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ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第五十四章 二つのピラミッド

2011年12月31日 | カトリックとは
第五十四章 二つのピラミッド

私はとても体が弱く、少女だった頃は頻繁に病気にかかりました。私は病床にあった時はいつでも、修道女はアダムとイブが原罪を犯したので、人間は苦しみ、死ななければならないと言いました。誰も免れることは出来ません。人間の本質は損なわれ、民族の間には憎しみがあり、国の間には戦争があります。貪欲、怠惰、誇り、そして嫉妬はどこにでもあります。

このように、原罪による限界があります。ああ、私は何年、何百回と不平をこぼしたことでしょう。私は、悪魔の声に耳を傾けて果物を食べたにイブを非難しました。アダムとイブの二人は、世界のすべての不幸や苦しみの根源でした。今、人類は天主様と争い、天主様と人間の間に、誰も飛び越えられない隔たりを作っています。何という悲劇でしょう!しかし、私はアダムとイブが罪を一度犯しましたが、私が何回罪を犯したのかと自分に問問い質したことがあります。答えは無数です。間違い無く私は彼らを責める資格がありません。

誰がこの混乱した状況から私を導くことが出来るでしょう?ある夜に、私はゲッセマネの園にやって来ました。何という夜の深さ!雲が重く、月の光は薄暗いです。すべてが暗闇の中にあるように見えました。傍らの川は、ゆっくりとざわめきました。まるで、彼らが何か恐ろしいことが起きているのを知っていたかのように。しかし、小さな流れよ、なぜあなたは3人の使徒に、イエズス様が悲しみのあまり死んでしまいそうだったことを教えなかったのですか?緑色の岩を見てください。それはイエズス様の血の汗で赤く染められています。イエズス様は、彼らが共に祈っていたかどうかを見るために、最愛の弟子のところに行ったり来たりしました。何と落胆したことでしょう!彼らがこの重要な時期にぐっすり眠っている間、イエズス様は一人ぼっちでした。誰も一緒ではありませんでした。私は、イエズス様が御父である天主様に祈っておられるのを、殆ど聞くことが出来ませんでした。その声は恐怖に震えましたが、依然として「フィアット」(そうなりますように)と言われました。キーワードである「フィアット」は、イエズス様がとても苦しむ必要があるとお分かりになるほど、極めて多くの人間の罪が犯されたことを思い出させます。それは、アダムとイブからこの世の終わりの末代まで犯され続けた無数の罪を考えるときです。

天主様が選らばれた救世主を待ち望んでいたダビデの家系に連なる人々の裏切り、天主様の最愛の人による否定、天主様が選ばれた司教や司祭の不忠実、私たちの祝せられた御母であるマリア様、イエズス様の聖心に対する恐るべき冒涜、殺人、そして私自身の罪は、驚異的なピラミッドを形成します。このピラミッドは、イエズス様を逆様に押してしまっています。それはあまりにも重く、イエズス様が御自分の血を犠牲にし、ええ、この庭で苦しんで十字架上で死ぬことを余儀無くされました。イエズス様は御自分の全ての苦しみを以てこの世を贖い、私たちのために天国への門を開けて下さいました。それ以来、私たち罪深い生き物は、御父である天主様を私たちのお父さんと呼ぶ資格を持ちました。何という特権を私たちは持っていることでしょう!私たちは、失ったものよりもはるかに多くを得ています。「幸せな原罪」は、私たちに救い主をもたらしました。

イエズス様御自身が昼も夜も聖櫃の中に真にましますよりも、この世に尊い贈り物があるでしょうか?私たちはこれ以上の不平を言ったり、心配することはありません。私たちの人生は喜びと幸福に満ちています。この世は単に涙の谷であるばかりではなく、天国への準備のための予備校です。ここで天主様を愛する練習をし、全ての美徳を練習し、そして私たちは天国に行く準備が出来るように自分自身を聖くします。

 すべての人間は、煉獄かこの世の苦しみのいずれかを通して、天国に登る前に自分自身を浄化しなければなりません。アビラの聖テレサが「苦しむか死ぬか」と言った時、彼女は正しかったのでした。時間は地獄や天国ではなく、この世に存在しています。私たちは時間を持っているので、私たちのこの世の苦しみには終わりがあります。それは永遠ではありません。時間のために、私たちは次から次へと自分たちの苦しみを捧げることが出来ます。私たちは、自分たちの手に魔法の杖を持っているのです。何であろうと、私たちが天主様への愛のためにすることで私たちは益を得ますし、私たちは天主様を喜ばせることが出来ます。ですから、私たちは浄化のピラミッドを登ってみましょう。私は、「天主様のエレベーター」に乗るのに、小さき花の聖テレジアを模倣したいと思います。私はイエズス様に、私を肩の上に載せるか、腕の中に私を抱き抱えるようにお願いします。イエズス様がとても鮮やかな雲と共に天に登られる時、何と美しいことでしょう。天主様、いつかあなたが私をお呼びになる時、天国への道であなたの腕の中に私を抱き抱えて下さるように祈ります。アーメン。
二〇〇四年九月二十二日


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『楽は苦に在り』ローズ胡美玉 著 目次
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