Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第四十二章 彼女は労働改造所の顕著な例でした

2011年12月19日 | カトリックとは
第四十二章 彼女は労働改造所の顕著な例でした

 張依成シスターは煉獄援助修道会の修道女でした。 一九五八年に、シスターと私は2人共同じ労働改造所にいました。彼女は洗練された優雅な物腰で外見がとてもエレガントであり、彼女は皆の尊敬を得ました。非カトリック信者でさえ、泥から育っても純粋さに満ちた白い蓮の花であると彼女を讃えました。

彼女が持っていた最大の美徳は、沈黙を守っていたことです。彼女はしばしば、沈黙が強さであることを私に思い出させてくれました。当時、私たち約15人のカトリック教徒は、白湖農場で農作業をしていました。私たちはちょうど、オオカミの間にいる柔和な子羊のようなものでした。朝、私たちが鋭い道具を選ぶ方法がわからないために、囚人たちはしばしば私たちに最も厄介な仕事を残しました。私たちは皆大都市で育ち、そして私たちの誰もが農業について何も知りませんでした。私たちが一日の割り当てを終わらせなかった場合、労働改造所では罰がありました。夜の間、強制的に1時間か2時間外に座らされ、この間、私は疲れ果てて、そして時には冬の天気がひどく寒かったので、私はとても耐え難く感じました。他の人は眠れましたが、私たちは出来ませんでした。マザーはしばしば、その間により多くの祈りを唱え、私たち自身と他人の罪のためのより多くの痛悔を行うことを思い出させてくれました。

一九六二年に、シスターと私は白湖農場から碭山果樹園に追放されました。彼女は十七年の刑期を終えた後、ほかの部隊に移されました。共産政府は、法津で私たちが刑期を終えてもまだ故郷に帰ることを許されず、労働改造所に留らまければなりませんでした。就業者は非常に少額ですが、およそ2米ドルのいわゆる賃金を得ることが出来ましたし、二年おきに一週間家族を訪問することを許されました。張依成シスターもそうでした。

シスターは、私の部隊の隣の就業者の部隊にいました。以前に述べましたように、碭山果樹園はその反宗教で有名でした。シスターは細心の注意を払って規制を守り、一生懸命働きましたが、幹部はいつも彼女に難問を突き付けました。彼女は自分の信仰を否定するつもりはなかったので、彼らは単に彼女を嫌っていたのです。彼らは、毎日彼女を見張って事務所への報告書を作成するために、誰かを割り当てました。この人は、肉体労働をする必要はなく、単に報告書を作成するだけでした。シスターが何も言わない場合、彼らは彼女が余りにも狡猾なので、喋らないことで自分の罪を告白するのを拒否したと言い、もし彼女が誰かに話しかけた時、彼らは彼女が他人に付け込んだと言いました。彼らの目には、シスターが何をしようがそれは完全に間違っていました。このように、彼女はあらゆる批判大会で標的となりました。沈神父様。張シスターと私は4回、同じ大きくて恐ろしい批判大会にいました。彼らは、わたしたちの非常に醜い絵を描き、何人かの人々が会議でそれらを掲げていました。彼らは世界の終わりのリハーサルのように、驚異的なマイクを設定しました。私たちは皆、恐怖や憎悪を表す事無く非常に平安で穏やかなままでした。

驚いたことに、彼らはシスターが自分の部隊に戻った時、彼女を苦しめ続けました。ある晩、共産党幹部は、「我々の敵、依成の素顔を暴く為に」という大会を誂えました。そこの就業者は明らかに怯えました。彼らは依成が彼らの間で最も親切な女性であり、彼らは困りごとがある度に、他人の為にぼろを繕ったり、手紙を書けなかった人に手紙を書いたことをはっきりと知っていました。彼女を酷く扱う人々には、彼女は決して不平不満をこぼすことはなく、その代わりに彼らを愛しました。多くの人々は、重圧の下に臆病で盲目となりました。共産党指導者の命令に従うために、彼らは繰り返し「羊の皮を着たオオカミの依成を倒せ!キツネの依成を倒せ!」と叫びました。その時、幹部はシスターがそのような重圧下で降伏するだろうと思っていましたので、彼は彼女に聞きました。「おまえはまだ神を信じるか?」すると、力強く明確な応答が返ってきました。「信じます」彼は怒って何人かの人々に、身動き出来ないようにシスターの両手両足を縄で縛り、さらに梁の上からぶら下げるように命じました。この罰は、以前は労働改造所のか弱い女性に行われたことはありませんでした。今、彼らは囚人が示したような何の悪いこともしなかった熱心なカトリックの修道女を殺そうとしていました。地球が動くのを止めたように見えました。誰もが息をこらしていました。次に何が起こったのでしょうか?しばらくすると、幹部は再び尋ねました。「よく考えたか? 我々はおまえを本気で死なそうとしたのではない」シスター答えませんでした。

約5分後、一人が幹部のところまで行って、シスターの顔が極端に青白く、彼女がほとんど失神したように見えたと伝えました。その人は、「あなたが彼女の縄を解かなければ、彼女は確実にすぐに死ぬでしょう」と言いました。幹部はシスターがすぐに死ぬことを恐れていましたので、彼は彼女を解放するよう伝えました。シスターは解放された後、彼女は身体的には非常に弱かったのですが、彼女の表情は彼女が精神的な強さと自信を持っていたことを示しました。カトリック信者は死やいかなる種類の苦しみを恐れませんでした。どうして、彼女が他の事で恐れることが有り得るでしょう。結局、天主様の御恵みと共に依成シスターは勝者となりました。

その後、労働改造所でのシスターの日々はまだ非常に困難でした。彼女が喜んでするかしないかに関係無く、幹部はいつも彼女に最もきつい仕事をするように割り当てました。 一九八〇年代後半、労働改造所で二十五年以上過ごした後に、彼女は自分の故郷である上海に戻ることを許されました。夫と私は彼女を訪問し、彼女が残りの人生を私たちと一緒に暮らすように招きましたが、彼女の義妹は私たちを拒否しました。彼女の言い訳は、シスターが自分の家族を手伝うためのするための、家庭の用事がたくさんあるということでした。私たちはそれを聞いて愕然としました。シスターは長年もの間、苦しんできました。今、彼女は自分の家族の世話をする必要がありました。どうして、彼女の家族は彼女を召使として扱うことが出来たのでしょう?私たちが一九九〇年代にアメリカに移住した後、私はシスターが認知症で苦しんでいると聞かされました。間違い無く、彼女の苦しまれるイエズス様への信心深さが一因でしょう。この段階で、彼女は非常に劣悪な環境で、しかもろくに彼女の面倒を見なかった養老院に送られました。ある夜、彼女は腹部に大きな痛みを感じましたが、彼女が病院に運ばれるまで、誰もが彼女に注意を向けませんでした。もう手遅れでした。彼女の盲腸の感染は、彼女の全身に広がっていました。彼女は二十四時間以内に亡くなりました。

この消息を耳にした時、私はどうしようもなく思いました。彼女は私たちの時代の真の殉教者でしたが、彼女は共産主義者の労働改造所で死んではいません。彼女はがんや心臓発作で死にませんでした。彼女の病気はこの種の悲劇を避けるために僅か十五分の手術しか必要としませんが、なぜそうではなかったのでしょう?たった一つの説明は、天主様はシスターがこの世でこれ以上苦しむことをお望みにはならなかったということです。それは、天主様が天国で彼女の永遠の報いのために、彼女を呼ばれた時間でした。

真珠の貝殻
真珠の貝殻は濃い緑色の海に留まり
絶え間なく太陽の光を描きます
それは輝く月のように素晴らしいです
魔法の虹でしょうか?
砂の粒が物思いに耽る時
神秘的なバラの力によって
水晶の質感を模倣します
その魂に善き心を抱きながら
次から次へと真珠が現われます


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『楽は苦に在り』ローズ胡美玉 著 目次
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ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第四十一章 農業の喜び

2011年12月18日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
第四十一章 農業の喜び

一般的に言えば、中国の労働改造所は恐ろしくて悲惨な場所でした。中国の中東部の安徽省の碭山果樹園も例外ではありませんでした。最初、私は白湖農場の医務室で働くように割り当てられていましたが、私は「犯罪」を告白していないので(私はカトリックの信仰を否定するつもりはありませんでした)、彼らは私に罰を与えるために私を医務室のポストから追い出して、菜園に私を送りました。ところが、きつい作業の四ヶ月後に、それを耐え難いとは感じませんでした。それどころか、私はそれが暖かくて容易であることが分かりました。それは奇妙に思えるでしょう。その理由を説明いたします。

1970年、多くの「対面」批判闘争の後に、共産党の幹部は私が矯正不可能であると考えました。彼らは、私はカトリックの信仰を放棄するのを拒否していたことを非常によく知っており、さらに彼らは、私が仲間のカトリック教徒の「犯罪者」と交流しているのを見付けました。囚人仲間との交流は、労働改造所では厳禁されています。

罰とは、医務室のポストから私を外し、菜園で最低のポストにつけることでした。何人かの仲間の労働者は、私の降格を悔やみました。確かに、医務室のポストは労働改造所で最高の一つです。仕事はそれ程重くはなくて汚れてはおらず、尊重されて騒音の多い混雑した宿舎の代わりに、きちんとした医務室で食事を食べることができました。

彼らは私が「貴重な」ポストを失ったと考えました。しかし、共産党員は私にその楽な時間を過ごすことを許さないのを知っていました。彼らの目的は精神的にも肉体的に私を痛めつけることだったのです。天主様の御恵みによって、私はそれが自分のせいではなかったことを知っていました。それは天主様の御節理で、霊的な旅に人間を導く天主様の方法でした。新しい罰や状況に新たな埋め合わせがあるのを見出したのは、実に天主様の私への御慈悲であると気が付きました。それは見た目ほどには悪くはありませんでした。

今、私はより易しく、より平和な生活を送っていました。そこには、もはや真夜中に起きて患者の世話をしに慌しく出ていくことはなく、また私が煩わしい「休暇届」を対処する必要がありませんでした。たった一日の休息を得るために、囚人は医務室で休暇届の同意書を請求することになっていました。私が病人に休暇届を与えなかったら、私の良心は穏やかではありませんでした。もし、休暇届が必要な人たちに何枚かの休暇届を付与したら、共産党員の看守の気持ちを苛立たせ、怒らせました。それに加え、菜園で仲間の労働者と一緒に暮らすことは簡単でした。彼らにスパイや情報提供者はいませんでした。彼らは友好的で同情的でした。労働改造所での一定の虐待や洗脳後に、多くの「犯罪者」である労働者は、利己的で思い遣りがありませんでした。それ程重労働ではない仕事に変えるか、もう少し多くの小遣いを得る等の共産党員から少しばかりの世俗的な利益のために、人は自分の仲間の行動について共産党員に報告していました。共産党員は、古代の格言の一部である「分割して統治せよ」、すなわち、私たちがお互いに裏切ったり、戦うように促しました。

言い換えますと、他の部門のように、菜園での物事は恐ろしいものではありませんでした。私たちはフレンドリーで親切でしたし、合理的で心の温かい職長である馬さんと作業をしていました。私たちの作業は積極的に行われ、共産党員の看守はしばしば菜園に私たちを調べに来ず、私たちの農作物は毎月公式の標準を満たしました。物事は確かにはるかに簡単でした。

私たちの夕方の学習時間では、共産党員は、労働者に共産主義理論を学ぶよう強制しました。私たちは、それを長い休憩として使うものだと認識しました。私たちが当局に監視されていなかった時、我々はいくつかの熟した果実を採りにスイカ畑に行きました。ナイフは要りませんでした。熟したスイカは、拳の一撃で簡単に割れました。私たちとって何という御馳走だったでしょう!私たちは何人かの労働者が昼間に捕まえた蝉を焼いてひっくり返すのを楽しみながら、少なくともしばらくの間、私たちの奴隷の状態の存在を忘れてしまっていました。おいしかった!

かつて、私はこの菜園にそのような世俗的な楽園があったことは想像もしませんでした。冗談で仲間の労働者に言いました。中国の諺に、「3年乞食をすれば、役人にすらなりたいとは思わない」というのがあります。 私はたった3ヶ月間そこにいただけでしたが、確かに今の医務室のポストに戻りたくはありませんでした。これは最初の農業の喜びでした。その一方で、今私は新しい任務についていたので、非常に未熟だったことをしなければなりませんでした。私は野菜の苗を植えることや、芽の傾けたりや育った植物を収穫することが出来ませんでした。これは専門家のための仕事でした。中国の農民の古くからの習わしである一組の肥桶を運ぶ単純な仕事をしたほうがましでした。

肩に肥料を担ぐために、バランス良く肩の上で一つの棒により繋がれた二つの桶が、肥料を運ぶために必要な道具でした。私は強くはありませんでしたので、小さな桶の組を選びました。何人かの年上の労働者は思慮深かったです。彼らは私の肩の皮膚やシャツを保護して私の仕事をよりつらいものでないようにするために、布きれと綿で肩パッドを縫い合わせてくれました。彼らは自分の妹のように私を扱いました。

彼らは私の布団がとても汚れていたことを見たとき、彼らは聞きました。「どうしてこうなんだい?あなたは看護人だよ!医者は清潔をありがたいと思うのを知っているの?あなたの汚れたシーツを見てごらん!」彼らは自分たちの任務があったので、私のキルトやシーツを洗うために外へ持っていきました。正直に言いますと、私は家で甘やかされていました。私が逮捕されるまで、ハンカチの一枚も洗ったことがなかったと聞いたら、私のことを恥ずかしいと思うでしょう。ここ労働改造所では、誰もが自分の服やリネン類を洗濯しなければなりませんでした。自分のベッドカバーを外して洗濯し、再びそれを縫い合わせるのは謎でした。それは私が役立たずだと思わせ、悲しく感じさせました。しかし、多くの司祭や信者は同じ苦境にあったのです。私は自分自身のことで言い訳する理由はほとんど持っていませんでした。私は、名家で裕福な家庭出身の朱育徳神父様や、労働改造所で盲目になろうとしていた厳神父様が同じ問題を抱えていたことを考えました。彼らのシーツは、私のように汚れていたでしょうが、彼らの霊魂の清らかさに焦点を当てるのには無関係でした。しかし、この少しの言い訳は、自分の不器用さを容赦するのに使うべきではありませんでした。私は自分たちの服の汚れを奨励するのではありませんでしたが、自分の信仰を保ち、天主様に完全に自分自身を御捧げすることが、私が優先することであるとはっきり知っていました。何の快適さも考える必要はありませんでした。それにも拘わらず、自分のキルトを洗濯して日光にさらした後、それはとても気もちの良い香りがしました。私は特別な甘い夜を過ごし、お金で買うことができなかった心地よくて明るく、感謝すべき喜びがありました。

私の仲間の労働者は本当にとても親切で、さらにもっとしようと望んでいました。過去に一度、ある人が医務室におり、親切な労働者がその人の困難を見て、何着かの服を洗うのを手伝いました。彼女は自分のトラブルを恐れて怒鳴ったので、あきらめざるを得ませんでした。しかし、菜園は「忘れられた一角」でした。彼らは私を助けるのに自由でしたし、彼らは多くのことをしました。彼らは私の重い冬服を全て洗濯し、私の服のいくつかの穴が粘着テープで継接ぎされているのを見ると笑い、そしてきちんとした布のパッチで穴を縫い上げました。私は微笑んで言いました。「私のためにそこまでやっていただき、ありがとうございます。今、共産党員がこの菜園に私を入れたことは本当に必要だったと思います。そうでなければ、私の汚れた服にノミが潜り込んだり出て来たりしたでしょう。正直に言えば、あなたたちと一緒になりたいですし、医務室に戻るようにと警告しないでください。」これは私の第二の農業の喜びでした。

4ヶ月間、生活はこのようにスムーズに行きました。最初、共産党員の看守は、私は骨の折れる農民の仕事に耐えられないと考え、彼らは私の告白と医療のポストに戻るという要望を待っていました。彼らは私が打ちひしがれて消耗していたかどうかを確認するために数回降りて来ましたが、彼らが見たのは自分の肩に肥料を載せ、そして時には自分で鼻歌を歌いながら裸足で足早に歩く若い女性でした。彼らは明らかにこの罰がうまく働かず、私が簡単に時間を過ごしていたことを考えたのではないでしょうか?やがて、共産党の看守が来て言いました。「明日、おまえの義務は、肥溜めの穴を空にして掃除することだ。おまえは穴の中に降りなければならない」肥溜めは私たちの肥料の貯蔵場であり、1メートルの深さで約34平方メートルの広さがあり、ほとんど人間の排泄物で蓄積していました。それを掃除するには、大人8人が肥料の液に浸たりつつ、次から次へと肥料を鋤で外へと掻き出す必要がありました。

翌朝、すぐに私たちの朝食の後、気のいい職長の馬さんが私のところに来て、「彼らはあなたの足を引っ張って、恥をかかせようとしている。あなたが肥料の中に立つのが難しいのなら、休暇届をもらえばいい。私は言いました。「あなたの心遣いに感謝します。彼らは私を穴に下りるように割り当てました。私はいるほうがよいと思います。私は最善を尽くします。私はあなたの親切に感謝します」

実際のところ、私の肌はむしろ繊細かつ敏感で、しかもアレルギーでした。私の肌は汚れたものに触れた後、発疹で膨れ上りました。一九五一年に私は上海で、かつてのアメリカのミッションスクールである聖約翰大学で学んでいました。その学校の施設は一流でしたが、私は学校の洗面所等のような公共のものを使うのには慣れませんでした。時々、私は必要な時は、むしろ自分の家のトイレを使うために家に急ぎました。今、私は、彼らが私に割り当てることは何でもするために、自分のカトリック信仰を保つために農村の労働改造所で囚人となっていました。

共産主義者は、私が面と向かっての集団の批判で、残酷な屈辱を受けるのを恐れていなかったことを知っていました。しかし、彼らは私が肥溜めに浸かるのを恐れるかもしれないと考えました。確かに、私の告白が来るに違いありませんでした。私はそのことについて考え、そして、私は耐えて苦難を受ける必要があり、天主様へ自分自身を犠牲にしようという結論にたちしました。私はためらう事無く、自分を犠牲にするべきでした。自分自身を犠牲にすることは、必要ならば自分の尊厳を犠牲にすることを意味します。私がこの試練を前にしり込みするのならば、共産主義者は私をあざ笑う機会を持つことになります。「ほら、その女は無敵ではない。さあ、我々は彼女の弱点を見つけたぞ」臆病なカトリックである時ではありませんでした。私は、いつも私たちをご覧になっている天主様を信頼しました。天主様の恩寵があれば、どんな苦難も耐え難くはありません。

ですから、他の労働者の例に従って、私はズボンをたくし上げ、肥溜めの中に飛び降りました。私の仲間の労働者は同情しました。「風下に立って、あまり力を出すんじゃないよ。疲れてしまって、滑って転んだら、とても汚れてしまうよ」共産主義の看守は、私たちが働いていた間に再びやって来て、私たちが積極的に肥料をシャベルで掻き出すのを見ていいました。「美玉はかなり経験豊富なようだ。彼女は風下の一角を選ぶ方法を知っている。いくらか肥料を喰らうのが怖いのか?」私の顔に肥料のしぶきがかかっているのを見たとき、彼は喜んでいました。「まあ、ブルジョアの知識人は、この種の労働を通して彼らの骨(それはイデオロギーを意味します)を改めることが出来る」自分の口を開こうとすれば、汚れた液体が妙な味と共に口の中に入り込むので、私は一言も答えませんでした。私たちは2時間働いて、掃除の仕事を終えました。そして、自分自身を洗うようにきれいな水の流れに飛び込みました。シャンプーはなく、コンディショナーもありません。私たちはきつく洗ったりこすったりしましたが、嫌な匂いを取り除くことは出来ませんでした。私たちは、臭いが二週間自分たちの体に留まるだろうと考えました。

少なくとも、私はほっとしました。糞尿は私たちの肉体を汚しても、それは私たちの霊魂を清らかにしました。私は今回の天主様の御慈悲によって、あわれな罪人である私が、肥溜めに飛び降り、試練を切り抜けたことに感謝していました。地球は廻り、時間が刻まれるにつれて、全てのこの世の幸福は瞬たく間に衰え、風と共に過ぎ去ります。この世の試練は無限ではありません。共産主義は、私に自分の全生涯を肥溜めの中に浸かるように強制することは出来ませんでした。すべてはやがて離れて通過するので、私たちにはあまり多く心配するか恐れるべきではありません。私たちが恐れれば恐れるほど、負担がより重く見えます。真実は私たちを自由にします。私たちは、この人生で多くの苦難を経験しなければなりません。あきらめてはいけません。天主様への信仰を持ち、何よりも天主様を愛しなさい。天主様は、私たちが奈落の底まで落ちることを御許しにはなりません。私はこの日まで生き、天主様の御慈悲と共に試練を切り抜けたことを感謝しています。


私は泥のように謙虚になりたい
一日一日と、人々の足の下に踏みにじられ
それが道になります
道が泥だらけあっても
天主様は常に最も卑しいものを挙げられます
もし、私の人生の物語が天主様の御慈悲に気付くのに
役立つのでしたら
私の足跡を辿ってください
私が出来ることを、あなたは天主様の御加護と共に成し遂げます
決してイエズス・キリストとは離れません!
天に登るまで、あなたは天主様の報いを受けます。





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『楽は苦に在り』ローズ胡美玉 著 目次
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ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第四十章 義人と罪人

2011年12月17日 | カトリックとは
第四十章 義人と罪人
「私は義人ではなく、罪びとを呼ぶために来た」(マタイ 9:13)と聖書でイエズス様は仰せになりました。中国の文化大革命の時、私は気候に適応するのが大変な僻遠の地にある労働改造所で刑に服していました。気温は零下30度から40度の範囲でした。一般社会の多くの人々と同様に、労働改造所での共産党幹部のほとんどは反宗教の過激派でした。労働改造所の看守は、囚人のあら捜しをするのに非常に活動的でした。彼らはカトリックの司祭、修道女、そして信者に主に焦点を当てた、無数の批判大会を設けました。私は懲役15年を宣告され、そして常に頑固でしたので、「活動家」として知られていました。私は批判大会がある度に標的でした。被害者であることは、文化大革命の時には避けられませんでした。

その時、上海から来た司祭である沈介敏神父様がいました。彼は自分の周りの人全てを信頼した非常に単純な方でした。運動が始まると、多くの人々は事務所に駆け込んで、彼と私が反革命的行為を犯したと主張しました。私たちの指導員は、自分の事務所に私を召喚し、私に少し同情を示しました。「今度の会議はおまえと沈に向けられている。おまえが何年も前からここで良い仕事をしたので、私はおまえが会議で批判されるのを見るのを望まない。私はおまえのために行為を示そう。沈に対していくつかの言葉を言えば、おまえは批判を免れることになる。そうでなければ、今度より多くの批判があるだろう。時々、囚人たちは余りにも感情的になって、深刻な暴力が発生する可能性がある。おまえが多く苦しむのは確実だ」何の考えもなく、私は単純に答えました。「あなたの親切な申し出に感謝します。私は他人を批判することは出来ません。私が沈神父様の右に立って、他人から非難されるようにして下さい」指導員は苦笑いを浮かべながら言いました。「胡美玉、おまえは苦しみの虜になっているに違いない。おまえは大きくて広い道よりも、狭い道を好んでいる」

スローガンが来ました。垂れ幕は提示され、マイクが臆病者を威嚇するために設置されました。私は完全にこれらの脅し全部に備えていました。悲しいことに、私と一緒に医務室で働いていた同僚は、塩気の無い塩と光のないランプになっていました。彼女は批判大会で活動的な一人であったばかりではなく、私に悪態をつき、進み出て私の顔を平手打ちしました。「この、強情者!今も、あんたはまだ頑なに反革命の精神を持っているのか」直ぐに、ポンシオ・ピラトの前のイエズス様のシーンが目の前に現れて、私は祈るように助けられました。「ああ、イエズス様!今あなたは休息を取ることができます。鞭で打たれるのを私に引き受けさせて下さい。あなたの茨の冠は、もうあなたには重すぎます。しばらくの間、私があなたの代わりにこの王冠を被るように自分の苦しみを用います」その瞬間、私の魂は喜びと平安で満たされました。私を叩いていた同僚は、長年修道女をしていました。彼女は間違い無く、私の苦行を必要としていました。

突然、私は、「暴力はいけません。毛主席は『争いではなく議論を』と言われました」と叫ぶ声を耳にしました。その声は、労働改造所の病院で私に会った求道者から来ていました。彼女はかつて私に尋ねました。「あなたは私の経歴について知っていますか?私は娼婦であり、何度も罪を犯しました。今、私はカトリック教徒の慈善を見てきました。私はカトリックになりたいです。あなたの教会は、汚らわしい罪人である私を受け入れて下さるでしょうか?」私は彼女に新約聖書のマグダラのマリアの話を始めました。「イエズス様は義人ではなく、罪人のために来ました。あなたが悔い改めるならは、天主様は確実にあなたを御赦しになるでしょう。実際のところ、私たちは皆罪人です。天主様は過去を見ておられません。彼らが強盗、人殺し、または娼婦であろうが、病人はイエズス様がお探しになっている人です。天主様は今だけを御覧になっており、あなたが天主様を信じる意図を持っているのならば、カトリック教会の掟に沿って生きてください」彼女は、その信仰から離れた修道女の無分別な行動を止めるのに十分勇敢でした。あれは、聖マグダラのマリアを模倣した実例ではなかったでしょうか?沈神父様と私は、この会議で休憩を取れませんでした。彼らは次々にやって来て、一人一人が他人よりも激烈であり、およそ400人から500人が参加していました。叫び声と嘲りの雑音は非常に騒がしいものでした。幸いにも、私は彼らが言った言葉を聞いてはいませんでした。私は彼らを、俳優の束として扱いました。私は、人生はドラマのようだと思いました。天主様は私がこの役割を果たすことお望みなので、私は単に協力しただけです。「主を愛する人々に、主が全ての事を働かせて益として下さいます」(ローマ8:28)全てを天主様に御捧げするのを許された私は、何と恵まれていたことでしょう。

すべての批判大会の後、彼らは暗い部屋に私を閉じ込めました。囚人の食事は、すでに非常に酷いものでした。食べ物は、飲み込むことは不可能でした。私がこの暗い部屋に閉じ込められている時に、食事は毎日二度来ました。豚もそれを食べなかったでしょうけれど、私はこれら全てに対して冷静でした。内心私は、人はパンのみでは生きていないことを思い起こしていました。アビラの聖テレサは「天主様一人で足ります」と言いました。全知全能である天主様は、暗い部屋で毎日私と一緒に過ごしました。他に何が必要でしょうか?そして、時間は過ぎていきました。

ある日、看守が私の部屋の門を開けて食事を運んできた時、突然私の友人であるその痛悔した女性を見ました。暗い部屋の門が開いていたのを見て、彼女はその口に紙に包まれた小さな饅頭を咥えた子猫を急いで部屋に送りました。私は泣かずにはいられませんでした。「友よ!あなたは一日に非常に長い時間働いています。あなた自身の活力のために、この食べ物をどんなに必要としているでしょう?でも、あなたは私のために、この最も貴重なパンをとっておきました。どうして、あなたからそのような素晴らしい贈り物を受け入れることが出来るでしょう?一方で、私はあなたの賢さに感心します。あなたは最も過酷な政府も小猫を罰することが出来ないのを知っていましたから、あなたが出来ないことをするために、この猫をよこしました」

この小さな猫について話すならば、私はその猫がどんなに明るくてフレンドリーであったか否定することが出来ませんでした。私は通常、夜遅くまで患者の世話をしました。猫はどこにいようとも私の足音を聞いたとき、付き添いのように私のところに走り寄りました。寒い夜の間、暖房が無くて私の血が凍りつこうとしていた時、猫は私の毛布に入り込み、その体温で私を温めてくれました。不思議なことに、その猫は修道女への親愛さを示したことはありませんでした。私は小動物と友たちになるアッシジの聖フランシスコと聖アントニオの話を聞いていました。多分その小猫は、私にとって天主様の御加護の印でした。労働改造所を離れる際に、私は猫がずっと医務室の辺りをさまよい、間も無く死んだと告げられました。痛悔したその女性は、最終的に洗礼を受けて良い死を迎えました。天主様は永遠の命を以て彼女に報いたことでしょう。棄教した修道女に関して言えば、労働改造所を去った後に上海に戻りました。私は、彼女が急性腹痛のため病院で緊急手術を受け、翌日に死亡したと知らされました。私は天主様の御慈悲に彼女の霊魂を託しました。彼女が痛悔するならば、天主様の御慈悲は彼女の罪を御赦しになるでしょう。小さな猫は死に、私を気にかけてくれた洗礼を受けた痛悔者は死んで、その修道女も死にました。「私は義人ではなく罪人を呼ぶために来ている」二人の女性のうち、一人は娼婦でもう一人は修道女でしたが、誰が義人で誰が罪人だったのでしょうか?実際は、私たちは皆罪人です。どうか、私たちの無限に慈悲深い天主様が私たちを憐れんで下さいますように!


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『楽は苦に在り』ローズ胡美玉 著 目次
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ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第三十九章 骨の折れる訪問

2011年12月16日 | カトリックとは
第三十九章 骨の折れる訪問
この章では、私の親しい友人であり、私と同じ日の夜に逮捕されたテレサについて述べます。私たち2人は、同じ労働改造所に送られたレジオ・マリエの会員でした。

1962年、私は果樹園で作業するように割り当てられ、困難で孤独な生活をしていました。未だに白湖農場にいたテレサは、その時点で既に就業者でしたので、毎月私に5人民元(8人民元はおよそ1米ドル)を送金しました。彼女は月給で20人民元程度を稼ぐことが出来、それは現在のおよそ100米ドルに相当しました(5人民元は非常に大きな金額でした)。彼女の金銭的な援助は、私に彼女の心遣いの暖かさを与え、基本的な必需品にも役立ちました。これは、私が労働改造所で自由を持っていたというわけではありません。私はお金を持っていた時、どんなに必要としても食べ物を買いに行くことは出来ませんでした。幸い、私の同僚である林シスターは、食べ物を買うのを手伝うことが出来ました。彼女は私と同じ診療所で働いていた修道女でしたが、共産党支持者である「改心」した囚人でした。この政権との関係は、彼女が他人に食べ物を買いに行く手段を与えたものの、それには代償がありました。共産党員は私を見張るために彼女を最大限に活用しました。私はいつも修道女のために高い敬意を払っていましたので、彼女が買うのを手伝った食べ物は何でも分かち合うために、私は彼女に非常に喜んで半分を与えました。

後に共産党の幹部は、私たちが脱走するのを阻止するための新しい規則を作りました。「現金は囚人の手に持たされるべきではない。すべてのお金は当局に提出されるべきである」囚人が何かを購入したい場合、当局は個人のために口座を保持し、囚人は単にリストを作成するのみでした。当局は囚人のためにそれを購入し、代金がその口座から差し引かれました。これにより、お金は私にとって役に立ちませんでした。何でも私が持っていたものは、当局に渡さなければならなかったからです。それに、食べ物を買うためにお金を使うことは禁じられていました。新しい規則について聞くと、テレサは私にお菓子や魚の干物の小包を送りました。私が以前に行っていたように、私が小包を得るとすぐに中身の半分は林シスターに行きました。ある時、林シスターは飴の包みを開けた後、私を残して急いで出ていきました。私は彼女に何が起こったのか不思議に思いました。ちょうどいい時に共産党幹部が入ってきて、私のところに来ました。「誰がおまえに小包を送り、その中身は何か?」私は知らないと答えました。もし、林シスターが何をしたかを知っていたら、私は彼女に飴をあげなかったでしょう。私は言いました。「私は米を買うためにお金が要ります。たとえ、私は何らかの食品を購入した場合でも、私は林シスターに毎回その半分をあげました」

実際のところ、私は6年間林シスターと働いていました。贈り物や支援がこれまで彼女自身の家族から来たことはありませんでしたが、私が何かを得る度に半分を彼女にあげました。共産党幹部はこのことに気が付いており、林シスターの性格を知っていまし。「おまえはもう少し注意する必要がある。ある人はおまえの食べ物を食べても、ハサミでおまえの背中の刺したいと思っている。両方の刃は鋭い」(そのイメージは私には通じませんでした)彼女が飴の中に見付けたお金を報告したので、私は問い合わせなければなりませんでした。

それは不可解でした。林シスターと私の両方は同じ病院で働いていました。ええ、友人は私に、「もし、彼女は熱心な修道女だったなら、どうして幹部が2人のカトリック教徒が一緒に働くように認めることが有り得るでしょう?」と何度も警告していました。そしてそれとは別に、彼女は私を好きではありませんでした。私が頑固であり、共産党員の指示に正しく従わないのは間違っていたと彼女は思っていました。彼女自身は従順な囚人であり、毎年、「模範囚」であることで表彰されました。その一方で、私は矯正不可能な「反革命分子」として批判されました。このようなニュースは羽を持っています。どういうわけか、キャンディの中に見つかった現金の話は遠い距離を飛び、私はテレサに説明しなければなりませんでした。テレサは自ら私に会いに行くよう決心しました。何年か前に彼女は私に言いました。もし、彼女は私のところに来て確認する必要があるのならば、私が深刻な困難の内にあるでしょうと。今、彼女は約束を果たすつもりでした。テレサは、私の労働改造所から遠く離れた所にある白湖農場にいました。共産党当局はカトリック教徒が互いに訪問することを厳禁していたので、あらゆる点でそれは不可能な事でした。最初、彼女は共産党員の刑務官である叢氏から休暇を取得しなければなりませんでした。奇蹟的にも、叢氏は刑務官の間で例外でした。彼は実際私をよく知っており、こう言いました。「胡美玉は純朴な女性です。15年間彼女を刑務所に入っているのは、全く政治的な力によるものです。彼女はここで懸命に働き、今あなたは出かけて彼女に会いたいと思っています。よろしい。私はあなたを支持します。行って彼女を助け、彼女に頑張るように励ましなさい」テレサの次のステップは、彼女の上司である張看護師長から再度休暇を取得することでした。ここで二つ目の奇跡が来ました。親切なこの男の人も私を知っていました。「私は何日かかろうとも、あなたが行って胡に会うことを許可します」テレサはそれほど苦労せずに、全ての旅行の手続きを完了しました。実際は、それは臆病な人には向いていない私の労働改造所への長い道のりでした。まず、彼女は自分の労働改造所から駅まで長距離バスに乗り、次に駅から碭山の街までおよそ一日かけて列車に乗りました。列車を降りてから、彼女は私の労働改造所まで三時間(10マイル、16キロ )歩かなくてはなりませんでした。友情のために、何と重い負担だったことでしょう!

それは1965年の秋で、私が一日の配給として何個かの腐ったヤマイモを受け取るように並んでいた時、私は女性の訪問者が私のために大きな袋を持って来たと告げられました。彼女は共産党員の看守の家で待っていました。私は看守の家に急ぎ、テレサを見つけました。私は彼女が白湖農場からやって来たことも知りませんでした。彼女はバスと列車で36時間旅をし、さらに3時間も13キロの米とビスケットとパンの入った袋をもって歩いたのです!なんと誠実な友人でしょう!そして、そこには驚きと暖かさがいっぱいでした。私はとても感動し、目が涙でいっぱいになりました。最初、看守はとても愛想が悪く、私たちが話したり、またテレサの食べ物を受け取ることを認めませんでした。私は、彼女がとても遠くから来て、しかも彼女は彼女の監督者である張看護長から全ての公式の許可を持っていたことを、看守に出来るだけ簡単に説明しました。「書かれた文書を見てください。彼女の上司である張氏は、彼女の訪問に責任を持っています」私は続けました。「私は彼女が私に持ってきたお米が必要ですが、それを私に与えるか与えないかはあなたの権利です。たとえ、あなたがそれを受け入れることを認めなくても、私の友人の無私の行為と誠実さは、私の心を暖かくしました。それは最も崇高な行為であり、私はそれで十分です。私は満足しています」

看守は明らかに、私が言ったことに少し心を動かされました。彼は数分考えてから、「おまえは10分間話してよい」と宣告しました。テレサは、白湖農場の人々は私がいないのをさびしく思い、私によろしくと伝えたことを私に語りました。彼らは、私が必要なものは何でも郵便で送るようにあらゆる努力をしました。彼女はまた、シスターに寛大になるように私に求めました。「彼女に友好的でありなさい。いつも彼女と食品を分け与えるように。結局のところ、私たちは同じ教会に属しているのです」 10分はあっというまに過ぎ去りました。共産党員の看守は、私がビスケットやパンを受け入れるのを許可しましたが、私たちの懇願にもかかわらず、お米は認められませんでした。テレサにとって、それは大変な失望でした。肩の上の米という重い負担と共に、彼女が白湖農場に戻ることを意味したからです。彼女の愛情と友情の痛みは、彼女がその後に書いた手紙の中で読みとれました。私に会いに行く途中よりも、戻る時のほうが米ははるかに重かったと。私の苦しみの十字架を分かち合うことが出来ないのはあまりにも残念だ、と彼女は言いました。

多くの年月の後、私たちは2人とも一九八〇年代に釈放され、私は故郷の都市である上海でテレサに会いました。私たちは試練を生き延びたのでうれしく思いました。私たちは、今日まで生きていようとは殆ど想像出来ませんでした。私は、テレサと白湖農場でも病院で働いていた崇高な女性の黄博士という2人の友人の親切な援助が無ければ、生き伸びることはなかったでしょう。困難の時の友は真の友です。私の人生で最も貴重な持ち物はお金ではありません。それはキリストの愛を反映する友人の愛です。


聖母の汚れなき御心よ、日本のために祈り給え!

2011年12月15日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 東日本の大震災からもう9ヶ月が経ってしまいました。次のような元東電の技術者であった木村俊雄さんの話のことを知らされました。ご紹介します。

 要点は、
(1)自分は日本原子力研究所でトレーニングを受けた。
(2)自分は、震災後3週間ぐらいで20ミリシーベルト被曝し低線量障害になった。生の証言として、100ミリまで行かなくても、恒常的に常に浴びていれば、何らかの障害が出てくる。自分は47才だから良いが、子供たちは発がん率がもっと高まる。
(3)自分は10年前に東電やめた。勤務している時から東電の隠蔽体質があることに疑問を思っていた。退職希望をに伝えてから、退職まで3年かかった。
(4)原子炉の認可出力は、絶対に超えてはならない。その数値が超えないように、大型コンピューターにアクセスして、認可出力を超えないように操作をする特殊技術を持った数少ない技術者だったので、引き留められた。
(5)退職の理由は「原子力エネルギーというのは斜陽」だから、何故なら今この瞬間のために2万4,000年の間、子孫にごみを、負の遺産を受け渡すことをやっている、それでも発電し続けてるから。
(6)第一の1号機も燃料の全体の燃料の7割が溶けてしまった。原子炉の圧力も、格納容器内の放射線量率も上がり、ヨウ素の131番が減ってない。このことは、つい最近まで確実に再臨界になっていたということだ。何故なら、ヨウ素の131番は放射能の力が半分になるのに8日間、なのにもう1カ月近くになってるのにヨウ素131がどんどん増えてるから。ほんとは再臨界してるのに、原子力安全委員会はこれを認めない。
(7)北東の風が日本を全体を流れてくるときは、絶対に子供を雨に当てないこと。女の人、これから子供をまだ産む人は外に出て雨に当たらないこと。セシウムの137番というのは筋肉にたまりやすく、女の人は乳腺と、あと子宮などの器官に濃縮しやすいから。外に出ならないときは、布マスクの中のガーゼをぬらして、マスクして外に出る。ヨウ素はの毛から吸収されやすいので、帽子をかぶって、直接雨に触れないようにする。
(8)チェルノブイリの近くの泉を守った長老たちは、祈りで守った。目に見えない力も絶対ある。

 以上です。

 日本が放射能の汚染から清められますように、聖母の汚れなき御心にお祈りいたします。愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)




 短くお話ししますと、僕は福島原発、第一原発から15キロ真西に住んでました。標高は550ぐらいあったんで、津波は全く問題なく、家も束石方式の基礎の古い家に住んでたんで、平屋の、で、屋根も軽くて、ちょうど本震が来たときは薪の仕事をしとって、で、一服しようかなと思って、3時前だけど、まあ、いっかなと思って、ココアを、薪ストーブに火入れて、ココア飲んで、で、たまたま午前中にデジタル放送のテレビの難聴区域だったんで、光ファイバーみたいなのを大熊町が引いてくれて、その工事が終わって、で、別にテレビとか、全然見たくないんだけど、子供とかがいるんで、テレビ見れるようにしたんですけど、で、ぱっとテレビつけたら、どーんと緊急地震速報が出て、で、これだと思って、すぐ外出て、で、ココア持ってたんだけど、薪割り台のとこに置いて、で、2分、3分弱ですか、本震があって、その間、山がもう、ごーってずっとうなってて。で、ココア、ほとんどこぼれました。そのぐらい。でも、立ってられて、別に這いつくばって腰抜けるようなほどでもなくて、薪ストーブにちょうど火入れたばっかりだったんですけど、中の煙突がちょっと外れたぐらいで、ひっくり返りもせず、何の被害もなかったです。

 で、次の日、爆発したんですね、1号機が。その爆発までは、僕はもう、地震、津波、炉心溶融というのはもう予測してたんで、で、嫁はちょっと離れたとこに、たまたまちょっといたんで、迎えに来てくれて、土曜日、で、常葉町っていう35キロのところに嫁の実家があったんで、そこに逃げて、で、2日ほどして、まあ、子供もまだ小学校2年生の女の子なんで、もうちょっと逃げようかって話になって、さらに嫁の親戚筋をたどって、栃木県の那須、70キロぐらいですね。まで逃げて、で、そこに3週間ぐらいいたんですかね。で、高知県の県庁が県営住宅の無料開放を宣言してもらったんで、もともとナカムラのほうに、朋輩がおったんで、僕、サーフィンやるんですけど、サーフィンブラザーズがいて、県営住宅あれば、余計行きやすいかなと思って、4月の頭にこっちまで逃げてきました。

 実際、じゃあ、放射線、どのぐらい浴びたのかなってぱっと計算したんですけど、20ミリシーベルトありました。放射線量率って単位時間当たりのマイクロシーベルトとか、ミリシーベルトで表示されてますけど、僕は一応、原子力、学校合わせると20年いて、国の日本原子力研究所ってとこで大学の原子炉工学コースのさらに短時間濃縮コースみたいのを半年ぐらいトレーニングを受けた人間なんで、ちょっとした線量率の計算とか、あと、どのぐらい積算で浴びるのかって簡単な計算方法はもう自分でできるんで、で、こっち来て、落ち着いて、計算したら20ミリシーベルトを大体浴びてて。

 結局、具合悪くなりました。はっきり言うと。栃木の那須に逃げて、すぐ、だから、4日目ぐらいからもう鼻水、どろどろの鼻水が出て、で、鼻血もとまんなくて、のども痛い。これが低線量障害ってやつなんですね。

 だから、実際、100ミリまで行かなくても、恒常的に常に浴びてれば、何らかの障害というのは出てきて、で、国も政府も、当然、原子力安全委員会も、東電も、全く問題ないって言い方してますけど、全く問題あります。というのが1つ、僕の生の証言です。

 一応、今日あんまりコピーしてこなかったんですけども、単位時間当たりの線量率をどうやって積算にするのかという計算式を書いたメモ、すごい汚い字なんですけど、書いてきたんで、欲しい方はどうぞ持ってってください。

 で、0.24マイクロシーベルトパーアワーって書いてありますよね、新聞に。1時間当たり0.24マイクロ、それを1年間ずっと浴び続けると、2ミリシーベルト、1年間当たり浴びるんです。

 ICRPって国際放射線防護委員会が勧告してるのは、一般公衆の被曝線量限度ってのは1ミリシーベルト、わかりますか。その20倍をたった1カ月もたたない3週間ぐらいで浴びちゃったんです、僕は。

 で、僕はもう今年47歳なんで、そんなにもう細胞分裂もしてないからいいんですけれども、子供、子供はもう細胞分裂、活発で、自分の原本のDNAをコピーして体でっかくしてるわけですから、壊れたDNAをコピーすることによって発がん率ってのは高まりますんで、まあ、子供もすぐこっちまで避難させたっていういきさつなんですけれども、そんな、ちょっと生々しい感じの話になっちゃんですけど。

 で、もう1つ言わせてもらうと、僕は10年前に東電やめたんですね。で、何でやめたかって皆さん、聞いてくるんだけど、理由はね、ほんとに簡単なこと。もう、うそ、偽りの会社、ひどい会社。で、偉くなれるのは東大の原子力出てきた人間、技術系だったら、もしくは東大の法学部出てきた人間が社長とかになりますから。で、もう、そういうエリート官僚主義の最先端行ってるとこなんですね。最先端っていうのかどうかわかんないんだけども。

 で、うそばっかついてて、例えば、あるものが壊れましたと、このハンドルが壊れました、壊れた理由は、例えばこうやって日に出しといて、紫外線で劣化して壊れたっていうのが普通の理由なんだけれども、それを経産省、昔でいうと通産省、で、今でいうと保安院と原子力安全委員会に説明するにあたって、自分たちが説明しやすい、しかも、結果ありきでつじつまが合うようにストーリーをつくって、それで保安院に報告してプレス発表するわけです。それを専用のテレビ回線を使って、トラブルをちゃんと収束するまでの間、テレビ会議で延々と、昼夜を問わず、1週間缶詰とか、2週間缶詰は当たり前の中で、どうやって壊れた、ハンドルが壊れた原因を役所で説明しようかってことをやってるわけです。

 で、僕はもう17のときからサーフィンやってて、レゲエの神様のボブ・マーリーが大好きで、で、そのせいで、そういううそ、偽りに気がついて、僕は会社いるときにバランス崩しちゃってですね、そういう世界にいたから。いつも自然と触れてて、レゲエが大好きで、ビールも大好きで、で、友達といい波乗って、おいしいビール飲むっていう生活と、その東電のその組織の中での役割っていうギャップですよ、真逆ですから、はっきり言って。

 で、それでバランス崩して、もうやめたいって表明して、やめるのに3年かかりました。3年です。もう引きとめに引きとめて、で、最後、もう、僕ちょっと労働組合の仕事とかも少しやってたんで、労働組合の委員長と面談になって、引きとめの面談になって、で、何で、キムラ、やめるんだと、そのほんとうの理由を教えてくれと労働組合の委員長に言われたときに、僕、こう言ったんです。

 はっきり言って、10年前ですよ。原子力発電とか、原子力エネルギーというのは斜陽、終わってるって。

 だって、わかりますよね。皆さん、ほんとに意識が高い人たちだから、プルトニウムの241番が放射能の力が弱まる、半分になるまで2万4,000年かかるんですよ。今この瞬間使ってるエネルギーのために2万4,000年先の子孫にごみを、負の遺産を受け渡すことの解が出てないわけじゃないですか、答えが。なのに、発電し続けてることのその矛盾、だから斜陽なんですよ。

 そしたら、労働組合の委員長、こう言いました。キムラ、おまえ、頭が狂ったんだな、気が狂ったんだな。

 僕は、あんたが気が狂ってるんだよってはっきり言ってあげました。そしたら、すごい怒って、おまえみたいなやつはもうやめろと、そう言われて、やめられて。

 で、またその後におもしろい話があるんですけど、僕はね、原子炉の認可出力ってあるんですよ。例えば福島第一の1号機だったら、1,380メガワットなんですよ、原子炉の出力は。1,380メガワットを電気にすると、460メガワットで、東京ディズニーランドを1日動かすのに必要な電気は570メガワット。だから、福島第一の1号機じゃ東京ディズニーランドは動かないんです。足りないの。

 でね、電気の出力ははかれるんですよ、ちゃんと。オームの法則みたいなやつで。「オーム」(ガヤトリー・マントラのたぐい?)ってやつ。なぜかオームなんですけど。

 で、1,380メガワットをはかってるんですけども、間接的に、だけど、認可出力が1,380メガワットだから、絶対に超えちゃいけないんです、それは。1時間に1編コンピューターを使って計算して、打ち出しして、保安院に報告するんです。

 で、1,380メガワットを1メガでも超えちゃいけないんです。で、誤差っていうのは2.5%なんです。ということは、27メガワットプラマイ誤差があるんですけど、だから、うちらは技術者の判断で、それは誤差範囲だからっていうことで下げるんですよ。1,381にならないように、僕が計算機に、大型コンピューターにアクセスして、裏技なんですよ、これは。アクセスして、超えそうなときに係数を掛けるんですよ、0.995とか。1に対して。それで認可出力を超えないように、打ち出しが、そういう操作をしてたんですよ、僕は。

 で、それができるのは東京電力の中でも、4,000人原子力従事者がいるんだけども、社員だけでも、その中でも2人か3人、そんな技を持ってたんで、なかなかやめれなかった。全くやめさせてくんない。

 何でかっていうと、やっぱりこうやってね、内部告発みたいなことするわけですからね。あれは間違ってるよって。だって、僕、人並みぐらいには正直な人間ですもん。だから、知りたい人にはこうやってちゃんとアナウンスして、ほんとうの情報だけ、さっきの単位時間当たりの線量率をどうやって年間にかえるのかとか、そういうことも全部レクチャーしますんで。

 そういうことを危惧して、東電は僕に、会社やめるときに、850万円退職金上乗せしてくれたんです。そのときに、本店に呼ばれて、副社長に、キムラ君、わかってるよね。何がわかってんだろうって思ったけど、わかってますって。わかってるよねって言われたら、わかってます、わからないとは言えないんで、じゃあ、もう帰っていいよって言われて、面接2分、それで850万上乗せしてくれて、で、1,300万もらって、まあ、親が事業やってたんで、全部そっちに回しちゃって、今はそんなお金持ってないんであれなんですけども。まあ、そんなおもしろい話が1つあって。

 で、あんまり、第一の1号機も燃料の全体の燃料の7割が溶けちゃって、で、最近はちょっとデータ見てないんですけれども、原子炉の圧力とかも上がってるし、格納容器内の放射線量率も上がってるし、で、ヨウ素の131番っていうのが減ってない、最近ちょっと減ってきたみたいなんですけども、つい最近までは確実に再臨界になってました。だって、皆さん勉強してるから、ヨウ素の131番というのは放射能の力が半分になるのにたった8日間ですよね。なのに、もう8日たって、もう1カ月近くになってるのにヨウ素131がどんどん増えてる、それ自体がもう再臨界して、臨界にならなければ、ヨウ素というのはできないんです。絶対に。中性子、ぼーんとウラン235番が受けて、割れて、ヨウ素の131番っていうのができるんですよ。原子力っていうのはそういうもんなんで。で、そのうちのアインシュタインの相対性理論の話になっちゃうんですけど、そのうちのほんの1グラムとか、0.何グラムが熱になって、で、水を温めて、蒸気にして、その蒸気をタービンに回して、タービンに直列につながって発電機を回して電気ができるんです。それが発電システムなんで。

 で、絶対にヨウ素の131番は中性子が出て核分裂しない限りは、絶対に出ないんです。だから、再臨界してて、そういう、ほんとは再臨界してるのに、原子力安全委員会、認めないでしょう。東電、認めないでしょう。政府も認めないでしょう。これはね、再臨界はしてたんです。つい最近まで。これはもう事実です。プロがほんのちょっと原子炉の物理とか知ってる人間であれば、だれでもわかること。それがまず1つ、うそね。

 で、さっき言った、例えば0.24マイクロシーベルトパーアワーというのは安全だとかっつってるのもうそ。うそです。

 それが僕は今日、皆さんに伝えたかったことです。で、高知は結構離れてるんでいいんですけど、ドイツの気象局が出してる放射線の、放射能の分布予測、スピーゲルっていうんですか、わかんないですけど、それを見て、北東の風が日本を全体を流れてくるときは、絶対に子供を雨に当てないでください。あと、女の人、これから子供をまだ産む人は出さないでください。それは、おんちゃんらはいいですよ。おれとかも含めて。

 何でかっていうと、セシウムの137番というのがあります、今度。それの放射能が半分になるのが30年かかるんです。で、何が危ないかっていうと、セシウムの137番というのは筋肉にたまりやすいんです。男の人は比較的筋量が多いんで、筋肉に薄く、体の中に取り入れたとしても薄く広がっていきます。だけど、女の人は乳腺と、あと子宮、どうしても筋肉がないんで、そういった器官に濃縮しやすいです。そうするとやっぱり乳がんの発生率とかがちょっと上がってしまう可能性があるので、そんなことは知ってれば防げることなんで、で、どうしても外に出なきゃなんないときは、布マスクの中にガーゼ入ってるじゃないですか。それをぬらして、で、マスクして外に出る。

 あと、ヨウ素が出てる限りは、ヨウ素はやっぱり昆布とか海草類にヨードとしてたまるので、そのヨウ素なんです。で、髪の毛から吸収されやすいです、人間は。だから、帽子をかぶって、直接雨に触れないようにするっていうのが1つ防げる方法です。

 全然そんなことだれも言わないですよね。政府も。だけども、これだけは僕は言いたかったんで、今日、ナカムラから来てみました。

 あんまり話が長くなっちゃうとあれなんで、最後に1つだけ。

 何かチェルノブイリの30キロ圏内にあるすごいきれいな泉を守った長老たちがいるらしいんです。どうやって守ったかっていうと、僕、こんなに原子力のこと勉強して、物理のこととかもある程度勉強したけども、目に見えない力ってのも絶対あるんです。その30キロ圏内にあった泉を守った長老たちは、逃げなかったんです。逃げずにその泉をどうやって守ったか。祈りです。だから、そう言っちゃうと信じる人も信じない人も、どのぐらいの割合でいるかわかんないけども、もしちょっとでも信じてもらえるんだったら、朝、まず、福島第一が穏やかに眠りにつきますようにって祈りと、あと、出てしまって、僕たちが使った放射能じゃないですか。電気のもとだから。それが、愛と感謝の思いによって消滅して、無毒化するようにという祈りで、何とかみんなで力を合わせて、次の世代に伝えてもらえたらなって思います。

以上です。ありがとうございます。

Quant à la situation à la centrale, 70% du combustible de l'unité 1 est entré en fusion. Je n'ai pas regardé les données les plus récentes, mais la pression du réacteur augmente, la dose de radioactivité à l'intérieur de l'enceinte de confinement augmente, et l'iode-131 ne diminue pas. Elle a commencé à décroître un peu récemment, malgré tout. Tout cela veut dire qu'il y a eu en définitive une re-criticité depuis peu. Parce que, comme vous le savez, la demi-vie de l'iode-131 n'est que de 8 jours.
Et pourtant plus d'un mois après l'accident, nous voyons encore une augmentation du niveau de l'iode-131. Cela prouve en soi qu'il y a eu une re-criticité, parce qu'autrement l'iode ne devrait pas être produite. Voilà comment se produit une fission nucléaire.
Et par un mécanisme qu'on peut expliquer par la théorie de la relativité d'Einstein, de la chaleur est produite. La chaleur fait bouillir l'eau pour faire de la vapeur et la vapeur entraîne une turbine. Les turbines sont connectées en série et actionnent un générateur électrique pour produire de l'électricité. C'est le mécanisme de la fabrication d'électricité.

L'iode-131 n'est produite que si des neutrons causent une fission nucléaire. C'est pourquoi je dis qu'il y a eu une re-criticité. La NISA ne veut pas l'admettre. TEPCO ne veut pas l'admettre. Le gouvernement ne veut pas l'admettre. Mais il y a eu réellement une re-criticité depuis peu. C'est un fait. Tout professionnel avec une connaissance de la physique d'un réacteur nucléaire peut le dire. Ce problème de la re-criticité est l'une des choses qu'ils vous cachent.

Un autre mensonge est que 0,24 microsievert par heure est sans danger. C'est faux.

Voilà ce que je voulais vous dire aujourd'hui. Ici à Kochi, vous n'avez pas à vous faire trop de souci, parce que Kochi est très loin de Fukushima. Mais s'il vous plaît regardez la prévision de la dispersion de la radioactivité par le service de météorologie allemand. Si vous remarquez qu'un vent de nord-est souffle sur le Japon, ne laissez pas les enfants aller se mouiller sous la pluie. Et les femmes qui veulent un enfant dans l'avenir. Ne les laissez pas sortir des jours pareils. Nous, les hommes d'âge moyen, ça va, moi y compris.

C'est parce que le césium-137 est dangereux. Sa demi-vie est de 30 ans. C'est dangereux parce qu'il tend à s'accumuler dans les muscles. Les hommes ont relativement plus de muscle. Même si le césium-137 est absorbé par leur corps, il se répand légèrement dans leurs muscles. D'un autre côté, les femmes ont moins de muscle et le césium absorbé tend à se concentrer dans des organes comme les glandes mammaires et l'utérus. Cela peut augmenter l'incidence d'un cancer du sein. Mais c'est quelque chose que vous pouvez éviter en le sachant. Si vous devez sortir de tels jours, s'il vous plaît humidifiez d'abord une gaze à l'intérieur du masque et mettez le masque avant de sortir.

Vous devez faire aussi attention avec l'iode, tant qu'il est libéré. L'iode s'accumule dans les algues et est facilement absorbée par les cheveux. Un moyen donc d'empêcher l'absorption d'iode est de mettre un chapeau de manière à ne pas mouiller vos cheveux avec la pluie.

Vous n'avez pas beaucoup entendu parler de telles choses, n'est-ce pas ? Personne ne vous le dit. Le gouvernement ne le dit pas non plus. Mais je voulais vous le faire savoir. C'est pourquoi je suis venu ici aujourd'hui.

Je ne veux pas parler trop longtemps, mais une dernière chose.

J'ai entendu dire que de sages anciens ont protégé une très belle fontaine située dans un rayon de 30 km autour de la centrale de Tchernobyl. Comment ils l'ont protégé est mystérieux. J'ai étudié l'énergie nucléaire de manière intensive et aussi la physique. Mais je crois toujours en l'existence d'un pouvoir invisible. Ces hommes sages n'ont pas évacué après l'accident. Comment ont-ils protégé la fontaine ? Par la prière. Je ne sais pas combien parmi vous croient au pouvoir de la prière. Mais si vous pouviez y croire, même rien qu'un petit peu, alors s'il vous plaît priez le matin pour que la centrale de Fukushima 1 repose en paix. Et rappelez-vous, nous avons bénéficié de la radioactivité parce que cela produit de l'électricité. Priez donc pour que les radiations soient neutralisées et disparaissent par votre sens de la gratitude et votre amour. J'espère que nous unirons nos efforts et transmettrons cette prière à la prochaine génération.

C'est tout ce que j'avais à vous dire . Merci.


カトリック教会のためのロザリオの十字軍、現在16,621環のロザリオが集まりました

2011年12月15日 | ロザリオの十字軍

アヴェ・マリア

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
 さて、2011年の復活祭からフェレー司教様が発動した第4次ロザリオの十字軍の報告を申し上げます。
 2011年4月23日から2011年11月31日までの分として、現在日本から、総計
 ロザリオ 16,621 環

 の報告を頂きました。深く感謝します。

【報告】
アヴェ・マリア!
トマス小野田神父様

ロザリオの十字軍のご報告をさせていただきます。

11月21日から12月4日18時(日本時間)まで
私と子供2人あわせて27環でした。

では、早速、公教要理の質問をさせていただきます。

天使と人間の関係性であります。
公教要理の質問のなかに「なぜ人間は神の似姿、神にかたどられたものであると
言われますか」という質問があり、回答として「人間の霊魂は霊的、理性的なもので、その働きは自由で、神を知り、神を愛し、永遠の幸福をたのしむことができます。しかし、このような特長は、主の無限の偉大さの反映ですから、人間は、神の似姿、神にかたどられたものと言われるのです。」とあります。
一方で天使は「知性を備えた純粋な霊ではある」との記述はあるものの、神の似姿とは言われていません。天国から永久に追放され地獄に落ちた天使である悪魔は人をねたむとありますが、天使は神の似姿ではないにもかかわらず、人は神の似姿といわれているということがそのひとつの理由なのでしょうか。
また、天使は「神のお造りになったものの中で最も高貴な被造物である」ということですが、最も高貴な被造物を作ったうえで、あえて、人間をお造りになった目的は何なんでしょうか。

ご教示いただけると幸いです。

小野田神父様に天主様の祝福が豊かにありますように!

【お返事】
 御質問を感謝します。確かに聖書にも天使は主の霊であると書かれていますが、天主の似姿とは言われていません。だからといって、人間が天主の似姿ではあるが天使は天主の似姿ではない、ということではありません。
 天使も人間と同じように、「霊的、知性的なもので、その働きは自由で、天主を知り、天主を愛し、永遠の幸福をたのしむことができる」のですから、また「このような特長は、主の無限の偉大さの反映である」のですから「天主の似姿、天主にかたどられたもの」と言われえます。
 それはちょうど、私たちの主イエズス・キリストが私は世の終わりまであなたたちと共にいる、と言われた、だからといって、この世の終わりからは共にいなくなるわけでは決してないのと同じであります。
 私の思うには、天使はあまりにも天主に似通っているので、その必要がなかったから、また、人間は得てしてあまりにも動物的になり目に見えるものにとらわれて肉欲を求めてしまいがちなので、敢えて聖書では人間に教えるために、人間たちよ、おまえたちはブタやネズミのような動物ではなく、天主に似せて創られたのだその高貴な地位をわきまえよ、ということを明記したのだと思います。

 また、天使は「神のお造りになったものの中で最も高貴な被造物」ありますが、最も高貴な被造物を作ったうえで、あえて、人間をお造りになった目的は、人間を幸福にしたいと思ったからです。何故、人間を創ろうとしたその理由・動機は、それはただただ天主が良い方であるからで、全く自由に、全くの善意から、全くの善良さから、人間を創り給うたのです。


【報告】
+J,M,J,Ave Maria ☆!

小野田神父様、聖務に御忙しいのに日々のブログをありがとうございます。
小野田神父様のご健康のために毎日お祈りしております。
日本のためにも、天主様の御慈悲をこいねがいます。
報告が遅くなりすみません。

つたないながらロザリオの十字軍の意向でとなえましたロザリオの報告をさせていただきます。

家族の8人で 11月分として393環をお捧げしました
なかなか数が増えません(T_T)、もっと祈らなければ!!
良き待降節を御捧げできますように!
原罪なくして宿りたまいし聖マリア、御身によりすがる我らのために祈りたまえ。


【お便り】
アヴェ・マリア!

 お元気でいらっしゃいますか。

 伊達藩では、徳川時代に禁教であったカトリックの信仰が途切れることなく守られていました。
 今回の福島の原発事故を受け、全国のセシウム汚染地図が新聞報道されました。 ドイツで作成された地図でした。その中で、明らかに 仙台は守られたという印象を受けました。
  にわかに仙台に興味を持ち、調べてみました。(神父様はとっくに御存知と存じ上げますが、私は知らなかったので・・)

 今から約400年前仙台藩伊達正宗は支倉常長をローマに送り、司教区の設立と通商を求めた。常長はスペインで授洗、パウロ5世教皇様と謁見を果たすも 司教区の設立と通商については目的を果たせず。
 常長帰国時、日本はキリスト教が禁教となっており、常長失意のうちに2年後死去。

 数年後、支倉家家臣にキリスト教信者が見つかり、お家取りつぶしの危機にあうも、伊達家の支援によりお家存続

 常長が太平洋航路で使った日本の木造船の名称は 洗者聖ヨハネ号 
 復元船は、東日本大震災の津波被害にも耐えたそうです
 http://www.santjuan.or.jp/before/index.html

 同号は、400年前、途中経路でフィリピンを経て日本に戻ってきました 同行の神父さまは殉教なさいました。

 ろうそくの炎のように、脈々と受け継がれていく信仰。
 我が家のろうそくの炎は 1549年の聖フランシスコザビエル様の日本宣教にはじまり、数え切れない日本の尊き殉教者によって清められ 受け継がれてきたのだなあと思うとあらためて 感無量です。そして、聖母に今一度、日本を奉献させていただきたいと思いました。
 
  小野田神父様がフィリピンにおられること、シャザル神父様が海軍の御家庭ご出身で海運について 時に熱く語ってくださること、すべて 神様の御計画であるのだなあとあらためて思いました。神様に感謝いたします。

 話は変わります
 夏から秋にかけて、必死にロザリオをしていた子供たちですが(一日二〇環ほどもしていたころがありました)
 一日に20環ともなると、通学時間はもとより、休み時間、果ては授業中まで
(!)ついには忘れ物多発!でもロザリオがんばる!ということになっていたようです。それはそれで、お恵みもたくさんいただきましたが、
 毎日の授業・生活・そして量ばかりではなくロザリオの祈りの質を高める必要もありましたので、今は「一日3環プラスアルファで、ていねいに」と言っています。

それではまた 報告申し上げます。神様に感謝いたします。

【お返事】
 私も言われて地図を見てみましたら、仙台が汚染から免れているようですね。すごい!


 切支丹たちの殉教の血が仙台を守ったのでしょうか、仙台の方々の祈りの力でしょうか。

 はい、ロザリオ、丁寧に心をこめてお唱え下さい。


【報告】
フランシスコ・パウロ

ロザリオ

†アヴェ・マリア
11月のロザリオは78環です。
皆様が良き待降節を過ごされますように。
主の御降誕に清貧の徳を願いたいものです。

【お便り】
アヴェ・マリア!
トマス小野田神父様

公教要理のご質問をさせていただきます。
使徒信経の第一箇条は、「われは天地の創造主、全能の父なる天主を信ず」
でありますが、そのなかの質問で「なぜ神は、罪が存在することを許されるのですか。」という質問があります。
罪などなければ人間は幸福な状態のままでいられたはずなのになぜ
罪があるのだろうというのは、根源的な質問だと思いました。
公教要理はこの問いに対して、「人間は神に与えられた自由を濫用しても、
神はそこから善を引き出し、御自分の慈悲や正義をますますあらわすことがおできになるので、神は罪の存在をお許しになるのです。」とお答えになっています。
私は、この言葉の意味は、人間が罪を犯さないということは、「功徳(いさおし)」になるので、そのいさおしをつくる機会を人間にお与えになることで天主様に栄光を帰するということが天主様のご計画であり、そのためには、罪が必要悪として存在しているということだと思いましたが、さらに踏み込んで考えると天主様は、人間に自由意思、すなわち、罪を犯す自由と犯さない自由をお与えになったが、犯さない自由を選択するところに、「いさおし」の意味があり、天主様の愛と栄光もまさにそれゆえにあるということなのでしょうか。
つまり自由意思がなければ、人間はロボットと変わらないということになりますが、天主様はロボットでは愛も栄光も生まれないので、罪も生じ得るものの
あえて自由意思を人間に与えようと思し召しになったということでしょうか。
以上の私の理解でよいかご教示ください。
小野田神父様に天主様の祝福が豊かにありますように!


【お返事】


「なぜ神は、罪が存在することを許されるのですか。」という質問があります。
なぜ罪があるかということは、根源的な質問であります。

 正に、公教要理が答えているとおり、「人間は神に与えられた自由を濫用しても、天主はそこから善を引き出し、御自分の慈悲や正義をますますあらわすことがおできになるので、天主は罪の存在をお許しになるのです。」

 はい、自由意思がなければ、人間はロボットと変わらないということになりますが、天主様はロボットでは愛も栄光も生まれないので、罪も生じ得るもののあえて自由意思を人間に与えようと思し召しになったのです。

 悪が起こることを許すのは、その生じた悪よりもさらに大きな善が生じることが出来るからです。そして、例えば善人の忍耐や英雄的な愛徳を実践する機会を与えるために迫害する人々の罪が存在することを許すなど、人間に自由を与え、その自由を全く尊重しつつも、すべては天主のより大いなる栄光のために結局は導かれることができるほど、天主の全能と智恵が優れているのです。


【報告】
トマス小野田圭志修道院長

十主の平安!♪
アヴェ・マリア!!♪♪

日本はかなり寒くなりました

http://video.google.com/videoplay?docid=1872714663680800365#

説教の初め、あるいは説教の前に、書簡と聖福音が母国語で朗読される場合、書簡の朗読中は会衆は着席、聖福音の朗読の間は、会衆は起立となりますか?

・聖福音のラテン語朗読→起立
・書簡の母国語朗読→着席
・聖福音の母国語朗読→起立
・説教→着席

説教と聖書朗読はミサの部分として区別されるべきですね?

 聖ピオ十世会のフランス管区のように司祭が多い(170名)ところでは、例えばひとりの司祭がラテン語で書簡や福音を(少し小さめな声で)読んでいる間、別の司祭がフランス語で同じものを大きな声でマイクで読む、ということもあるようです。(例えばサンニコラで。)



【お返事】
 ご質問をありがとうございます。
 書簡と福音を国語で読むことは、フィリピンのマニラでは、英語(或いはタガログ語)で主日だけに福音の直後、お説教とクレドの前になされます。フィリピンのマニラでは、司祭が説教台に来て、まず(1)書簡の英語での朗読、(2)福音の英語での朗読、(3)主日のお知らせ、(4)説教、という具合になされますが、(1)~(3)は省略されたり、或いは、別の司祭がやったりという具合に、いわばお説教の付録のように考えられています。司祭は、これらをすべて、信徒の方を向いて読みます。福音の朗読中は、信徒は起立すべきです。

 ご指摘の通り、
・聖福音のラテン語朗読→起立
・書簡の母国語朗読→着席
・聖福音の母国語朗読→起立
・説教→着席
 のようになります。


【質問】…長くなりますが、随意ミサに関して次のような記述があります。
 ドン・ボスコ出版『毎日のミサ典書』61ページには、規定ミサと随意ミサについて次のように説明されています。

----引用 ----

3 規定ミサと随意ミサ
一般に、祝日のミサは規定ミサであるが、しかし、二つの祝日が同じ日になる場合、典礼法規によってゆるされれば、等級の低い方のミサをささげることもできる。
しかし、典礼暦年と聖務日課に無関係なミサを挙げられる日もある。
こういう日のミサは、随意ミサ(Missa votiva)という。それは、司祭または信者ののぞみによって、ミサを執行するからであって、各自の信心によるミサである。
これらのミサには、特に集祷文等に関して典礼法規が定まっている。時には、こういうミサを盛大に挙げてもよい。典礼の規定がゆるせば、この盛大なミサなら祝日に挙げてもよい。たとえば、初金曜日に、イエズスの聖心のミサを挙げることなどはゆるされている。
死者のミサを歌ミサで行う場合は、教区によって各々規定がある。しかし、その日の祝日のミサを煉獄のためにささげることもある。 従って、祝日には、葬儀ミサとしてその日の祝日のミサを挙げる。
---------------


そして、前掲書後半部分93ページからは、聖マリアの随意ミサ、104ページからは、曜日で決められた随意ミサ、123ページからは、特定の日の随意ミサ、について書かれています。

----104ページの記述 ----
随意ミサは、特別な信心のために行われ、その日の典礼とは別個のものである。 これを行うことが許されるのは、特権をもたない平日と、単調の祝日(Simplex)とである。随意ミサには、主のミサ(王たるキリスト、聖心、イエズスの御名)があり、また、無原罪の聖マリアと、七つの御苦しみの聖マリア、そして、列聖された聖人たちすべてのミサがある。

ミサ典書において、週間の特定の日に定められているあるミサ、また、教皇選挙とか婚姻とかの場合に行われる随意ミサもある。 初金曜日に行われるイエズスの聖心の随意ミサには、特別な典礼法規がある。この場合には、栄光誦と信経とをとなえる。
今の随意ミサでは、天使等の随意ミサ以外の場合は、栄光誦をとなえない。
----------------

 主日や土曜日など人が集まりやすい日に、随意ミサをささげることは、許されるのでしょうか。

 5月の秋田の巡礼で、悲しみの聖母や、聖母のけがれなき御心の御ミサがささげられたことをお聞きしました。これは、どのような考え方からなのでしょうか。


【回答】
 主日に随意ミサをささげることは、許されません。何故なら、主日は必ず、或いは1級、或いは2級だからです。随意ミサが許されるのは普通は、4級の平日だけです。何故なら、普通の祝日は少なくとも3級だからです。
 ただし、特別な日、例えば初金、には、イエズスの聖心への特別な信心を行っているかぎり、イエズスの聖心の随意ミサを2級として捧げることが出来ます。初金には、2級以上の祝日と重なったりしないかぎり、つまり3級の祝日と重なったとしても、イエズスの聖心の随意ミサを捧げることができます。

主日に移動させて、聖母の随意ミサをささげること、あるいは、何らかの聖人の祝日のミサを主日に移動させて祝うことは、典礼法規に従えば許されません。どのミサを捧げるかは、すべて典礼法規によるからです。

 また「婚姻のミサは」その婚姻の日が主日或いは1級主日の日であれば、主日のミサ、あるいは1級主日のミサを行わなければならず、「婚姻のミサ」はできません。

 巡礼の時には、巡礼に関わるミサを2級の随意ミサとして捧げる特許がありますので、3級祝日以下の等級であれば、特別許可により、巡礼地のミサ聖祭を捧げることが出来ます。例えば、聖ブリジタの聖地に巡礼に行った場合、特別にその祝日ではなくても、聖ブリジタのミサを捧げることが許可されます。

 私たちは秋田巡礼の場合には、「秋田の聖母のミサ」がありませんので、秋田の聖母であると考えられる「聖母の汚れなき御心」と「悲しみの聖母マリア」のミサを、アジア管区長(聖ピオ十世会の管区長は、教区でいえば司教様と似たような役割を持っているので)の許可を得て、巡礼の特許ミサとして捧げました。

 随意ミサとして、たとえば木曜日には、「御聖体の御ミサ」がささげられることができますが、他の祝日があれば捧げることは出来ません。聖母マリア様のミサも土曜日に1年通じてささげられますが、それも3級以上の祝日があれば、捧げることは出来ません。


【質問】
主の御降誕第3ミサ(日中のミサ)の最後の聖福音朗読
・毎日のミサ典書1969では、御公現の大祝日の聖福音が読まれるように指示されています。リベル・ウズアリス(1961)もそうです。古い典書はそうです。
・ところが、1962年版の外国のミサ典書では、最後の聖福音は省略となっています。
小野田神父様のところは、1962年版に従うと以前に書かれていました。最後の福音は省かれますか?

 よい待降節が過ごせますように、お祈りください。
 それでは、よろしくお願いしたします


【お返事】
 はい、1962年版に従うので、最後の福音は省かれます。


【報告】
勝利の聖母修道院長
トマス小野田神父様

11月中のロザリオは86環です。

【お便り】
+主の平安

小野田神父様、お久しぶりです。
お元気でおすごしですか。

ローズ、フーさんの記事、いつも感動しながら読ませていただいております。
すばらしいですね。翻訳なさってくださる方にも心から感謝です。

待降節にはいり、これからクリスマスまでお忙しいことと思いますが、お身体大切になさってくださいませ。
お祈り致しております。


【報告】
聖母の愛して居られますトマス小野田圭志神父様! ♪

十主の平安!♪
アヴェ・マリア!!♪♪

聖ピオ十世会は、どんどん司祭方が増えておられますね!
天主様の!♪聖心に適っている事が!♪よく分かりますね♪

では、11月分の、フェレー司教様の御意向の!♪
聖なるロザリオの!♪御報告をさせて頂きます。

*シスター  90環(御元気です、とのことでした、とても嬉しいですね、何か安心致しますね♪御恵みですね♪)
*ヨゼフ マリア  60環
*ヨゼフ      90環
*マリア     290環
*ヨゼフ       8環
*マリア       4環
*マリア      62環
*バルナバ      2環(どんどん、増やしますように、御祈り御願い致します!)
*エリザベト    30環
*テレジア    100環
*マリア      48環
*マリア      30環
*マリア・ローザ  33環
*マリア      50環(10月、11月との事です)
*マリア     121環(御祈り御願い致します!)
*アンナ      22環(御元気になられまして、本当に良かったです、
御祈り有難うございました!)
以上です、合計1040環です、どうぞ宜しく御願い致します。

16日(四季の金曜日)17日(四季の土曜日)御ミサ!♪
どうぞ宜しく御願い致します!
与れますように、御祈り御願い致します!
家族への、たくさんの御祈り、いつも、本当に有り難うございます!

 デオ・グラチアス!!

もうすぐ御降誕下さいます幼きイエズス様!♪
無原罪の御宿りの聖母マリア様!♪
聖会の保護者なる聖ヨゼフ様!♪

  お祈りのうちに  アレルヤ!

【報告】
アヴェ・マリア!

 11月は死者の月でしたが、冬支度などの用事があってロザリオの数がこの前と比べて少なくなってしまいました。

 先生がたくさんのロザリオをするように活動してくださったので、みつばちクラブでは待降節に入ってから 約二倍の量になってきています。

 11月 みつばち  88環
    てんとうむし364環
      合計  452

 12月はクリスマスもあるので、頑張りたいと思います。

 デオグラチアス

【お返事】
 てんとうむしさん、すごいですね!沢山のロザリオをありがとうございます。

【御質問】
◇2月5日 「日本26聖人殉教者」の日は外国では「殉教者童貞聖アガタ(3級祝日)赤」の日ですが、日本で26聖人の日に聖アガタの記念は行われないのでしょうか?
【回答】
◆記念が行われます。

【御質問】
6月23日が主日に当たった場合、この日は洗者聖ヨハネの前日(2級)です。
記念は行われないのでしょうか?

【回答】
◆規則として、「主日(2級)」と「前日(2級)」が重なった場合には、「前日」については何もしません。

【御質問】
◇9月29日 「大天使聖ミカエル」は1級祝日ですが、主日の記念が入っています。

【回答】
◆一級祝日と二級主日が重なった場合、一級祝日を祝い、二級主日の記念を行わなければなりません。

【御質問】
◇11月1日「諸聖人の祝日」の日が金曜日に当たった場合、「小斎」はどうなりますか?

【回答】
◆11月1日 「諸聖人の祝日」の日、日本では守るべき祝日ではないので、小齋は生きているはずです。


天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

+ + +


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次

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聖ピオ十世会の聖堂が与えられますように

2011年12月09日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会は日本で長らく活動しておりますが、まだ聖堂を持っていません。

 いったいどうやって?これは、聖ヨゼフ様に全てお任せします。イエズス・キリストの産まれる場所を準備して下さった聖ヨゼフ様が、日本の私たちのためにも、私たちの主イエズス・キリストがお産まれになる聖堂を与えて下さることを信じています。

 日本の私たち、聖ピオ十世会に聖堂が与えられますように聖ヨゼフ様にお祈りをお願いします。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

聖ヨゼフよ、我らのために祈り給え!
聖ヨゼフよ、我らのために祈り給え!
聖ヨゼフよ、我らのために祈り給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

明日は無原罪の聖母マリアの祝日

2011年12月07日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 明日は無原罪の聖母マリアの祝日ですね。聖なる日としてお過ごしください。

原罪なく宿り給いし聖マリア、御身に馳せ寄せる罪人なる我らのために祈り給え!

原罪なく宿り給いし聖マリア、御身に馳せ寄せる罪人なる我らと日本のために祈り給え!
原罪なく宿り給いし聖マリア、御身に馳せ寄せる罪人なる我らと世界のために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2012年の聖伝典礼カレンダーのお知らせ

2011年12月04日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日は、待降節第二主日でしたね。如何お過ごしでしょうか?

 12月の聖伝のミサの時に、2012年の聖伝典礼カレンダーをお持ちします。ひとつはフィリピンのマニラで作った英語版のカレンダーで、もうひとつは大阪の信徒会長が作って下さり、大阪の信徒の方々がデザインしてプリントして下さる日本語版です。

 どちらもカラー印刷で、英語版も日本語版も一冊500円でお分けさせてください。特に英語版で生じると期待します利益は聖ピオ十世会の活動支えるためになりますので、愛する兄弟姉妹の皆様の寛大なご理解とご利用をお願いします。

 12月の日本での聖伝のミサには、愛する兄弟姉妹の皆様のしもべが参ります。よろしくお願いいたします。


 愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

至聖なるイエズスの聖心よ、我らを憐れみ給え!

2011年12月03日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 報道によると、東日本大震災:M7以上の余震発生確率15%…気象庁だそうです。

 気象庁は18日、東日本大震災の震源となった宮城県沖で12月14日までの1カ月間にマグニチュード(M)7以上の余震が発生する確率が15.1%とする予測結果を、同日開かれた地震予知連絡会に報告し、「被災地では引き続き大きな余震に注意が必要だ」としている、とのことです。

 国土地理院は、震災で沈下した地盤が隆起して元に戻ろうとする「余効上下変動」について、震災前の水準に戻ったのは東京都のみで、宮城県から茨城県北部の太平洋側では、平均で沈下幅の約2割しか回復せず、岩手県沿岸部ではさらに沈下が進んでいるとの観測結果を報告しました。

 また、マグニチュード9・0を記録した東日本大震災の影響により、周辺での地震の発生率が震災前と比べて10倍以上に上昇した活断層が全国で11カ所あることが11月24日、東京大学地震研究所の研究チームの調査で分かったそうです。

 特に断層帯の動きが活発化した可能性が高く発生率が上がったのは東北から中部にかけてで、
(1)長野県の境峠・神谷断層帯主部や
(2)岐阜県の猪之鼻断層帯、
(3)神奈川・静岡県の北伊豆断層帯
など6カ所です。

 北伊豆断層帯は発生率が、最も高い約70倍となりました。

 また、先日、北海道大学 地震火山研究観測センター 地下構造研究分野のwebサイトで森谷武男氏が、2011年12月から2012年01月にかけて再びM9クラスの地震が発生する可能性があるとの警告を発表しました。東日本大震災前に観測されていた地震エコーと似たような感じの地震エコーが観測されているそうです。

 もしもこのまま3月11日の地震の前と同じ経過をたどるとすれば,再びM9クラスの地震が発生すると推定され、震央は宮城県南部沖から茨城県沖の日本海溝南部付近であろうと考えられるとのことです。しかし地震エコーの衰弱からだけではピンポイントでの予想は難しいようです。

 北海道大学 地震火山研究観測センターの森谷武男氏によれば、
(1)2011年3月11日の 東北地方太平洋沖地震の前に8か月ほどさかのぼる2010年6月27日からえりも観測点において89.9MHzのチャンネルに地震エコーが観測され始めた。おそらく東北地方の葛巻と種市の可能性が強いと考えられる。
(2)この地震エコーは8ヶ月続き,2011年1月には弱くなり、ついに3月07日のM7.3の前震が発生後、M9.0が発生した。
(3)地震エコーの総継続時間は20万分を越えてM8以上の可能性があった。
(4)M9.0の発生後,地震エコーの活動は弱かった。
(5)いわきの地震M7.0が発生したころから地震エコーの活動は再び活性化し始め、現在まで昨年後半に観測された状況と良く似た経過をたどっている。
(6)地震エコーの総継続時間は16万分に到達した。
(7)もしもこのまま3月11日の地震の前と同じ経過をたどるとすれば、再びM9クラスの地震が発生すると推定される。
(8)震央は宮城県南部沖から茨城県沖の日本海溝南部付近であろうと考えられる。
(9)震源メカニズムが正断層である場合には 海底地殻上下変動が大きいので津波の振幅が大きく巨大津波になる可能性も考えられる。
(10)発生時期は12月から2012年01月にかけてと考えられる。
 とのことです。

 地震エコーの研究を続けているのは、北海道大元助教授で同大地震火山研究観測センターの研究支援推進員、理学博士の森谷武男氏です

 普段は受信できないFM放送向けVHF帯(超短波)が、地震発生前になると本来、到達しない地域にまで届くこと、どこかの放送局が出した電波が、地震が起きる前になると、届かないはずのエリアまで伸びてしまうということがおこるそうです。その異常な電波の受信が続いた後、受信が落ち着く1-9日の「静穏期」を経て地震が起きる“法則”を森谷武男氏はみつけました。現在は北海道内と福島県、群馬県に計15カ所の観測点を設け、電波の乱れに目を光らせています。

 森谷武男氏氏の統計では、異常な電波を受ける継続時間が長いほどマグニチュードや震度が大きくなり、10分続けば震度1、100分なら震度2…と次第に強くなるそうです。「ただ、東日本大震災のおかげで巨大地震が発生する場合、危機が迫ったことを示す静穏期を判別しにくいことが分かった。現状でM9レベルのエネルギーが蓄積されていることは間違いない。つまり巨大地震は今後、いつ起こっても不思議ではないということだ」

 東京大学地震研究所の都司嘉宣准教授によれば、「過去には1896年にM8.5の明治三陸地震が三陸沖を震源として発生していますが、その2ヵ月半後に内陸部(秋田と岩手の県境)を震源とするM7.2の陸羽地震が起きています。そうした前例もあるだけに、内陸での直下型地震も可能性としては大いにあり得るのです」 近い将来、大地震が再び起こることだけは疑いようがないようです。


至聖なるイエズスの聖心よ、我らを憐れみ給え!
聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!
聖フランシスコ・ザベリオよ、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


ジョージ・オーウェルの「1984」の世界に私たちがますます近づいているようですね

2011年12月03日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今日は聖フランシスコ・ザベリオの祝日です。宣教地において宣教者の守護の聖人です。おめでとうございます。
 愛する兄弟姉妹の皆様は、いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

 以前、カレログについて、ひとり言をしたことがあります

 ジョージ・オーウェルの「1984」の世界に私たちがますます近づいているようなこと、テレビを監視カメラとして全ての人民を監視するかのように、テレビはデジタル化し、これからはテレビは視聴者の側からも情報を送ることが出来るようになり、これからはテレビではなくなり、監視スクリーンにもなりえるようになりました。
 携帯電話も、これからは電話ではなく、小型コンピューターになり、「カレログ」や『オッパミッチ』、というか「タミログ」のアプリがプリインストールとされる世界がくるようだ、と。

 実は「Android携帯等の全履歴、プリインストールで無断収集」されていたことを教えてもらいました。

 最近のAndroid携帯やBlackBerry、Nokia社製の携帯のほとんどには、『Carrier IQ』というソフトウェアがプリインストールされ、テキストメッセージやキー入力の内容をすべて記録し、サーバーに送信しているのです。

 エッカート氏はCarrier IQを分析して、このソフトが端末の使用履歴をひそかに記録していることを明らかにし、同氏はこのソフトを「ルートキット」[ユーザーに察知されることなく侵入者がシステムへのアクセスを維持できるソフトウェアのセット]と呼んでいます。

「ダイヤル画面でボタンを押すと、それはすべて、通話の発信よりも前に、IQ社のアプリケーションに送られる」と、エッカート氏は動画の中で説明しています[12:09くらい]。

 携帯電話のユーザーには、このルートキットの存在について知らされていませんし、これを無効にする手段も与えられていません。しかも、Carrier IQ社は11月16日、エッカート氏に対して、法的措置も辞さない構えで、多額の損害賠償を求める可能性があると圧力をかけさえしました。ところが21日に、電子フロンティア財団(EFF)がエッカート氏を支持する立場を表明すると、同社は当初の主張を取り下げたそうです。

 国民が現在どこにいるかを把握するスマートフォンのGPS機能を用いた位置情報通知サービス「タミログ」は、もう想像の世界ではないようです。

 すべて丸みえ…最強の追跡アプリ、行動、考え、友人関係、すべてを知り尽くしたいという願望を叶えてくれるのが『タミログ』。

 主よ、我らを憐れみ給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】