稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

八瀬の紅葉

2019年11月25日 | 日々
 昼過ぎ、左京区八瀬の紅葉見物に。

 平日なのに、国道は渋滞し、八瀬比叡山口駅前もたくさんの観光客。

 さて、モミジの名所に着いたが、あいにく陽は雲間。

   

 モミジは紅く染まっているが、暗いのだ。

 あちこち見物しながら雲の晴れるのをジッと待った。

 行き交う人の話し声はほとんどが中国語だ。

 やっと陽がさしてきた。

   

 短い晴れ間、急いでシャッター。

   

 昨年の台風で枝の折れたモミジも目立つが、やはり見事だ。

 それでも、この見事さはやっぱり人工的なものなのかもしれない。

 遠い将来を見越して根気強く植えた人々の気持ちがしのばれる。

   

 ただ、近年これだけ人出が多くなると、落ち葉は踏みつぶされ、
12月初めの紅いじゅうたんが見られなくなるのは残念。
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追い詰められる香港の抵抗運動

2019年11月20日 | 日々
 長く続いてきた香港の抗議活動。

 100万人とも言われた大規模デモでその頂点を示したものの、
今や警察が大学構内に入るに至り、その終盤を迎えつつあるかにみえる。

     
       ( 強硬派 鄧氏の警務処長への昇格 ) 

 半世紀前の東大安田講堂の「落城」が頭をよぎる。

 もっとも、香港の抗議活動はたくさんの市民の共感に支えられている点で、
その広さも深さもちがっている。

 ここまで運動を続けてきた香港の市民や学生に心から敬意を表したい。

 その要求項目の中心にあるものは
普通選挙というごく当たり前の権利にかかわるものだ。

 中国政府は民主主義のそんな初歩すら認めないのか!

 と思ったが、この国はそれを認めれば
たちまち自壊を始めてしまう宿命にあることを思えばやむをえない。

 とはいえ、この何もかも力ずくで押さえ込む頑迷な政府、
いつまでも続くことはあるまい。

 同じように頑迷だったあのソ連でさえ崩壊したのだから。

     

 2014年に起こった雨傘運動、
その流れを汲むこの運動はいつかまたよみがえるに違いない。

 鍵は中国本土各地での連帯であるかもしれない。

 広大な国土で分散的に起こっている抵抗がいつかひとつになればと願いたい。

 その昔、中国で語られた言葉
 「小さな火花も広野を焼き尽くす」をぼくは信じる。 
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イチョウの輝き 敦賀 奥麻生にて

2019年11月15日 | 日々
 京都市内、そろそろ紅葉の始まりで騒がしくなってきた。

 今日は笙の川水系の紅葉を期待して現地へ。

 ところが、天気予報は晴れだったのに、現地は暗い曇り。

 久しぶりに笙の川をみるとかなりの減水。

     

 川底も黒っぽい。

 深みに近付くと、ヤマメか?
 20cmくらいのがサッと隠れた。

 で、紅葉は?
 というと、確かに色づいてはいるものの、とにかく暗い。

 最後に奥麻生に向かった。

 ここは土地の人がイチョウをあちこちに植えている集落。

 昨年はじめてこの季節に訪れたが、イチョウはすでに丸はだかだった。

 そういうわけで今年は少し早めに。

 ここに着くと、幸運にも雲が切れて明るい陽射し。

 そうしてイチョウは輝いているではないか!

     

 イチョウ林の中に足を踏み入れると、まばゆいような明るさ。

    

 ちょうどいいときに来てよかった!

 それにしてもあのヤマメ、やっぱり解禁が待ち遠しい。

 まだ11月、このさき長いよ。
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イワナをめぐる壮大なドラマ 「イワナの謎を追う」から

2019年11月13日 | トラウト
 ずいぶん以前に一読した「イワナの謎を追う」。
(石城謙吉著 岩波新書 1984年刊)

 人に貸したまま行方不明になっていたが、
このほど古本屋で見つけて再読した。

 北海道に分布する二種のイワナ、オショロコマとアメマス。

 川によって両者が遍在することに気付いた著者が
その謎解きに挑んだのが本書だ。

 素人のぼくが下手に要約すると間違っては大変なのでそれはやめる。

 ただ、著者が到達したひとつの考察。
「(北海道では)・・・古きオショロコマは新しきアメマスに、いま、
その席をゆずって姿を消しはじめているかにみえる・・・」(P211)。

 より寒冷地を好むオショロコマの後退。

 著者は背景に温暖化があることを認めているが、
それは昨今の議論にある温暖化ではない。

 もっと長い地球史的な流れのなかでのそれだ。

 そう考えれば著者の言う「壮大なドラマ」なる解釈もうなずける。

 ただ、近年の温暖化は自然史的にはありえないような速度だ。

        

 かつてぼくはこのブログで南紀 古座川のイワナ探しのことを書いた。

 明治生まれの土地の古老 須川さんは当時高校生だったぼくに
「古座川にもイワナはおる」と教えてくれた。

 数年前、ぼくは古座川のイワナを求め、奥地のあちこちに足を運んだ。

 残念ながらイワナには出会えなかった。

 いや、ひょっとするとどこかでひっそり・・・
もしもいたらキリクチに違いない・・・などそんな淡い期待は今もある。

 ただ、生命をつないでいたとしても絶滅に近いことは間違いなかろう。

 そう考えれば、古座川イワナの後退は
オショロコマのそれと同じ背景をもつとも言えそうだ。

 とまれ、イワナ好きの方々、読んでおられなければぜひ本書をおすすめしたい。
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王者 井上尚弥がはらった敬意

2019年11月08日 | 日々
 7日、「ワールド・ボクシング・・・バンタム級なんとか」。

 どちらが勝ってもおかしくない決勝戦。

 ぼくも久々に手に汗したが、激戦だった。

 最終ラウンド終了のゴングとともに、二人が健闘をたたえ合った。

 驚いたのは判定発表の前に井上が改めて
コーナーに座り込む対戦者ドネアをひざまずくようにして讃えたこと。

   

 聞くところでは、ドネアは井上にとって
高校時代からのあこがれのボクサーだったそうだ。

 ドネアも笑顔で井上の体をたたいていた。

 結果は3-0で、井上の判定勝ち。

 けれども、この井上がドネアにはらった敬意、
ぼくにはこの上なく清々しいものに映った。

 形はともかく、勝者の精神あるいは態度はこうであってほしいものだ。
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東京都の選択 「合意なき決定」

2019年11月02日 | 日々
 1日、四者協議の場で、マラソン等の札幌開催が確定した。

 「東京都側の理解が得られなければ帰れない」
と言っていたコーツ調整委員長。

 都側はIOCの決定を「妨げない」と言ったものの、快諾にはあらず。

 コーツ委員長、一太刀浴びせられての離日となった感は否めない。

 これで今後IOCも東京都の頭越しに物事を運ぶことはすまい。

    

 一方、東京都にとっても喜ばしいこととぼくは考える。

 マラソン等を東京で強行すれば、
競技者、観客ともにたくさんの熱中症患者が出ることは必至。

 その場合、批判の矛先が都側に向くのは避けられない。

 そう考えればこの「落とし方」、実に絶妙あるいはしたたかだ。

 ただ、負担者が決まらぬまま、新たに膨らむ出費。

 IOC側が何も手当てせずに去った今、
結局血税からか?と思うとやれやれ。

 当初からわかりきっていた東京の酷暑。

 土壇場でひっくり返し、混乱をもたらし、謝罪もなし。

 このIOCの身勝手さに五臓六腑沸騰の想い。
 
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自動火災報知設備 作動はしたものの 首里城火災から

2019年11月01日 | 日々
 31日、首里城焼失のニュース映像は衝撃だった。

 ぼくもあの城を訪れたことがあったが、とても残念だ。

 高台にあるこの首里城。
 消火活動もたいそうやりにくかったそうだ。

    

 一方、その発端はどうだったかも気になるところ。

 報道によれば、
 自動火災報知設備が作動→
 首里城公園内にある防災センターから警備員が正殿に駆けつけ→
 シャッターの鍵を開けると煙が充満・・・というものだ。

 張り巡らされた感知器が早期に火災を知らせながら、
火を押さえ込むことができなかったことはまことに残念だ。

 なぜそうなったんだろう?とあれこれ想像する。

 公園内の防災センターから正殿まではかなりの距離や高低差で、
到着に時間がかかってしまったのだろうか?

 それとも煙が充満していて、
警備員が火元を見つけることができなかったからか?

 あるいは燃えている場所が天井など高い所で消す手段がなかったか?

 建物内に消火栓はなかったのか、あっても使えなかったのか?・・・

 実際の経過を知りたいところだが、報道はされるまい。

 いずれにしても大火となって焼け落ちてしまった。

    

 こう考えると、これでは自動火災報知設備も限界なのか?
という気持ちさえ出てきてしまう。

 高額なスプリンクラーを広く一律に義務付ける必要はないものの、
実態からみて必要と判断されるものは個別に設置するしかないのでは?

 そんな気がするのだが。
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