私たち人間が、欲望あるいは意思、と言っているものは何なのか、その実体を示唆するよい実験例があります。
「目の前に置かれた二個のリンゴの一つを選んでください」と言われたあなたは、一個を手に取る。「なぜ、それを選んだのですか?」、「こっちのほうが、色がきれいだから」とあなたは答えます。実は、右手に近いほうを選んだだけだ、ということは実験を繰り返すことで分かっているのです(この実験例は一九九六年 ピーター・カルーサーズ『心の理論の理論(シミュレーションと自己知識)既出』)。それなのに、あなたは尤もらしい理由を言って、本当に自分がそう思っている、と思っている。錯覚によって自分が自分にだまされている。けれども、いったん、言葉でそれを自分の欲望だと言ってしまうと、もう、ぜひそうしたくなる。それが、あなたの欲望、意思というものなのです。
【より鮮明な実験例が、分離脳患者の認知実験で挙げられています。左右の大脳の連絡が切断された患者の左視野(右脳だけにつながる)に「歩け」と書いたカードを見せると、彼は歩いて部屋から出ましたが、そのとき「なぜ、歩き出したのですか?」と聞いたところ、「ああ、コーラを飲みたくなったから取りに出るところですよ」と答えた(一九九五年 マイケル・ガッザニガ『意識と左右脳』)。言語を発生する左の大脳は、身体運動の結果だけを見て他人の行動の要因を推測する場合と同じ方法で自分の行動の要因を推測した。この実験で重要な点は、この患者がまったく支障なく、また支障の自覚なく、社交や仕事などふつうの生活をしていることです。つまり、左右分断のない正常な脳を持つ私たちも同じように、こういうような自己の行動の結果だけから推測する自己の欲望の、解釈による自覚、という仕方を使って毎日を生きている、ということを、この実験は示唆しているわけです】
結局、動物の行動も人間の行動も、進化の結果できあがった神経回路ネットワークの複雑な物質的過程によって現れる現象です。将来いずれの時代にか、科学によってその全貌は詳細に、物質現象として解明されるでしょう。それはまだまだ先です。私たちは、DNAもたんぱく質も知らずに「カエルの子はカエルだよな。あっはっは」と言っていた江戸時代の人々と同じように、「人間は欲望で行動するのだよ。あははは」と、おおらかに言い合っているだけなのです。
(サブテーマ: 欲望はなぜあるのか end)
(次回からは、サブテーマ: 苦痛はなぜあるのか)
拝読ブログ:カエルの子はカエル!?