哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

心の生物学的な役割

2007年07月31日 | 8心はなぜあるのか

初めて会う他人に対すると、その人は目に見える顔やその身体そのものというよりも、実は、こちらからは目で見えないその脳の奥の、深い真っ暗なところに静かに座っていて、黙ってこちらをじっと見ているのかもしれない、という気がしませんか? 見ず知らずの他人というのは、そんな感じがして、顔はにこやかに笑っていたとしても、すぐには親しみが持てないものでしょう。会話を始めて、さらに冗談を言い合って、あはは、と笑いあうと、やっと心が通じるような気がする。だがそれも、笑い顔は、まだちょっと緊張しているように見える。向こうも、こちらが感じていると同じようにぎこちなさを感じているらしい、と想像できます。だから、にこやかに笑っているのも、演技ではないかと疑ってしまえば疑えないこともない。そういうことですから、人間どうしは、なかなか相互理解は難しい。親しい人と見ず知らずの人とは、きちんと区別してその心を感じるように、私たちの脳神経系はできているようです。そういう脳神経系の仕組みが、原始時代の人々の間では、生存繁殖の成功率をあげたのでしょう。

人間どうしが相互理解するには、言葉が不可欠と思われます。また逆に、相互理解がなければ、言葉は使えないでしょう。しかし、私たちが実際に使っている言語は、不完全な錯覚を組み合わせたあやしげな影のようなものです。その言語を使って行われる人間の会話は、すれ違う錯覚のずれをさらに新しい錯覚で補いながら進められている。人間には、直接他人の心は分からない。その分、自分の心も分かりません。それでも、なんとなくは分かるような気がする。しかしそれは錯覚です。そう錯覚する働きが人間の脳には備わっているのです。それで人間は互いに相互理解できると思い、結果的に仲良くなれるし、互いに仲良くならなくては生きていけない社会をつくりました。そういう人間たちが集まって集団として協力できるようになり、現在あるように上手に生きているわけです。それが、人類という動物が脳の新しい仕組みとして進化させた、心(という錯覚にもとづく理論)の、生物学的な役割だといえます。

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256人のキャラクター

2007年07月30日 | 8心はなぜあるのか

Godwardq このドラマ神経回路が、どれだけ大きなメモリ容量を利用できるとしても、私の狭い脳の中に、何百人もの心が全部入っているという考えはちょっと無理そうです。パターン認識工学の常識からすると、いくつかの特徴要素を組み合わせて数多いパターンを識別しているはずです。たとえば、顔の表情の特徴を四種類に分けて覚える。同じようにしゃべり方を四種類に分け、手の動かし方を四種類に分け、視線の動き方を四種類に分ける。これだけで二百五十六人のキャラクターが識別できます。

たぶん脳は何十種類かの感情回路が相手の見かけのある特徴に反応して、それぞれの信号を出すのでしょう。そうすれば脳内にひとつだけ人間のモデルを作っておいてそれを特徴にしたがって変形すれば、何百人ものキャラクターを識別できる。人間は、そのうちの一人のキャラクターを自分の性格だと思って特に注目しているのでしょう。しかしもともと、人間は誰もが誰でもあり得る。あらゆる役柄を創造し、それを見分ける能力を持ったドラマの作者でもあり、観客でもあるわけです。つまり人間は互いに、周囲に見かけるすべての人間を自分の中で作り出しているのです。

それでも他人の内面は本当のところ分からない。他人も、その内面の人格は、自分と同じように舞台からは見えない外側の暗い観客席に座っているのだろうと想像できます。観客どうしは同じドラマを見ているのかどうかも分らない。とても完全な相互理解はできない。私たちは目と耳で他人の言動や表情を見聞きして 漠然とその内面を想像できるだけです。もともと見聞きできるわずかの情報をヒントにして自分の脳内でイージーオーダーのように型を当てはめて作りだした人物イメージが、私たちがそれだと思っている他人の心です。それはその人の真実の姿なのか。そもそも人間の真実の姿などというものはあるのか? あやしい話です。

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ドラマ神経回路

2007年07月29日 | 8心はなぜあるのか

Godwardpriestess2_2 私たち人間の脳には生まれつき、ドラマを感じ取る神経機構が備わっているようです。これを、拙稿では仮に、ドラマ神経回路ということにしましょう。この回路は、自分の目の前で展開する人間ドラマを、観客のようになって見るという働きをします。自分は観客だから、ドラマの外の観客席にいてドラマの筋には関係していない。そこで次に、自分の人体というものをそのドラマの中においてみる。登場人物に扮するわけですね。それに適当な役柄を持たせて、ドラマに参加させる。しかし本当の自分は、ドラマの中の人物たちの誰にも知られずに、外側の暗い観客席に座って、静かにドラマを見ている。こういう形で、私たちは、いわば、人生の観客と俳優という一人二役をしている。ちょっと複雑ですね。しかし、私たちの頭の中は、こんな具合になっているのではないでしょうか? 世界をこういうふうにとらえるドラマ神経回路は、人間の誰にでも備わっているようです。

逆に言えば、私たちが楽しむ映画、演劇、マンガなどドラマの類は、人間のこのドラマ神経回路に強く働きかけるから、古代から現代まで何度も繰り返し発明され、人間社会の中で、これほど普及しているのでしょう。テレビ、映画、演劇、マンガ、小説、歌舞伎など、どれほどのドラマを人間は作り出し享受しているでしょうか? こういうものは、生活の役には立たない、と言ってしまえば、その通りです。しかし、これほど、人々に求められているものが、本当に役に立たないものなのでしょうか? 人間の脳にドラマ神経回路は間違いなくある。貴重な身体資源を裂いて役に立たない神経回路を作る遺伝子が現代人の身体の中に伝わってきているはずがありません。かつて、人類は、このドラマ神経回路を持ったために、おおいに生存繁殖がしやすくなったはずです。

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人間の原型模型

2007年07月28日 | 8心はなぜあるのか

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 初めて会った人でも、その人の顔を見たり、動作を見たり、しゃべり方を聞けば、どんな人かという印象が作れます。人はそれぞれ違うと思えるのです。その違いを個性というのか、人格というか、キャラクターというか。その人の内面がすぐ分かるような気がする。目と耳でその人の外見を見たり聞いたりしただけで、内面が分かるような気がする、心がどういうように動く人か分かると感じる。しかし、実際、脳の中身が見えるはずはありません。他人について分かる情報は外見だけです。それでも人間は他人を理解してしまうのです。コンピュータとカメラとマイクを搭載したロボットにこれをやらせようとしても、現在の工学技術ではとても無理です。

人間の脳には、もともといろいろな個性の人間の原型模型が入っているかのようです。漫画家がさまざまなキャラクターを描き分けるのを見ると、つくづく感心します。シェークスピアなどもすごい。老若男女、多種多様で微妙な人間の人格を描き分けていきます。こういう天才作家の脳には、何百という人格が詰まっているのでしょう。しかしもしかしたら、私たち凡人の脳もそうなっているのではないでしょうか? 私たち読者、観客は、ペンや筆で人物の描写はできませんが、マンガやドラマ、小説を見るとすぐ何人もの登場人物の性格や心の動きが一瞬で分かります。

拝読ブログ:上司にしたいマンガのキャラクターランキング。

拝読ブログ:「虚構」という言葉

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自分とは他人の心に映るもの

2007年07月27日 | 8心はなぜあるのか

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 A君の身体の内部にきちんと入っている、というようなA君の心は(拙稿の見解では)存在しません。A君の心は、A君を見ているB君の脳の運動形成回路の共鳴活動として存在する。同時にC君もA君を見ている場合、C君の脳の運動形成回路の共鳴活動としてもA君の心は存在する。誰に見られているかで、A君の心は違ってくるでしょう。大体似ているでしょうが、ちょっと違う。それはしかたのないことです。人間の心というものは、その人間を見ている他人が感じる錯覚の中にしか存在しないのですから。

 相手の人間の声の出し方、目の動き、表情、手つき、動作から私たちの目や耳に入る信号。それらが脳の中で記憶と混ぜ合わされ、変換されて、私たちの脳の中に相手の「心」が作られるのです。その過程で、自分の経験が自動的に重なる。だから、男は子宮の感覚を語る女の心は分からない。子供は親の心が分かりません。子を持って知る親の情けかな、となるわけです。

 (拙稿の見解によれば)他人の心は自分の心よりもさきに分かります。幼児が幼稚園児になるころ、他人の心のイメージを自分の脳の中に作って、それからその他人の心に映っている自分の心を作ることができたのです。それで自分は何をすれば良いか、自分が自分に何を期待しているのか、自分は何を考えているのか、分かってくる。だから、私たちは、人と交わって他人の心を感じなければ、自分の心というものもなくなってしまいます。

 

拝読ブログ:チョコって名前は結構多いよね

拝読ブログ:ぶきっちょさん

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