何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

友人からの電話

2015年09月03日 22時31分05秒 | Weblog
小平駅前にある市民会館、ルネコダイラの入り口前広場で休憩。

昼の散歩がてら買い物をして一休み。
肩から下げたバックには、キャベツと牛乳。
今までなら、軽々と持って帰れた重さだ。
でも今は、倒れないように一歩一歩ふみしめながらあるくので2キロ程度の重さでも肩に食い込んでくる。
無理をしないように、でもちょっと無理をして、行動を起こす。
身体の動きを少しでも長らえさせる為に。

何時も、そんなふうに思って最後の一歩を踏み終えて、ついでにもう一歩。
それがリハビリになると思ってる。

もうこれで限界だ。でも後一歩。
そんなふうに考えるようになったのは、静岡の友人で元競輪選手の稲鶴さんの話が頭に残っていたからだ。何が原因で入院したかわすれてしまったが、その時、動きずらくなった手の機能を元にもどす為に、懸命にリハビリを繰り返し、医者も驚くほど早く回復した。
その時、凄い人だなーと感動した覚えがある。
だから、やりおえたと思ったら、あともう後一歩だけ頑張って明日につなげようと考えるようになれた。

そんな稲鶴さんから夕方、
「今日、久しぶりにブログを見たら大変な事になっているのをしって。」
と、電話がかかった。
前に稲鶴さんに会ったのは浜松の大型スーパーマーケットで車上生活をしていた時だ。
カードローンの支払いをしなければならない期限の日。
お金をどうしても作れなくて稲鶴さんに電話して一万円を持って来てもらった。
お金はいろんな人に借りていて、いまだに誰にも返せていない。
4社から借りていたカードローンの借金も3社には返し切って、残り一社だけになった。
来年になったらその支払いも終わる。
そうなったら、年金から少しづつみなさんに返せる。
すべて人に借りた、借金を返すまで死ぬ事は出来ないのだ。

話が横路にそれてしまったが、電話一本もかけないそんな失礼な僕なのに、ずっとそして今も気にかけてくれていた。
稲鶴さんの声を聞いただけで元気が出た。
「こちらに来る事があったら必ず連絡してね。」
「行くときは絶対れんらくします。」
電話を切った。

人生の少し先輩の稲鶴さん。
今日、元気と勇気をもらいました。

この病院で脊髄小脳変性症が発覚

2015年09月03日 06時27分10秒 | Weblog
小平駅に続くあかしあ通り。昨年10月に軽い脳梗塞を疑って、この写真の病院にやってきた。
脊髄小脳変性症…名前も知らない治療出来ない病、だと知った。
あれから10ヶ月。
病状はゆっくり進行していくと聞いていたが、意外に早い。
なので、いろんな意味で、気持ちが焦っている。

このブログ、昨日の夕方6時頃下記始めたのだが、ウォーキングを決めた事もあって午後の散歩を頑張りすぎて、書いてる途中に眠ってしまった。

目覚めたのは朝の6時。
炎天下2時間ほど歩いた疲れと、ミックスダウンを本格的に始めると寝不足が続く、その両方で12時間も眠ってしまったのだろう。

無理がたたって又救急車で運ばれないように気をつけなきゃ。