思うなら(ただしEUの日本援護は見た記憶があるので、既に国際問題化していると考えられる)、何かきっかけがあれば、国連で演説するとか騒げばいいのではないか。正直あまり気乗りしないのだが。

中国・台湾政府から見る尖閣領有の認識

2010-10-31 21:13:42 | 政策関連メモ
尖閣諸島問題に絡んで、中国・台湾の歴史認識を検討してみたい(ウィキペディア「台湾の歴史参照」)。

まず、中国や台湾の主張の根拠は明の頃の書物にあるようだ(「返せ」との主張は元々自分達のものという認識があるからに違いない)。だが、結論から言うと、これは明らかに領有の根拠と成り得ない。何故か。明は当時海禁政策を採っており、台湾は概ねオランダが統治していた。現在、中国・台湾ともに尖閣は台湾に属するとしているが、台湾そのものが明らかに中国統治下にないのである。明の書物に何と載っていようが、台湾以上に尖閣が中国領である根拠があるはずもない。

それでは清の時代を検討してみよう。清は当時オランダを追い出し台湾を統治していた鄭氏政権が反清復明を掲げていたため、鄭氏政権を攻撃し滅ぼした。当初清朝は台湾領有に積極的でなかったようだが、結局台湾を福建省に編入している。だが、台湾を「化外の地」の地、台湾原住民を「化外の民」とし、台湾全域に中国(清)の実効支配が及ぶことはなかった。1871年には宮古島島民遭難事件が起こっており、これに対し清朝が原住民は化外の民と回答したため、1874年に日本は台湾出兵を行なっている。約10年後の清仏戦争の際、台湾はフランスの攻撃も受け、1885年清は台湾を福建省から分離し、台湾省を設置した。清は1885年に至るまで台湾経営に本腰を入れたことはないということであり、1894年には日清戦争に敗れ、1895年台湾を日本に割譲している(割譲の直前に日本は尖閣を沖縄に編入した)。要するに清による台湾統治は概ね不完全な段階に止まっており、距離の離れた尖閣を台湾と認識していたかは疑問である(仮に認識していたとしても台湾は日本領となったことに注意する必要がある)(明代に尖閣を領有していなかったことは既に確認した)。

中華民国政府(現台湾政府/中華人民共和国は自身を中国の正統政府としている)においても、1920年の魚釣島に漂着した福建省漁民を助けたことに対する感謝状において、「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていたことから、その認識は明らかである。

結論。中国・台湾政府の立場から見ても、1970年あたりまで、自身が尖閣を領有しているとの認識は確認できない。