稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

京都コンサートホールにて

2021年11月28日 | 日々
 およそ10年ぶりだか、京都コンサートホールへ行った。

 神尾真由子(ヴァイオリン)と田村響(ピアノ)。

 ベートーヴェンのロマンスNo2やクライスラーの小品など、
なじみのある曲目だったので。

 前売り券を求めたとき、すでに時遅く残りの座席は2階の壁際だけ。

 舞台を横から見下ろす座席だった。

 会場を見渡して驚いたのは、聴衆のほとんどが中高年で、若い人はまばら。

      

 日本のクラシックコンサートは、こういう年代が支えているのか!と。

 さて、演奏が始まった。

 これも驚いたが、ヴァイオリンの音がとても明瞭。

 まるでスピーカーを通しているかのように聞こえる。

 いや、通い慣れている人には常識なのだろうが。

 会場は500人規模のホールだが、
こんなによく聞こえるのはやはり設計技術なのだろうと感心。

 アンコールでは「タイスの冥想曲」。

 よく耳にする曲だが、この名曲が生で聴けたことに感動。

 会場は長い拍手に包まれた。

      

 ときどきは足を運びたいものだ。

 残念といえば、
座席の関係で演奏者がいずれも一貫してこちらに半ば尻を向けていたこと。

 この種の器楽演奏会なら次は反対側の座席をとろう。
 
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ガシラをねらったが

2021年11月21日 | 
 知り合いから聞いたガシラポイントへ。

 時合いは15時と教えられたので14:30に現地入り。

 海面を見ると小魚がいっぱい。

 よく見るとスズメダイ。

 てっきり温暖な地方の魚と思っていたが、若狭にもいた。

 その下には小アジの群れ。

 そこへワームを投げると小アジが1匹。

     

 しかし続かない。

 昼間のアジはこのパターンが多い。

 そこへ中年のおじさんがアジングに参入。

 アオリイカねらいだそうだ。

「アオリはまだ釣れるんですか?」と尋ねると
「エギでは難しいけど、ヤエンならということで先ずエサのアジ釣り」
だという。

 しかし二人にアジは沈黙のまま。

 そうして15時になり、やがて16時・・・。

 ガシラはいっこうに釣れない。

 知り合いはここで30匹ほど釣ったそうなのだが・・・。

 やむなくここをあきらめて移動。

 陽が暮れ、17:40、ライズ開始。

「始まった!」と思ったが、今日も勢いはいまひとつ。

 何匹か釣るとライズはすぐ下火に。

 それでも海面深く落とし込むと、グンッと重み。

     

 17、さらに18cmのいいサイズ。

 このクラスになると体高もあってアジらしくなる。

 が、19時になると水を打ったように静まり返ってしまった。

 今日は日が悪いと早めの退散。

 釣果 アジ 9匹(13~18cm)
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おめでとう大谷選手

2021年11月20日 | 日々
 大谷翔平選手がMVP。

 前年が不調だっただけに心配していたが、今シーズンの活躍はすごかった。

 彼の愛される人柄も影響したのかな。

     

 それにつけても思うのは、アメリカという国のふところの広さだ。

 別段今さら驚くべきことではないが、国技と言われる野球で、
日本人であれ、移民であれそうした賛辞が実力に応じて贈られるということに感心する。

 思い起こせば、王貞治選手のホームラン記録が外国人選手によって塗り替えられたとき、
あるいは双葉山の連勝記録がモンゴル出身の力士によって塗り替えられようとしたとき、
何やら雰囲気は複雑だった。

 ぼくらの意識はまだまだ偏狭なのかもしれない。 

 人種の坩堝といわれるアメリカ合衆国。

 人種、民族などの問題について、課題はいろいろあろうけれど、
 そういう公平さには改めてとすごいと感じる次第だ。

     

 ノーベル賞に輝いた真鍋叔郎さんが日本でなく、この地で成果を上げられたこともそれと無縁ではなかろう。

 おめでとう、大谷選手。
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偵察 若狭のアジ

2021年11月17日 | 
 だんだん冷えてきた。

 さて、例年のように今年も若狭のアジへ。

 とりあえず偵察ということで 18:30、現地入り。

 いつもの釣り場には先行者が陣取っている。

 目の前でアジがパチャ、ピチャと活発にライズ。

 ぼくも人のいないところを探し、ワームを投げ込んだ。

 すぐにかかった。

     

 それにしても小さい。

 11cmとは!

 去年もこんなに小さかったかな?などと・・・。

 岸壁の足元にワームを垂らしていくと重み。

 上がってきたのはミニガシラ。

      

 久しぶりに見るこの顔。

 が、19時を過ぎると海面は静まり返ってしまった。

 アジは消えてしまったのか?

 と思ったが、深みを探るとポツリ、ポツリと釣れる。

 彼らは移動したのでなく、深みにもぐったようだ。

 とりあえず今年も楽しめそう。

 釣果 ア ジ 16匹(11~14cm)
    ガシラ  1匹(11cm)
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夢をもつ若者に向けた有島の思い

2021年11月11日 | 日々
 有島武郎の「生まれ出ずる悩み」(1918年)を読む。

 絵を志す若い木本と「私」(有島)との関わりの物語だ。

 木本は北海道の岩内という漁師町の貧しい漁師家庭の次男。

 卒業後は北海道の厳しい気候の下、過酷な肉体労働の毎日。

 好きなスケッチは、漁に出られない荒天のときだけというゆとりのなさ。

 しかも絵具さえ手元にないという環境だ。

 町で彼のスケッチを見てくれるのは、文学に魅かれつつも
気難しい父親から調剤所を継ぐように半ば強いられた「K」のみ。

 「K」だけは木本のスケッチに感心し、「画かきになれと勧めてくれる」。

 しかし木本からすれば「K」に絵を見る力があるとは思えない。

 木本はそんな漁師町で
「異邦人」のような自分を見出してはますます悩みをつのらせる。

 木本はある荒天の夜、スケッチの帰りに崖の上に立ち、
思わず死を選ぼうとするが思いとどまる。

      

 木本の物語はここで終わり、短い終章で有島が書く。

「君が一人の漁夫として一生を過ごすのがいいのか、一人の芸術家として終身働くのがいいのか、
僕は知らない。・・・それは神から直接君に示されなければならない。
僕はその時が君の上に一刻も早く来るのを祈るばかりだ。
 ・・・同時に、この地球の上のそこここに君と同じ疑いと悩みをとを持って
苦しんでいる人々の上に最上の道が開けよかしと祈るものだ・・・。」等々。

 絵画、音楽などの芸術、あるいは学問、
さらに運動競技なども含め、夢に向かって進む人々の存在。

 今も昔も変わりはすまい。 

 この書はそういう人々への声援のように見える一方、
最後に決めるのはその人にしか・・・という冷厳な事実をも指摘しているようにぼくには読める。

 かつて夢をもっていたが結局ここでいう「漁夫」に伍して生きたぼくにはとても感慨深い。

 本書を読んで思い当たるという人もおられよう。

 おすすめの一冊だ。

  * なお、引用文中の「神」は比喩であって、
    宗教的な意味でないことをお断りしておく(参考)。
 
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ほかに策はないのか 一律給付

2021年11月08日 | 日々
 給付をめぐって一律か困窮世帯かという詰めの協議が進行中だ。

      

 前にもぼくはこのブログで意見を出したが、一律給付には疑問だ。

 税金、いや借金を財源にして
困窮していない世帯にまで給付するという策はいただけない。

 そもそも10万円などという
一発の「打ち上げ花火」のようなもので問題は解決するのだろうか?

 困窮を手当てするには継続性が要るのでは?

 例えば報道でよくみるが、「子ども食堂」。

 世話にあたっている人々の努力には頭が下がる。

 こんな拠点を継続的に支援していけないものだろうかと切に思うのだ。

 もちろん、どこにどんな施設があるのかを洗い出す作業が大変なことはわかる。

 が、だからといって安易に一律に傾くことには納得できないところだ。
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