哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

お勧め理論

2011年03月09日 | xx4世界の構造と起源

Gustav_klimt_034 以上の拙稿の見解は、もちろんひとつの理論にすぎません。世界のチキン―エッグ問題、つまり世界が先か私が先かの問題、あるいは世界の構造と起源の問題に対応する理論は他にもいくつも考えられるでしょう。たとえば、すべては神様がなさっていることだから私たち人間は理解できるわけがないのであってそれでよいのだ、という理論もある。いずれ科学がすべてを解明するまで待つしかない、という理論もある。人生などすぐ終わってしまうのだから、めんどうなことは考えずに、元気いっぱい直感で動いているほうがうまくいくのだ、とか、いろいろな理論があります。

しかし私たち現代人の実際の人生に応用しようと思うと、どの理論も少しずつあやしいところがありそうです。どこかで破けてしまうような気がする。拙稿としては、あやしい理論ばかりの中では比較的シンプルなわりに破けにくそうな理論として、ここに述べたものをお勧めします。

(24 世界の構造と起源   end)

拝読ブログ:最先端オタクの感覚2~愚鈍な僕達よ、エヴァを超えてみたまえ

拝読ブログ:実を言うと、もう僕の人生、どうだっていいんだって思っているか、な?それでも、少し

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科学者を雇う能力

2011年03月08日 | xx4世界の構造と起源

社会がますます緊密化してくるため、現代人はますます人間関係に依存し、言語に依存し、社会的自我の防衛に忙しくなる。この面で(自他の目的や意図を見分けて人間関係を操作するために)目的論的感覚をますます磨く必要がある。一方、科学が発達し医学が発達し、現代人は自分の身体をはじめとする地球上の物質を冷静にコントロールする必要も高まってきます。この面では(科学医学技術を使いこなす)因果論的センスを磨きあげる必要がある。

しかし個人の能力にはすぐ限界があります。それで周りの人々と助け合う能力がますます必要になってきています。科学を勉強する暇がなくても、よい医者と友達になるとか、組織を作って科学者を雇うとか。つまり場面場面に合わせてじょうずにふるまっていく。目的論も分かる、因果論も分かる、という顔をすればよい。実際、かしこい人はそうしています。家の中でははフンドシひとつでいるほうが楽でよい。しかし外に出たら何食わぬ顔をしてネクタイを締めてきちんと装っていく。そういう生き方が現代人にはますます必要になっているのではないでしょうか?

拝読ブログ:はやぶさ から学ぶこと / 自然科学者であるということ / 「開くトビラ」

拝読ブログ:書籍情報]『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由 フェルミのパラドックス』スティーヴン・ウェッブ/松浦俊輔訳(青土社、2004年)

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私たちは自覚しない

2011年03月07日 | xx4世界の構造と起源

Gustav_klimt_033 人間関係にますます依存する現代人は、無意識のうちに目的論的認知機構を高度に発達させています。一方、現代人はまた深く科学に依存して生きています。

人と忙しく会話する場面では目的論的に身体は反応していくものの、それだけが現実とは思えない。自然を観察しまた自分自身の身体を観察すれば、因果論的な物質世界が結局は正しい現実としか思えないと感じる。そこで現代人は二重生活をすることになる。クリスマスに聖歌を歌って正月に初もうでとか、上着にネクタイを締めているが下着はフンドシとか、私たちはそのおかしさをあまり自覚しないが改めて考えてみるとおかしいですね。

拝読ブログ:ラ・パティスリー | 上田 早夕里

拝読ブログ:あたしだったらこうするけどな。

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世界の構造と実生活

2011年03月06日 | xx4世界の構造と起源

補足として、最後に、拙稿本章で述べたこのような(世界の構造と起源の)考察が実生活にどう応用できるのかを、ちょっと考えてみましょう。

まず世界の二面構造のうち、どちらが正しいのか? 目的論的な側面と因果論的な側面と両面があることは分かった。しかし実際私たちは毎日の場面場面でどちらかを選んでいるわけです。その場合、どちらが正しいと思えばよいのか? つまり、どちらを採用すればよいのか?

うまく栄養供給システムにつながることができるような現実を正しいと感じるように私たちの身体が作られているという拙稿の見解によれば、その人がその場面でおかれた環境によって正しい現実は違ってくるでしょう。太古の人類にとっては、目的論的な世界が明らかに正しかった。現代の私たちにとっては、残念ながらそう簡単にはいかないでしょう。

拝読ブログ:茂木健一郎 クオリア日記: 連続ツイート プラグマティズム

拝読ブログ:1025 | クルマで行きます

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世界の矛盾した二面性

2011年03月05日 | xx4世界の構造と起源

Gustav_klimt_031 人類のこの認知機構は、まず仲間の人間や動物の運動を予測し、目的と意図を持ってそれら意図主体が動いている、という目的論的な図式を作り出す。この図式により世界を描写し仲間と協力するために、[]というものがこの世界に存在するようになった([]の理論)。またこの図式を土台として言語が獲得された。

目的論のこのような発展に並行して、人類は狩猟採集・農業・工業の技術を高度に発展させる過程で、(目的論的な図式とは独立に)因果論による現実世界の描写(自然主義)を大いに使いこなして、自然の動きを正確に予測する方法を身に付けた。それが現代の科学的世界観に発展している。人類が共有する現実世界は、このように目的論的な側面と因果論的な側面との、互いに独立した(無関係な)二つの起源から発展した(互いに矛盾した)二面的な構造を持っている。

拝読ブログ:認識論から存在論へ

拝読ブログ:『プルースト・印象と隠喩』 保苅瑞穂

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