稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

閑散となった木屋町三条にて

2020年02月27日 | 日々
 半年ぶりくらいになろうか、渓流釣り仲間と飲み会。

 三条大橋を渡って木屋町通りの居酒屋に向かう。

 ところがどうだろう、予想はしていたものの、通りは閑散。

 こんな歩きやすい三条大橋の歩道はめったにない。
     
     

 木屋町通りも同じくだ。

 さて、春の渓流の季節をひかえ、果てしない釣り談義。

 それにしてもここの居酒屋の静けさはどうだ。

 釣友 太郎さんに予約をお願いしていたが、
これならどこの店であれ、何人であれ予約の必要はなさそうだ。

     

 おそらくどこの飲食店でも似たような状態なのだろう。

 このコロナ・ウィルス禍、長引くと大変なことになりそうだ。 

 ここ1~2週間がヤマ場という政府の対策が効を奏すればいいのだが。
 
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友と再会して思い出した「変身」(カフカ)

2020年02月26日 | 日々
 先日、居酒屋で十数年ぶりに昔の友と再会。

 先ずは友の父君が亡くなられたことにおくやみを申し上げた。

 そのやりとりの最後に友はポツリとつぶやくように言った。
「でも、家族はどこかみんなホッとしたんですよ」と。

 かねてより故人が心を病んでおられたことを聞いていたぼくには、
友の控えめな言い方も併せ、よくわかるような気がした。

 思い出したのはかつて読んだカフカの「変身」のこと。

     

 「変身」は外交販売員 グレゴールがある朝起きると、
多足の虫に変身していたというところから始まる奇怪な物語。

 その日から両親、妹たち家族3人の長い苦しみが続いた末、
グレゴールはついに息絶える。

 けれども家族たちはその日、
解き放たれたように休息と散策のため電車で郊外に出かけるというもの。

 初めてこの作品を読んだとき、
ぼくはこの意外な展開と結末には少々とまどってしまった。

 が、グレゴールがいては家族はもたないということもよくわかる。

 この作品はグレゴールがいなくなることを家族が念じてはならぬ、
しかし念じざるをえない、そんな禁忌にあえて踏み込んだのではないか、
という気がするのだ。
 
 カフカの作品はいくつか読みはしたがむずかしい。

 ぼくの受け止めが的を射ているのかどうか自信はないが、
人の心の奥深いところを鋭く切り裂いているような気がしてならない。

 久しぶりに会った友の控えめな言い方に改めてぼくはうなずく。
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感染予防 いまむかし

2020年02月23日 | 日々
 昨日久しぶりに電車に乗って驚いた。

 ぼくのようにマスクをつけていない乗客はわずかなのだ。

 当初は経路をたどれた感染も、ここにきていわゆる「市中感染」が増加するに至り、
市民の自衛態勢がますます強まった感。

 それにしても諸々のイベント中止など、世の中の空気は沈滞気味。
 早く元に戻ってほしいものだ。
     
     

 ところで、感染防止策として興味深いのは、最近はうがいの励行を聞かなくなったことだ。

 ぼくはずいぶん以前に感染症対策専門の医師から聞いたことがある。
「うがいはそのときには効果があります。けれども呼吸を続けているわけですから、
その効果を持続させようとすれば一日中していなければ・・・。」

 なるほどと納得したぼくはその後うがいをやめてしまった。

 マスクについてもそうだ。

 これも保菌者が他人に感染させないことが目的で、
マスクでもって自らの感染を予防する効果は低いとのこと。

 この点では今のマスク不足は異常といえそうだ。

 最も必要とされる医療関係者たちにさえ品薄といわれるのだから。

 それに代わって最近は手洗いの励行が叫ばれるようになった。

 これはぼくらの子どものころには聞かなかった予防策だ。

 不用意に手指を目、鼻などに触れさせないというもので、
背景にはウィルスの感染経路についての解明があるのだろう。

 武漢では新型肺炎が広がり始めたころ、
爆竹を鳴らせばそれが収まるという巷の話があったそうだ。

 おそろしい誤解ながら、感染予防の知識というもの、
ぼくらにしても五十歩百歩というところなのかもしれない。

 専門家たちによる啓蒙を続けてほしいところだ。

    

 さて、クルーズ船から降りた人のなかで陽性の人が見つかったという。

 下船という政府・厚労省の決断が今後どんなふうになっていくかはわからない。

 各種批判もあるようだが、みんな手探りだ。

 いたずらに声を荒げず、また一喜一憂せず、今後の動向を注視したい。
 
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傷癒えて若狭へ

2020年02月15日 | 
 先日の転倒による負傷。

 傷も癒えたので改めて若狭へ。

 例年この時季、メバルもだんだん遠のくような気がする。

 突堤先端から深みをねらい、繰り返しワームを動かす。

 17:50、やっと待望のあたり。

 20cmクラスを期待していたがかなり小さい。

 

 このあとは続かず、これっきりで日はとっぷり暮れた。

 メバルの時合いはホントに短い。

 近くで釣っていた若い人と話す。

「アジはだめでしょうかねえ?」と尋ねてくる。
「いやあ、もうこの時季はとても・・・」

 内心、まだアジねらい?と意外。

 さて、常夜灯に向かって歩いていくとその下でおじさん。

 

「どうですか?」と尋ねると
「アジをねらっているんですけど全然です」という。

「メバルはどうですか?」
「メバルもさっぱりです。何もおらんような雰囲気ですわ」

 がっかり。

 けっこうみんなアジにしがみついているかの感。

 さて、そこから場所を変えたものの、メバルは下降気味。

 釣り人が少ないのも苦しい時季に入ったことのあらわれか?

 

 釣果 メバル 3匹(小~14cm)
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野村元監督逝く

2020年02月13日 | 日々
 子どもの頃、野球中継といえばほとんどが巨人がらみ。

 いきおいぼくらの間では巨人ファンが多かったのも自然なこと。

 その他のチームは影が薄く、パ・リーグともなればまったくよその世界だった。

 それでも、日本シリーズでようやく南海ホークス、鶴岡監督、杉浦投手、
そしてキャッチャー野村をみたように記憶する。
 
 その野村元監督が84歳で逝った。

 名のある野球選手は多いが、
野村元監督ほど「考える野球」で功績を残した人はまずいなかったのでは・・・。

     

 最近、テレビで彼に関する逸話を聞いた。

 彼が現役時代でまだ若かったころ、大リーグから日本にやってきた
なんとかという米国人選手がおり、野村は大リーグの話をいろいろ聞きだしたそうだ。

 その米国選手は日本の野球を評して「日本の野球は頭を使わない」と言ったそうだ。

 野村の「考える野球」はここから始まったとも言われるらしい。

 ということは、当時の日本野球は伝統的な「根性」「努力」「がまん」
等々の精神的なものが多かったのかもしれない。

 そうだとすれば、彼の学習、応用能力には感服する。

 もっとも蛇足ながら、これを聞いたあとふと思ったのは
先の大戦で両国が臨んだその姿勢の違いだ。

 これはやっぱり文化の違いなのか・・・と。

 それにしても、先日逝ったカネヤンといい、
ぼくらの子どもの頃のスターたちが次々世を去るのはさびしいかぎり。

 野村さん、カネヤンたち、安らかに。
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アカデミー賞授賞式にみるアメリカ

2020年02月11日 | 日々
 9日、アカデミー賞授賞式の会場が沸いた。

 韓国映画「パラサイト」が作品賞に選ばれたからだ。

 外国語映画の受賞は初めてだという。

     

 とかく「アメリカ・ファースト」の声が鳴り響く今のアメリカ。

 が、アメリカの声はそればかりではない、という懐の広さを示すできごとだ。

 文字通り「合衆国」の豊かさを見せつけられたような気がする。

 もっとも過去を見れば偏狭さもまた垣間見せてきたこの国。

 この国はこの先、どう進んでいくのだろう。
 
 期待と不安が入り混じる。
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「舞踏会の手帖」によせて

2020年02月05日 | 日々
 NHKのBSで映画「舞踏会の手帖」(1937 仏)。 

     
        (  主人公クリスティーヌ )

 あらすじ
 未亡人となった富豪の妻クリスティーヌが自身の舞踏会の手帖を発見。
 若き日に彼女に言い寄った男たち8人の名前を記したものだ。
 彼女はその男たちを訪ねる旅に出かけ、彼らのその後の生あるいは死を知るというオムニバス風作品。

 8人の男に関する物語は「つくりモノ」くささはまぬがれないが、
その多くは悲劇的あるいは波乱に満ちたもので興味深い。

 やや古臭い筋立てながら、おもしろいのはこの着想だ。

     
        ( クリスティーヌが回想する舞踏会風景 )

 それはそうと、ぼくもいい歳になったが、退職を機に古い友をずいぶん訪ねてみた。

 何十年ぶりの再会もあった。

 学校卒業以来の意外な苦労話など、驚くことも。

 ただ、残念なのは再会したいものの、住所はもちろん、知る人さえつかめない者、
自死を含め他界してしまった者も少なくなかったことだ。

 なかなかこの映画のようにはいかないのが実際だ。

 それでも再会の夢はまだ捨てないつもりでいる。
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