何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

柿食えば・・・

2015年09月20日 19時25分55秒 | Weblog
柿食えば‥。
有名な句なのに、その後が出てきません。
確か奈良県の法隆寺の鐘が鳴るんでしたよね。

このアパートにも各棟の植え込みに柿の木が何本か植えられていて、散歩の途中で柿の木畑があった事を帰ってきたおやじ会議で話した。
「うちの柿もそろそろ食べられるから採ってあげるよ。」
そう言って自治会長の渋谷さんは、いつも喋っている棟の西側玄関から東側にある植え込みの方に歩き出した。
柿の木は低いから、バランスのとれない僕でも実をもぎ採れそうだ。‥が。
アパートに帰ってきて話していた時、ふとした拍子にバランスを崩し、もんどりうって倒れそうになった。何時もは、アパートに帰ってくると階段の手すりに杖をかけてストレッチなどをしながら話を聞いているのだが、今日に限って杖を持ったまま屈伸運動を繰り返していた、それがよかった。
真っ直ぐ立っていて、ちょっと振り向こうとした瞬間にバランスを崩して仰向けに転びそうになった。
必死で身体をひねり、足を踏ん張ろうとするが、脳の指令が足の筋肉に伝わらない。
病気が進行しているので仕方がないが、手に持っていた杖が傾く身体を支えてくれた。
筋肉はしっかり鍛えているのでよろけて三歩ほど後ずさりしたが、こける事なくバランスをもどした。
「あっ、あぶない。」
とは言わなかったが、松本さんも渋谷さんも一瞬顔がひきつった。
そんな僕の姿を見たすぐ後だったので、わざわざ柿の実をもぎに行ってくれた。
いたずら小僧達が近くの広場に毎日集まって泣いたり笑ったりケンカしたり、昭和中期のモノクロ写真の世界がよみがえったようだ。
でもここに居るのは、少年ではなく、でも少年の心を持った60過ぎの老人達だ。

「あっ、痛。」
渋谷さんが首の後ろを手で押さえた。
柿の木に毒を持った虫が居たようだ。
松本さんがすかさず渋谷さんの後ろに回って虫を排除しようとする。
たが、刺してすぐに逃げ去ったらしく刺されて赤くなった刺し傷だけが残った。
痛い思いまでして僕の為に採ってくれた柿の実は、実じたいの甘味もあるがそれ以上に甘くて美味しかった。
最後に一句

柿食えば 人の情けの 味がする

忠爺

宇宙のいとなみの中で

2015年09月19日 18時35分05秒 | Weblog
大きな宇宙のいとなみの中で、僕たちは素粒子より小さな単位で意味あって生かされているんですよね。
水の引けた「じゃぶじゃぶ池公園」でまどろんでいる猫たち、彼等も又この宇宙に生かされているんですよね。

熊野宮は今日からお祭り、人出も多いだろうから、人混みの苦手な僕は遊歩道を散歩する事にした。
秋晴れの朝、久しぶりの爽やかな朝、シルバーウィーク初日と言う事もあってか、犬の散歩に出てきた人が普段より沢山いた。
犬に癒されて、犬を通じて仲間作り、ご主人様に服従して尚心の隙間も埋める、こうなると、どっちがご主人か分からない。
でもそれでいいんだよね。
人であり昆虫であり動植物であり、それぞれにさまざまにかかわり合って、何かの役割をまっとうする為に生きているんですよね。

この世に生まれてきて、やがて死に行く運命に意味があるに違いないが、宇宙の大きないとなみの中でその答えはいまだ誰も見つけられない。
あの世があるのかどうかもわからない。
信じないないのも良し、信じるも又良し。
みんな、悩みながら、幸せを求め生きている。

「じゃぶじゃぶ池公園」でまどろんでいる猫たちのように、過去や未来にとらわれず、今一番自分にとって幸せで安らげる場所を求めて生きてゆけばいいんだろう。
さまざまな煩悩を抱え払い除ける事が出来ないとしても。

後一歩

2015年09月18日 20時08分14秒 | Weblog
よく雨が降ります。
雷も鳴っていたので散歩は止めにしようかとパソコンをいじり始めた。
良かったのか悪かったのか、出来上がったミックスをちょっとマイルドにしてみようとエフェクトの使い方と設定を変えてみたら。
めちゃめちゃ聞きやすい音になった。
今まででも充分聞き応えのあるものに成っていたのだが、やるしかない。

という事で、シルバーウィークが終わる頃までかかってしまいそうですが、期待してFacebookにコメントいただいたみなさん、ちょっとだけ遅くなりますがお待ち下さい。

パソコンをいじっていたら、雨音が聞こえなくなったので散歩に出た。
日々小脳が縮んでいくのが見えるかのようにバランスをとるのが難しくなってきている。
ついこの間まで、神社に向かう青梅街道の歩道で、すれ違う自転車が来ると、行きすぎるまで立ち止まって待っていた。
今は自転車だけでなく、歩行者が来ても立ち止まって道をゆずる。
気を張って歩かないと足に力が入らなくて倒れそうになってしまうからだ。
いつ転んでもおかしくない今の僕は、歩く事さえ新たなチャレンジだ。

神社の入り口の鳥居の所まで来て雨が降ってきた。
後一歩。
たが今日は戻る事にした。雨に濡れた歩道は滑りやすい。
バランスを崩さないように、慎重の上に慎重を重ねて雨に濡れる事を恐れずに、ゆっくりとゆっくりとアパートに戻った。

人混みで急げば視野がせまくなり、危険に遭遇しても気付けずアクシデントに巻き込まれる確率が高くなり、視野がせまくなる事でイライラと同時にストレスを増やしてしまう。
だが流れよりゆっくり歩くと目の前に人は居なくなり、空間が出来たぶんだけ視野が広がり、そのぶん気持ちもリラックスして、物事がよく見えるようになる。
と、誰かに聞いた事がある。

後一歩。
そこであわてず立ち止まる。人生は競争じゃない、いかに充実感を持って生きるかだ。
急ぐ事は無い。

後一歩、そこで踏み外さないように。
より慎重に、よりゆっくりと。

今の僕に彼岸花は悲願花

2015年09月17日 11時29分56秒 | Weblog
昨日撮った写真です。

今朝は雨、歩くのがかなり困難になってきているので、アパートの近くの散歩で済ました。

昨日、散歩道でマンションの垣根の植え込みの中から顔を見せた彼岸花、殺風景な道路脇であざやかに秋を感じさせてくれていました。
子供の頃、学校の帰り道、秋になり収穫の終わったたんぼの畦道や肥たんごのまわりなどに色鮮やかに咲く彼岸花をあちこちで見かけた。
その色鮮やかさが毒々しくてちょっと怖いイメージを持っていたが、今改めて見ると美しい
あちこちに咲いているのに、怖いイメージがあったからか、なぜか彼岸花は墓場に咲く花だと頭に焼き付いていた。
彼岸という言葉からの連想もあるかも知れない。

あでやかな花を見て、僕もこの花のように美しく咲きたいと思った。身体は枯れて行く運命に逆らえないが、心は気持ちしだいで美しく咲かせる事が出来る。
今の僕にとってあの世と向き合う彼岸花じゃなくて、心を咲かせる悲願花になれ。

昨日のブログに関連する詩です。

「シャドーダンサー」

枯れ葉が一片舞いながら
コンクリートの歩道に落ちてゆく
誰も気付かず過ぎてゆく
誰もが自分の事で精一杯なんだ
おまえも俺も風の中を
ただよっているだけのただの枯れ葉
そろそろ二人の間にも
冷たい季節が吹き始めている

道路を埋めた人波に
紛れ込んで流されて
今おまえを見失えば
また駄目な男に戻ってしまう
垢抜けたキャメルのコートを
見事に着こなしたおまえは
胸いっぱい空気を詰め込んで
shadow dance shadow dance 歩きだした
shadow dance shadow dance dance dance


まだ遅すぎはしないだろう
すべてを無くしたわけじゃない
黒いサングラスを外してみるさ
すべてを失ったわけじゃない
俺はおまえに向かって走る
他に無くすものはもう何もない
枯れ葉ガ一片風の中を
shadow dance shadow dance 舞い始めた
shadow dance shadow dance dance dance


素晴らしい音質でアルバム「ベストvol.1」がよみがえります。
ミックスダウンは、素晴らしい成果で完成しました。
ニューアルバムとして新たに簡単なジャケットを作ったりする作業が終わったら販売のお知らせをします。
たった一本のギターだけの演奏とは思えない重圧さが出せました。
発売までしばらくお待ち下さい。

シャドーダンサー

2015年09月16日 20時21分03秒 | Weblog
「シャドーダンサー」
20代前半、東京に出てきてから作った曲だ。
ものさみしい秋に、大阪の御堂筋の銀杏並木を思い出して詩を書いた。
枯れ葉だって風が吹けば舞い上がり、ヒラヒラと落ちてゆく、その影がアスファルトの上で踊っている。
命の脱け殻になったはずの枯れ葉でも、風が吹けば踊りだせるじゃないか。
今を生きているなら、くじけることを恐れずに、あきらめないで、チャレンジしよう。

そんな思いをラブソングにして書いた。

アパートの入り口に風で運ばれてきた枯れ葉を見て、40年前に作った歌を思い出した。

近頃歩くのも困難になってきた今の僕に、40年前の僕からの応援歌かも知れない。

ミックスに集中

2015年09月15日 18時34分04秒 | Weblog
今日はミックスに集中しているので短く終わります。
一昨日、枯れ木に花を撮りましたが、つるが枯れ木にまつわりつきながら枝まで延びて、枝の先から花を咲かせていました。

先日も書きましたが、枯れた命の造ったステージに朝日のライトを浴びて新しい命が花を咲かせる。

僕も素敵なステージを造って命をつなぎたい。

今日を、今を、一瞬を大切に生きます。

今夜は栗ご飯だ

2015年09月14日 18時06分28秒 | Weblog
アパートから200メートル程の所に、大きな栗畑があった。
いつも散歩でよく通る道なのにどうして気が付かなかったんだろう。
50㎡はありそうな大きな栗畑なのに。
先日の空にそびえ立った一本の大木といい、散歩するようになってから辺りを注意深く観察するようになったと思っていたが、何にも見えてなかった。

いや、何にも見えてないんじゃなくて、人は自分に興味のある事だけ見ようとして、それ以外のものは見えなく出来ているのかも知れない。
どうして今日に限ってはじける栗が目に入ってきたか、実は理由がある。
秋の気配が、食欲を刺激する。
秋と言えば、きのこ、秋刀魚、栗、僕の脳裏に食卓に並ぶうまい食材として浮かぶ。
駅前まで散歩して、スーパーマーケットでちょいとウインドウショッピング。
入り口に置かれてあった炊き込みご飯セットが目に焼き付いた。
普通の五目炊き込み、松茸炊き込み、そして栗ご飯。
でも買わずに帰り道についた。

今日は遊歩道をやめて違う道を選んだ。
枯れ葉が所々に落ちている。
初秋の爽やかな風を受けて気持ちも爽やか。
天高く馬こえる秋。
なんだかお腹が空いてきた。
そんな時浮かんだのはさっきスーパーマーケットで見た栗ご飯。
どうしても食べたくなった。
アパートの近くにもスーパーマーケットがある。
そこで栗ご飯セットを買う事に決めて、スーパーに向かう方向に進路を変えた。
もう頭の中は栗でいっぱい。
「あれっ。」
目の前に、ふさふさと見事に実った栗の木の林。
イガイガは所々茶色くなって弾け中から丸々実った栗が顔を出していた。
「こんな所に栗畑があったなんて。」
空腹のいやしさが普段見えてなかった風景を見せてくれた。
これまでも、見逃してきた来たこと沢山あるんだろうな。

とりあえず、秋ですね。

帰り道、もちろん栗ご飯セットを買って帰りました。
もうすぐ炊き上がります。今夜は鮭と栗ご飯だ。

秋をいただきます。

枯れ木に花

2015年09月13日 22時40分14秒 | Weblog
朝顔が、枯れ木の根元から芽を出して、枝にからまるように蔓を伸ばし、つけた葉っぱから大気とお日さまのエネルギーをいただいてきれいな花を咲かせていました。

今日は、月に一回の資源ごみの回収日。
各棟そろって玄関前に置かれた段ボール新聞雑誌などを集めて、自治会集会所の倉庫に保管して、のちに業者に買い取ってもらって自治会運営の資金にする。
自治会運営にとって大切な作業ということはほとんどの棟員は知ろうともしないし無関心だ。
責任を取ろうとしないで文句を言う人と無関心な人はたくさん居るが、責任を持って行動を起こす人は少ない。
情けないけどそれがこの地域の、この国の、この地球に住む人達の現実です。

ちょっとえらそうな事言ってしまいましたが、病気になるまでの僕は無関心派でした。
命の区切りを知らされてから、自分さえ良ければと考えるより、まわりにいる人達みんなが少しでも幸せを感じられるよう行動すれば、ひいては自分自身の幸せ感につながると思うようになりました。

そう言う意味で、今日もお手伝い出来てよかった。

午後の散歩から帰ったら、渋谷会長と松本副会長が話していた。
朝のおやじ会議のメンバーだ。
しばし話をして別れぎわ渋谷さんが、
「優勝しましたよ。」
「えっ。凄い。…次は全国大会ですね。どこでやるんですか。」
「へへっ。名古屋みたいです。」
「全国なんて凄い…じぁ、」
渋谷さんは満面の笑顔で部屋に入っていった。
吹奏楽部活にはいっている娘さんの中学が、東京都の大会で優勝したのだ。
なんだか、我が事のように嬉しい。
基本的に僕は優劣を決めるのは好きではないのだが、優勝という言葉の響きは甘露だ。
それも毎日話している家族のような渋谷さんの娘さんだから心の底からうれしい。
他人事なのに、こんなに喜べるなんて、なんて幸せな事だろう。
行動を共にする仲間だからかな?、僕は助けてもらってばかりだけど…。

枯れ木に花。
たとえ命が枯れても、生きている間しっかり根を張っていれば、立ち続け存在し続け、次の命を支える、ささやかな役割をいただける。
残りの人生で僕は次の命を支えるだけの根を張れるだろうか。
思いがあればきっと、出来ると信じて…!。

鳩と散歩

2015年09月12日 20時29分07秒 | Weblog
ポッポッポ 鳩ポッポ

鳩の鳴き声はクゥークゥーというかグゥールル…グゥールルとしか聞こえないのに、どうしてポッポッポなんだろう。
歌として成立しているからまーいいか。

午後の散歩から帰ってきてアパートのじゃぶじゃぶ池公園が近づいて来たとき数羽の鳩が遊歩道に降り立ち、僕のたどたどしい歩調に合わせるように同じ方向に一緒に歩きだした。
人が歩いてきても自転車が何台も通り過ぎたが、飛び立つ事もなくしばらく歩いた。
せっかくだから、写真を撮った。
撮り終えたのを確認したかのように一斉に飛び立った。

今日は、偶然だろうが散歩に出た時もちょうど歩いている所の桜の大木に数羽の野鳥がやって来て枝枝に止まった。
すぐ手の届きそうな所の枝に止まった鳥がいてじっと動かない。
すぐ下を自転車が通り過ぎても鳩達と一緒で飛び立つ気配がなかった。
思い込みだが、よろよろ歩いている僕を見つけて
「頑張れよ!。」
励ましに来てくれたような気がして、しばし桜の木の下で立ち止まった。
そして素敵な思い出として残す為に心のシャッターをきった。

一度ある事は二度あると言うが、実は鳩散歩は三度目の出会いだった。
朝、アパートのまわりの掃き掃除を始めようと、棟の物置から竹ぼうきと塵取りをもって、道路側に向かって歩いていたら黄色っぽい色の蝶々がアパートの壁にそって僕を誘うように少し前をひらりひらりと飛んでいた。
蝶々が飛んでいるのは別に珍しい事では無いが、僕の歩く方向にずっと少し前を飛んで行く。
珍しい。
葉っぱの落ちている所に僕を連れていって
「掃き掃除大変だろうけど、頑張ってね!。」
妖精に変身して僕を励ましてくれるんじゃないかと、想像力をふくらませてしまった。
残念ながら、アパートの壁が無くなった所で妖精にはならず蝶々のまま何処かへ飛んでいってしまった。

全部偶然の出来事だろうけど、メルヘンの世界に融合した1日でした。

何気ない、当たり前と思っている日常も、想像力を発揮すれば心地よい刺激的な1日に変わるかも?っね!。

上を向いて歩こう

2015年09月11日 19時45分24秒 | Weblog
バランス感覚が日に日に悪くなっている。
小脳が確実に縮んでいるのだろう。
足に脳からの指令が伝わりづらくなって足の筋肉がうまく動いてくれない。
ベストアルバムは今ミックスダウン中で、数日中に出来上がる。
それ以外のCDをと注文してくれた人がいて、今日は晴れたので郵便局に出かけて発送した。
アパートを出る前、封筒に宛先を書こうとしたが、思うように字が書けない。
思いがペン先に伝わらず、あらぬ方向にペンが勝手に走ってしまう。
思い通りにならない指先に力を込めて。
どんなに歪んだ下手くそな字でも、配達人が読めるようにと、ゆっくりと丁寧に書いた。
一枚失敗して、二枚目でミミズが這ったような情けない字ではあったが、何とか読めるように書き終えた。

じっとしてるとバランス感覚の悪さは分からないし、酒も煙草も止め、毎朝そして午後散歩し、早起きするから早寝して、身体はめちゃめちゃ健康で元気、何を食べても旨い。
そんなだから、小脳の病気は治るんじゃないかと、あり得ない期待をしてしまう。
だか、文字も書けなくなってきている。
歩く時も、足がガクガクするだけじゃなく、歩いている間中クラクラと目が回っている。
足元に気をつけてないと、転んでしまう。
自分で転びかたを制御出来ないから、車道に転んでしまうかもしれない。
そうなったら、ほぼ確実に車に跳ねられて大変な事になってしまうだろう。
だから、入院後足元ばかりを気にして前と下ばかり見て歩いている。

その事に気づいたから、郵便局の帰り道は、立ち止まり立ち止まり、そのたびに空を見上げまわりの風景も楽しみながら歩いた。
足元を見て歩いていると、転ばないように心配ばかりして、楽しみを見つける前にアパートについて、歩いたという満足感しか残らない。
ふらつくから立ち止まる、立ち止まったら空を見上げる。
あっ。
凄い。
いつも歩いてる道に、こんな素敵な木があったのか。思わず見とれてしばし立ち止まり携帯電話のカメラのシャッターをきった。

たまには上を向いて辺りを見渡してみよう。
新たな発見があるかも知れない。

これからの人生も、上を向いて歩こう。
涙がこぼれ落ちても。