Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第四十四章 導く光

2011年12月21日 | カトリックとは
第四十四章 導く光

私は私の高校時代にユーゴーの「レ・ミゼラブル」何回も読みました。私が最も感動したのは、どのように教区の司祭が沢山の食物で囚人をもてなしたかです。食事をした後、その荒くれ者は司祭の銀細工をいくつかを盗みました。その後、捕えられた彼は、同じ司祭のところへ送り返されました。これを見て、司祭は泥棒に言いました。「私はあなたにこの銀細工全部を差し上げました。なぜあなたは、ここにいくつか置いていくのですか?」警官がこれを聞いたとき、警官はその人の肩から手を放しました。

 主イエズス・キリストは、赦すことが愛の最高の行為であることを教えて下さいました。ですから私は、自分の時間を無駄に過ごす生活の中で、先に述べたその司祭から学ぼうとしました。冬には物凄く寒かった碭山果樹園で、苦難を忘れることは不可能です。同じ部隊内で、労働改造所の仲間が盗みにより刑を受けました。彼女は、これまで自分の家族から殆ど何ももらえず、気温が零下三十度に下がる中で、政府から支給された綿入りのジャケットしか着ていませんでした。ジャケットは彼女を寒さから守ることが全く出来ませんでした。私は二着のウールのセーターと、一着のベルベットのセーターがありました。この特別な雪の日には、つららが木の上からぶら下がり、それは水晶の宮殿のように見えました。早朝、皆が、彼女が自分のジャケットの下に余分なウールのセーターを着ているのを見ました。このような報せは大きく広まり、噂話が始まりました。「彼女は全く小包を受け取ったことがない。どこで彼女はそのセーターを手に入れたの?」他の人は、「もし、彼女が盗んだり、誰かを騙したのでなければ、セーターを得るために何か悪いことをしたにちがいない」と言いました。また、他のおせっかいな女の人が割って入りました。「このセーターは胡美玉のものです。私は彼女が以前にこれを着ているのを見ました」そして、彼女はこのことを調査するように管理人に報告しに行きました。

 その同じ日の終わりに、話をした人が来て、言いました。「今夜、私たちはあなたのセーターに関わる検討会を開きます」率直に言いますと、私は自分のセーターが無くなったことを考えもしませんでした。私が労働改造所の宿舎に戻ったとき、私は自分の小包をチェックするために走り寄り、セーターが本当に消えていたことが分かりました。セーターを失くしたことは確かに私を落ち込ませましたが、この予想外の出来事に関わっていたことが残念でした。今夜の検討会で私は何を言いましょうか?私はセーターは自分の物ではないと言った場合に彼らが自分の物を見せるように求めたら、私は何をするべきでしょうか?一方で、私がはいと言えば、彼女は確実に有罪とされます。彼女の服役中に繰り返される不正な行動は、彼女の刑期の年の延長を引き起こすかもしれません。では、私は何をすべきでしょうか?二人の共産党の管理人は、その日の夕食後にグループにやってきて、脅すように話を聞きました。「彼女のセーターはおまえのものか?」私は「はい」と答えました。「なぜ、彼女はおまえのセーターを着ている?」私は、皆が息を殺して私の返答を待っていたことを察しました。 ある人は心配しているように見えましたが、またある人はこの女の人の不幸に喜んでいました。私は出来るだけゆっくりと答えました。「彼女は非常に一生懸命働いています。もし、彼女が寒い朝にセーター無しで虫食いを調べるために果樹園に行けば、合併症と共に悪性のインフルエンザに罹るかもしれません。私は医者で、これは予防しなければならないことを知っています。ですから、彼女が単に必要でしたので、私は彼女に自分のウールのセーターをあげました」二人の管理人は長い間、言葉を失ってそこに立っていました。気まずい沈黙の後、そのうちの一人はつぶやきました。「胡美玉、次に他人に物をやる時は、その前に事務室に報告して許可を求めることだ」そして彼は群衆を向き、官僚的な口調で話しました。「これからは、お前たちが事務室に誰かを報告する時には、全てを明らかにするように。さもなければ、冤罪で無実の人間を断罪することになる」

数日後、私はトイレで彼女に会いました。彼女は目に涙を浮かべて言いました。「私はあなたの親切を忘れることが出来ません。あなたが私を庇わなかったら、私の刑期は重くなったでしょう」私は真剣に、そして心をこめて彼女に言いました、「私もまた非難されるべき人です。あなたの横で寝ていた私は、あなたを暖かさを保つのに十分な衣類を持っていなかったことが分かった時、世話をしませんでした。どういうことか分かりますか。それは、他人のための私の愛が非常に浅かったことを示しています。これからは、何か必要な時は、持ち主に聞かずに取ってはいけません。それは道徳的に間違っています。今、あなたが私にお礼を言うことを期待してはいませんが、あなたが自分の悪い習慣を直すことを心から願っています。その時から、彼女は自分の盗み癖を止めて、正しく道徳的な行為をし、他人を助けるのを好むようになりました。私たちが一九七二年に去る時、彼女は私に言いました。「あなたは私の人生の中で先生であり、あなたは本当に私を教育してくれました。私は非常に若い時から盗みを始めました。母が私を殆ど諭そうとはせず、鞭や杖で私を叩きました。でも、私の体の痛みは、私の心の痛みと比べて重くはありませんでした。私は心の温かさを知らずに冷淡に育ち、長年の間罪に深く沈んで良心に欠けていました。あなたの良い模範は、私の目を開け、真善美を知るように教えてくれました」

ところが、当然のことながら、赦しと教育は万能ではありませんでした。上海で拘置所にいた時、私は治し様の無い盗み癖を持っていた泥棒と同じ牢獄内に入れられました。ティッシュペーパー、石鹸、歯ブラシや歯磨き粉と、彼女は殆ど全てを盗みました。彼女は文字通り、私の小包に手を入れて、私が持っていた物の殆ど全てを取ったのです。彼女は何も考えていませんでしたし、私の目の前で笑いました。私は何度も彼女と遣り合いました。「私の持ち物で必要な物があるのなら、私に知らせてちょうだい。そうすれば、私は必ずあなたにそれをあげます。自分で勝手に取らないで。ティッシュペーパーや石鹸だって、あなたはもうあなたのお母さんから十分に貰っているでしょう。どうして、私が持っているもの全部を取らなければいけないの?それがなければ、私がそれだけ困るかはっきり知ってるでしょう。それらは価値はないけれど、ティシュペーパー一枚だって10ドル札よりも貴重な時もあるんだから」残念なことに、彼女は長年にわたってその癖を変えませんでした。彼女の刑期は数回延長され、長い年月の後に釈放されました。彼女は家に帰って結婚し、二人の息子を持ちましたが、当然のことながら、息子たちはほとんど母親のように盗みへの傾きを育みました。彼らは順番に何度も投獄されました。罪の基礎は次の世代に受け継がれていました。自分の子供へと自分の罪を犯すことは、恐ろしく、悲惨で凶悪な罪です。私はとても悲しいです。最近、私はその家族について少し耳にしました。彼らは泥棒であるために非常に悲惨な生活を送り、豊かで幸せになる術はありません。天主様は正義です。天主様は天と地の両方で良い行いをする者に報いられ、さらにこの世で悪を行う者に罰をお与えになります。


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『楽は苦に在り』ローズ胡美玉 著 目次
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パリャラーニ神父様

2011年12月21日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

 聖ピオ十世会イタリア管区の発表によると、今までイタリア管区長であり、日本にも何度か来られたパリャラーニ神父様はアルゼンチンの聖ピオ十世会の神学校校長に任命されました。

パリャラーニ神父様は、イタリア語は勿論、フランス語、英語を自由に使いこなしますが、これからはスペイン語を使うお仕事になります。司祭養成という責任ある任務に着かれます。愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願いします。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!



トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】