赤い水性の部屋

あくまでも赤い水性個人のページですので、吹奏楽とは関係ない内容もあります。みなさんのコメントをお待ちしています。

教育再生会議

2006年11月30日 | Weblog
 web上だろうが、学級通信だろうが、自分の書いたことに責任を持たなくてはいけない。でないと、某匿名掲示板のようになってしまうからだ。言論の自由・表現の自由の保証された世界であるから、『公共の福祉に反しない限り』は大丈夫だと思う。
 何を突然難しいことを言っているかというと、昨日の教育再生会議の緊急提言、教育関係者の皆さんはお読みになっただろうか?
 自分より頭の良い人たちが何日もかけて話し合って出したものだから、それこそ責任を持って発表しているのだろうし、赤い水性ごときが何を言っても勝ち目はない。
 しかし、個人的に気になる点をいくつか挙げてみよう。気になる方は『教育再生会議』のHPをみてほしい。

 ①いじめは反社会的行為である。
 確かにいじめはいけない。ところで反社会的行為とはそもそもどんな行為なのか?赤い水性が思うに、いじめは人権侵害だと思うのだが。基本的人権の尊重をうたっている憲法に反するということではないのか?公式に発表されたものとしては、極めて「だいたい」な定義ではなかろうか?それともこちらの理解が悪いのか?

 ②いじめを見て見ぬふりをする(この表現は正確でないので、原文を読んでほしい)のは加害者と同じ。
 これも、感情的には確かにそうである。これは、先生などが生徒たちに指導するときに使うことはあるだろう。しかし、文字として残し、場合によっては規則(法)として書いて良いのだろうか?「何もしなかった私たちも悪いです」と反省する生徒もいるだろうが、だから加害者となれば、反社会的行為を行った一員になってしまう。『列車内で携帯電話を注意しない乗客も迷惑をかけているのと同じだ!』とは口が裂けてもいえない。むしろ迷惑をかけられているのだから。六法全書に『ウソつきは泥棒の始まり』と書いたらとんでもないことになる。もしもそうなったら、『ウソも方便』というか、『僕のはウソではなく、ホラです』と言うようにしよう。

 ③前回も書いたが、再生会議の有識者の中に、教壇に立ったことのある人はほとんどいない
 再生会議のメンバーをHPで確認してほしい。かの有名な『ヤンキー先生』は教師の経験があるので良しとしよう。その他にも教員に近い方もいるので、きっと教員免許は持っているかもしれないが、それでも、大人になってから職員室や教室に入ったことのない人がほとんどであろう。ましてや、『給食の豆は投げてはいけません』と注意したり、『うん●をもらした子のパンツを取り替える』とか、『先生、dogとbagってどっちが犬?bigが穴を掘るで、digが大きいだよねえ?』と言う質問を受けたことはないだろう。野球のルールを知らなくてもプロ野球団の経営者は務まるので、別に関係ないと言われてしまえばおしまいであるが・・・ところで、ヤンキー先生ってことは元ヤンキーだったのだろうか?ヤンキーって反社会的なことをするんじゃないのか?

 その他にもいろいろあるのだが、これ以上は立場上責任が取れないので控えておく。このごろ難しい話題で、つまらないかもしれない。これを読んでいる中学生の皆さん、ごめんなさい。そんな難しいことは別にして、みんなが何か夢中になり、一生懸命に汗をかき、涙を流す中学時代を過ごしてくれることが、自分にとっては一番嬉しいし、教師になった甲斐があるってもんだ。明日も勉強、部活に頑張ろう!
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学校選択制

2006年11月23日 | Weblog
 たまの休日、テレビを見ていると教育問題について、いろんなテレビがいろんな議論をしていた。まあ、頭のよい人たちの話なので、それなりに正しいのだろうが、本当にそれでいいのか疑問に思うことも多い。
 
 今回思うのは、最近浜松でも導入された学校選択制についてである。学校の特色と独自性を出すために(違ったらごめんなさい)、保護者が学校を選べる時代になると、耳にタコができるほど会議や研修会で聞く。なるほど、校長先生はじめ、学校の管理職にとっては自分たちの学校が評価される(正確には人気があるかどうかだと思うのだが)という、緊張する制度である。すでに小学校では導入されているが、現状はどうなのであろう?いい先生のところ、いい学校に子供を通わせることができるという、きわめて画期的に思えるこの制度、プロ野球の人気球団とそうでない球団のように差ができたり、逆に、経営陣や職員の努力で立ち直るなどして、いわゆる教育のプロ意識よろしく、公立学校の水準が上がるということが考えられる。
 一見上手くいきそうなこの制度、いくつか個人的に思っている疑問や課題をあげてみよう。
 
 ①学校長や地域に人事権、予算権がないのに経営だけを任されても責任が取れないのではないか?
  監督がチームの選手を選んだり、獲得できたら監督の考えるチーム作りも進むが、学校の監督、つまり校長に職員を集める(場合によってはトレードや放出)権利がないのに、与えられたスタッフで経営責任を取るのはいかがなものか?また、何をやるにもお金が必要なのだが、議会に対して予算請求する権利が校長にない以上何もできないではないか。画用紙一枚、サッカーボール一個だってすべて予算取りからスタートする。「お金をかけてないんだから教育の質が落ちるに決まってるじゃないの」と言ってしまえばおしまいである。

 ②学校の独自性、学校選択制といいながら、「7年以上勤務する先生は異動する。どうしてもの場合や複数の場合は各学校一人まで」という、規則ではないが、原則があるらしい。
  「らしい」とは、自分が直接偉い人から聞いたわけではないので、本当かどうかはわからないのだが、少なくとも「若いときの10年間で3校勤務しなさい」は確かである。上記①と同じく、学校長に人事権がないため、どんなにその学校に影響を与える人でも、7年間で転勤するのである。静岡県は全国的に見て移動のサイクルが早いようだ。仮に全国大会に何度も出場する先生がいても、異動する。人事権は学校にないから翌年は指導者が来ない。廃部・休部になるのも実際にあった話である。赤い水性のように、掃いて捨てるほど代わりのいる教員ならいいが、大先生の場合は大変である。

 ③学校の責任者は誰?どうやって選ぶ?
  そんなもの、先生(校長先生)に決まってるとおっしゃる方が多いと思うが、上記①のように、経営する際の権利がないのである。また、その学校に自分の意思で着任するわけではない。しかも任期は2年~4年である。果たしてそんな短い期間で成果が出るのだろうか?また、地域の人に校長先生を選んでもらうというのもなかなか面白いと思うのだがどうだろう。もっともそれを選べる地域の力が高くないといけないのだが・・・

 ④地域防災、資源回収などは行われなくなる?
  仮に学校選択制が定着したとしよう。防災計画はどうなっているのだろうか?12月の地域防災では「大人や高校生は仕事や学校に言っているから、地域には年寄りと子供しかいない。だから中学生は重要な役割を担っている」という話を聞くが、その中学生が地域の子でない場合、その考えは根底から覆されることになる。また、地域の人と協力しての資源回収といっても、その地域の学校に通っていなかったり、PTAのメンバーでないのだからこれも無理が出てくる。もっともPTA活動なので、子供に参加義務はないのだが・・・たまに、「生徒が働かないので、学校でもっと指導してほしい」ような苦言が耳に入るが、「PTAのPは親でTは先生ですから生徒は関係ありません」なんて言えないが、本当はそうなんだよね。生徒会が協力すると生徒総会で可決すれば生徒に参加義務ができるのだが。
 浜松全体が一つのPTA組織として活動するとか、アクトタワー並みの耐震安全性をどの学校にも導入するとかしなければいけない。少なくとも防災計画については人命にかかわることなので、選択制導入の前に具体的に示してほしい。災害は待ってくれないのだから。

今回のテーマとは少し外れるが、長くなったついでに気になることをもう一つ。

 大学で教員免許に必要な授業を受けているときに何の疑問も持っていなかったのだが、大学教授のほとんどは小中学校、高校で授業をしたことがないのである。ひょっとすると教員免許を持っていないと思う。医学部の教授が患者を治療したことがないなんてありえないのだが、教育界ではそれが普通なのであることは驚きである。先日の教科の研修会、話は勉強になったが、その先生、よく聞くと学校で授業を教えたことはないとのこと。うーん・・・まずはここからだな、教育界。
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肉まん、あんまん、カレーまん、ピザまん、ビックリまん

2006年11月19日 | Weblog
 寒くなると『肉まん』の季節。大学時代に、「罪を憎んで人を憎まん!」といって注文していた後輩がいたが、関西では『豚(ブタ)まん』というので、店員に通じていなかったのは残念!
 さて、昔は井○屋の『肉まん』『あんまん』しかなかったと思うし、これは商品名だと思うから、他のメーカーでは違う呼び名に違いない。どこのコンビニにも、この類の商品があるが、最近どうもいろいろな種類があり、しかも名前が長い。『厳選素材・・・のプルコギまん』だの、『特選豚中華・・・チキンマヨ風味』とか『チンケンイチのなんちゃらかんちゃら・・・』とにかく注文するのにも、あまりに大げさなネーミングで恥ずかしい。そういえば、昔、松BOOKという生徒に『焼きプリンまん』を買ってやったときも、注文するときに恥ずかしかったなあ・・・
 とにかくめんどくさいので、「この130円のナントカまん下さい」と言っている。いっそのこと「Aまん」「Bまん」くらいにして中身は買ってからのお楽しみにすればいい。当然ビックリマンチョコが入っているやつが「ビックリまん」ね。
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喉2

2006年11月18日 | Weblog
 たまに学校の外に出ると「先生、ブログ読んでますよ」と他校の生徒さんから声をかけられる。ありがたい反面恥ずかしい←だったら書かなきゃいいじゃん
 読んでいただけるだけで幸せです、ハイ。

 さて、以前書いた喉の件、先日不覚にも体調を崩したので、時間休暇をいただき、医者に見てもらうことに。結果的には声帯結節というらしい。ようは、声を使いすぎて、声帯にできものができているらしい。音楽家やアナウンサー、スポーツインストラクターや教師に多いらしい。先生は、「声がかすれるのが、どうしても仕事で不都合な場合、最悪、手術すればいいのですが、またしばらくするとできますよ」とのこと。そして、「週に数回、定期的に治療して、3週間しゃべるのをやめれば、ほとんどの場合、治ります。」と仰る。まあ、大きな声を張り上げるとか控えないといけないことはよくわかった。でも今日も選抜の合奏でデカイ声出しちゃったな。残念!
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次いってみよー

2006年11月15日 | Weblog
 「次いってみよー」
 ご存知、ドリフの名台詞(めいぜりふ)である。コントなどに落ちがついたときに言う言葉だが、この言葉、生きていくうえでとても大事な言葉だと思う。
 何か大きなことを成し遂げたとき、失敗したとき、感動的な場面を体験したとき、大きな恋(失恋)をしたとき・・・。とにかく、何か大きなことが終わると、気が抜けるし、燃え尽きてしまうことがある。「大好きな人と別れたら、もう恋なんてしない」などという人もいるだろうし、思い出を大事にしたいといって、パッタリとその活動をやめてしまう気持ち、よくわかる。
 それでも我々は生きていかなければいけない。ならば、よりよく生きなければならない。よりよく生きるとは、いい成績をとるとか、仕事に成功するとか、裕福になるとか、そういうことではない。何かに向かっているとき、目標を持っているときが、よりよく生きていることだと思う。だから、がんばって苦しいときは生きている証拠。成長している証拠。自分が下手で嫌になるときは、上手くなっている証拠。
 正直言って、こんな小さな中学(全校生徒300人ちょっと)の吹奏楽部を指導していて、こんな立派な演奏会ができるなんて、9年前の自分には想像もしていなかった。実際、浜松にそんな学校はなかった。本番中は、これを最後にしても満足できるような時間だった。それと同時に不安になってきた。このままだと終わる。そう思った。でも終わってはいけない。新しいメンバーが待っている。残してくれた先輩たちがいる。送り出した先輩に応えるのは、「君たちが最高だった」ではなく、「君たちの残したバンドはこんなに成長したんだ」ということだと思う。だから、今までの活動、実績に頼ることなく、新しい活動を始めようと思った。3年生のみんな、卒業生のみんな、急に部活が変わったと寂しく思うかもしれないが、それがあなたたちへの感謝の表れだということをわかってほしい。
 しばらく休んだ後、「次いってみよー」と元気にスタートできた。「本当に全国大会を目指さないか?」という言葉で始まった。新しい目標ができた。

 前の恋をいつまでも引きずっているよりも、新しい恋をしたほうが明るくないか?次の生活を夢見て新しい進路先を探し出すほうがカッコイイぞ。部活を引退した中学生、高校生、定年で退職された方(ウチの母親も60歳になったらしい)、何かを終えて少し寂しい方、大きな失敗をして悩んでらっしゃる方・・・少し休んだら、声に出してみませんか?「次いってみよー」
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