うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

今日のお大尽@楊輝荘

2007年10月13日 | ことばを巡る色色
昨日は名古屋にてお仕事。ただ、一番目のお仕事と二番目のお仕事の間につぶさねばならない時間が7時間あり、それではと覚王山日泰寺に出かけました。縁日でもない平日の参道はほとんど人影もなく、ただただ天に突き刺す塔。

そうして、かねてから訪れたかった楊輝荘へ。このお宅は松坂屋創業者、伊藤左衛門祐民さんの別邸。かつてはこの一帯全てが伊藤さんの地所だったそうで、公開されている北園だけでもかなりのお庭。
こんな観月の橋やら



茶室やら


池には船を浮かべて宴を催されたそうな。

まだまだ次の仕事には時間があるので、今度は産業技術記念館へ。


レンガを通る秋の風に吹かれながら考えた。私達の時代の建物は、100年経ったとき、どんな風に未来の人の目に映るのだろうか。果たして愛されているのだろうか。
かつてのお大尽の脳天気なほどの大きな大きなお屋敷や、どう考えても本来の使用目的には関係なかろうって程に装飾された産業遺産。お屋敷や工場や橋や、には、気づかぬようにそっと花やら鳥やら魚やら小動物やらが散りばめられている。お屋敷や産業遺構は、当時の人々にとって心を込めて荘厳すべき物だったのかもしれない。そんな飾りを今の高層ビルにくっつけても、少女趣味や悪趣味になってしまうのに。当時の経済格差は、現代のそれとは比較にならないほど大きなものだったろう。だからこそ、お大尽は広大なお屋敷を建てることができたのだろう。それはわかっている。だのに、そのお大尽の御商売の結果として残ったお屋敷が、こんなに愛すべきものであるのはなぜだろう。それと比して、戦後民主主義の現代の中で建てられた高層ビルが冷たく掴み所がないのはなぜだろう。その答えを見つけるために、またわたしはお屋敷を訪ねて歩く。
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