哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

夢のために現実がある

2008年05月31日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

Tiziano_blindfolding

人生には、ふつういわれているような目的というものは、実は、ない。人生には、私たちが思っているような幸福も、実はない。幸福は、将来の人生の中にはなくて現在の脳の中にある。現在の私の脳の中には、今思う幸福、今思う憧れ、夢、今思う目的、が確かにある。それが世界を映し出し、世界の中で、仲間の人間の動きを見渡し、今の私を動かしていきます。

今どう動けば、その夢にみる幸福のイメージに近づけるのか? そのように動いていくために、人間は世界を見渡す。そういう動きをするための対象として見渡すから、私たちの運動神経系のシミュレーションとして世界が捉えられる。その結果、現在の現実の世界が存在するようになる。つまり、いわば、夢のために現実がある。夢があるおかげで現実が存在するようになる。その現実世界の中を夢みた将来の幸福のイメージを求めて動いていく私の姿。それが、私の人生の目的、という錯覚を作っていきます。

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感情回路に連結

2008年05月30日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

ロボットなら想像とかシミュレーションは要りません。ハワイに行くためには一日何円貯金しなければならないか計算して、その分だけ労働時間を延長する。簡単なゲームの解です。感情は必要ない。ちっとも楽しくない代わりに、まったくつらくもない。しかし、これでは人間ではありません。人間は、こんな無味乾燥な数値計算だけのゲームはしない。こんな計算だけでは人間の身体は動かない。

人間は将来を予測したシミュレーションを作り出す。ワイキキの海岸で、裸になって優雅に寝そべっている自分の姿を想像する。海の香りをかいでいる。その自分を見たら、だれもが私を幸せだと思うだろう、と想像するのです。そのシミュレーションを感情回路に連結して、幸福感に憧れる。人間は、将来への期待や不安を膨らませ、その働きで現在の行動を加速する動物です。ハワイの海をながめる自分を想像できるから、いやな残業にも耐えられる。それで結果的には、ロボットが計算したものと同じ行動になる。つまり一日の労働時間の延長、という行動を取ることになるでしょう。でもハワイの海を夢見るから、夜勤の労働もつらくない。裸でハワイの海岸に寝転ぶ自分の姿を想像する。幸せだろうな、と思う。そこがロボットとちがう。人間は、ロボットとはぜんぜん違う仕組みで行動ができてくる。それが人間です。そういう人間の行動が、結果として目指しているように見えるものがあるとすれば、それを、幸福といい、人生の目的という。

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自分で自分を予想する

2008年05月29日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

Tiziano_shepherd

私たちは、幸福を目指して計画的に行動しているつもりです。それも実は、習慣と文化に従って感情を動かし、その衝動に動かされて行動している。しかし、私たちは、自分たちが計画的に行動している、と信じている。そう思うほうが、上手に行動できるわけです。そのほうがうまくいく。自分が目的を持って計画的に行動しているならば、自分のこれからの行動をうまく予想できる。そうでなくて、自分が感情だけに突き動かされていると考えたら、自分で自分が予想できないでしょう?

あなたは、自分が今日懸命に働いているのは、来月の休みにハワイ旅行をするためだと思っている。なぜ、ハワイに行きたいのか? あなたのお友達も、そうしたいと思っているのでしょう。あなたはたぶん、それを幸せと思う文化の中にいるのでしょう。ハワイの海岸はすばらしい。雑誌の写真が美しく撮れていたから、そう見えただけなのかもしれない。でも、そこにいる自分の姿を想像する。つまり予測シミュレーションをつくり、それが感情回路に映ると、それを自分の欲望と思い、目的と感じる。それをシミュレーションで想像しながら、現在の努力を加速させるのです。

拝読サイト:独国雑感くしゃみと鼻水

拝読サイト:恥ずかしながら、ハワイ旅行記です…

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人生は麻薬

2008年05月28日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

進化と学習で絶え間なく改善された人間の感情回路。それを支える歴史に耐えた集団の伝統的文化。それらの組み合わせが私たちの行動を作る。この複合機構は、試行錯誤の末、現実の世界に鍛え抜かれて共進化した。洗練され、生存しやすい戦術を、衝動的に選択する能力を持つようになった。

その能力を駆使して、人間は現実の世界を戦い抜いていく。懸命にそれを戦うように人間の身体は作られている。だから人間にとってゲームは楽しい。現実の世界での戦いを模擬しているからです。ゲームは現実のエッセンスを抜き出して、純粋に楽しめるように設計してある。だからスポーツもテレビゲームも、とても楽しい。夢中になれる。

現実の人生は本物だからもっと楽しい。原始時代の現実を、懸命に戦い抜くように人間の身体は作られている。現代の現実は原始時代とはかなり変わってしまっている。それでも、人間は適応する。適応性が高い。現代の現実の中でも、私たちは懸命に戦う。それは、やはりそれなりのゲームになっているからです。

現実の人生であっても、それをゲームと見なせるならば、人生は実は楽しくてたまらない。だれもそうは言いません。しかし、つらいつらいと言いながら、人生を、実はやめられない。麻薬みたいです。本当は、私たちのだれもが、自分の人生というこの本物ゲームが好きでたまらない。楽しすぎてやめられない。人間は、そう感じるように進化している。そう感じることで、人生ゲームをプレイし続ける。それが人生の真実でしょう。

拝読サイト:幸せについての考え方

拝読サイト:Quality of Dying and Death” と 財務省官僚たち

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感情と勘定

2008年05月27日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

Tiziano_pardo  考えて作った計画に、本当に従って行動したら、人間はすぐ身体を壊してしまう。身体は、自ら壊れるような運動はしない。だから、頭で考えた計画というものは、ほとんど実行できない。

私たちの身体は、そのときそのとき、その場の感情に従って衝動的に動いていく。その結果、行動を選択することになる。そうだから人間は健康に生存していける。将棋をしているときでさえも、「王より飛車を可愛がり」となる。それでゲームは楽しくなり、人はそれを好きになる。皆が好んでそれをすることでゲームとして成り立っていく。

巷のビジネス指導書にあるような、「衝動的に行動すれば失敗、目的を立てて計画的に実行すれば成功」という教えとは関係がない話です。そもそも目的を立てて計画的に実行できるような人は、無計画に進んで失敗するようなことはしない。逆に、無計画で進みたがるような人が計画をつくっても、うまくいきません。いずれにせよ、計画のあるなしにかかわらず、人間が行動するときは、結局は衝動的です。

人間は感情にしたがって衝動的に行動する。それも脳内シミュレーションで予測した将来の自分のイメージに対して感情を引き起こす。その感情に駆られて運動を実行する。それで得られた金銭や勝負の得点などの数字を見て損得をはじき出す。その後、予想した将来イメージを思い出して、その行動がそれを目的として合理的で正しかったことをチェックする。そのとき、自分の人生、というものを確認できる。成功感、失敗感、勝利感、敗北感など感情をしみじみ味わう。その確認が人生ゲームの楽しさです。感情に始まり、感情が勘定に変わり、最後はまた感情で終わる。感情にゆすぶられ、楽しいからゲームに夢中になる。それでいて後から見ると、勘定としてもあまり損がない行動になっている。

拝読サイト:ゼロサムゲームと感情の勘定

拝読サイト:感情を計算に入れる

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