稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

下北から竜飛岬へ ここで聴いた「津軽海峡 冬景色」

2014年01月31日 | 
 朝、下北半島の北東にある尻屋崎へ。

 ここには粗食と寒さに耐えるという寒立馬(かんだちめ)がいる。

 黙々と草を食んでいる。



 県指定の天然記念物だとか。
 元は農耕用だったが、今はもっぱら観光用らしい。
 がっかり。 

 次いでJR大湊線下北駅。



 ここから野辺地駅まで列車。

 再びバスに乗り換え、青森市内へ。



 街は雪が多い。
 市内を歩く人の足はほとんど長靴。
 当地では、冬はこれが一番無難なのだろう。

 津軽半島を北上して竜飛岬をめざす。
 車窓から見る津軽平野は白一色の雪原。



 竜飛岬

 ここには「風の岬」という看板。



 大間崎に劣らず風が強い。

 灯台に至る。



 雪は降り続くが、強い風に吹き飛ばされ、ほとんど積もっていない。

 一帯は主として草原。
 強風で樹木も育ちにくいようだ。



 みんなが「津軽海峡 冬景色」の歌碑前に集まっている。



 スピーカーから石川さゆりの歌が流れる。
 それに合わせておばちゃんたちが大合唱。
 ポーズをとりながら歌う姿、その陽気さに思わず笑ってしまう。

 が、改めて思う。 
 この歌、三連符が長く続く、実に個性的な歌だと。

 三連符に合わせて「ごらん」「あれが」「たっぴ」「みさき」・・・
 と三文字の言葉が並ぶ。

 今は亡き阿久悠の作詞らしい。

 おそらく三連符にかなう言葉をあれやこれやと悩みながら綴り合わせたのだろう。
 よく練られた歌詞だと感心する。

 大ヒットのない今の歌謡界だが、この分野では名曲に数えられよう。

 顔が痛くなるような冷たい風。
 一同肩をすくめながらホテル竜飛崎に入る。

 明日は男鹿半島。
  
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厳寒の東北

2014年01月30日 | 
 東北の岬を回るツアーに参加。

 今回は応募者が少なく、13名。
 バスもガラガラ。

 青森 三沢空港から下北半島北端 大間崎へ向かう。

 地吹雪よけ

 北上する道の左(西)側には金属板の壁。
 東北ではよく見る。



 ぼくはてっきり道路に雪が積もるのを防ぐためだと思っていた。
 が、聞いてみると違っていた。

 地吹雪で雪が舞い上がり、運転者の視界がゼロとなる。
 そこで交通事故が起きるのを防ぐためだという。

 なるほど。

 大間崎

 本州最北端、大間崎に到着。
 バスを降りると吹き飛ばされそうな風。

 岬の先端まで向かうが、前掲姿勢でないと歩けない。
 が、参加者一同、初めて体験するような強風に歓声。

 沖合600メートルの弁天島に立つ大間崎灯台。



 この写真一枚をとるにもよろめくほど。

 雲の間にときおり北海道が見える。
 距離にして約18キロとか。

 せっかくここまで来たのだからマグロで有名な大間漁港を見たい。

 風に背を押されて漁港へ。

 人は誰もいない。
 ゴーゴーと言う風のうなりだけ。
 しかし、途中でときどき見かけた小さな漁港とは違う。



 小型、中型の漁船がびっしり。
 そこに活気を感じてしまうのはぼくの思い込みか?

 斗南ケ丘

 むつグランドホテルに到着。

 ホテルは小高い丘の上に立つ。

 ガイドの話では、「斗南ヶ丘」と言われ、
 戊辰戦争に敗れた会津藩士たちが入植、開墾を始めた、その中心地だったところだとか。


 (ホテルからむつ市内と釜臥山を望む)

 火山灰でやせた土地、冬の雪と風、初夏のやませ・・・
 藩士たちはここで慣れぬ農業に取り組んだが、成果は上がらなかったそうだ。
 間もなく廃藩置県により維新政府からの補助金も打ち切られ、1万8000人の藩士はほとんどが離散。

 入植事業は挫折に至ったという。

 病死者、餓死者も多かったそうだ。
 近くにはその墓も残っているらしい。

 凍りつくような冬の下北にて、藩士たちの絶望を想う。
 
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「ミッチ・ミラーからの贈り物」

2014年01月25日 | 日々
 通販に出ていた5枚組CDアルバム「ミッチ・ミラーからの贈り物」。

 前からほしいと思っていたのだが、結構な値段。
 迷っていたが、買ってしまった。



 ロバート・ショウやロジェー・ワーグナー合唱団もいい。
 が、ミッチ・ミラー合唱団の個性はひと味違う。

 男性のみの力強い響き。
 雰囲気はとても明るい。

 残響豊かな音は意図された録音技術なのか。

 『ジョニーが凱旋するとき』『クワイ河マーチ』・・・
 昔々に穴のあくほど聴いたLPの記憶がよみがえる。

     

 先日訃報に接した津久井さん(仮名)。
 最後は入院生活だったと聞く。(1月17日付記事)

 
 これを持ち込んで聴かせたら喜んだろう。
 尽きないミッチ・ミラー談義が続いたはず。

 津久井さんの霊にも供えたい。
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わたらせ温泉でノボリの話を聞く

2014年01月23日 | 
 串本から京都へ。

 途中、本宮のわたらせ温泉に立ち寄り。

 新宮から北上する国道168号線。
 先の台風の痕跡が熊野川のここかしこに残る。

 対岸をながめて『あんなところまで水位が上がったのか』と驚く。

 わたらせ温泉。
 客室は広く、とても快適。

 


 露天風呂。
 「西日本最大」とか。
 浴槽が五つもある。



 地元出身のホテルマンのひとりにアマゴの話を聞いた。

「私らは中学時代、アマゴというより、このあたりで呼ぶノボリをねらいました。
 釣りではなく、突きですね。
 いまどき、そんなことをしたら怒られますけど。

 懐中電灯をもって潜るんですよ。
 すると、岩の奥の陰にいるんですよ。
 それを突くんです。」

「懐中電灯ということは、夜ですか?」
「いいえ、昼間です。
 昼間でも暗い岩陰にいるので、懐中電灯なしでは見えんのですよ。」

「潜るというと、やはり夏ですか?」
「いえ、夏の前でしたか、昔のことではっきり覚えてないんですが。
 とにかく体が冷えるので、たき火をしながらでしたね。」

 突きとはおだやかではないが、そんな話を聞くと、あこがれは尽きず。

 
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串本港 強風余話

2014年01月22日 | 
 串本港の突堤、足場が高い。



 今夜は超強風。
 投げたあとは座らなければ吹き飛ばされそう。

 またしても釣れない。

 が、20メートルほど左にアジサビキの爺さん。
 しょっちゅう竿を曲げている。

 突然、この爺さん「アヤッ!」と声をあげた。

 どうも風に何かを吹き飛ばされ、海に落としたらしい。
 何やら引き上げようとしている。
 なかなかむずかしそう。

 困ったときは人助け、と近づく。

 尋ねると
「いろいろ道具を入れた箱を落してしもて・・・」
 見ると暗い海面にプカプカ。

「手カギはないんですか?」
 と聞くと
「それがあの箱の中やあ」とのこと。

「なら、そのあたりで何か道具を探してみますよ」
「すまんのう。頼みます」

 こうしてぼくはそのあたりを探し始めたが、落ちているのはロープばかり。
 針金類が見当たらない。
 
 あきらめて元のところへ。

 爺さん
「こうなったらイチかバチかや」
 と釣竿のサビキ針で釣り上げにかかった。

 『それでは切れるやろ』
 と思ったが、なんと上がってきた。

「やれやれ、よかった。おおきに、すまなんだのう」
「いえいえ、お役に立たんで・・・それより突堤の上にモノは置かん方がエエのでは」
「いや、わかったあったんやけど、つい・・・」
 と爺さんが言いかけたとき、またも突風。
 爺さん、再び「アヤッ!」

 今度は爺さんの布バケツが突堤の先端から海面へ。

 「・・・」

 人助けもここまでかな、とぼくは失礼させてもらった。

 本日 アジ なし
     エソ 1匹
 
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紀州 稲村亭の取材

2014年01月20日 | 日々
 かねてからの約束。
 今日は朝日新聞津総局記者が我が稲村亭の取材に。

 串本の我が家、奥二間はその昔、紀州稲村崎に漂着した流木で建てられたもの。



 取材はよくあるが、大変なのはそうじ。

 ほこりをかぶった畳や廊下。
 風雨のたびに汚れる窓ガラス。

 この二日間は大変だった。

 今日は記者とともに、郷土史研究家の鈴木さんも来訪。

 話題のひとつは、流木は何なのか?ということ。
 昔から杉?レッドウッド?
 と、いろいろ言われてきた。

 が、3年前、奈良の研究所でサンプル調査の結果、日本産の杉であることが判明。

 築約140年にしてやっとわかった次第。

 あわただしい三日間だった。

 
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串本港にて

2014年01月19日 | 
 所用で郷里串本へ。

 せっかく帰ったので釣りも。

 ヒラメねらいで砂浜へ。
 もう冷え込んでだめだろう、と思ってはいたが、そのとおりになった。

 12月には閉口するほどだったボラのジャンプも一切なし。

 夕刻、串本港へ。



 港の先端で深く落とし込む。
 潮が速い。

 そこへググッと重み。
 久々に見る串本のアジ。



 夜はアジングへ。
 
 が、釣れない。
 となりのサビキおじさんは間断なく釣果。

 アジはいる、それなのに反応がない。
 真冬はむずかしいのか?
 前とは確かに違っている。

 カマスか?
 釣り糸がプッツン。
 それにアジらしきあたりが一回だけ。

 久々ながら大敗。

 本日 アジ1匹(19cm)
 
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同時代人

2014年01月17日 | 日々
 同時代人とは楽しいもの。

 あの頃のプロレス、野球、はやり歌・・・。

 いつまでも尽きない話。

 ところでぼくは子どもの頃から大の音楽好き。

 当時の音楽の話になると、時間のたつのも忘れてしまう。
 
 けれども、同時代の人といえども、必ずしも話が合うわけではない。

 ジャンルがまちまちだからだ。

 職場の先輩だった津久井さん(仮名)。
 ぼくより年上だったが、この人も大の音楽好き。

 50年代から60年代のジャズ、ポップス、カントリー、フォーク・・・詳しかった。
 ぼくの身近で、この種の話ができるのは津久井さんだけだったろう。

 その津久井さん、定年退職されてしばらくになる。

 最近、津久井さんの自宅方面に用ができた。

 久々に会ってみたいと電話。

 が、電話口で息子さんが「父は昨年亡くなりました」。

 ・・・

 そんな歳ではなかったのに。

 2年ほどまえ、往年のブラザース・フォー日本コンサートのことで電話したのが最後になってしまった。



 今日は津久井さんを思い出しながら、なつかしい音楽を聴いてみよう。

 津久井さん、おおきに、さよなら。

 安らかに。 
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「月刊住職」

2014年01月14日 | 日々
 朝刊の雑誌広告欄に「月刊住職」。

 工場管理、司法、教育・・・いろいろな仕事に関係雑誌はよくある。
 が、住職さん向けの雑誌もあったか、と笑み。

 その記事には興味深いものも。

     

 「通夜葬儀でさえ法話に耳を傾けぬ人々への対処」
 なるほど、住職さんたちもその雰囲気を察知して悩んでおられるわけだ。

 「寺院建築を必ず成功させる『寄付趣意書』の実際」
 ほう、これはなかなか現実的な話だ。

 寺と坊さん。
 あまり付き合いはないけど、何やら人間的なにおいが漂ってきそうな項目だ。

 同じ広告欄に「葬式仏教正当論」という書籍広告。
 「お葬式で戒名を授けるのは正しい!・・・葬式仏教批判・・・(その)ひどい誤りをインド原典からことごとく論破・・・」とある。

 なるほど、この世界でも議論になっているわけだ。

 でも、この世界、総じて地盤沈下の感は否めない。 

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初メバル

2014年01月12日 | 
 再び若狭へ。

 釣り開始とともにやはり豆アジ。
 しかし、3匹釣ったところで沈黙。

 いつもは釣れない港内の一角へ。

 あたり、これは少し重い!
 ガシラか?

 と思ったら

    

 キジハタ。

 小さいながらもうれしい。

 釣友の國松さんや、アオリーさんはよく釣っているが、ぼくには初めて。

 次の漁港。

 港内足元の水面、何かが旋回している。

   

 マンボウではないか!

 迷い込んだのか。
 苦しそうな泳ぎ。
 なんとかしてやりたいが、どうにもできない。

 マンボウ、どちらかというと温暖な海に多いはずなのだが。

 さて、ここでもアジ。

 が、港内のかけあがりであたり。

 上がってきたのは

    

 やっとメバル君。

 二人組が港内でさびき。
 釣果を見せてもらうと20cm前後のガシラが5~6匹。
 
 このくらいのガシラを釣りたいね。

 本日 キジハタ 1匹(19cm)
     ガシラ  2匹(各8cm)
     メバル  1匹(15cm)
     豆アジ 12匹(10~12cm) 
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