稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

尊大なるIOC、先ずは謝罪を

2019年10月26日 | 日々
 25日、IOCのジョン・コーツ調整委員長が
マラソン会場の札幌への変更について小池都知事と会談。

 会談後、コーツ氏は言ったそうだ。
「東京都が何を言おうが、決まったこと」と。

 なんという!!

 IOCと開催都市との関係はこんな上意下達の関係なのか?

 従来、五輪開催に名乗りを上げる都市の数は多く、
IOCにとってはいわば「買い手市場」。

 不明朗な現金授受のうわさが絶えないのもその表れだ。

 そんな状況がIOCの地位を際限なく押し上げ、
今日の状況があるのかもしれない。

 が、聞くところではこの状況にも陰りが見えるとか。

 五輪開催にはとにかく金がかかる。

 今後、立候補する都市はかなり限られてくる可能性が高いと。

 それを避けるため、IOC側も開催予算の縮小に気をつかっているらしい。

     
       ( コーツ調整委員長 )

 それはともかく、ぼくは届かぬ声ながら、やはり言いたい。

 IOC諸君、あんたらは尊大やで、
 それでは開催国、開催都市の支持は得られんで、と。 

 先ずは一方的な決定に謝罪を。

 ついでながら、札幌市長も「光栄です」などと
喜びを口にしている場合じゃないと思うが、どうだろう。
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なつかしい顔ぶれがそろい

2019年10月23日 | 日々
 現役時代、同僚たちと毎日顔を合わせていたのが退職とともに一変する。

 冠婚葬祭やその他の数少ない機会に顔を合わせるのがやっと。

 少数の親しい元同僚との付き合いをのぞけばお互い急速に疎遠になる。

 公式のOB会はある。

 けれどもそんなところでは、
元の幹部たちへのあいさつ回りなどで忙しく、ぼくは早々に退会してしまった。

 が、今日は25年ほど前、
共に山科の地に赴任した職場仲間の自主的な集まり。

 いい同僚たちに恵まれた忘れがたい職場だった。
 
 定刻前、会場に入ってくる人を見やっては「あれは・・・誰?・・・」。

 「アアッ、○○君!」という声。

 とにかく髪の毛が薄くなり、シワが増え、風貌が変わってしまっているのだ。

 さて、17人が集まったものの、現役の数は少なく、もう退職者の方が多い。

 当時の職場の長でいらした中西さん(仮名)もずいぶん歳をとられた。

 聞けば整形外科関係の障害で、長い距離を歩くのも苦しいとか。

 一方、まだ十代で、文字通りはじけるような若者だった川野君(仮名)
も数年先に退職を控える身だという。

 すでに物故された方も3名を数える。

 最高齢の折戸さん(仮名)の乾杯の音頭で宴会が始まった。

 お互いの近況やら昔話やらに花が咲き、予定の時間はアッと言う間。 

   
        ( 会場を出る )

 お開きとなり、会場を出るとき、お互いに手を握り合って別れを惜しんだ。

 この先、再びあいまみえることがあるだろうか・・・と思うと
「元気で!」と交わす言葉にもこれがおそらく最後との予感も。

 みんな、おおきに、いつまでも忘れない、元気で・・・。
 
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理解に苦しむバッハ会長たちのやり方

2019年10月18日 | 日々
 17日、IOCバッハ会長が、
マラソンと競歩を東京から札幌に変更するよう「決めた」と突然の発表。
 
 その背景には、高温多湿のドーハでのマラソンで
棄権者が続出したことがあるという。

 確かに酷暑の東京でのマラソンは健康に関わるどころか、命にかかわる。

 そのことは当初からわかっていたはず。

 が、今となってはやむをえまい。

   

 問題はこの唐突ぶり。

 売った切符、特殊舗装を施し始めた道路、ボランティア・・・
関係者の努力はいったいどうなるのか?

 小池都知事が「北方領土で・・・」と不快感を示したのは当然だ。

 コトは主役たちの頭越しに進んでいるのだから。

 ここは都民の先頭に立って怒るべき。
「おんどれはナメとんのか!」と。

 バッハ会長、そんな事情は無視というなら、
あまりに乱暴で稚拙というほかない。

 日本には「根回し」という文化がある。

 ただ、いろいろ違いはあっても、
根本的には洋の東西を問わずそれは共通するはず。

 無用の混乱や対立を避けるための知恵なのだから。

 一方、こんなときこそ、大会組織委員会の森喜朗会長が
「待った!」と調整に奔走すべきところだ。

     

 それが早々と容認!!。

 何のための組織委員会の会長なのか?と無能ぶり(失礼)にため息。
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若狭 イカ釣り師がいっぱい

2019年10月17日 | 
 半年ぶりに若狭の様子見。

 冬、メバルを釣りにきたときはまばらだった駐車場。

 今日は車でいっぱい。
 それがひっきりなしに出入りするので忙しい。

 防波堤に目をやると釣り人がいっぱい。

 港内の桟橋の付け根では、家族連れが何かを釣っている。

   

「何を釣っているんですか?」と尋ねると
「アジです、サビキでいっぱい釣れます」。

 バケツの中を見せてもらうと豆アジが入っている。

   

「前にきたときは220匹釣れました。
 頭を落として南蛮漬けにして食べます」と言う。

「小さいのがいいんですよ、大きいのは骨が残りますから・・・」とも。
 
 大きすぎるというアジを測らせてもらうと、ちょうど10cm。

 これより小さいのがいいらしい。

 防波堤を歩いてみたが、イカスミの痕がいっぱい。
  
 陽が暮れてぼくもアジングを始めたが、これがなかなか。

 豆アジのライズは活発だが、ワームには・・・。

   
 
 かろうじて10匹ほどの豆アジを釣ったものの、ここで納竿。

 しばらくきびしそう。
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ヘリからの落下事故 いつもとは違う状況のむずかしさ

2019年10月14日 | 日々

 13日、福島県いわき市で救助に向かった東京消防庁のヘリから
77歳の女性が落下して亡くなるという事故が起こった。

 亡くなられた女性、そして遺族たちの無念さはいかばかりか。

 けれども、いったいなぜ落下?という疑問。

 報道では、ハーネス(安全ベルト)のフックが
ヘリのワイヤーにかかっていなかったらしい。

 だとすれば基本的なミスということになる。

     
      (東京消防庁の謝罪会見)

 通常はこのハーネス、救助の対象者を座らせて装着するらしい。

 ところが、現場は浸水状態で、
隊員が対象の女性を抱きかかえて装着せざるをえなかったそうだ(Abema TIMES)。

 救助隊員たち、限りない数の訓練をこなし、また実践経験を積んできたはず。

 いつもとは違う状況、それが手順を間違えさせたのかもしれない。

 文字通り、取り返しのつかない事故だ。

 が、使命感にあふれると聞く救助隊員たち。

 いま自責の念にさいなまれているだろうけど、
いつかまた復活してほしいとぼくは願う。

 それしか償いの道はないのだから。

 亡くなられた方の御冥福をお祈りいたします。
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釣りバカたち それぞれの終幕 上田さんと竹本さんのこと

2019年10月13日 | トラウト
 一口に釣りが趣味といえど、そこは人さまざま。

 年に数回行くという人から、ヒマがあれば通い詰めるという人まで。

 後者を「釣りバカ」というなら間違いなくぼくもその一人だ。

 最近、アユ釣り大好きの元同僚と居酒屋で会った。

 驚いたのは同じ職場の先輩だった上田さん(仮名)
が亡くなったと教えられたことだ。

 上田さんといえば、ぼくのかつての職場で有名なアユ釣り師。

 ぼくはアユ釣りをしないので、親しい間柄ではなかった。

 が、それでも上田さん、シーズンともなれば、アユ釣りに通い詰め、
その腕前もすごく、「師匠」と仰がれていたのは知っていた。

 氏のブログ「黄門の釣りバカ・旅バカ」を開いてみた。

 氏は2017年1月に入院、早くも翌月には亡くなられている。

 膵臓がんだったそうだ。

 その前年は11月までアユ釣りを楽しんでおられたというから急な話だ。

 それでも亡くなる前まで釣り・・・というのはうらやましい。

    
      (上田さんのブログから)

 上田さんとは別に、思い出すのは竹本さん(仮名)のこと。

 もうずいぶん以前のことながら、
ぼくは地域の自治会活動で竹本さんの奥さんと知り合った。

 奥さんの話では、そのご主人が大のアユ釣りバカ。

 けれどもその後、高齢と病でアユ釣りもままならず、
さりとてアユ釣りへの夢は捨てきれない・・・。

 そこで「これが最後」と家族の運転と見守り付きで、
通い慣れた四国の川へおもむき、最後のアユ釣りを楽しまれたという。

 竹本さん、これでもって「ふんぎり」がついたのか、
それとも未練が残ったのか?

 それは定かでない。

    
     ( 同 上 )

 でも二人とも、その形は違っていても幸せそう。

 さて、歳のせいか、ぼくにとっても決して遠くない釣りの終幕、
それはどんな風になるのだろう?などと思ってしまう。

 許されるならぼくも釣り人生の幸せな終幕を迎えたいものだ。

 上田さん、竹本さん、安らかに。

 
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いじめ暴走の構図考

2019年10月09日 | 日々
 神戸市の激辛カレーに象徴されるいじめ。

 ぼくには『いったいなんで???』と驚きだった。

   

 報道(読売)では、
激辛カレーを食べさせた教師は学校ではリーダー的存在だったそうな。

 同僚教員たちも気づいてはいたらしいが、
その「存在」ゆえにいさめることはしにくかったようだ。

 一方、いじめられた教師は前校長にも相談してはいたらしい。

 が、校長は積極的な行動に出ることはなかったようだ。

 校内のそんな教職員間の力関係のなか、
いじめは歯止めなく拡大、暴走してしまったのかもしれない。

   

 話は変わって大戦中のこと。

 日本軍隊の中では、古兵による初年兵いじめがひどかったことは有名な話。

 それでも上官たちは見て見ぬふりだったそうだ。

 それはいざ戦闘となれば部隊の中核をなす古兵たち、
彼らを離反させるわけにはいかなかったからだと聞く。

 そう考えれば、神戸のいじめ事件、その構図はこれにそっくりではないか。

 その意味で、これは古くて新しい問題といえそうだ。
 
 
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関電 気が付けば後戻りできないところに

2019年10月03日 | 日々
 3億円余りの金品!!!
 
 当初は「回り回って我々の支払っている電気代やないか!」
 と思ったが、それはそれとして、ことは簡単ではなさそう。

 この事件、広い意味では贈収賄になるのだろうが、色合いは少し違う。

 関電側が説明するように、
返そうにもすごまれるなどしたというのも嘘ではないようだ。

 関電としては、とにかく高浜で無事に原発を稼働できるのが第一。

 そう考えれば、ここは黙って・・・となったのかもしれない。

   

 が、気が付けば建設会社の顧問におさまった元助役が建設会社の関係者を
連れて関電の事業計画を聞くという、いわば後戻りできない間柄に。

 関電側の最初の小さな譲歩、その突破口からジワジワ地歩を広げた
元助役のしたたかな攻勢の結果だったのかもしれない。

 こんなことが闇で跋扈していたとは・・・。

 それにしても、こんなおじさんが関電に対して「人権教育」をしていた??

 いったいこれはどういうことなのか!

 理解しがたい。

 今後、さらに新たな展開があるかも知れないが、
これは大なたをふるうべき一件だ。
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