しかしながら、抽象概念を表す言語の基底になっているそれらの錯覚は、脳神経系における内部だけでの情報処理でしかありません。脳神経回路の内部の記憶、すなわち神経細胞連結部(シナプスという)の微視的な物質状態として存在するだけで、脳の外側の物質世界の中には具体的な対応物を見つけられるものではありません。それなのにこれらの抽象概念は、なぜ存在感が強いのか?
これら脳内だけで作られる錯覚の存在感が強いのは、それが脳の感情回路に結びつく仕組みになっているからでしょう。感情を揺すぶられると人間は(哺乳動物は)興奮し、ホルモン物質を分泌し、体中の筋肉を使って夢中で努力します。「自分の命がなくなる!」、あるいは「地獄に落ちる!」と思うと、その人は極限までがんばるでしょう。そして結果的に危ないところを生き残り、その後子を産んだりもできます。そういう人々の集団は生存率が高まり繁殖率が高まって、子孫が繁栄するでしょう。
それが錯覚であろうとも、「自分の命」あるいは「地獄」などという物質的な実体が脳神経回路の外には存在しないとしても、そういう類の錯覚を大脳皮質で作り出し、その神経活動を感情回路に導いて存在感と恐怖感、期待感を発生させ、仲間とその感情を共感することでそれを共有し、集団行動に結びつける脳の機能は、人間が生き残り子孫を残すためにとても役に立つのです。そのような機能を持つ脳神経回路を作り出すDNA配列(ゲノムという)が、あるいはそれに伴った文化とともにそれが、子孫に伝わり、その種族は増殖していくわけです。そうすることが人類の繁殖に有利だったから、と言えます。
逆にいえば、感情に直結して人間を自己保存と繁殖に有利な集団行動に駆り立てることができたから、物質に対応しない錯覚を作りだし共感する脳のDNA表現(遺伝子型、ゲノタイプ、英語発音はジェノタイプ)は増殖し、現生人類である私たちの身体に備わっているのです。
(サブテーマ「言葉は錯覚からできている」おわり ご愛読感謝)
(既出稿まとめ)
(次回からはサブテーマ「人間はなぜ哲学をするのか」 乞うご愛読)
拝読ブログ:論理哲学論考に行く前に