Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

ヨハネによる聖福音の朗読(日本語)MP3録音ファイル:Audio files of the Gospel of Saint John (Japanese)

2019年04月27日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

こんにちは! 
マテオによる聖福音の朗読
マルコによる聖福音の朗読
ルカによる聖福音の朗読
の続きとして、ヨハネによる聖福音の朗読ファイルもご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ヨハネによる聖福音

ヨハネによる聖福音 第一章
ヨハネによる聖福音 第二章
ヨハネによる聖福音 第三章
ヨハネによる聖福音 第四章
ヨハネによる聖福音 第五章
ヨハネによる聖福音 第六章
ヨハネによる聖福音 第七章
ヨハネによる聖福音 第八章
ヨハネによる聖福音 第九章
ヨハネによる聖福音 第一〇章
ヨハネによる聖福音 第一一章
ヨハネによる聖福音 第一二章
ヨハネによる聖福音 第一三章
ヨハネによる聖福音 第一四章
ヨハネによる聖福音 第一五章
ヨハネによる聖福音 第一六章
ヨハネによる聖福音 第一七章
ヨハネによる聖福音 第一八章
ヨハネによる聖福音 第一九章
ヨハネによる聖福音 第二〇章
ヨハネによる聖福音 第二一章

イエズスの復活は、私たちに深い関係がある事実、何故なら今、ここにいる私たちの為に復活なさったから。イエズスの勝利は、私たちの勝利

2019年04月27日 | お説教・霊的講話
天の元后喜び給え、アレルヤ!
Regina Caeli, laetare, alleluia!

2019年4月21日(主日)御復活祭のミサ
小野田神父 説教


聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年4月21日、私たちの主の御復活の主日です。

今日ミサの前に洗礼を受けられた方々に、心からお祝いの言葉を申し上げます。

今日、この御復活の喜びを皆さんと一緒に黙想する事を提案したいと思っています。



聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

親愛なる愛する兄弟の皆さん、

では一体何故、私たちは今日これほど喜んでいるのでしょうか?

なぜかというと、私たちの主が復活なさったからです。

イエズス様が復活したというのは、遠い昔にイエズス・キリストという方が復活された、それを今、2000年前の事を今思い出しているのだ、そういう話ではありません。

「イエズス様が復活なさった」という事は、今、今日、ここで、皆さんに、深い関係がある事です。

イエズス様が復活されたという事は、今ここにいる皆さんと私の為に復活なさった事です。「イエズス様の勝利」というのは実は、「私たちの勝利」なのです。

もしも、お相撲で誰か応援している力士が勝ったとすると、自分も嬉しいような気もします。自分の卒業した高校が甲子園で優勝した、嬉しい気がします。日本でのサッカーがワールドカップで1位になった。オリンピックでメダルをとった。でもその国民中が熱狂してワーッ!!と叫びます。

喜んで、「お祝いだ!」「優勝した!」「勝った!」「日本が一番だ!」というその喜びも、イエズス様の復活と比べれば何でもありません。

イエズス様の勝利は、私たち一人一人の永遠の命の勝利であるからです。悪と罪と闇に打ち勝った。しかもイエズス様は、「私たちの為に」なさったという事です。教会はその事を深く、典礼を以て私たちに教えようとしてきました。聖なる3日間、聖木曜日・聖金曜日・聖土曜日、特に復活の徹夜祭は、このイエズス様の愛の最高潮を私たちに教えてくれました。

聖木曜日には、イエズス様は、「私たちを終わりまで愛して、極みなく愛して」そして御聖体を制定されました。聖ヨハネはそう言っています。「すぎこし祭の前に、イエズスは、この世から父のもとにうつる時が来たのを知り、この世にいるご自分の人々を愛し、かれらに限りなく愛をお示しになった。」

イエズス様は私たちに何も制限を付けずに、無条件で全てを、御自分の御体、御血を全て御聖体として与え、世の終わりまで留まろうとされました。私たちを御自分の体で養おうと思われました。昔、旧約の時代では、モーゼが天から降るマンナで養われましたけれども、新約の私たちは、イエズス様御自身の御体で養われます。

聖金曜日には、「イエズス様は私たちをどれほど愛されているか」という事を、御血潮を流される事によって、苦しみを甘受する事によって、耐え忍ぶ事によって、屈辱と、暴力と、不正義を甘んじ受くる事によって、どれほど私たちの事を、私たちの為に全てを身に負われたか、という事を教えて下さいました。

全ては、私たちを愛するが為でした。永遠の昔から、この事を考えていました。全ての預言者と律法は、この事を預言していました、「天主は私たちを愛している。全ての苦しみを味わって、死に至るまで愛されている。私たちはそれほどまで愛されている。」

話はここで終わりませんでした。

復活の徹夜祭、そして今日、私たちは、イエズス様が私たちの為に、私たちに永遠の命を与える為に、天国の門を開く為に、復活された、という事を教えています。唯一の動機は、その理由は、「私たちを愛されたが為」です。

これほどの愛を受けている民が、一体世界でどこにいるでしょうか。そしてこの愛を理解している人々が一体どこにいるでしょうか。そこで私たちはこのイエズス様の大勝利を、私たちの勝利を、そして天使たちの勝利を、今日は喜んでいます。

聖トマス・アクィナスによると、「この復活のこの喜び、その理由は5つある」と言います。

まず第1に、天主は、御自分の正義を皆に見せる為であった。
これも私たちの為です。なぜかというと、イエズス様は不正義を以て、罪が無いにもかかわらず、十字架の死を受けました。天主に聖父に従順でありました。ですから聖父はイエズス様を、全てに勝る名を与えました、復活を与えました。イエズス様はその天主の正義を証する為に、御自分の力で復活されました。

これと同じ事が、皆さんと私にも起こります。もしも私たちが善を行なうならば、イエズス・キリストを愛するならば、私たちは報いを受けます。しかし悪を行なったり、イエズス・キリストを裏切ったり、正義を行なわなければ、私たちはそれ相当の罰を受けなければなりません。たとえこの世でどのように見えているか、どのように人が言っているか、称讃を受けているか、というのは全く関係ありません。「天主が、最後に裁く。天主が、全ての真理を知っている。最後に私たちに勝利を与えるのは、天主である」という事を教えています。

私たちにとって何という喜びでしょうか。ロビー活動をする必要もありませんし、人民を策動したり、動かしたりする必要もありません。「天主様が正義に従って裁き、この儚い人生の後には、それに従った永遠が待っている」という事だからです。

第2に、イエズス様は復活されたのは、私たちに喜びを与える為です、真理の喜びを与える為です。

イエズス様こそ、真の天主である、皆さんが信じている宗教、私たちの宗教こそが、真の宗教であって、正しい宗教であって、本物である、という事を、イエズス様が御復活を以て証明されたのです。「もしもイエズス様が復活されなかったならば、私たちの信仰は全く空しいものだ」とパウロは言います。しかし本当に実際に復活されて、今生きておられて、天国で私たちの事を愛して待っておられる、それが故に、私たちの宗教がどれほど正しいか、真理であるか、真実であるか、という事を訴えています。この証拠はあまりにもたくさんあります。

第3は、イエズス様は私たちに、私たちを愛するが為に、私たちが落胆する事のないように、希望を与えようと思っていました。とてつもない希望です、「私たちは永遠の命に辿る事ができる。私たちは勝つ。どのような事があっても勝利する」という事です。
見かけがどのようであったとしても、私たちは遂には、喜びと幸せを持つ、という事をイエズス様が保証する為です。私たちには復活へと招かれていて、復活が約束されています。

その為に私たちがしなければならない事は、ほんの僅かです。なぜかというと、イエズス様はほぼ、その事業をやり遂げて下さったからです。私たちがやるのは、水で罪を赦される、洗われる、イエズス様の教えて下さった祈りを唱える、私たちの苦しみをイエズス様と共に捧げる、などです。

第4には、イエズス様は私たちに、私たちを愛するがあまり、私たちからの愛も求めています。それが第4の理由です。

それが今日聖パウロの、今日ミサで言った内容です。復活の徹夜祭でもパウロは別の、しかし同じ内容の事を言います、「私たちは、復活されたイエズス・キリストがおられる天の事を愛そう。天の事をいつも仰ぎ見よう。この地上の事に愛着をするのではなく、イエズス・キリストを愛そう。もう嘘や悪や偽善の種をではなく、綺麗な種なしパンのように、悪意も嘘もない、真実と誠実の生活をしよう。私たちはイエズス・キリストと共に葬られた。」

ちょうど私たちは、ローマ典礼では額を水で流すだけですけれども、しかし洗礼の時に全身、身体全身が水の中に入って受ける洗礼もあります。聖パウロはその事に言及して、「私たちは洗礼を受けた時に、キリストが土の中に入ったように、私たちも葬られた。しかしまたキリストと共に復活した。新しい命を生き始めた。イエズス・キリストを愛そう。」

第5番目には最後には、これはイエズス様が私たちを愛するがあまり、その救霊の業を完成させる為でした。

イエズス様が来られる前に偉大な聖人・太祖たちがたくさんいました。アブラハム、モーゼ、ダヴィド、洗者聖ヨハネ、聖ヨゼフ、その他諸々の大聖人たち、太祖、預言者たち、エリア、その人たちは、イエズス様が復活するまで天国に入る事ができませんでした。イエズス様の復活を待っていたのです。そして復活を以て、天の門を開く事ができるようになりました。これは一体、何だったのでしょうか?

全て、皆さんと私を愛するがあまりの事でした。イエズス様の考えはただ一つでした、「私たちを幸せにしたい。永遠の命を与えたい。自分と一緒に天主の命を分かち合いたい。」それです。その為に今日、イエズス様は、大勝利を以て、私たちに喜びを分かち合えるようにと願っています。私たちはもう自分の事をすっかり忘れなければなりません。イエズス様の喜びの中に入って下さい。イエズス様は私たちに喜びと幸せとを与える事だけを願っているからです。その為に全てをしました。

私たちは最後に今日、どんな遷善の決心を、どんな事を考えなければならないのでしょうか?

「あぁイエズス様、私は毎年復活祭の時に、『イエズス様は復活した!イエズス様こそ真の天主だ!』と言いながら、しかし100%ではありませんでした。イエズス様、私は『イエズス様が天主である』と思いながら、口先では言いながら、しかしイエズス様の御旨を果たすよりは自分の事を、自分のやりたいように、イエズス様の掟を、イエズス様の御旨を蔑ろにしてしまいました。イエズス様がこれをする事を望んでいたのに、私はそれを嫌がりました。」

「イエズス様、イエズス様が勝つ、勝利する穴馬だという事を知りながら、全財産をそこに尽くすのではなくて、ほんの少ししかイエズス様に与えませんでした。他のものは別のものに取っておきました。ですからイエズス様、イエズス様が勝利したとしても、その勝利の喜びは、配当金は、あまりにも僅かです。」

「今年こそ、この復活祭こそ、私にとって新しい命が始まります。イエズス様、どうぞ全てをイエズス様にかける事ができますように、イエズス様に100%愛を注ぐ事ができるようにして下さい。イエズス様はこれほど私の事を愛して下さっているのに、私がそれに応えずにいる事ができるでしょうか。」

「イエズス様、イエズス様の復活の命を、私も共に歩く事ができるように助けて下さい。」

「マリア様、マリア様は聖金曜日に決して十字架の元を離れませんでした。イエズス様の復活の道に行くにはただ一つしか王道がありません。たった一つしか道はありません。イエズス様は言いました、『私は道・生命・真理である。私は復活である』イエズス様の道しかありません。イエズス様の道、すなわち十字架の道、御聖体の道しかありません。ミサ聖祭の道しかありません。マリア様、私がこの道を通って復活に至る事ができますように、助けて下さい。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

EWTNの番組The Journey Homeアメリカでのカトリック信仰への立ち戻りの体験をインタビューで証しする動画集をご紹介します。「私の辿ってきた道(牧師、神学者、信徒の証し)」

2019年04月24日 | カトリックとは
天の元后喜び給え、アレルヤ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

私たちの主イエズス・キリストの御復活のお喜びを申し上げます。

興味深いウェブ・サイトの紹介をするのをお許しください。

最近知るようになったのですが、EWTN には The Journey Home という Play List があります。2019年4月24日現在357本のビデオ(その内3本は非公開動画)がリストに掲載されています。

The Journey Home とは「家に帰る道のり」という意味で、私たち全ての人々の家であるローマ・カトリック教会に戻ってきた道、ということです。アメリカでのカトリック信仰への立ち戻りの体験をインタビューで証しする動画集です。とても素晴らしいプログラムで、日本語でもそのような動画集があると大きな助けになると思います。

このことを知るようになった切っ掛けは、a pilgrim さんの「巡礼者の小道(Pursuing Veritas)」というブログのお陰でした。

A pilgrim さんが「私の辿ってきた道(牧師、神学者、信徒の証し)」というタグを付けている記事らは、EWTN のThe Journey Home から取られて、それを日本語に翻訳してくださったものです。

インタビューに答える方々は、もともとが知的な方々です。たとえば、

ユダヤ人で無神論者だったローレンス・ファインゴールド教授、

復元末日聖徒イエス・キリスト教会宣教師家庭の子として生まれ、モルモン教の牧師となるために神学校で勉強しているうちにカトリック信仰とであったアルバート・ホールダー氏、

元聖公会司祭だったが、カトリックへと改宗したテーラー・マーシャル師、

セブンスデー・アドベンチストからカトリックになったケヴィン・ウェイン氏、

ワンネス・ペンテコステ派からアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団を経てカトリックになったマーク・マックニール師

ユダヤ人で元無神論哲学者だったがカトリック信仰を得たランダ・チェルヴィン女史

などなどです。

A pilgrim さんとは、何の連絡もありませんし、連絡を取ったこともないので、どのような方なのか存じ上げません。ただこのブログの内容から、私の理解が正しいとすると、福音信仰に立つプロテスタント教会に通う30代の既婚の日本人女性で、ヨーロッパ(ギリシア?)にお住みのようです。とても知的で秀逸な記事を書かれておられます。

A pilgrim さんは、天主の定めたdivine headship order(注*)を尊重しつつも、女性がアダムの「助け手」として造られたという深遠な事実――女性という存在の根源的な目的――を認めつつ、創造の秩序の中での女性として、自分が「メイン」ではなく、「サブ(=sub、補助)」としての位置にとどまり、ベールをかぶって(注**)、ひっそりと谷間に咲く一輪の野花のように、一巡礼者として真理の探求の旅、天国への巡礼の旅をつづけられ、信仰詩や祈りの翻訳、救いの証、祈りのベールの証、真理のための弁証論文の翻訳などをなさっておられます。

私も、a pilgrim さんがベールに隠されたままおられることを尊重しつつ、多くの方々が、御自分のThe Journey Home「家に帰る道のり」で出会った、聖母の汚れなき御心を通して、a pilgrim さんもまた確かに家に戻られるように心からお祈り申し上げます。

私の辿ってきた道(牧師、神学者、信徒の証し)」の記事の数々を心から「巡礼者」さんに感謝しつつ、愛する兄弟姉妹の皆様にも一読をご招待いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

注*:ティモテオ前2:12「私は、婦人が教えること、男の上に権力をふるうことをゆるさない。」[Docere autem mulierem non permitto, neque dominari in virum : sed esse in silentio.]
注**:コリント前11:6 & 10「女がかぶり物をしないなら、髪も切ればよい。しかし、髪を切ったり剃ったりするのが女の恥であるなら、かぶりものをしなさい。(…)女は、天使たちのために、権威に服するしるしを頭にかぶらなければならない。」Nam si non velatur mulier, tondeatur. Si vero turpe est mulieri tonderi, aut decalvari, velet caput suum. (...) Ideo debet mulier potestatem habere supra caput propter angelos.

2019年5月1日には新天皇陛下の御即位にあたり、私たちは「天皇陛下のための祈り」をミサ聖祭の後の感謝の祈りで唱えます

2019年04月24日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
天の元后喜び給え、アレルヤ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2019年5月1日には新天皇陛下の御即位にあたり、私たちは「天皇陛下のための祈り」をミサ聖祭の後の感謝の祈りで唱えます。「天皇陛下のための祈り」は以下の通りです。(また5月5日の主日にも、東京と大阪での主日のミサの後の祈りでも付け加えます。)

天皇陛下のための祈り

V. 主よ、我等が天皇陛下を護り給え。
R. 我等が主を呼び求め奉る日に、我等の願いを聞き給え。

祈願
全能なる天主、御憐れみによりて我が国の君主としての務めを与え給いし御身の僕(しもべ)なる我等が天皇陛下をして、天主よりあらゆる徳を受けしめ給わんことを乞い願い奉る。願わくは陛下に然るべき徳を備えしめ、悪を避けしめ、上皇、上皇后両陛下、皇后陛下、皇族方と共に、道、真理、生命にまします天主に至らしめ給わんことを。我等の主、キリストによりて願い奉る。
R. アーメン。

【解説】
この上の祈りは、現在、王室を持っている国々で使われているもので、聖伝による次のラテン語の祈りを日本語に翻訳したものです。

王のための祈り

V. Domine, salvum fac regem nostrum
R. Et exaudi nos in die, qua invocavérimus te.

Oremus.
Quæsumus omnipotens Deus, ut famulus tuus rex noster, qui tua miseratione suscepit regni gubernacula, virtutum etiam omnium percipiat incrementa : quibus decenter ornatus, et vitiorum monstra devitare, [hostes superare,] et ad te qui via, veritas, et vita es, [cum regina consorte et prole regia], gratiosus valeat pervenire. Per Christum Dominum nostrum.
R. Amen.

英語(イギリス)やフランス語(ベルギー)では次のようになります。

【英語】
V. O Lord, save N. our King.
R. And hear us in the day that we shall call upon Thee.

Let us pray.
We beseech Thee, almighty God, that Thy servant N. our King, who in Thy merciful providence has been called to rule over this kingdom, may also receive from Thee an increase of all virtues: thus becomingly adorned may he avoid all evil doing, [overcome his enemies,] and, by Thy grace attain, [together with the queen consort and their royal offspring,] to Thee, Who art the Way, the Truth and the Life. Through Christ Our Lord.
R. Amen.

[Online source: The Dominican Missal in Latin and English. Oxford. 1948.]

【フランス語】
Seigneur, sauvez le Roi ; et daignez nous exaucer au jour que nous vous invoquerons.

Oraison.
Accordez à nos prières, Dieu tout-puissant, que votre serviteur N. notre Roi, qui, par votre miséricorde a reçu la conduite de ce Royaume, reçoive aussi l'accroissement de toutes les vertus ; afin que, revêtu de leur force, et saintement orné de leur éclat, il ait les vices en horreur, comme autant de monstres ; qu'il soit victorieux de ses ennemis ; et qu'agréable à vos yeux par ses bonnes œuvres, il puisse enfin arriver jusqu'à vous, qui êtes la voie, la vérité et la vie; et qui étant Dieu, vivez et régnez dans tous les siècles des siècles.
Ainsi soit-il.

[Online source: Eucologe à l'usage de Paris. Paris. 1790.]

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【注】
今回、私たちの祈りは、例えば「王」を「天皇」にするなど、日本の実情に合わせてあります。そこでラテン語では、次のようになります。

V. Domine, salvum fac Imperatorem nostrum
R. Et exaudi nos in die, qua invocavérimus te.

Quæsumus omnipotens Deus, ut famulus tuus Imperator noster, qui tua miseratione suscepit regno praeesse, virtutum etiam omnium percipiat incrementa : quibus decenter ornatus, et vitiorum monstra devitare, et ad te qui via, veritas, et vita es, [cum Imperatore Emerito, Imperatrice Emerita, Imperatrice consorte et prole imperiali], gratiosus valeat pervenire. Per Christum Dominum nostrum.

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【参考】
ご参考までに、以前、日本帝国憲法の下では、カトリック教会では皇室のために次の祈りを使って祈っていました。

皇室の爲(ため)にする祈祷(いのり)

 全能全善(ぜんのうぜんぜん)なる天主、主は使徒をして、「帝王及び上長の爲(ため)に祈祷(きたう)し、請願すべし」と命じ給ひしにより、日本(にほん)公教信者なる吾等(われら)は、只管(ひたすら)主の御慈悲(ごじひ)に依(よ)り縋(すが)り、天皇、皇后兩陛下、其の他(た)皇族諸殿下の爲に祈り奉る。▲仁慈(じんじ)深き御父(おんちち)よ、兩陛下及(および)諸殿下の上に御惠(おんめぐみ)を注ぎ給へ。又(また)其(その)霊魂と肉身とを健全ならしめ、其(その)希望を滿たさしめて、永く、樂しく生くるを得せしめ給へ。特に、天皇陛下を護り、内外の危難を免(のが)れしめ、其の臣民の上に、最も賢明に君臨するの才智(さいち)を與(あた)へ給へ。又(また)天皇陛下の統治の下(もと)に、吾等(われら)は克(よ)く忠節を盡(つく)し、「安らかに、静かなる生活を營(いとな)み」、日本國民擧(こぞ)つて速(すみやか)に、唯一の「道にして、眞理且(か)つ生命にて在(まし)ます」主に至るを、得さしめ給へ。亞孟(アメン)。

[Source: 耶蘇基督降生千九百三十四年 公教會祈祷書 大阪司教認可]


今日4月23日(火)午後7時から9時までジェイソン・モーガン麗澤大学助教とポール・ド・ラクヴィヴィエ氏の研究発表会です

2019年04月23日 | カトリック・ニュースなど
天の元后喜び給え、アレルヤ!

ジェイソン・モーガン麗澤大学助教とポール・ド・ラクヴィヴィエ氏の研究発表会があります。

日時:2019年4月23日(火)午後7時00分~9時00分

場所:曙町会館一階

●ジェイソン・モーガン麗澤大学助教(Prof. Jason Morgan)
「革命、不安定、帝国:過去500年の歴史の捉え方と秩序の取り戻し」(仮題)

この研究発表では、ジェイソン・モーガン教授は、何故革命はさらなる革命へと進んでいくのか、この革命的な思考回路に対してどのように対抗して秩序を回復することが出来るのか、について考えを深めていきます。

宗教改革を起こしたマルチン・ルター、英国聖公会を作ったヘンリー八世、ウェストファリア条約、ナポレオン、ウィーン会議、アメリカの独立と市民戦争、ルーズベルト、ビスマルク、ブッシュ大統領、キッシンジャーなど、カトリック教会を排除しようとする政治は、常に流血の大惨事と帝国へと導かれることを考察します。

さらに「令和」が、日本にとって何故約束に満ちた時であるかについても、理由を深める予定です。

PROFILE:ジェイソン・モーガン助教は、1977年、アメリカ合衆国生まれ。歴史学者。日本史研究者。テネシー州立大学チャタヌーガ校で歴史学を専攻。2014~15年、フルブライト学者として早稲田大学ロースクールで研究。現在、麗澤大学で教鞭を執っておられる。「アメリカはなぜ日本を見下すのか?」などの著者

●ポール・ド・ラクヴィヴィエ氏 国学院後期博士課程・比較法制史
「啓蒙思想は人間を解放しただろうか」(Paul de Lacvivier)

この研究発表では、世界史をはじめ、一般に普及している「革命歴史観」を見直しつつ、幾つかの定番の課題に関する先入観を斬り、最先端研究をご紹介します。

どなたでもご自由に聴講できます。知的なひとときをお過ごしください!

ノートル・ダム大聖堂が炎と煙に包まれたところに、世界中の誰もが象徴的な価値と意味を見いだした : 教会も受難の時「キリストの花嫁を見よ Ecce Ecclesia」

2019年04月23日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
天の元后喜び給え、アレルヤ!
Regina Caeli, laetare, alleluia!

愛する兄弟姉妹の皆様、

私たちの主イエズス・キリストの御復活のお喜びを申し上げます。

復活の主日には、大阪で聖伝のミサを行いました。
ミサの前に4名の方々が洗礼の恵みを受けました、天主様に感謝!
32名がミサ聖祭に与りました。
ミサが終わった後、受洗記念と復活祭のお祝いの小さなパーティーが催されました。

聖週間にパリのノートル・ダム大聖堂(聖母大聖堂)の火事がありました。

フランスでは非常に頻繁に同様な事件が立て続けに起きています。

コメントに書き込んでくださった方が教えてくださいました。ニューズウィーク2019年4月17日の記事によると、2018年の1年だけで「フランスにある4万2258の教会のうち875が破壊され」ました。「キリスト教に対する攻撃は2018年だけで1063件に上った。」「1日に2件のペースで、フランスの教会は冒涜されている。」(*注)

「公開されたファチマの第三のメッセージ」と呼ばれているもののヴィジョンが現実のものとなってしまう大きな苦しみの始まりのように思えます。

デ・マテイ教授がとても深い分析(「The Church is burning 教会が燃えている」)をしています。パリの聖母大聖堂はシンボルである、と。もちろんそれ自体が文化遺産であり、価の付けられないほどの芸術的な価値があります。それだけではありません。誰にとっても、パリのノートル・ダム大聖堂は、キリスト教世界の象徴、西洋の良心の象徴、信仰の遺産の象徴、ヨーロッパのアイデンティティーの象徴、フランスの歴史の象徴です。バチカンの聖ペトロ大聖堂の次に人々が訪れる教会です。

ノートル・ダム大聖堂が炎と煙に包まれたところに、世界中の誰もが象徴的な価値と意味を見いだしました。ゴシック様式のノートル・ダム大聖堂が、天に高くそびえているのは、カトリック教会を象徴しています。パウロ六世は1972年に「サタンの煙が天主の聖殿に入り込んだ」と宣べましたが、煙に包まれたノートル・ダム大聖堂はその言葉を思い出させました。教会の上層部を焼いてしまいました。教会の尖塔も焼け落ちて、新しいミサの祭壇の下に落ちました。デ・マテイ教授は、教会の高位聖職者たちのことを象徴していると言います。

聖ルイが高額の値で買い取った、私たちの主の茨の冠の聖遺物は天主の御摂理で救い出されました。聖ルイ王は、1239年この聖遺物をパリに迎え入れるとき、裸足で麻で出来た簡単なトゥニカだけを着て行列でそれを運びました。この聖遺物を保管するために、サント・チャペルという最高傑作の教会を建てました。

聖週間に私たちは私たちの主の御受難を黙想しました。茨の冠を被せられ、鞭を打たれた私たちの主を、ピラトは群衆の前に見せて「この人を見よ Ecce Homo」と言います。現在、教会も受難の時を生きています。「キリストの花嫁を見よ Ecce Ecclesia」、傷つき、姿を変えた、人類の教師・救いの手段の唯一の保管所・平和の元后・聖なる教会を見よ、と。

レムナント紙のマイケル・マット氏によると、ノートル・ダム大聖堂の最高先端にあった雄鶏(オンドリ)は、尖塔が焼け落ちても焼けずにほぼそのままで落ちて残ったそうです。


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この雄鶏の中には、茨の冠の聖遺物の一部と、聖ディオニジオと聖ジュヌヴィエーヴの聖遺物も入っていました。オンドリ(le coq)はフランスがガリアと呼ばれていた昔からフランスの象徴でもあります。聖伝のミサ聖祭の祭壇も聖母のもとで焼けずに残ったこと、尖塔の雄鶏が残ったこと、これも深い象徴の意味があると信じます。



十字架の苦しみを受けた私たちの主イエズス・キリストが復活されたように、キリストの花嫁であるカトリック教会も、美しく復活すると、聖母の御取り次ぎにより信じています。

良き復活節をお過ごしください。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

(*注)
2015年6月15日には、ナントの聖ドナシアン大聖堂の修復工事中、やはり屋根が火事になっています。修理は2021年に終わるそうです。



2018年7月31日レンヌの聖テレジア教会の火災



2019年1月16日、グルノーブルの聖ヤコボ教会の放火事件



2019年2月6日、タルヌのラヴォル司教座大聖堂の破壊行為と火災



今年3月(ニューズウィークの記事には昨年とありますが実は今年つまり2019年3月)には、サン=シュルピス教会が放火され、放火と同じ週には、他に11の教会が破壊行為に遭いました。

2019年3月2日、パリの聖ドニ教会の破壊事件


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2019年3月18日、パリの聖スルピス教会の放火事件



極みまで愛するがあまり十字架に付けられて命を与え、私たちと共に世の終わりまで一緒にいる為にミサを制定し御聖体を制定したイエズスの御前に跪いて

2019年04月23日 | お説教・霊的講話
「御聖体の前での黙想と祈願」

2019年4月5日(初金)御聖体降福式にて 小野田神父

天地の創造主、救い主、天主、贖い主、イエズス・キリスト様が、真に在し、私たちを愛を以って祝福して下さっています。

目にはパンのように見えますが、本当の天主、永遠の昔から約束された救い主、旧約の全ての預言を成就された救い主、私たちの為に十字架に付けられて、死して、そして復活されたイエズス様が、私たちの目の前にパンの外見で真に在す。私たちを見守っておられます。

愛するがあまり、極みまで愛するがあまり、十字架に付けられて、命を与え、命を捧げて、そして遂には、私たちと共に世の終わりまで一緒にいる為に、パンの形で残ろうとミサを制定しました。御聖体を制定しました。イエズス様の御前に跪いて、感謝と、讃美と、礼拝を御捧げ致しましょう。

イエズス様は特に子供たちが大好きです。子供たちの単純な真っ白い純粋な心が大好きです。イエズス様は子供たちの祈りを叶えて下さいます。私たちがいつも子供のような心を保ちますように、嘘のない、イエズス様を愛する、罪の汚れを知らない清い心を保ちますように。

イエズス様は私たちの心の奥底までよく御存知です。私たちの喜びや、辛い事も、悲しい事も、大変な事も、心配事も、未来も、過去も、私たちに一番大切な必要な事も、あるいは私たちにとって危険な事も、よく御存知です。

「イエズス様、どうぞ私の道を守って下さい。心も、体も、私たちの家族も、兄弟も、お父さんも、お母さんも、お友達も、みんな守って下さい。」

イエズス様は100年前に、子供たちにマリア様を送って、この子供たちを大聖人に変えてくれました。ファチマのマリア様は子供たちに、お祈りをする事、特にイエズス様の御聖体が恐ろしくも冒瀆を受けているという事、これを償うように、祈りと犠牲を捧げるように、罪を犯している人々の回心の為にお祈りするように、私たちが地獄の火に落ちないように、イエズス様にお祈りするように教えてくれました。私たちのお祈りはとても力があります。特に子供たちのお祈りは力があります。

「イエズス様、天皇陛下と新しい天皇陛下を御憐れみ下さい。新しい令和の時代を祝福して下さい。日本の人々を祝福して下さい。イエズス様の聖なる御命令と、イエズス様の平和の時代が来ますように、マリア様の御心を通して祝福して下さい。」

ファチマの天使の第2の祈りを、3回唱えましょう。

復活後の一週間、ミサ聖祭ではVictimae paschali laudesという続誦を歌います。 ラテン語と日本語訳をご紹介いたします。

2019年04月22日 | カトリックとは

天の元后、喜び給え、アレルヤ!
Regina Caeli, laetare, alleluia!

愛する兄弟姉妹の皆様、

復活後の一週間、ミサ聖祭ではVictimae paschali laudesという続誦を歌います。
ラテン語と日本語訳をご紹介いたします。日本語のウィキペディアも参考にしました。

グレゴリオ聖歌によるVictimae paschali laudesの歌い出しが、「君が代」に似ている、と言われています。確かめてみて下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

男女の聖歌隊で歌う続誦

男子修士だけで歌う続誦
Performed by the Benedictine monks of the Abbey of Notre-Dame de Fontgombault (France)

Victimae paschali laudes 過ぎ越しのいけにえに賛美(の犠牲)を
Immolent Christiani. キリスト者たちは屠らんことを。
   
Agnus redemit oves 子羊が羊を贖い、
Christus innocens Patri 罪のないキリストは父と
Reconciliavit 和解させた
Peccatores. 罪びとたちを。
   
Mors et vita duello 死と命とは驚くべき決闘で
Conflixere mirando, 衝突し、
Dux vitae mortuus 命の導師は、死んだが、
Regnat vivus. 生きて統治し給う。
   
Dic nobis Maria マリアよ、私たちに告げよ。
Quid vidisti in via? あなたは道で何を見たのか?
Sepulcrum Christi viventis 生きているキリストの墓を
Et gloriam vidi resurgentis. そして蘇られた方の栄光を、私は見た。
   
Angelicos testes 証しする天使らを
Sudarium et vestes. 汗拭き布と服を。
Surrexit Christus spes mea 私の希望、キリストは復活し、
Praecedet suos in Galilaeam. ガリラヤに御自分の弟子達より先に行った。
   
Scimus Christum surrexisse 私たちは知っている、キリストが
A mortuis vere. 真に死から復活したことを。
Tu nobis victor Rex 勝利の王であるあなた、私たちを
miserere. あわれみたまえ。
   
Amen, Alleluia. アーメン、アレルヤ


火災で燃えたパリのノートルダム大聖堂(聖母大聖堂)のパイプオルガンによる伴奏つき






2019年3月3日(主日)五旬節の主日のミサ サマース神父様御説教(東京)「イエズス様をますますお愛し、完徳へと辿りたい」という望みで聖体拝領しましょう

2019年04月22日 | お説教・霊的講話
Regina Caeli, laetare, alleluia!

2019年3月3日(主日)五旬節の主日のミサ
サマース神父様御説教(東京)
同時通訳:小野田圭志神父


【小野田神父】
聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2019年3月3日、第五旬節の主日のミサを捧げています。

今日はアジア管区長のサマース神父様を迎えて、非常に嬉しく思います。

今日の簡単な予定をお知らせします。このミサの後にいつもの通りに御聖体降福式があります。

3月6日の灰の水曜日は夕方の18時から灰の授与式がありますが、ミサはその直後にあります。早めにいらして下さい。

次の主日のミサは、3月17日の四旬節の第2主日です。

四旬節の私たちのカトリックの伝統では、大小斎を行ないます。昔は40日間大小斎を行なっていましたが、今では2日だけになってしまいました、灰の水曜日と聖金曜日です。その日には私たちは、大小斎を捧げなければなりません。21歳以上から60歳までの健康な成人のカトリックの信徒は、男女も、1日に1食だけ十分な食事をするという大斎、そして肉を食べないという小斎を捧げる義務があります。この、是非この機会に、イエズス様に寛大にこれをお捧げする事に致しましょう。

では、今からサマース神父様の御説教を聞いて下さい。


【サマース神父様】
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

御説教を始める前に、皆さんからの特別なお祈りを求める為に、今からお祈りの意向を申し上げたいと思います。

聖ピオ十世会の総長様の決定によって、「日本に修道院を、聖ピオ十世会の修道院を創立する」という事にGOシグナルを出されました。そして他の神父様が小野田神父と一緒に司祭の共同生活をする為に、司祭が派遣されるのを数ヶ月待たなければなりませんが、それは今年の12月、あるいは来年の1月を期待しています。人間は色々こう計画を立てますけれども、結局は天主様がその計画を実行されなければなりません。

ですから私たちは、その私たちの計画の通りに天主様もその事を望んで下さいますように、お祈り致しましょう。どうぞお祈りをお願い致します。そしてこの計画について、より詳細が分かり次第、皆さんにお知らせ致します。

小野田神父が先ほど申し上げましたように、四旬節が非常にすぐに、もう間近に迫って来ています。公教会は私たちの償いの日をたった2日にまで減少させてしまいましたけれども、しかし伝統に従って私たちは、できる限り寛大に、40日間の償いと犠牲の日を過ごす事に致しましょう。なぜかというと、初代のカトリック信者たちは、その最初の数百年の間は、非常に厳しい償いの日を送っていたからです。私たちの主を真似して40日間の断食をするのですけれども、その時もただパンと水だけで過ごしました。そして告解の秘跡でも、大罪を犯して痛悔したという人に司祭は頻繁に、「では償いとして3週間、あるいは何ヶ月、水とパンだけで生活しなさい」という償いを命じられていました。

もちろん私たちは今、そのような古代の規律を私たちが今、皆さんに強要する事はできませんけれども、しかしパンと水で生活していた、償いを果たしていた、という事は、私たちにあるアイディアを与えてくれます。

まず「パン」は、イエズス様によって、祭壇のいけにえの材料として、質量として選ばれました。そしてイエズス様の天主の御力によって、このパンを御自分の御体と御血と御霊魂と御神性に変えるのです。

ですから今日は特に、「御聖体」という天からのパンを黙想しましょう。そしてそれによって私たちがますます聖なる四旬節を送る事ができますように、そしてこのたとえ一週間に一度、あるいは二週間に一度、この御聖体をその間隔でしか受けられなかったとしても、イエズス様の御聖体には全能の力がありますので、その力は私たちの日々を聖化する事ができます。

ある日イエズス様は、御聖体の制定について大群衆に予言しました、予告しました、「私の肉を食べ、私の血を飲まなければならない。私はお前たちの中に住み、そしてお前たちは私の内に住む。私の与える肉は永遠の命の為の食べ物である。あなた達は決して死ぬ事がない。」

これの仰る意味は、「もしもイエズス様の御体を、ふさわしい状態で、ふさわしい態度で受けるならば、もしもそうならば、私たちはこの地上で、私たちの命を奪おうという者たちでさえも恐れる事はない」という事です。なぜかというと、私たちの主が、「私はお前たちの内に住む。」天主の命が、「私たちの内に住む」という事を約束されたからです。

たとえ私たちの肉体的には、健康が害されたり、あるいは殺害されたり、死を受けたりするかもしれませんが、本物の命は決して無くなる事はありません。成聖の恩寵の内に、天主の命を生きる霊魂は、決して死ぬ事がありません。たとえ肉体が離れて腐ってしまったとしても、いつかはその肉体が霊魂の元に戻ってきて、完璧な姿で生きる事になります。私たちの主の約束は、決して違える事がありません。

この「四旬節」という大変な時期に入ろうとする私たちにとって、イエズス様の約束は何と慰めに満ちたものであるでしょうか。肉体においても、そして霊魂においても、苦しめられる事があるかもしれません。しかし御聖体を受ける事によって、イエズス様御自身を体に、肉体において持ち運ぶ事になるからです。もちろんイエズス様を受けるという事は、イエズス様は三位一体の第二のペルソナですから、その他のペルソナも一緒にいらっしゃるはずです。もしも三位一体が私たちの内に住まわれるのであれば、私たちは何も心配する事も、恐れる事もありません。

この真理を理解すれば理解するほど、私たちの心には平安と喜びが満たされます。カトリックで、そして御聖体を拝領する私たちは、決して心配する事も恐れる事はありません。もしも天主様が私たちの霊魂に、そして肉体にいらっしゃるのであれば、一体誰が私たちに問題を害を引き起こす事ができる人がいるでしょうか。たとえ何か悲劇的な事が、あるいは悪い事がこの人の身に降りかかったとしても、私たちの霊魂に住まわれる天主様が、これに対応する特別の御恵みと、そしてその祝福を与えて下さるので、それをうまく善に変える事ができます。

私たちはですから御聖体拝領を、「イエズス様と強く一致したい」というその大きな望みを持って受ける事に致しましょう。「イエズス様をますますお愛しして、そして完徳へと辿り着きたい」という大きな望みを持って御聖体拝領し、拝領するたびにその望みを大きく致しましょう。

そしてこの時間は、次の御聖体拝領を受ける時まで、この大きな望みを維持するように致しましょう。それがたとえ一日であろうが、一週間であろうが、ある時には数ヶ月であろうが、天主は私たちにその力を与えて下さいます。

数日後に始まるこの聖なる時期を、御恵みに溢れた、この特に回心の御恵みに溢れたこの時期を始める事に致しましょう。御聖体が私たちに与えるこの栄養分と、その祝福と、その善を以って、私たちは信頼を以ってこの聖なる時期に入る事ができます。

「天使のパン」あるいは「天のパン」というのは私たちに、「イエズス様は真に私たちを養って下さる」という事を確信させてくれます。これこそが、私たちが地上で受ける事ができる最高の、最大の宝物です。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

2019年3月2日(初土)【東京】初土の信心は、世界の平和がかかっています。私たちの霊魂の永遠の幸せがかかっています。

2019年04月22日 | お説教・霊的講話
Regina Caeli, laetare, alleluia!

2019年3月2日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ

小野田神父様御説教(東京)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

親愛なる兄弟の皆さん、今日は2019年3月2日、3月の初土曜日で、そして今日はサマーズ神父様を迎えて、初土の聖母の汚れなき御心の随意ミサを捧げております。

今日この初土のミサを捧げるにあたって私たちは、一体この初土の信心というのはどのような価値があるのか?どのような意味を持っているのか?どれほど重大なのか?という事を黙想する事を提案します。そして来週の水曜日から、あと一週間で四旬節に入りますので、四旬節の良い決心を立てる機会に致しましょう。


初土の信心は一体どれほど重要なのでしょうか?

初土の信心は、世界の平和がかかっています。私たちの霊魂の永遠の幸せがかかっています。私たちの霊魂のみならず、多くの、数多くの霊魂たちの永遠の至福、その人生の目的を達成する事ができるかできないかがかかっています。この地上が地獄のようになるか、あるいは平和な世界になるかが、私たちの信心にかかっています。

つい最近、ある二つの国の指導者たちが二人で話し合って、「もしもこのような事をしてくれたら、あぁ、あなたの国はきっと豊かになるだろう。世界で最も優秀な国になって、とても繁栄するだろう。とても良い、世界をリードする国になるだろう」というような話し合いがありました。その約束は本当なのかどうか、私にはよくわかりません。この話し合いはどうもうまくいかなかったようです。世界の平和のためには、話し合いは重要ですが、話し合いだけでは足りません。天主様からのお恵みが必要だからです。

しかし今から100年前に、天の御母が私たちに送られて来て、とても重要なお願いをしました、「もしもこれをするならば、この私たちの霊魂は救われるし、多くの霊魂は天国に行くし、そしてこの地上は、地獄のような地上であったとしても、平和になる。もしもそうでなければ、この地上は皆が奴隷のように、地獄のようになって苦しむ。そしてこの世の後も苦しむだろう」と仰いました。これを私たちが受け入れるか受け入れないかは、私たちにかかっています。この聖母の約束は本当です。必ずそうなります。

私たちに要求されているのは難しい事ではありません。例えば、過去の全ての罪を放棄して、そして全ての罪をどのようなものであるかを全世界の前で報告する、などという事ではありません。

そうではなくて、月の初めの土曜日に、5回続けて、「ロザリオを5連唱える事」、「告解をする事」、「御聖体拝領をする事」、そして「15分間、ロザリオの15の黙想の内の1つをする事」、これを『マリア様の汚れなき御心を償う為にする事』、そうすればものすごい御恵みが与えられる。

何という大きな約束ではないでしょうか。そして今日はサマーズ神父様が、その信心をする事ができるように、皆さんの元でミサを捧げて下さっている事を感謝致します。この信心をぜひ実践する事に致しましょう。

そして子供たちは、この5回の信心のみならず、全生涯をこの同じ信心を以って生活しました。3人の小さな年端のいかない子供たちはあっという間に、ファチマのマリア様の御出現を受けて2、3年後に亡くなるのですけれども、大聖人になりました。

まさにこの精神で私たちも、四旬節を送る事に致しましょう。この四旬節をうまく送る事ができる秘訣は、私たちが「マリア様の汚れなき御心をお慰めしたい」、あるいはフランシスコのように、「天主様がとても悲しんでおられる。天主様をお慰めしたい。罪によってかくも悲しまれている、犯されている天主をお慰めしたい。」その為に四旬節を送る事です。

寛大な、そして愛に満ちた、聖なる超自然の四旬節を送る事ができますように、マリア様に、聖母の汚れなき御心にお祈り致しましょう。今日はどうぞ、この御聖体拝領を、この意向でお捧げ下さい。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

2019年3月2日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ説教:イエズス様、これは御身を愛する為、罪人の回心の為、教皇聖下の為、またマリアの汚れなき御心に対して犯される罪を償う為です。

2019年04月22日 | お説教・霊的講話
Regina Caeli, laetare, alleluia!

2019年3月2日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ

小野田神父 説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年3月2日、聖母の初土の信心、そして聖母の汚れなき御心のミサを捧げています。

このミサの直後に、いつものように御聖体降福式を行ないましょう。また御聖体の前で、シュテーリン神父様が仰ったように、聖ピオ十世会と日本をマリア様の汚れなき御心に奉献致しましょう。

明日は夕方主日のミサがあります、サマース神父様がいらっしゃいます、3月3日、夕方18時からです。
3月10日にもワリエ神父様がいらして、夕方の主日のミサがあります。またその後にも金・土とミサがあります、15・16日とミサがあります。

それから公教会の掟に従って、来週の水曜日は灰の水曜日です。現代の教会法によれば、満21歳以上から60歳になるまでの健康な成人の男女は、この日に大小斎を守らなければなりません。小斎は教会法によれば、14歳以上から終わりまで、それを守らなければなりません。

大斎というのは、1日に1回だけ十分な食事を摂る事で、昔は四旬節の間40日間、大小斎があったのですけれども、現代では灰の水曜日と聖金曜日だけしか義務が残らなくなりました。聖ピオ十世会では、四旬節の全ての金曜日も大小斎を捧げています。皆さんももしも出来る方は金曜日もお捧げ下さい。しかし少なくとも、灰の水曜日と聖金曜日は、私たちは大小斎を守らなければなりません。イエズス様に寛大にお捧げ致しましょう。

“Nunc ergo filii, audite me,”「さぁ子供たちよ、私の言う事を聞きなさい、」

今日は初土曜日で、四旬節の直前の初土曜ですので、私たちは四旬節をどのように過ごしたら良いか、ファチマのマリア様のアドバイスに従う事にしましょう。

今日初土のミサの時に、詠誦でこうマリア様が私たちに語りかけていたかのようです、“Nunc ergo filii, audite me,”「さぁ子供たちよ、私の言う事を聞きなさい、」そして最後には、「私を見出す者は命を見出し、そして救いを汲み取るだろう。」

ですから私たちも、マリア様の仰りたいという事を、マリア様の道の仰る事をよく聞く事に致しましょう。そしてその事によって、超自然的な良い四旬節を迎える決心を、遷善の決心を致しましょう。

そこで今日は、

⑴四旬節というのは一体何なのか?

⑵マリア様は私たちに、どうやって四旬節を送ったら良いと勧めているのか?を黙想して、

⑶最後に遷善の決心を立てましょう。


⑴四旬節は、イエズス様が公生活を始める前に40日間、荒れ野で夜も昼も断食を行なったという事を記念して、それを真似て私たちも、復活祭の前に復活祭の準備の為に、私たちの罪の償いとして40日間断食を、そして苦業と祈りをするという時期です。イエズス様に私たちも合わせて、イエズス様のように祈り、イエズス様のように償いを果たす、そしてイエズス様がなさった御苦しみを、私たちも少しでも良いので実感する、という事です。

40日間、ですから私たちは祈りを特に、世の喧騒から、あるいはテレビやラジオや映画やYouTubeや、あるいはFacebookやTwitterなどから離れて、40日間、イエズス様の事に心を上げて、そしてイエズス様へと心を向けて、イエズス様と親しくお話をする、「イエズス様、イエズス様の御苦しみはどれほどだったのでしょうか?イエズス様は私に何をお望みですか?」とお話をする、祈りをする特別の時期が与えられる事になります。

そして教会は、私たちが心をイエズス様に上げる事が容易にできる為に、私たちの祈りの敵から、敵に対して戦うように言います。

1つは、私たちの周りにあるものです。周りにあるもの、つまりこの世の快楽や、これがあると簡単だというものに対して、私たちはそれを放棄して、却って辛いかもしれないような事をします。例えば「寒いなぁ」と思っても不平を言わなかったり、それをお捧げしたり、我慢したり、あるいは私たちが持っているものを貧しい人にあげたり、あるいは寄付したり、そして世のものから私たちは離脱しようとします。施し。

あるいは、私たちの身の周りの持ち物のみならず、私たちの体に関して、「お腹が空いた」とか「疲れた」という時には、それをお捧げします。断食。

あるいは、私たちが今度は肉体のみならず、体のみならず、私たちの心で、「これをしたいな。自分の思い通りにしたい」という事を放棄して、従順にイエズス様に従う、などの犠牲を払います。

ですから私たちにとって四旬節は、ますます心を清めて、イエズス様の方へと向ける、最高の時です。


⑵マリア様はちょうどこの精神を、ファチマで教えて来られました。ファチマでは子供たちに、「天主様が天主聖父が、あるいはマリア様が、どれほど人類の罪によって傷付けられておられるか、悲しんでおられるか」という事を見せました。そして子供たちもその様子を見て、「あぁ、天主様がかわいそうだ。天主様はとても悲しんでおられた。僕も償いをしてお慰めしたい」とフランシスコは言いました。「マリア様がとても悲しんでおられた」というのをシスタールチアは見ています。

マリア様はファチマで子供たちに、「祈りと犠牲を捧げるように」とたくさん励ましました、天主をお慰めする為に、そして霊魂を救う為に。特に7月は、7月13日にマリア様は、子供たちに地獄の様子を見せて、「多くの霊魂たちが地獄に落ちている。これが私の悲しみである。地獄に落ちないように、たくさんの祈りと犠牲を捧げなさい」とお頼みになりました。

私たちはこの四旬節に、まさにこの同じ精神を持つようにと招かれています。ファチマ100周年を祝ってしばらく経ったので、このこれをもしかしたら忘れかけていたかもしれません。しかしこの四旬節を機会に、またファチマの初土の信心を、罪の償いの為の信心を行ないましょう。


⑶では私たちはどのようにしたら良いでしょうか?

この今年の四旬節を、マリア様と共に、ヨゼフ様と共に、お捧げ致しましょう。超自然の意向で、つまり「天主をお愛しし、天主を信じ、天主をお慰めし、そしてマリア様をお慰めする」という超自然の意向でお捧げ致しましょう。

第2に、私たちの超自然の信仰と、超自然の希望、超自然の愛は、私たちに天主様のどんでん返しについて教えてくれます。この世で一番最低のものが与えられたと思いきや、実はそれが最高のものに変わるという事を、変える事が天主様はできる、という事です。超自然のやり方によって、それができるという事です。

イエズス様の「十字架」は、「復活」の手段となりました。弟子たちはそれを、残念ながら弟子たちでさえも、使徒たちでさえも、それを信じる事ができなかったほどでした。あまりにもあり得ないような苦しみ、死を、イエズス様が遂げられたからです。「一体なぜこんな事が許されるのか。」

しかし、マリア様だけはそれを信じていました。その超自然の信仰を是非、私たちもこの四旬節に乞い求めましょう。ですからマリア様は唯一、聖金曜日から復活の主日まで、地上で唯一、信仰の灯火を、超自然の信仰を持ち続けた唯一の方でした。ですから土曜日がマリア様に特に捧げられているのは当然の事です。

「私たちになぜ一体こんな辛い事が、こんな酷い事が、こんな苦しみが与えられるのか。なぜこのような事になっているのか」という時には、まさにマリア様と同じこの信仰を乞い求めましょう。

「これには深い理由があって、私たちの最高の善の為に、今は分からないけれども、後にはっきりとわかる理由の為に、これが今、この試練が与えられているのだ」と、「この試練が与えられたが為に、私たちはより多くの栄光を、イエズス様とマリア様に帰す事ができる。そしてより多くの霊魂たちを救う事ができる」と。

では特に小さなお友達に、四旬節をどのように僕たちは過ごしたら良いでしょうか?

特にお祈りを捧げて下さい。もしかしたら、お祈りよりも他のものの方が面白い、というゲームをやったり、他の事が面白おかしいというものがあるかもしれません。しかしイエズス様の御受難や、イエズス様にお話しする為にできるだけ時間を使うようにして下さい。特にゲームよりもよっぽど有意義な時間を迎える事ができます。お友達はテレビなどはもう全く見ていないと思いますけれども、テレビを見たり他の娯楽をするよりも、よっぽど私たちにとって益になります。あるいは勉強する時にも、お母さんのお手伝いをする時にも、あるいは学校に行く時にも、いつもイエズス様にお話をしながら、射祷を唱えながらして下さい。

マリア様は言いました、「子供たちよ、あなた達が犠牲を捧げる時には、こうやって捧げなさい、『イエズス様、これは御身を愛する為、罪人の回心の為、教皇聖下の為、またマリアの汚れなき御心に対して犯される罪を償う為です』と。」

小さなお友達はまだたくさん食べなければならないので、断食をする事はできません。でもお母さんが、「これを食べなさい」と言ったものを、好き嫌いを言わずに全部食べて下さい。それから、もしかしたらコカコーラや、あるいは甘いソーダや、砂糖だらけのお菓子は、イエズス様にお捧げする事ができるかもしれません。おやつはちょっとだけにして、イエズス様にお捧げする事ができるかもしれません。それもファチマの子供たちは、私たちの目から見ると、「あぁ、やりすぎじゃないかな」と心配するほどの犠牲を捧げていました。

お母さんの仰る通りに、それに従順に従う犠牲を捧げて下さい。勉強の宿題の犠牲も捧げて下さい。「早く寝なさい」とお母さんから言われたら、「はい」と従って下さい。そうすると、イエズス様がどれほど祝福して、その従順の心を、犠牲の心を、何倍にも返して祝福して下さる事でしょう。

マリア様に最後に、良い四旬節を送る事ができるように、お祈り致しましょう。

“Nunc ergo filii, audite me,”「さぁ子供たちよ、私の言う事を聞きなさい、」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


2019年1月18日(金)御公現後の平日のミサ説教:マリア様とヨゼフ様との生活、私たちの日常の隠れた生活

2019年04月22日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

2019年1月18日(金)御公現後の平日のミサ

小野田神父 説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年1月18日、御公現後の第1主日のミサをしています。

このミサは非常に古くからあるミサですが、聖家族の祝日が100年ほど前に作られたので、レオ13世に制定されたので、このミサは平日でしか捧げる事がなくなってしまいました。

このミサにおいて教会は、聖家族の福音と同じ福音を私たちは読むのですけれども、別の角度で、御公現の角度でこれを黙想致しましょう。

そして私たちに教会は今何を伝えようとしているのか、それを黙想して、良い遷善の決心を立てる事に致しましょう。

このミサにおいて強調されているのは、イエズス様が御自分の事を「天主である」という事を明らかに示した御公現、「天主であるという事を公に示す」という事が、12歳の時にも行なわれた、という事です。

東の国の博士たちに、御自分を天主であるという事を現した。クリスマスの時には、ユダヤの羊飼いたち牧者たちに、天使たちを通して現しました。1月6日の御公現には、星を通して異邦人に、御自分が天主であるという事を公に現しました。2月2日には御誕生から40日目には、イエズス様は熱心なユダヤ人たちに、救い主を待ち望んだユダヤ人たちに、御自分の事を聖霊を通して現しました。

12歳の時には、神殿にいた学者や、博士や、旧約の掟やその預言に通じた人たちを、そのイエズス様の御答えや知恵によって驚かせます。イエズス様は成人されてそしてその最初の仕事として、聖父の為に、聖父の栄光の為に、聖父の仕事をする為に、敢えて神殿に残りました。それは聖父の栄光と、御自分が天主であるという事を、その知恵を以って、その御行動を以って現す為でした。

イエズス様は更に、ヨルダン川での洗礼を以って、聖ヨハネから洗礼を受ける事によって、御自分が天主である事を現します。カナでの婚姻の奇跡によって、最初の奇跡によって、マリア様を通しての奇跡によって、御自分が天主である事を現します。

また多くの奇跡や、御復活、御昇天によって、そして天主聖父の右に座す事によって、御自分が天主であるという事を現します。

そしてそのイエズス様の御生涯の中で、御自分を、真に救い主であり、この世の創造主であり、全能の天主である、という事を現したその1つが、この12歳での出来事でした。
教会はそこで、その典礼のモチーフに、入祭唱と福音とそして御聖体拝領の3つを繋げます。時を越えて、イエズス様が私たちに「天主である」という事を示す、そのライトモチーフにそのバックグラウンドに、「私は、天主聖父の仕事をしなければならない、という事を知らなかったのか。」イエズス様の最大の関心は、「聖父の為に働き、そこの、聖父の栄光の望む所に居るという事だ。」

その「天主の栄光の望む所に居る」どこかというと、それは入祭誦に出てくる、「天のいと高き所の玉座に、一人の男が座っているのを見た。この人は、多くの天使たちの大群が礼拝しているその男である。」そのイエズス・キリスト、天主聖父の右に座し給うその玉座の事を入祭誦で歌います。

そして私たちにも、御聖体拝領の時に同じように、「私は聖父の利益の所の仕事をしているのを知らないのか。」つまり究極は、「私は聖父の右に座している者である。そこに居るのだ。」御聖体拝領する時には、私たちはイエズス様をどこに探さなければならないか、という事を知ります。イエズス様を探すのは聖父の右であって、そして御聖体の中です。

マリア様は教会の典型であり、その教会の代表です。マリア様のように教会はイエズス様を探します、私たちもイエズス様を探します。しかし御聖体拝領の時に私たちは、イエズス様を見出します、「あぁ。」エルサレムの神殿、このミサの中において、イエズス様を見出します。イエズス様はいつもこの御聖体に於いておられます。

その後イエズス様は私たちに、福音のように天主であるという事を示した後に、マリア様とヨゼフ様に全く服従します。30年間、服従の生活をして、そして「人と天主の前に成長、年齢も聖寵もいや増した、年もいや増した」とあります。

そうすると私たちも、天主を見出して御聖体を拝領した後に、「一体私たちにとって何が大切なのか?イエズス様は私たちに何を望んでおられるか?」という事がよく分かります。

それは、「マリア様とヨゼフ様との生活」であって、「私たちの日常の隠れた生活である」という事です。そして「それこそが、天主聖父の利益に最も関わるものである」という事です。

今日、その御公現の第1主日のこのミサを捧げながら、イエズス様のいらっしゃる所はどこか?イエズス様の果てしない願いは何か?「聖父の栄光である」という事をもう一度確認して、そしてそのイエズス様が従ったマリア様とヨゼフ様、そしてイエズス様が非常に大切にされた隠れた御生活を私たちも探し求める事に、イエズス様と一緒に生活する事ができるようにお祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


2019年1月4日(初金)至聖なるイエズスの聖心の随意ミサ イエズス様、あなたは一体どなたですか?

2019年04月22日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

2019年1月4日(初金)至聖なるイエズスの聖心の随意ミサ

小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年1月4日、初金曜日の信心で、イエズス様の聖心の随意ミサを捧げています。

今日のこのミサの後には、いつもの通りに感謝の祈りをしますけれども、1月ではいつも私たちの御聖堂では、幼きイエズス様に、愛と感謝のしるしに、接吻の行事があります。皆さんも是非イエズス様に接吻をなさって下さい。誰でもイエズス様に、小さなイエズス様は、「誰でも近くに来て欲しい」と思っていらっしゃるので、誰でもイエズス様の御手や足や、どこでも接吻なさって下さい。

そしてもしも時間があれば、その後で初金曜日にはいつも私たちは聖時間を行なっています。聖時間というのは、「御聖体の前でイエズス様にお祈りをする」という時間です。それもいつもの通り行ないたいと思っています。もしもできればいらして下さい。

明日は初土曜日で、特に2019年の新年の初土曜日ですので、去年したように今年もマリア様の、ファチマのマリア様の聖母行列を皆さんと一緒にしたいと思っています。

なぜかというと、特に去年の今頃は、もう日本にたくさん北朝鮮からミサイルが飛んできて、「戦争が起こるのではないか。マリア様、戦争が起こらないようにして下さい」と言っていましたが、聖母行列をしたら、そしたらもう今までなかったのような事が起こって、そのミサイルもピタリと止まってしまいました。

だからといって安心はできないので、もっともっと平和がしっかりと守られますように、という意味で、聖母行列をしたいと思っています。
もしもいらして下さる事ができたら、明日ミサの後にあります。



聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、そして小さなお友達、今日は皆さんいらしてくれてとても嬉しく思います。まず今日のこのミサは、新年の最初のミサなので、その新年の慶びを皆さんに申し上げたいと思います。

それで今日、この初金曜日のイエズス様の聖心のミサは、幼きイエズス様が人間として小さな聖心を動かして、私たちに何を、どんなメッセージを何を仰りたいのか、というイエズス様の、小さな幼きイエズス様の胸に耳を押し当てて、「イエズス様、イエズス様は何と仰りたいのですか?イエズス様、お話したい事は何ですか?」と耳を傾けてみる事にします。

⑴「イエズス様、あなたは一体どなたですか?」

⑵「イエズス様、イエズス様は一体何の為にお生まれになったのですか?」

⑶「イエズス様は、私たちに何をして欲しいですか?」

と、3つの質問をしてみます。そしてその聖心から、小さな心臓の赤ちゃんのイエズス様の鼓動から、その答えを聞いてみます。


⑴「イエズス様、あなたは一体どなたですか?」

このイエズス様には深いお話があります。でもそれを全部を私たちは今言う事ができないので、その要点を言うと、イエズス様が生まれる4000年前から、アダムとエヴァの時代から、この赤ちゃんの誕生についての預言がありました。1回だけではなく、何回も何回も何回も何回も、色々な預言者を通して、色々な場所で、色々な時に、「どうやって生まれるのか」、「どのような家系で」、「いつ」、「どこで」、「何をして」という事が、詳しく預言されていました。

そしてこのクリスマスに、今から2000年前に生まれたこの赤ちゃん、イエズス・キリスト様の御誕生は、そしてその御生涯は、その預言が全てその通りに成就した、その通りに生まれて来た方です。ですからこの赤ちゃんは私たちにこう言っています、「私は、人類が最初からずっと待ち望んでいた救い主だ。この天と地を創造した、創り上げた、全能の天主が人間となって生まれて来た者だ」という事を言っています。

神父様は昨日、日本に来る時に新聞を見ていたら、その記事の中に、「科学者は、この昆虫たちがあまりにも上手い造りをしているので、今それを見て、そのそれからヒントを得て、ロボットを作って、人間の生活に役立てようとしている」という記事を読みました。

それには、例えば「蛾」という、蝶に似た昆虫が虫がいますけれども、蛾の両目は、光を当てても光を反射しないように、目にコーティングが付けてあるのでだそうです。それで、「誰が一体、そういうコーティングを付けたのか」その科学者はよく分からないにもかかわらず、「すごいアイディアだ、デザインが素晴らしい。もしも光が反射すれば、蛾が捉えようとする獲物が分かって逃げてしまうので、それが分からないようにしてある。一体誰が考えたのか、誰がそんな事を。でも真似しよう。これはこんな事考え付かなかった。良いアイディアだ。」

あるいはある虫は、手に吸盤のような小さな物がたくさん付いているのだそうです。それなので、それを使うとピタッと、そうやって重い物でも、自分の体重の何十倍の重い物でも掴む事ができる。鉤で引っ掛けるのもありますけれども、「あぁ、すごい考えだ。人間もこれを真似しよう。」

あるいはある昆虫には、目がたくさん、「複眼」と言って目がたくさんあって、「あぁ良い考えだ。目が1つよりも、たくさんあったほうが360度分かる。すごい考えだ」等々。

あるいは、「蝶はこの花粉が付いていて、蝶の羽っぱには水が濡れても水がしみ通らないようになっている。すごい考えだ。良いアイデアだ。真似しよう」等と、科学者が自然界を見て、それを真似するのだそうです。

或るフランス人は、その名前は忘れましたけれども、木の葉っぱを見て、「あぁ、素晴らしいデザインだ。その木のデザインを真似して、この電気を起こすようにしよう」と、私たちが今まで当然のように思っていた物を、よく見るとその中には深い知恵があって、深い素晴らしいデザインが含まれている、というのが人間はますます発見していますが、その全てを創った大宇宙の設計者、創造主が、人間となって生まれて来ました。全ての預言を果たして、人間となって生まれてきました。


⑵「ではイエズス様、一体何で赤ちゃんになって生まれて来たのですか?」

するとイエズス様は、「ドキ、ドキ、ドキ」と言いながら、こうお答えします、「なぜかというと、これは皆さんと私を愛する為。」

この世では、辛い事や悲しい事がたくさんあります。なぜかというと、死があったり、別れがあったり、病気があったり、辛い事があったり、暑かったり、寒かったり、お腹が減ったりするから。「何でこんな事があるのだろうか?なぜ天主様はこの宇宙をもっと良く創って下さらなかったのだろうか?」

はい、天主様はこの宇宙を、全世界を、完璧に創ったのですけれども、それを人間が破壊してしまいました。罪を犯したからです。そして人間は罪を犯すので、犯罪を犯すので、天主の聖心を傷付けるのみならず、この世界は悲しい事や不幸がたくさんあります。裏切りがあったり、戦争があったり、憎しみがあったり、意地悪があったり、嫌がらせがあったり、嫉妬があったり、みんな罪のせいです。

イエズス様は私たちに、「本当の幸せを与えよう。罪の赦しを与えよう」と来られました。人間同士が戦って解決しようと思っても、どうしても解決できない問題があります。どうしても難しい、世界の一番頭の偉い博士や、学者や、政治家が知恵を絞っても、どうしても難しい問題もあります。人間の心があまりにも折れなかったり、あるいはうまくいかない事があり、一方だけでは難しいものがあり、でもイエズス様はその全てを、うまく解決する事ができるようにして下さいます。その力を持っています。

イエズス様が来られた時に、「その名前は、『平和の君』と呼ばれる。」そして「王が来る」と預言されていました。私たちに本当の、この地上では味わう事ができない幸せを与える為に、永遠の命を与える為に生まれて来ました。


⑶「ではイエズス様、そうやって私に幸せと、赦しと、本当の平和と、本当の喜び、本当の命、永遠の命を与える為にお生まれになったイエズス様、ありがとうございます。私はイエズス様に何かする事がありますか?イエズス様は私に何をして欲しいですか?」

イエズス様が御望みになる事は、たった1つなのです。とても簡単なのです。イエズス様は私たちに宝物を、プレゼントを、幸せを与えようと来たので、私たちが、「あぁ、」イエズス様からそのプレゼントを受け取る事を御望みになっています。イエズス様が与えようとするこの幸せを貰ってもらいたい、イエズス様が私たちの心のドアをノックして、「こんにちは。あけましておめでとうございます。今日はクリスマスのプレゼントを持ってきました。このたくさんの幸せを受け取って下さい。今まで人類が待ち望んでいた、約束された幸せを持ってきました。平和をもたらす為に来ました。どうぞこのプレゼントを受け取って下さい。」

その時に、小さなお友達の皆さんが、「あぁイエズス様、ようこそ。ありがとうございます。イエズス様、来てくれてとても嬉しいです。私の心に来て下さい。イエズス様、どうぞ貧しい家ですけれども心ですけれども、入って下さい。イエズス様、どうぞプレゼントを全部下さい。」

すると、幼子のイエズス様はとても喜んで、「じゃあ、全てあげよう。幸せになってほしい。もっと幸せになって下さい」と言います。

でも残念な事にイエズス様は、多くの人はイエズス様の事をこうやって受け止めようとしません。生まれた時もそうでした。イエズス様が真の救い主であるにもかかわらず、「来るな、あっち行け。シッシッ!」そして生まれたのは、貧しい馬屋でした。人々から捨てられて、最も捨てられて、辱められて、生まれて来ました。寒い、本当の王様にもかかわらず、寒い所で、暖房もなく、凍えて生まれて来ました。

誰も、イエズス様のプレゼントを取ってくれようとしません。それにもかかわらずこの幼子のイエズス様は、「あぁ、でも、皆さん小さなお友達と私を愛している。私は自分を全て与える為にやって来た。さぁプレゼントを持って来たよ」と言って生まれて来ました。

ですから皆さんもどうぞ、特に小さなお友達はイエズス様を、心を大きく開けて、「イエズス様、どうぞいらして下さい。感謝します。イエズス様、私の心に来て下さい」と言って下さい。どれほどイエズス様は嬉しく思うでしょうか。そしてイエズス様からのプレゼントをたくさん頂いて下さい。超自然の御恵み、超自然の、人間がお金で買う事ができない御恵みと、祝福と、喜びが与えられます。

特に、大きくなって辛い事や、悲しい事、あるいは宿題や、あるいは自分に与えられた義務や、「こうしなさい」という命令や、色々な事があるかもしれません。でもそれもイエズス様にお捧げなさって下さい。「イエズス様、イエズス様は私の為にこうやって生まれて来て下さいました。辛い思いもたくさんしてくれました。だから私も、この辛い事も、イエズス様にお捧げします。友達から嫌な事を言われても、失敗しても、あるいは成功しても、イエズス様、どうぞこれを受け取って下さい。」

あぁ!イエズス様はどれほどお喜びになる事でしょうか。

イエズス様が私たちの心に来て下さいますように、マリア様にお祈り致しましょう。
マリア様はイエズス様のお母様です。と同時に、私たちのお母様でもあります。それで、イエズス様がお生まれになった時に、誰もこの救い主を受け取ろうとしない人々を見て、とても悲しみました。でも天使たちの歌声を聞いて、多くの牧童たちが羊飼いたちがやって来て、イエズス様の所に近寄って、礼拝に来ました。その時にそれを見て、マリア様はとてもお喜びになりました。マリア様に是非、私たちもイエズス様の近くに行く事ができる御恵みを乞い求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

私たちの主イエズス・キリストの御復活の黙想「これこそ主が創り給うた日、我ら喜び踊らん!」キリストの勝利は、私たちの勝利だ。私たちに悲しみの余地は無い。

2019年04月21日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様

私たちの主イエズス・キリストの御復活のお喜びを申し上げます。
主の御復活の黙想を提案します。

主の御復活!
これこそ主が創り給うた日、我ら喜び踊らん。

光は闇に打ち勝った。夜は明けた。正義の太陽は私たちの上に燦然と輝きだした。
御降誕には、小さな天主の光が、聖なる町(教会)の上に昇った。
光は闇に輝いたが闇はそれを悟らなかった。闇は光を葬り去ろうとした。これが御受難だった。
しかし復活の太陽は、闇に打ち勝ち、永遠に輝くために昇った。典礼暦の頂点である復活祭だ。喜びと幸福と嬉しさ、教会にはこの考えしかない。
キリストの勝利は、私たちの勝利だ。私たちに悲しみの余地は無い。自分のことは忘れてキリストの喜びの中に入ろう。何故なら、私たちがキリストと共に苦しむとき、全ては喜びと勝利に変わるからだ。
洗礼の水を受けて、信仰の光を受けた受洗者たちは、深い喜びを持って白い衣を着て一週間ミサに与った。

一週の最初、すなわち復活の主日の夜明けに、マリア・マグダレナとその他の聖なる婦人たちがキリストの墓に向かった。私たちもこれらの聖なる婦人たちの内の一人だ。一位の天使は、主の墓の入り口の岩を転がして開いた。ローマの兵士たちは、怖れに駆られて逃亡する。天使は、婦人たちと私たちに復活の福(よろこ)ばしい音(おと)ずれを告げる。キリストの弟子達(と私たちの周りにいるその他の信徒たち)に、主の復活を告げ知らせよ!おまえたちは、主が約束し給うた如く、主を見るだろう。天使は白い服を着て、喜ばしい知らせを告げる。私たちの贖い主の復活は、主の祝日であり、私たちの祝日である。何故なら私たちも不死へと呼ばれているから。また天使たちの主日である。何故なら、人間が天国に入ることによって、失われた堕天使たちの数が天で満たされるから。

復活の徹夜祭では指定巡礼教会として、私たちはラテラノ聖ヨハネ大聖堂(至聖贖罪主大聖堂)に集う。至聖なる贖い主は、復活によって贖いの業を果たし、私たちはキリストと共に復活する(洗礼)。
復活の主日の日中のミサの指定巡礼教会は、マリア大聖堂だ。聖伝によれば、復活したイエズス・キリストはなによりもまず聖母にお現れになった。典礼は、聖母の喜びと合わせて私たちが復活を祝うことを望む。この聖母大聖堂において、天使たちがレジナ・チェリ(天の元后、喜び給え)の歌を最初に歌った、と伝えられている。

復活の主日、教会は大きな感動と喜びの内に、典礼を行う。人間は、イエズス・キリストの御復活を目前に、単純に、巧みな表現も失い、あたかも言葉を失ったかのようだ。人間の言葉は、天主の神秘を祝うのにあまりにも弱く、貧しいことを実感しているかのようだ。聖務日課も、朝課では、ただ最初の三つの詩篇を、詩篇第1、第2、第3と順番に唱えるだけだ。私たちは新しく一から始まる。私たちは新しい人となった。私たちは新しい天主の御業を始めるのだ。最初の三つの詩篇は、いわば詩篇を全て代表している。詩篇は全て復活した主を讃美する。

ミサ聖祭では、「天主の過ぎ越しの子羊であるキリストは屠られた」がライトモチーフとなって繰り返される。入祭唱では、私たちはキリストの勝利の歌を歌う。Resurrexi! 私はよみがえった!私は復活した!贖われた人類の代表であるキリストは、キリストの神秘体の全ての肢体を聖父に捧げる。私たちは、聖なる婦人たちの真似をして、香と没薬を手に、すなわち良き香りの祈りと善業と苦行とをもって、キリストのもとに行こう。

復活の週、典礼は私たちに復活した主の現れに6回参与させる。

復活の月曜日、私たちはエンマウスの弟子達と共に、復活した主と出会う。主がパンを割いたとき、私たちは主を認める。指定巡礼教会は聖ペトロ大聖堂だ。書簡では「ペトロは民の真ん中に立ち」発言する。福音では「主は復活されてシモンに現れた」と言い、聖体拝領唱でもこれが繰り返される。私たちにも、主は御聖体の内に現れる。主は復活された、そして私に現れ給うた、アレルヤ!

復活の火曜日、私たちは使徒たちと共にいる。復活の主日の夕方に、主が突然、最後の晩餐の高間に来られ、主に触れ、主と共に食事をする。指定巡礼教会は聖パウロだ。書簡は言う「パウロは立ち上がって、手で静かにするようにと合図をして、発言する。」福音では、使徒たちへの私たちの主の御出現が語られるが、聖パウロはすぐにこの使徒たちの一員となるだろう。福音の最後には、聖パウロへの暗示がある。「全ての異邦人たちに罪の赦しを」告げ知らせる、と。

復活の水曜日、私たちはゲネサレト湖畔で七名の使徒たちと共にいる。主は、私たちのために食事(魚とパン)の準備をして下さり、私たちを招き給う。「イエズスが弟子達にお姿を表して3回目」だった。Hoc enim tertio manifestatus est Jesus discipulis suis, cum resurrexisset a mortuis. 指定巡礼教会は、門外の聖ラウレンチオだ。聖ラウレンチオの栄光の命へと移り変わったその日、天に生まれた復活の日、魚のように網で焼かれて殉教した。福音でも私たちの主は魚を焼いて使徒たちに食べさせる。「イエズス・キリスト天主の子救い主」は、天主聖父と私たちへの愛熱の炎に十字架の上で燃え焦がれ、私たちに聖体として御自分をくださる。

復活の月曜日も火曜日も水曜日も、御聖体を象徴する「食事」の場面が語られる。

復活の木曜日、私たちはマリア・マグダレナだ。主を愛するあまり主を探し、主と出会う。マグダレナは弟子達に告げに来る。「私は主を見ました。主はこのことを私に言われました!」私たちもミサ聖祭で主を愛し、主を探し、主を拝領する。「私は主を見ました!」指定巡礼教会は、だから十二使徒大聖堂だ。

復活の金曜日、私たちは多くの弟子らと共に、主イエズス・キリストを山の上で(つまり祭壇の上で)出会う。白い服を着ている受洗者らは、目に見えるイエズスに別れを告げる。しかし私たちの主は約束する。「私はあなたたちとともに毎日いる。常にいる。決して離れない。」復活の金曜日は、聖金曜日を思い出し、殉教者の元后である聖マリア教会が指定巡礼教会だ。

復活の土曜日、典礼ではイエズスの御出現はもうない。ペトロとヨハネは主の墓へと急いで走る。もちろん、これは復活の主日にあった出来事だ。しかし典礼は「洗礼の白衣」の象徴のために、最後に持ってくる。指定巡礼教会はラテラノ聖ヨハネ大聖堂(ここの洗礼盤で新受洗者らは復活の徹夜祭で洗礼を受けた)。キリストにおいて洗礼を受けた者は、キリストを着た者たちだ。洗礼以来、今日まで、新受洗者らは、白衣を着てミサ聖祭に与ってきた。今日この白衣を脱いで、普通の服に着替える。しかし目に見えない霊魂の服(成聖の恩寵)は、汚れなく守り続けなければならない。この世の終わりに、人類の最後の審判者イエズス・キリストから、栄光の白衣を受けるために。従って、彼らが脱ぐのはむしろ古い人間であり、全ての罪を脱ぐ。キリストも御自分を包んでいた聖骸布を脱ぎ捨てた。キリストも聖骸布を墓に置いた。ペトロとヨハネ(すなわち教会)は、主の復活の証人である。新受洗者が今日脱ぐ白衣も、霊的復活の証拠となるべきである。主は、私たちをエジプト(罪)から解放して下さった。約束の地を目指して、すなわち天国を目指して、喜んで歩もう。指定巡礼教会は、もう一度、ラテラノ聖ヨハネ大聖堂だ。

白衣の主日、私たちは復活の主日の八日目、トマスが他の使徒たちと高間にいる時、主が御出現になった出来事に居合わせる。私たちひとりひとりが、トマスだ。イエズス・キリストは、私たちにも御手の釘の傷跡と脇の傷跡に触れて、確かめよと招く。



【グレゴリオ聖歌】聖土曜日の朝課の答唱Plange quasi virgoをご紹介します。

2019年04月20日 | グレゴリオ聖歌

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、

聖土曜日の朝課の答唱Plange quasi virgoをご紹介します。

 

 

R. Plange quasi virgo, plebs mea: ululáte, pastóres, in cínere et cilício: 私の民よ、乙女のように涙せよ、牧者たちよ、灰と毛衣で歎け
* Quia venit dies Dómini magna, et amára valde. 何故なら主の偉大な日が、極めて苦い日が来たからだ。
V. Accíngite vos, sacerdótes, et plángite, minístri altáris, aspérgite vos cínere. 司祭たちよ、おまえたちは帯を締めよ、そして祭壇の奉仕者たちよ、涙せよ、自分にはいを振りそそげ。
R. Quia venit dies Dómini magna, et amára valde. 何故なら主の偉大な日が、極めて苦い日が来たからだ。
R. Plange quasi virgo, plebs mea: ululáte, pastóres, in cínere et cilício: * Quia venit dies Dómini magna, et amára valde. 私の民よ、乙女のように涙せよ、牧者たちよ、灰と毛衣で歎け。何故なら主の偉大な日が、極めて苦い日が来たからだ。

 


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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