Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第四十六章 癌の狂想曲

2011年12月23日 | カトリックとは
第四十六章 癌の狂想曲

私は一九九七年四月十七日、生体検査で乳癌を患っていることが分かりました。医者は、私の癌が後期段階にあったので、すぐに手術を受ける必要があると言いました。私はその時点で保険に入っていなかったので、私はすぐに治療を受ける余裕がありませんでした。私は途方にくれ、何をすべきか見当もつきませんでした。私は癌を患っていたものの、働き続ける必要がありました。さもなければ、私は生計を立てることが出来ませんでした。私は病院を去った後、私が行った最初の場所は教会でした。癌を患っていることは私のせいではありませんでした。天主様がカルワリオの道中を同行するように私をお選びになったのは、とてもはっきりとしていました。天主様と一緒に苦しみ続けるのは私の特権でした。苦しみは天主様の特別な贈り物です。最良の方法は、「フィアト」、「デオ・グラチアス」と言うことです。私は、もし苦しみが宝くじであるならば、私は何度も何度も当たりくじを引きたいと天主様に何千回と言いました。宝くじはお金としか関わりがありません。それは天主様の御恵みと比較することは出来ません。天主様は海の上を歩くよう私にお求めになりました。聖ペトロが出来たのですから、私も出来ます。ポイントは、私の目が天主様に注ぐのを保ち、その他の物を無視することでした。
 天主様にとって不可能なことはありません。天主様は、私に現実を知ることを通して真実を示しました。診断後四ヶ月間、私の店の誰もが私の深刻な病気を知りませんでした。私はいつものように働き、他の人のように決まった仕事を行って、服を選び出してぶら下げ、その上にタグを付けました。私は一日に三百着以上の服を掛けました。私は不器用に生まれ、何でもすることが遅かったのです。今、私は自分のエネルギーが減って具合が悪いと感じたとき、どうして私が速く物事を行うことが出来たでしょう?私の上司は冷淡でした。私の遅い進み具合は彼女を混乱させました。ほぼ毎日、彼女は私に対して声を上げました。「どこかが悪いの?あなたは他の人とペースを保つことが出来ません。このまま行けば、新たな人手を雇わなければならないでしょう」

 夏の盛りの湿気と暑さの中で、並び替えの部屋にはエアコンも扇風機もありませんでした。私は服を一つずつ掛け、私の顔は膨らみ、脚は腫れました。がんのしこりは私が背負う十字架でした。毎日、私は自分の苦しみのためにさまざまな意向を持っていました。今日、私は煉獄の憐れな人々の霊魂を救うために私の仕事を捧げました。三百着の服は三百人の魂を救うためでした。翌日、私は罪人の改心、そして自分と家族の痛悔のためにそれをしました。このように、天主様の無限の御恵みと共に、私は自分の仕事が以前の様にとても耐難くはないことに気付きました。時には、それは慰めやより簡単なことであるように見えました。

 七月末に私の保険は提出され、私は八月二十二日に手術を受けました。私のがんは体中に広がっていたので、手術は八時間以上かかりました。私は天主様に祈りました。「今が私の苦しみの終わりでしょうか?あなたが私に多くをお与え下さるとは思いません。私はあなたと議論することは出来ません。あなたは私の天の父です。あなたは私を愛し、そして見ておられます。私はただ、あなたと一緒にいるようにして下さることを願っています。なぜ、私はあなたを愛さないというのでしょうか?」天主様は私をからかわれているのではありませんでした。

 私は手術後には危機が去ったと思いましたが、そうではなく、私は手術から数日後に、化学療法を受けるように私に求める通知を受け取りました。私は義母に言いました。「今、自分のピザにさらに二つのトッピングを追加しています。明日、私は化学療療法を受けます」義母は泣き出して言いました。「なぜ、あなたの苦しみには終わりがないように見えるの?」「天主様が私を愛しているから」

聖書の中の小さな子供は、私によい例を与えてくれました。彼はわずか五つのパンと二匹の魚しか持っていなかった時、彼は自分自身のためにとっておかず、イエズス様に捧げました。彼は、イエズス様が、彼とこれら多くの人々を養えることを信じました。私も同じ様にすることが出来ました。私は、自分の守護の天使に、小さな籠に私の5つのパンと2匹の魚を入れるように頼みました。私の守護の天使が私の手を取って、イエズス様に向かって歩き、「主よ、彼女の捧げものをお受け取り下さい。どうか、助けを渇望している多くの霊魂が受け取れるように、彼女の苦しみの花を祝福して下さい」化学療法は患者にとって恐ろしい苦しみですが、天主様はあなたが耐えることが出来るよりも重い十字架を与えることはありません。私の経験で、いくつかの予想外の救済と慰めは、私が受けた苦しみの後に来て、そしてそれは報われるのもので、しかも心温まるものであることが分かりました。天主様の御恵みにより、私は化学療法の八つのセッションを受けました。私はそれらを受けて、それほどには酷くはないことが分かったので嬉しく思いました。

私は自分の癌の過程で、天主様の呼び出しへの準備が出来ていました。最初、私は最も信心深く清らかな瞬間に私をお呼びになるよう、天主様に祈りました。私は自分の守護の天使に、自分の手を取って天国への赤い絨毯を歩くように願いました。私は天主様の御顔を見るのに、年配の女性ではなく、片方の手に小さなお花の籠を持った女の子であることを望んでいました。私が歩くにつれて、私はあちらこちらに花を播いて、自分の感謝と愛情を天主様、そして聖母マリア様に示すでしょう。化学療法のセッションは、実にこの世の煉獄です。誰もがそれを恐れています。ですが、それが天主様の御摂理であるならば、誰もそれを避けることは出来ません。かわいそうに!患者の多くは進んで天主様に苦しみを捧げません。それは実に途方もない無駄です。もし、彼らが文句を言わずにそれを単に受け入れるならば、それは霊魂の救済のための宝になります。その苦しみは非常に現実的でしたので、私は彼ら癌患者のためにそれを捧げました。私は、彼らは苦しんでいたものの、彼らが自分たちの霊魂にがんを持っていないようにと祈りました。彼らの苦しみを通して、彼らはおそらく、苦しみの本当の価値が何であったか実感したでしょう。


-------------------------------------
『楽は苦に在り』ローズ胡美玉 著 目次
-------------------------------------


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】