赤い水性の部屋

あくまでも赤い水性個人のページですので、吹奏楽とは関係ない内容もあります。みなさんのコメントをお待ちしています。

静岡新聞

2009年06月29日 | Weblog
静岡文化・芸術


54人が予選を通過 静岡で県学生音楽コンクール 
2009/06/29
 クラシック音楽を志す児童生徒の演奏技術向上などを目的とした「第30回県学生音楽コンクール」(静岡新聞社・静岡放送、県演奏家協会、静岡室内楽協会、県オペラ協会、県文化財団主催)の予選会が27、28日の両日、静岡市駿河区のグランシップで開かれた。
 県内の小、中、高校生246人が参加。ピアノ、管楽、弦楽、声楽の4部門に分かれ、日ごろの練習の成果を競った。54人が予選を通過し、8月16日に同所で開かれる本選会に出場する。
 予選通過者は次の通り。
 【管楽部門】中学生 森井明希(静岡観山3)小林真実(静岡観山3)清水栄利花(浜松高台3)佐野美月(浜松佐鳴台3)野沢都子(浜松曳馬3)市藤さくら(浜松江南3)▽高校生 池田明穂(浜松学芸2)伊藤樹里(浜松学芸2)杉山明美(東海大翔洋3)増田早希(清水南2)加藤舞衣(浜松学芸3)石川志織(静岡市商3)
 【弦楽部門】小学生 鈴木亮太朗(島田第三5)稲岡朱音(富士伝法5)杉本瞭太(掛川中央6)松永愛莉(清水南6)塩津佳菜(長泉北5)秋山工(三島坂5)▽中・高校生 小川真実(韮山高3)西原史織(東京音大付属高2)桑原春佳(静岡雙葉中3)増田桜子(浜松学芸高1)藤瀬実沙子(静岡安東中3)小笠原歩夢(静岡清水商業高3)
 【声楽部門】高校生 石堂真理菜(浜松学芸3)伊藤陽花(清水南3)渋谷えりか(清水南2)鈴木拓馬(加藤学園暁秀3)玉川誠治(浜松学芸2)村瀬諒(浜松学芸2)
 【ピアノ部門】小学生低学年 城ゆうか(富士中央3)張替桃花(長泉3)正田裕佳子(浜松県居3)小田未央(静岡千代田2)桧皮ゆかり(静岡清水3)滝雅弘(静岡清水船越2)▽小学生高学年 九川真衣(富士宮大富士5)張替梨花(長泉5)鈴木紗耶香(三島北上5)朴卯実(浜松和田6)芦原さくら(静岡清水辻4)平野有紗(静岡葵6)▽中学生 小針侑也(三島中郷2)長谷川巧(掛川東2)小山田倫章(浜松入野1)清水かなこ(清水南2)岡里美(焼津豊田3)本多美瑞紀(清水南2)▽高校生 矢田貴裕(韮山2)児玉恭子(浜松市3)宮地真喜子(浜松江之島2)鈴木啓資(藤枝東3)牧田栞(静岡東2)小沢実々子(清水南1)

モスクワ放送交響楽団

2009年06月10日 | Weblog
 今日はモスクワ放送交響楽団のコンサートに部員たちと一緒に行った。リハーサルも少し公開してくれるとのことで、普段なかなか見たり聞いたりできないことを実際に目にできることはそれだけでも素晴らしい。ウチの部員も年に2回はオーケストラをコンサートで聴いているね。吹奏楽も含めれば3ヶ月に一度はコンサートに足を運んでいるくらいだろうか?とてもいいことだと思う。

 さて、演奏のほうはというと、これはとてもいい演奏だった。全てチャイコフスキーのプログラムで、本場ロシアのオーケストラの本領発揮といったところ。いちいち説明すればきりがないが、弦セクションの充実に驚き。コントラバスの最上段に一列に10人の配置(リハーサル写真)や第1バイオリン、第2バイオリンのあの配置であれだけのアンサンブルができるということは、プレーヤーの能力は相当高い。プロだから当たり前かとは思うが、プロの楽団であの配置であれだけの演奏ができる楽団は多くないだろう。

 チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲もすばらしい演奏。この前、たまたま『のだめカンタービレ』の録画を見たところなので、その中の指揮者コンクールのシーンが頭に広がってしまい、「チアキサマ!」ってな「マスミチャン」の顔が浮かんでおちおち聞いていられない困ったことがあったが、とにかくソリストの川久保賜紀さんの卓越した技術が感動的。

 メインプログラムの交響曲第6番『悲愴』は一楽章から完全に世界に引き込まれた。やはり弦セクションの美しさに圧倒される。また、管セクションも良いプレーを見せ、トロンボーンのコラールも美しかった。演奏後は彼らも満足そうだったね~。終楽章も、まさに『悲愴』。最後の最後までこの美しさは変わらなかった。

 最悪なのはお客。ほとんどが浜松市民なのだろうが、まったくもって、最低である。誰だよ、バイオリンのカデンツァのしかも最高音のところで傘を落としたアホは?荷物は椅子の下って、子供の頃、学芸会で教わってないのか?義務教育以下である。まず、クラシックのコンサートではクロークで荷物預かりがあるだろうが!
 『バイオリン協奏曲』の1楽章の後や『悲愴』の3楽章の後に拍手をしてしまうのは百歩譲って許そう。本当ならこのくらいの名曲は知らないと恥ずかしいが、いかにも知っていますという人よりも、「今回始めてクラシックのコンサートに来てみました」というほうが、重要だと思うし、本当に素晴らしかったら拍手も出ていいと思うという意見を佐渡裕さんも本で書いている。
 『悲愴』の有名な部分(昔コーヒーのCMで流れていたところ←ジロ、古いね~)で紙をぺらぺらめくっていた小学生よ、もう一度道徳の授業で心のノートを読み、『礼儀知らずは恥知らず』のページを読みなさい。
 素晴らしい響きが消えていく終曲の最後・・・美しい~って、オイ、拍手はえーよ!誰だ一番に手をたたいたヤツは!?音が消えても空気が消えてないだろーが!

 浜松市は音楽の街から音楽の都をめざしているのだそうだが、教育は100年の計というから、コンサートに出かけ、それを楽しむ市民の育成には、あと100年はかかるな。

自己評価

2009年06月08日 | Weblog
 今、授業の後など、自己評価表に感想やチェックを書くのが流行している。これは何のためなのだろうか?
 
 おそらく、今の小学生では自分がテストや成績が全体の何番目になるのかわかっていないだろう。スポーツも得意と思っていても、本当に技術や体力が優れているか比較したことがないので、わかっていないのではないだろうか?(ちなみに先生は他の子も同時に見ているし、過去の実績からわかっていると思うが口には出さないし、それどころか通信簿にも書かない)
 中学に入ってもそれは同じで、成績の順番や技能の優劣をつける場面が少ないので、卒業まで自分の成績の順位やタイムのランキングや自分の実績がどのくらい優れたものなのかを知らない生徒もたくさんいる。
 子どもの頃は「負けても(失敗しても)次にがんばろう!」となるのだが、勝負(大人)の世界になると「負けたら次はねぇんだよ!」と、一括されて終わりである。まるで高校野球のトーナメントのように・・・

 「自分は得意だと思っていたのに、実はそうでないかもしれない・・・」という不安や挫折を体験する。(実はこれが中1ギャップだと思っている)中学生ともなると他と自分を客観的に比較できるようになるので、薄々ではあるが、自分の能力の自己評価できるようになる。
 この自己評価がとても大事で、じつは「うまくできました」という感想(自己評価)が本当に他者からもそう評価されているのか、逆に「失敗しました」と思っても良く評価されているのか、このギャップが成功できる人(勝てる人)は的確に判断できているのでないかと思う。セルフモニタリングといえばよいのかわからないが、自分の『これなら上手くいく(勝てる)』という基準を的確に設定できる能力が自己評価能力だと思う。

 コンクールなどで「上手くいった!よし、金賞や!」と思って銅賞のときがある。そこに至るまでの練習の過程やチームの雰囲気やドラマがどの団体にもあるので、結果が何の賞でもそれは問題ではない。ただ、雰囲気と感情で、「できている」と思い込んでしまうことと、客観的評価とのギャップをしっかりとつかまないと危険だと思う。もちろん外からの評価ばかりを気にしてばかりではいけないから、その辺のバランスが難しい。

 教室の中でもよくあることで、力(この場合テストの点数の学力)のある子はテストをやれば、採点を待たずに自分が何点くらいなのか、的確に理解しているし、その予想とは大きく違わない。テストが返され、「ええっ!?」と思いもしない点数で泣き出したりする子もいるが、その子は、テストをしているときに、自分が理解している問題なのか、自分が書いている答えが適切であるのかをわからないまま書いていることになる。
 授業の最後の自己評価はそういう意味ではとても重要である。「ぜんぜんわからなかった」と評価した子がテストで「ぜんぜんわかっていない」と思いながらやっているのは客観的評価と自己評価が一致しているのだから正しいのだ。問題なのは、『わかったのか、わかっていないのか、それがわかっていない』状態である。
 仕事もそうだ。自己評価は自分の仕事への集中度・満足度。他者評価は給料やその職場での立場・役職であろう。これが一致していないと上手くいかない。
 
 自己評価を常に適切にやっていこうとすることが、伸びるヒントなのかもしれない。

 自己評価・・・俺はデブか? ←ジロ はよ、やせろ!

感性

2009年06月08日 | Weblog
 そろそろここまで頑張ってきた一年生も疲れてくる頃。慣れない土日の部活動で、今までの13年間の人生の生活リズムが一気に変わり、さらに精神的にも技術的にも個人差が出はじめる。また、はじめて中学生をもったご家庭にとっても戸惑いの連続だと思う。←「いつからそんなにやさしくなったんだ!えぇ!?」と突っ込んでいる人いるやろ! ほら、そこ!

 中学に入学すると生活の時間が一気に変わる。まず一日の流れが速い(早いのではない)。そして長い。中1ギャップというのだそうで、小6と中1のギャップがあまりにも大きいらしい。逆に中学3年ともなると、高校生の生活や部活の練習でも十分についていけるくらいになっているし、それどころか高校生になって楽になったとか・・・←ジロ
 1947年制定の学校教育法施行以来の6・3・3制だが、最近では現代の子どもの発達の程度や中1ギャップ解消のため、5~6年生は中学生と同じ生活をして中学3年生は高校生に入って学習や部活動に取り組んでいる小中高一般の私立学校もあるようだ。なるほど、6年生(12歳)にもなって、ウチのチビと同じような時間帯で生活するのは、いくらなんでも幼稚すぎやしないかと思う人も少なくないだろう。
 国会で決まれば何を思ってもそれが仕事になるので、戦後の6・3・3が良いのか、最近流行の4・4・4が良いのかは、一人の現場教員が決めることではないので、ここでは言及しない。

 さて、部活動の生徒だけでなく、教室の一般生徒をみていても共通して思うことがある。

 どんな子が伸びるのか?

 これがわかれば苦労しない。ただ、思うに、感性というものがとても重要な気がする。ここでいう感性とは美術や音楽の才能やセンス的なものではないので、誤解しないでほしい。10代前半の、一気に生活の変わったこの生活の中で、何を感じているか、そしてそれをどうやってプラスの方向に持っていける性格なのかということである。

 中学(高校や社会人だったら職場など新しい環境)に入り、初期の段階でとにかく現場で動く。いわゆる下働き的な道具の準備や活動(仕事)は直接関係ないようなことでもそれを積極的に行うことで、今までは感じなかった何かを感じる。自分にとって大変なことで、一見すると自分にとっては不得意で都合の悪い、面倒なことが多いのだが、「おや?何か知らないけど、これは大切な何かを今まで自分は知らなかったかもしれないぞ、それは何だ?」「今までの自分って、どうやらこれでは通用しないぞ、じゃあ、どうすれば通用するんだ?」という『気づきと疑問』が生まれる。
 何でもそうだが、人は、一生懸命やれば目標がほしくなるもので、成果を上げたくなる。30分で行う道具の準備を15分でやってみせたくなる。他の同級生(同期・同僚)よりも効果的に行いたくなるし、上手くなりたいと思うようになる。これがプラスの方向へ持っていく性格。そして「これは、こういうことではないか?だったらこうしたほうがいいのでは?」と考え始める。考えると意識が変わる。意識が変わると行動が変わるので、結果が変わる。

 1年生は今言われたこと、やらなければならないことを先頭でやってみよう。まだ失敗が許される時期だ。きっと何かが見えてくる。その中で『気づきと疑問』を発見してほしい。その行動力が経験となり、上級生になって、より的確な判断力と指導力の基礎になる。がんばれ中学生!