Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
2018年 2月の聖伝のミサの予定
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】

意向:日本のため、日本におけるカトリック教会のため
実践すべき徳:天国を得たいという燃えるような望みと希望
守護の聖人:ルルドの聖母

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します

◎2018年 2月の予定
【大阪】聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂(アクセス EG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 〒532-0002
(JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分)

    2月2日(初金) 童貞聖マリアの御浄め(2級祝日)白
            午後5時半 ロザリオ及び告解 
            午後6時 ローソクの祝別式とローソク行列  ミサ聖祭

    2月3日(初土) 聖母の土曜日(4級)白
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

    2月11日(主) 五旬節の主日(2級)紫
            午後5時半 ロザリオ及び告解 
            午後6時 ミサ聖祭 

    2月12日(月) 証聖者童貞聖マリアの僕の会の七創立者(3級祝日)白
            午前9時 ロザリオ及び告解 
            午前9時半 ミサ聖祭     ←時間が変更になりました

    2月16日(金) 四旬節の平日(3級)紫
            午後5時半 ロザリオ及び告解 
            午後6時 ミサ聖祭 

    2月17日(土) 四旬節の平日(3級)紫
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

    2月25日(主) 四旬節第2主日(1級)紫
            午後5時半 ロザリオ及び告解 
            午後6時 ミサ聖祭 

    2月26日(月) 四旬節の平日(3級)紫
            午前6時半 ミサ聖祭 

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図) 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」
    2月4日(主) 六旬節の主日(2級)紫  
            午前10時  ロザリオ及び告解
            午前10時半  ミサ聖祭(歌ミサ)

    2月5日(月) 【日本】日本26聖人殉教者(日本固有 2級祝日)赤 
            午前7時 ミサ聖祭

    2月18日(主) 四旬節第1主日(1級)紫
            午前10時 ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

    2月19日(月) 四旬節の平日(3級)紫
            午前7時 ミサ聖祭

愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております。

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ファチマの聖母像が訪問したところはどこでも平和の奇跡の数々が起こった:実話紹介

2017年09月29日 | ファチマ
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今から70年前の1947年、ファチマの聖母像は世界中を「巡礼」して回りました。その時に起こった平和の奇跡の数々をご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【スペイン】
第二次世界大戦直後のファチマ御出現30周年、ファチマの聖母の世界訪問が始まりました。最初はスペインを通ります。多くの告解、聖体拝領、聖母行列、ロザリオ、償いの聖時間、聖母の汚れなき御心への奉献、などがなされました。1948年5月、最後に首都のマドリッドに到着すると市民から凱旋的な大歓迎を受けました。マドリッドの司教は、感謝の手紙の中で、ファチマの聖母がマドリッド司教区に入ると150万人の信者も未信者も皆聖母の前に集まり、泣き、祈り、聖歌を歌った、かつてこのようなことをマドリッドで見たことがない!と書いています。

1953年、聖座とスペインとは政教条約を結び、スペイン国家の唯一の宗教はカトリックの宗教であることを認めました。1954年フランコ将軍はスペイン国家の名前に置いてスペインを聖母の汚れなき御心に奉献しました。

【フランス】
1943年、フランスの司教たちは自分の司教区を聖母の汚れなき御心に奉献しました。
ファチマの聖母像がフランスを訪問する間、テアス司教(Bishop Theas)によると、「フランスの全くの回心」がありました。

【カナダ】
1947年6月18日から22日、カナダのオタワに着いたファチマの聖母像は盛大な歓迎を受け、6月22日に司教たちは50万人以上の信徒たちの前でカナダを聖母の汚れなき御心に奉献しました。

【アメリカ】
1947年12月8日、アメリカのバッファローの司教座聖堂で20万人以上の巡礼者たちから歓迎を受けたファチマの聖母は、アメリカ全土を訪問して回りました。アメリカでは、その後数万人が毎年カトリックの洗礼を受けるようになりました。例えば1949年だけで12万人の成人がカトリックに改宗しています。

【イギリス】
英語圏では、特に頻繁に活動していた共産主義者たちがカトリックに回心しました。例えば英国人のダグラス・ハイド(Douglas Hyde, 1911 - 1996)やハミッシュ・フレイザー(Hamish Fraser)などがいます。(このダグラス・ハイドはアイルランドの初代大統領とは別人です。)
「私たちカトリックが私たちの責任を完全に受け入れ始めるとき、共産主義は、アリウス派の異端が今では影響力がないように、同じく影響力がなくなるだろう。私の意見によると、ファチマは20世紀において最も重要な、もしかしたら500年前の宗教改革以来最も重要な出来事である。」("When we Catholics begin fully accepting our responsibilities, Communism will become as ineffectual as the Arian heresy … In my humble opinion, Fatima is the most significant event of this century, perhaps the most significant one since the Reformation," Hamish Fraser, 1952).

【韓国】
朝鮮戦争中の1953年、ストラムスキ神父(Father Matthew Strumski)해병대 소속 군종신부は、海兵隊の従軍司祭は重い軍靴を履きながら、ファチマの聖母像を持って韓半島を動いていました。このファチマの聖母像の前で、どれほど多くの徹夜の祈りの回が開かれ、祈祷集会の儀式が行われたことでしょうか。

ストラムスキ神父はポーランド系の米国移民で幼い頃小児麻痺を患い、命はもうないと思われていました。母親は息子のために聖母に熱心に祈り、奇跡的な治癒を得ました。
ミシガン州の神学校で学び、1948年にカッシディ司教により司祭に叙階されました。司祭叙階3年後、米軍の従軍司祭として志願し、太平洋で2年間、次に韓国でに2年働きました。

朝鮮戦争が長引く中、また神父は休暇中に、韓国の9つの司教区をファチマの聖母像をもって訪問し回りました。各司教区で司教様たちに会い、戦争が終わるように聖母に祈りました。「祈りは戦争を止めさせることができると私は信じていました。」

1953年3月26日、韓国の司教評議会に招かれたストラムスキ神父は、ファチマの聖母への祈りが大切なことを訴え、その日、司教たちは韓国を聖母の汚れなき御心に奉献します。
1953年4月5日、パウロ盧基南(ソウル大司教)は、板門店の近くでファチマの聖母像の祝別式があった折に、ブルー・アーミーの最初の会員になりました。

4月19日以降、ストラムスキ神父は韓国の難民の多くいた主要都市にファチマの聖母をもって、皆と多くのロザリオを祈りました。

4月30日付けで、ストラムスキ神父はアメリカに帰国命令を受けます。
しかし、この4ヶ月後、1953年7月27日朝鮮戦争は停戦となりました。

【次のビデオの29分08秒ごろ から 31分14秒ごろまでにその話が出てきます。】




ストラムスキ神父の後継者として10年後、すでに1958年に韓国に来ていたドイツ人司祭のアントニオ・トラウナー神父(Fr. Anton Trauner)が司教の許可を得て、1964年から韓国にブルー軍団(Blue Army)を設立するために働きました。

【オーストリア】
オーストリアは、第二次世界大戦後、ソビエトの占領下に置かれました。しかしオーストリアの国民たちは毎日ロザリオを唱えることを聖母に約束し、100万名が約束の署名をしました。
ペトルス・パフリチェク神父は捕虜だった時にファチマの聖母について知り、1947年2月2日、マリアツェルへの巡礼の途中、聖母からの声を聞きました。「もしも私がいうことを行うなら多くの霊魂は救われ、平和が来るでしょう」と。そこで1949年からロザリオの十字軍をオーストリアで起動させました。
突然1955年5月13日、モスクワはオーストリアを独立させると突然宣言しました。当時オーストリア首相だったユリウス・ラアブ(Julius Raab)は、これをファチマの聖母のおかげだと断言しています。

【聖ピオ十世会】
私たちは、2017年7月17日東京で、8月15日大阪で、9月24日ソウルで、ファチマの聖母と共に平和のためにロザリオを祈りました。



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ノベナを始めます

2017年08月11日 | ファチマ
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

ファチマ巡礼のためにノベナを始めましょう。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田神父


おお、汚れなき童貞マリア、いとも聖なるロザリオの元后、太陽を身に着けたる婦人よ、御身は、百年前にファチマを訪れ給い、御身の母性と汚れなき御心をすべての人々に知らしめ給えり。われらの御身へのまったき奉献を受け入れ給え。われらのために、また、東方かつ西方のカトリック教会のすべての子供らのために、聖霊によりて準備されし救いの方舟(はこぶね)として、御身の汚れなき御心の安全な避難所の中にわれらを迎え受け入れ給え。 今年、御身の汚れなき御心のうちに、われら各々(おのおの)が、絶え間なき祈りの至聖所、至聖なる三位一体との親密さを味わう聖櫃、あらゆる病(やまい)の癒しのための治癒の場、もっとも勇敢で忠実な霊魂たちさえも脅(おびや)かす混乱のまっただ中における平和の港を見いださんことを。御身がかくも愛し給うロザリオを手に取り、今年一年の間ロザリオを祈りつつ、われらの心の絶え間ない祈りと、われらが御身の汚れなき御心に捧げられた者として生き、死ぬことを願うわれらの望みの表現となしたまわんことを。 かつて十字架の祭壇の上に屠られし子羊、そして今でも、教会の祭壇から、また、主が隠れて、沈黙のうちに、しばしば忘れ去られて御聖櫃から、われらのために、ご自分を犠牲として捧げ給う子羊へとわれらの心を向けさせ給え。 今年、憐れなる罪人らにとりて御身の同情が大きく力強く現れ給わんことを。また、日の昇るところから日の沈むところまで教会において、また全世界において、御身の汚れなき御心の凱旋の始まりとなり給わんことを。悪魔からのものであれ、人間からのものであれ、すべての抵抗に打ち勝ち、全ての人々に、御身の母なる御心において燃える愛の炎を、御身の御胎内の祝されたイエズス・キリストの御顔に輝く聖父の栄光を、われらに示したまえ。 寛容、仁慈、甘美にまします童貞マリア!アーメン。
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聖ピオ十世会ファチマ国際巡礼の準備のためのノベナの祈り

2017年08月04日 | ファチマ
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会ファチマ国際巡礼の準備のためのノベナの祈りを提案します(8月11日から19日まで)。



Preparatory Prayer for the Fatima Pilgrimage 2017

O Immaculate Virgin Mary, Queen of the Most Holy Rosary, Woman clothed with the sun, thou who didst visit Fatima one hundred years ago to make known to all men thy maternal and Immaculate Heart, receive our act of total consecration to thee. Welcome us into the safe refuge of thy Immaculate Heart as into the ark of salvation prepared by the Holy Ghost for us and for all the children of the Catholic Church in East and West.

Let each one of us find in thy Immaculate Heart this year a sanctuary of ceaseless prayer, a tabernacle of intimacy with the Most Holy Trinity, a hospital for the healing of every infirmity, a harbour of peace in the midst of the confusion that threatens even the bravest and most faithful souls. Inspire us to take up the rosary that thou so lovest, and to make it during this year the ceaseless prayer of our hearts and the expression of our desire to live and to die consecrated to thy Immaculate Heart.

Turn our hearts to the Lamb who, once immolated upon the altar of the Cross, offers Himself still for our sakes from the altars of the Church and from the tabernacles where He abides hidden, silent, and so often forsaken.

Let this year be for us a great and powerful manifestation of thy compassion for poor sinners and the beginning of the triumph of thy Immaculate Heart in the Church from the rising of the sun to its setting, and indeed in the whole world. Overcoming every resistance, be it of demons or of men, reveal to all souls the flame of love that burns in thy maternal Heart and the glory of the Father that shines on the face of His Christ, Jesus, the blessed fruit of thy womb.

O clement! O loving! O sweet Virgin Mary! Amen.

日本語訳は、後ほどご紹介いたします!
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「私はロザリオの聖母です。いつも毎日ロザリオを唱え続けなさい。もうこれ以上天主なる私たちの主に罪を犯してはなりません。すでに主はあまりにも多く犯されていますから。」(ファチマの聖母)

2017年06月28日 | ファチマ
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ファチマの聖母のお言葉をお聞き下さい。



私はロザリオの聖母です。いつも毎日ロザリオを唱え続けなさい。
人々はその生活を改め、罪の赦しを願わなければなりません。(ますます悲しそうな様子で)彼らはもうこれ以上天主なる私たちの主に罪を犯してはなりません。すでに主はあまりにも多く犯されていますから。(1917年10月13日)



I am Our Lady of the Rosary. Continue to say the Rosary every day.
People must amend their lives and ask pardon for their sins. (growing sadder) They must not offend Our Lord any more for He is already too much offended.



Je suis Notre-Dame du Rosaire. Que l’on continue toujours à réciter le chapelet tous les jours.
Il faut qu’ils se corrigent et qu’ils demandent pardon de leurs péchés. (un air plus triste) Qu’ils n’offensent pas davantage Dieu Notre Seigneur, car Il est déjà trop offensé.

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ファチマの天使の祈り

2017年06月10日 | ファチマ
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

ファチマ100周年をふさわしく記念するために、聖伝のミサの後の祈りの時(御聖体拝領の祈りの感謝の祈りの直後、教皇様のための祈りや司祭のための祈りの直前)に、次のファチマの天使の祈りを皆で唱えております。

よろしくお願いします。天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



「わが天主よ、われ、信じ、礼拝し、希望し、御身を愛し奉る。われ、信ぜぬ人々、礼拝せぬ人々、希望せぬ人々、御身を愛さぬ人々のため、御身に御赦しを願い奉る。」

【シスター・ルシアの手記によるポルトガル語原文】
Meu Deus! Eu creio, adoro, espero e amo-Vos. Peço-Vos perdão para os que não crêem, não adoram, não esperam e Vos não amam.

【参考資料:フランス語訳】
Mon Dieu, je crois, j'adore, j'espère et je Vous aime. Je Vous demande pardon pour ceux qui ne croient pas, qui n'adorent pas, qui n'espèrent pas, et qui ne Vous aiment pas.

"Mein Gott, ich glaube an Dich, ich bete Dich an, ich hoffe auf Dich und ich liebe Dich. Ich bitte Dich um Verzeihung für jene, die an Dich nicht glauben, Dich nicht anbeten, auf Dich nicht hoffen und Dich nicht lieben."

「哦!天主,我信奉您、我敬拜您、我仰望您、我愛慕您。請您寬恕那些不信您、不敬您、不仰望您、不愛慕您的人。」

나의 천주여 나는 믿고, 흠숭하며, 희망하고, 너를 사랑하나니다. 믿지 아니하는 이, 흠숭하지 아니하는 이, 희망하지 아니하는 이, 사랑하지 아니하는 이들을 위해 용서를 구하나이다.


「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ、我、御身を深く礼拝し奉る。世界中のすべての御聖櫃のうちにましまし給うイエズス・キリストのいとも尊き御体、御血、御霊魂と御神性を、イエズス・キリスト御自身が受け給う侮辱、冒涜、無関心を償うために、御身に捧げ奉る。イエズスの至聖なる聖心とマリアの汚れなき御心の無限の功徳によりて、あわれな罪人の回心を御身に願い奉る。」

【シスター・ルシアの手記によるポルトガル語原文】
Santíssima Trindade, Padre, Filho, Espírito Santo, (adoro-Vos profundamente e) ofereço-Vos o preciosíssimo Corpo, Sangue, Alma e Divindade de Jesus Cristo, presente em todos os Sacrários da terra, em reparação dos ultrajes, sacrilégios e indiferenças com que Ele mesmo é ofendido. E pelos méritos infinitos do Seu Santíssimo Coração e do Coração Imaculado de Maria, peço-Vos a conversão dos pobres pecadores.

【参考資料:フランス語訳】
Très Sainte Trinité, Père, Fils et Saint-Esprit, je Vous adore profondément et je Vous offre le très précieux Corps, Sang, Âme et Divinité de Jésus-Christ présent dans tous les tabernacles du monde, en réparation des outrages, sacrilèges et indifférences par lesquels il est Lui-même offensé. Par les mérites infinis de Son Très Saint-Cœur et du Cœur Immaculé de Marie, je Vous demande la conversion des pauvres pécheurs.


„Heiligste Dreifaltigkeit, Vater, Sohn und Heiliger Geist, in tiefster Ehrfurcht bete ich Dich an und opfere Dir auf den kostbaren Leib und das Blut, die Seele und die Gottheit Jesu Christi, gegenwärtig in allen Tabernakeln der Erde, zur Wiedergutmachung für alle Schmähungen, Sakrilegien und Gleichgültigkeiten, durch die Er selbst beleidigt wird. Durch die unendlichen Verdienste Seines Heiligsten Herzens und des Unbefleckten Herzens Mariens bitte ich Dich um die Bekehrung der armen Sünder.“

「至聖的天主聖三:聖父、聖子、聖神,我深深地欽崇您,現在我把這個世界上所有聖體櫃中最珍貴的聖體、聖血,耶穌基督的靈魂與天主性呈獻給您,以賠補世人對天主的冷淡、侮辱和褻瀆。藉著耶穌聖心和無染原罪聖母聖心的無限功勞,求您使罪人悔改自新。」

지극히 거룩하신 성 삼위 성부, 성자, 성신이여, 너를 깊이 흠숭하나이다. 세상 모든 감실 안에 계신 예수 그리스도의 지극히 보배로우신 성체와 성혈과 영혼과 신성을 바치오니, 천주의 마음을 상해드린 모욕과 모독과 무관심을 기워 갚기 위함이나이다. 지극히 거룩하신 예수성심과 성모의 하자 없으신 무한한 공로로 삼가 청하오니 불쌍한 죄인들이 회개하게 하소서.
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【ダウンロード】ファチマの聖母の御出現についての三つ折りのチラシ(flyer)をご紹介します

2017年06月07日 | ファチマ

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様

 ファチマの聖母の御出現についての三つ折りのチラシ(flyer)をご紹介します。「ダウンロード」をクリックしてご覧下さい。

 

  ダウンロード

 

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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ファチマ2017へ向けて(XV)パート1 子供たち―ファチマの生ける注釈

2017年06月03日 | ファチマ
パート1  子供たち―ファチマの生ける注釈


聖母が三人の子供たちにご出現になったあとの三人の生き方は、私たちのために天から与えられた間接的な教えであり、とても実践的な教えなのです。その生き方は、天が地上に現れるとき、地上のものは天の光によって変容されるということを教えてくれます。聖母が人間に御出現になるとき、その人は聖母の光と御恵みを委ねられたうつわとなります。その人はうつわとして、聖母がこの世に御恵みと御あわれみを注ぎ続けられるための道具となります。私たちは、フアン・ディエゴなくしてグアダルーペを十分に理解することはできませんし、聖ベルナデッタなくしてルルドを十分に理解することはできないのです。

その幻視者たちによる目撃証言が重要であるだけでなく、彼らの言葉、とりわけその生き方もまた重要です。彼らは、聖母が地上に来られたことを鏡のように映し出しているのです!

聖母聖母のメッセージについてのこれらの生ける証拠は、私たちにとって非常に重要です。というのは、私たちは聖母御自身を見ることができませんが、幻視者たちを、聖母を映し出しているものとして見ることができるからです。子供たちがファチマの聖母の頼みを完全に適用して実現させたのですから、私たちは、ファチマの霊性および聖母の汚れなき御心の最も深遠な目的を真に理解する鍵として、聖母のメッセージについての彼らの模範および理解を使うことができるのです。

私たちは、聖母がご自分の特権を受けた子供として、非常に異なっていて対照的でさえある性格の者たちをどのようにして選ばれたのかを見ることができます。聖母はご自分のメッセージのいろいろな側面を明らかにするために、異なる役割で子供たちをお使いになったのです。ヤシンタは非常に活発な少女で、竜巻のようなエネルギーを持っている子であり、三人の子供たちの中で最も元気がよく、他の二人の心を捉えて引っ張っていくことができた子でした。フランシスコはそれと反対で、非常に穏やかで、孤独と内省を好む粘液質の性格だったといえます。ルチアは誠実な証人が持つ特質のすべて、つまり完全な慎重さ、優れた記憶力、細部についての感覚、特に正直さという深い感覚を兼ね備えていました。


第1章 「天主をお慰めすること」―福者フランシスコ


聖母がファチマに御出現になったとき、フランシスコは聖母を見ることはできましたが、聖母が話されるのを聞くことはできなかったということはとても重要です。一つ一つの御出現の後に、ルチアとヤシンタは、聖母が話されたことをフランシスコに教えなければなりませんでした。このようにして聖母は、フランシスコを異なる種類の証人となさったのです。孤独の内に観想する習慣があったため、フランシスコは自分が見たものについて非常に深い方法で考えることができ、他の二人の子供たちが聞いた会話によって気を散らされることがありませんでした。彼は、御出現それ自体の観想に完全に集中することができました。ですから、これはまさに天主の御摂理の目的でした。この天主の御計画のおかげで、フランシスコには幻視そのものを最も深く理解することのできる能力がありました。

御出現の間、彼は何に最も深く印象付けられたでしょうか?

「僕は天使に会うのが好きでした、でも聖母にお会いする方がもっと好きです。僕がとりわけ好きだったのは、僕たちの心臓をつらぬいた、聖母から来る光で主を見ることでした。僕は、ものすごく天主様を愛しています! けれど、天主様はあまりにも多くの罪が犯されているのでとても悲しんでおられます! 僕たちは、もう二度と決して罪を犯してはいけません」。

「・・・天主様とは何でしょうか? 僕たちは決して言葉では表現できません。そうです、天主様は決して表現することができない本当の何かです! けれども、天主様がとても悲しんでおられるとは、何と残念なことでしょう! 僕が天主様をお慰めすることさえできれば!」。

「天主をお慰めする」というテーマが彼の短い人生の中で非常に大きな部分を占めているので、そのことが何か彼の霊性全体、考え・言葉・行動の中心となったようでした。

「フランシスコ、どちらが好きなの? 天主様をお慰めすることか、これ以上霊魂が地獄に落ちないように罪人を回心させることか?」―「僕は天主様をお慰めする方です。気がつかなかった? 先月聖母が、人々はもうこれ以上主に背いてはいけません、すでに主はあまりにも背かれているのですから、と話されたとき、聖母がどれほど悲しんでおられたかを。僕は主をお慰めしたい、そしてそのあとで、もうこれ以上主に背かないように罪人を回心させるんだ!」。

フランシスコは自分がどのように天主をお慰めすると考えていたのでしょうか?

ルチアは書いています。「彼はほとんど話しませんでしたし、祈ったり犠牲をお捧げしたりするときはいつも、ヤシンタと私からさえ離れて隠れるのを好みました。本当によく、私たちは壁やブラックベリーの茂みの後ろに隠れている彼を驚かせました。彼はそのようなところへ巧妙に抜け出して、跪いて祈っていたりしましたし、また『非常にたくさんの罪のせいで悲しまれている主のことを考える』とよく言っていました」。

「私が彼に『フランシスコ、なぜ私に一緒に祈って頂戴と頼まないの? ヤシンタにも?』と尋ねると-『僕は自分で祈る方が好きなんだ、そうすればすごく悲しまれている主のことを考え、主をお慰めすることができるんだ』と話しました」。

しかし、祈りは一つの面にしか過ぎません。私たちの苦しみにおいて天主をお慰めしようとするならば、私たちはもっと多くのことをもすることができます。

時々、フランシスコは言ったものです。「聖母は、僕たちがたくさん苦しむでしょうと話されたけれど、僕はかまわない。聖母が望まれるすべてを僕は苦しむつもりだよ。僕が望むのは天国へ行くことなんだ」。

そしてルチアは言いました。「ある日、家族の中でも外でも迫害が起こりはじめたことで、どんなに自分が不幸せかについて私が伝えたとき、フランシスコはこんな言葉で私を元気づけようとしてくれたの。『気にするな! 聖母は言われなかったかい、主と聖母の汚れなき御心に対して犯されるすべての罪のために、僕たちはたくさん苦しみ、たくさん償いをしなければならないってことを。お二方は、たいへんお悲しみなんだよ! この犠牲でお二方をお慰めすることができるのなら、僕たちはどれほど幸せだろうか』」。

フランシスコは、ルチアとヤシンタに話したそのことを自分で経験しました。特に死ぬまで続いた彼の長きにわたる病気の間に。

「私は、時々彼に尋ねました。『たいそう苦しいの? フランシスコ?』―『かなりね、でも全然気にしなくていいよ! 僕は主をお慰めするために苦しんでいるんだし、そのあとすぐに天国に行くんだから!』」。

彼は「永遠に天主をお慰めする」ことができる場所としてしか、天国を想像することができませんでした。

「僕が天国に行くまで、もう長くないんだ。そこに行ったら、僕はものすごく主と聖母をお慰めするつもりだよ」。

そして、彼の最後の言葉はこうでした。「うん、僕は祈るね。でも気を付けていてね、君が僕の代わりにヤシンタにそのことを祈ってくれるように頼んでね、僕は主にお会いしたら忘れるんじゃないかと心配だから。主にお会いしたとき、僕は他のどんなことよりも主をお慰めしたいんだ」。

フランシスコが1919年4月4日に死んだとき、彼の両親は宣言しました。「フランシスコはほほ笑みながら亡くなりました!」。


解説

1. 天主―私たちの唯一にして全てである御方

ファチマのメッセージのまさに中心が天主御自身、すなわち天主の栄光と、被造物が当然捧げるべき天主への礼拝であるということは、天使と聖母の御出現から既にはっきりとしています。今日の世界は、天主の無限の尊厳と圧倒するような御稜威についての感覚を完全に失ってしまっています。実際は、天主の御前では、すべての被造物は「無」であって、無限に広がる大海原の中の一滴のしずくのようなものですらありません。世界の歴史は、その創造の初めから時の終わりまで存在しますが、天主の永遠の前では、何百万年に対する一秒にも満たないものです。諸聖人は、私たちが天主の御前では塵のようなものであり、それゆえに諸聖人は出来うる限り謙遜にする、ということを私たちが知るように教えています。これがまさしく、御出現の間のフランシスコの最も驚くべき神秘的な体験でした。「天主様とは何でしょうか? 僕たちは決して言葉では表現できません。そうです、天主様は決して表現することができない本当の何かです!」。

フランシスコは天主の圧倒的な御稜威に非常に心を奪われていたため、死んだあと「天主にお会いしに」行くときに、ルチアと人々の頼みを忘れてしまうのではないかと怖れていました。私たちは、まことの霊的生活および天主御自身とのまことの関係に必要である同じようなお恵みを聖母にお願いしなければなりません。それは、聖なる御ミサの栄光誦で私たちが歌うように― propter magnam gloriam tuam [御身の大いなる栄光のために]―、また天主の御稜威の御前で聖なるおののきで震える天使たち(御ミサの序誦)のように、天主の大いなる栄光への讃美で満ちていることです。すべての被造物がまったくの無であること、また人間が自分のちっぽけな個性や取るに足らない歴史で思いあがって人間と人間の関心事を世界の中心とみなす時にそれがどれほどばかげたことかを、天主の無限の大きさが私たちに教えています。天主のこの無限の御稜威は、黙想すべき信仰の真理であるだけでなく、聖パウロの言うように「満ち満ちる天主によって満たされる」ために、天主の偉大さにあずかるようにとの招きでもあるのです。フランシスコが知っていたのは、自分の人生に与えられたこの目的だけでした。かつて彼が将来何になるのと聞かれたときに、いつも繰り返して答えていました。「僕は何にもなりたくない! 僕は死んで天国にいきたい!」と。でも、彼にとって、天国とはまず第一に「天主にお会いすること」であって、天主を永遠に愛することでした。小さなフランシスコは、その保護聖人である偉大なる聖フランシスコのモットーを文字通りに実現したのです、「Deus meus et omnia-わが天主、わがすべてよ!」と。


2. 唯一のまことの悪―罪

天主を無限の御稜威および終わりなき愛として見ることによって、フランシスコは罪の真の様相を理解しました。ファチマは、罪が本当は何であり、また罪の結果が何であるかを私たちに教えてくれる聖母のカテキズム(教理問答)なのです。罪とは、まず第一に、天主の善良さ、御あわれみ、愛という天主の本質そのものに対してなし得る最悪の侮辱であり、否定です。もし可能であるならば、罪は天主の王たる尊厳を破壊してしまうことでしょう。罪は、創造主に対してなされる被造物の最も恐ろしい過失であり忘恩です。私たちが恩人からとても貴重な贈り物を受け取るのなら、私たちが無関心であるとか恩知らずであるとかということは想像すらできません。しかし、貴重な贈り物のお返しに、私たちが恩人を侮辱したり、恩人の顔につばを吐いたり、恩人を私たちの家から追い出したり、恩人を殺そうとさえすると想像することは、いっそうありえないことです。しかし、これが、罪を犯すときにまさに私たちがしていることなのです。天主はいつも私たちに、私たちの存在、私たちが持っているものすべてを与えてくださっており、私たちはそのような途方もない愛に対してしばしば無関心であるだけでなく、天主の御顔に向かってつばを吐き、天主の所有物である私たちの霊魂から天主を追い出しているのです。フランシスコは、人間がこの無限の愛をどれほど嫌っているか理解した時に、最も大きな恐怖を抱かずにはいられませんでした。そこで彼は叫んだのです。「僕たちは、もう二度と決して罪を犯してはいけない」。


3. 「天主の御悲しみ」

罪に対する天主の反応はどんなものでしょうか? 憤り? 世界の破壊? それがまさに当然のことでしょう。しかし、それとは逆に、私たちは愛と御あわれみという計り知れない神秘の前にいるのです! 主の中の主である全能の天主は永遠の幸福のうちに生きておられ、その御前では、宇宙全体が無であるにもかかわらず、天主の被造物に対する理解を超えた愛は、私たちの忘恩によってもたらされる悲しみの痛みを感じておられる心優しい父の愛のようです。この父は、兄弟愛や配偶者に対する愛以上の大きな愛を表す行いとして、御独り子にして愛する御子を死に渡されることまでされるのであり、そしてこの御子は、私たちのためにその聖心から御血のすべてのしずくを流されるのです。彼の愛は甘美なる友としての愛であり、永遠に私たちの霊魂に留まりたいと願う保護者かつ慰め主としての愛なのです。聖パウロが「天主の聖霊を悲しませぬ」よう私たちに勧告しているのは、私たちの反抗が天主の御悲しみを引き起こしているからなのです。

偉大なる神秘家たちは、天主の神秘の最も深い面の一つ、「天主は愛である」と言うことが意味する、まさに本質を私たちに教えます。イエズスの至聖なる聖心の最も内的な深みに入るためには、私たちの罪、私たちの心のかたくなさ、私たちの恥ずべき傲慢のせいで引き起こされる天主の御悲しみと御苦しみについて黙想しなければなりません。既に旧約聖書で天主は預言者エレミアを通してこう話されました。「おまえたちがこれを聞かないなら、私の魂はひそかに、そのおごりを見て嘆く。(私は泣き崩れ、)目は涙に溶ける。主の家畜の群れは、他国に流されるのだから」(エレミア13章17節)。

この悲嘆し軽蔑された永遠の愛のための償いは、世の終わりまで戦闘の教会にその動機を与える原因です。なぜなら、その時まで、不正なるこのような神秘、すなわち永遠の王をその玉座からひきずり下ろそうとし、つくられた全秩序の原理でありかつ最終目的としての天主を拒否しようとする悪魔の努力が、日々増加し続けるからです。無限の御悲しみの悲劇は、―「私の魂は死なんばかりに悲しむ」―とされた主の地上での33年間の生涯だけでなく、御復活と天国への凱旋の御昇天のあとでさえ、罪人が「自らふたたび天主の子を侮り、十字架に釘づけ」(ヘブライ6章6節)ていることなのです。世の終わりまで、十字架につけられた主はキリスト教信仰の象徴であり、とりわけ御聖体に現存される主においてそうなのです。カトリックの祭壇における主の十字架上の犠牲の更新と継続は、教会における最も崇高で最も尊い行いです。そして、イエズスが見捨てられたことと、その悲しみに満ちた御母について敬虔に黙想することが、キリスト教の霊的生活のまさに中心なのです。


4.天主への完全な愛―天主をお慰めすること

[必要な唯一のこと]は、第一にそして何物をも超えて天主の御国と天主の正義を求めることにあるのだということを、世の人々に思い出させてくださいます。天主の正義とはどういう意味でしょうか? それは、天主に捧げられるべきもの―すべての誉れと栄光―を、天主にお捧げすることです。天主の御稜威が人間の罪深い傲慢によって侮辱されるとき、正義とは、天主の深く悲しまれる御稜威に対してなされる完全なる償い、つまり告解、贖い、そして秩序と真理を回復するあらゆる行いです。

それでは、主のお苦しみと残酷な御受難を目前にした時、私たち惨めな罪人がすべき最も完全な答えは何でしょうか? 天主の第一にして最も重大な戒によって、天主が私たちにお求めになる愛の完全な行いとはいったいどんなことでしょうか? 主ご自身がその答えを与えてくださいます。「私は同情を探した、しかし無駄であった。私は誰か私を慰めてくれる者を探した、しかし誰も見いださなかった」。天主の至聖なる聖心への信心は、償いと贖いの行いであり、主をお慰めするということがまさにその目的です。愛する者の心は、主にこう言うのです。「もし御身が霊魂たちの扉を叩いた時に誰もその扉を御身に開けなかったとしたら、もし御身が創造主であり万物を支配される御者であるにもかかわらず、社会や組織、家庭、さらには御身ご自身のものである教会からさえも投げ出されるなら、もし御身が一人心寂しくさげすまれるなら、そのとき私は、私の心を大きく開き、御身にお慰めと避難所を提供し、貧しいものの心温まる歓迎をし、そこで御身が頭を横たえて家を見いだせるようにして差し上げたいのです。彼らが御身を拒絶すればするほど、私はもっと御身を受け入れて差し上げたいのです。彼らが御身を忘れれば忘れるほど、私はもっと御身を思い出して差し上げたいのです。彼らが御身を拒めば拒むほど、私はもっと御身を歓迎したいのです。彼らが御身を避けようとすればするほど、私はもっと御身の方へ向かって行きたいのです。彼らが御身の愛を嫌えば嫌うほど、私はもっと御身をあがめたいのです。彼らが御身の魂を悲しみと涙で満たせば満たすほど、私はもっと御身をお慰めしたいのです!」と。

あわれな罪人からの愛のうちで、このお慰めの行いほど完全な形の愛はありません! お慰めは、超自然の治療薬、すなわち罪によって侮辱されている天主への愛によって、恐るべき罪の結果に対処します。それは本物の愛の行いです。もし私が友人を侮辱したことを後悔したなら、私が愛に立ち戻るためには、まるで友人を傷つけはしなかったかのように「あなたを愛している」と言うだけで済むほど簡単ではあり得ません。侮辱を償うための愛の最初の行いは、友人に悲しみを負わせたことを嘆くことでなければなりません。そしてこの嘆きが友情をとり戻したいとの燃えるような望みを暗示し、損なってしまった愛情に慰めを与えるのです。

聖母は、人の外的な行いが重要である一方で、心の中の望みがもっと重要であることを私たちがよく理解できるように、ファチマで小さな子供たちをお選びになりました。小さなフランシスコは、英雄的な宣教師や観想的修道士として人生を生きることはできませんでした。聖ベロニカが責め苦を受けておられた主に濡れた布を差し出すことしかできなかったように、彼は素朴な祈りと犠牲を捧げることしかできませんでした。外的には、これらのことはささいなものですが、内的には、ベロニカを聖人にさせ、御受難のキリストの聖なる御顔を亜麻布に写しただけでなく、さらに大事なことには彼女の霊魂そのもののうちに御顔を写したという功徳を彼女に与えた愛による最高の振る舞いなのです。私たちのうちで一体誰が、非常に多くの霊魂が道に迷っているのをご覧になって悲しんでおられる主と聖母をお慰めするために、小さな子供の素朴な行いを真似ることも出来ないというのでしょうか?

フランシスコは観想的な修道者ではありませんでしたが、彼の人生とその模範は、天主の栄光のためだけに生きたいと願うすべての観想的な霊魂たちにとって深く素朴な手本でした。さらに、世が天主に対して当然の敬意と栄光を否むがゆえに、償いをする必要があります。観想的な生活は愛の生活であり、愛の第一の行いは愛する者とともにいること、愛する者を見つめていつも愛する者の現存において生きることです。愛の第二の行いは、侮辱の行動とは反対方向の行動によってその侮辱を償うこと、すなわち慰めの行動です。

主をお慰めするというこの信心は、いつ完成するのでしょうか? 決して完成することはありません。フランシスコは、示唆に富んだことを話しました。「そこ(天国)に行ったら、僕はものすごく主と聖母をお慰めするつもりだよ」。実際には、天国においては天主が私たちの無限の慰め、私たちの不滅の光、永続する平安となってくださるのであり、それと同時に、天主の全能と言語に絶する御あわれみが、私たちに、天主をお慰めして永遠に特別の喜びを天主にお捧げするのをお許しになるのです。たとえ罪による悲しみが永遠には残らないとしても、被造物の側からの慰めの愛の本質は、その意味を保つのです。それは、自分の父親と母親へ喜びを捧げたいと願い、ほほ笑みと燃え上がる愛の炎で彼らを慰めるという感謝に満ちた子供の心です。

終りに

フランシスコの人生と死における模範を通して、聖母は私たちに最も重大な戒を思い出させ、私たちに、心を挙げて再び天主を愛するためにこの罪深い時代に適した手段を与えてくださいます。天主をお慰めするという信心は、宗教的無関心と超自然的真理への憎しみが広がっている私たちの時代において、数えきれないほど多数のカトリック信者のうちに、天主への燃える愛の火をともすことができるのです。お慰めを捧げることができるということは、私たちあわれな罪人にとって大きな励みであって、自分たちのみじめさにもかかわらず私たちが本当にもっともっと天主をお愛しすることができ、そして私たちの愛が空虚な言葉ではなく主体的なものでありうるということなのです。

無原罪の聖母は、フランシスコを通して私たちに最も深い祈りの方法を、すなわち聖母ご自身の祈りの方法を教えておられるのではないでしょうか? 実際、十字架の下で聖母が限りなく主とともに受難されたとき、聖母の祈りは御子をお慰めすることに向けられていました。ですから、私たちもまた聖母と共に十字架の下に立つという素朴な行いによって、専らキリストをお慰めするためだけに、一人キリストと共にいる時間を少しでも作らなければなりません。現代人はもはや、自分をお造りになった天主のための時間がなく、それゆえに天主に非常に無関心なためキリストと共に1時間を費やすことさえ我慢できませんが、私たちは少なくとも、愛を持って主とともにいて受難し、主をお慰めする少しばかりの時間を持つことによって、主に対する私たちの愛を示すべきです。でも、そんな努力の結果はどんなものでしょうか? そのこともまた、小さなフランシスコの模範によって証明されています。ほんのわずかな短い時間で、彼の天主への愛は最も高度な完徳へと達し、数か月後にはもう、彼は天国で永遠に無原罪の聖母を見ることを許されたのですから。
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ファチマ2017へ向けて(XV)  シュテーリン神父様

2017年06月01日 | ファチマ
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

シュテーリン神父様の著、『ファチマ2017へ向けて(第2巻)』 の日本語訳をご紹介します。そしてこの本を日本語に訳す労を執って下さった方がたに心から感謝します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



ファチマ2017へ向けて(XV)  シュテーリン神父

【日本語訳】
ファチマは、あわれな罪人である私たちに対する天主の無限の愛と御あわれみが、どれほど大きなものであるかということについての圧倒的な啓示であり、それが天主の傑作であるマリアの汚れなき御心の神秘において明かされています。聖母の御心は、天主が世に与えたいと望んでおられるすべてのもの、すなわちすべて回心と聖化の恵み、そして聖霊のすべての徳、賜物、霊感を、私たちに示し与えてくださいます。けれども聖母の御心は「私たちの避難所、私たちを天主に導いてくださる道」にもなります。ファチマは、私たちが天主の御もとへ立ち戻り、そしてマリアの汚れなき御心への信心の忠実な実行によって聖人になることを可能にする霊妙なるうつわなのです。

1917年10月13日の太陽の奇跡という天による確認と「署名」を通して、聖母の重要なメッセージが、善意の人なら誰もが戸惑うことなく信じることができるような圧倒的な証拠をもって啓示されました。しかしファチマの歴史は1917年10月13日で終わるのではありませんでした。第一に、聖母御自らが、二つの重要な事柄に関するご自分の啓示が続いていくということを告知されました。それらは、マリアの汚れなき御心への信心が正確には何であるのかということを説明することと、マリアの汚れなき御心への奉献の重要性を実証することです。第二に、聖母は、1917年7月13日の大いなる秘密のそれぞれの部分を、いつ、どのようにして、誰に見せるべきかをルチアに指示されるのです。この大いなる秘密を公表するタイミングと状況とを指示された聖母の目的は、非常に特別な意味と霊的な背景を持っているに違いありません。

この第2巻において、私たちは皆さんの黙想のため、まず初めにファチマのメッセージの本質的な部分を提示します。聖母に会うという特権をいただいた三人の子供たちの生き方と霊性についてです。その後で、聖母がご自分の汚れなき御心への信心の実践を教えられた7月13日のあとにあった最後の二つの大いなる御出現を完全に分析しようと思います。それは5回の初土曜日の信心の遵守と、ロシアを聖母の汚れなき御心へ奉献するということです。これらのできごとを、三人の幻視者の霊的な体験とあわせて考察すれば、私たちは、ファチマで啓示された大いなる神秘、つまり聖母の汚れなき御心に関する最高度の重要性をもった教えを学ぶことになるでしょう。

第1巻と同じように脚注も参考文献も示しませんが、出来事に関するすべての引用と情報は、聖三位一体のフレール・ミシェルの「ファチマについての全真理:科学と事実」の2巻と3巻からのものです。

カール・シュテーリン神父
2016年10月7日、ロザリオの聖母の祝日に、シンガポールにて



【英語原文】はこちら
“Towards Fatima 2017” (XV) — by Fr. Stehlin


Fatima is the overwhelming revelation of the greatness of God’s infinite love and mercy towards us poor sinners, illuminated in the mystery of the Immaculate Heart of Mary, His masterpiece. Her HEART reveals and gives to us all that God wants to give to the world, every grace of conversion and sanctification, all virtues, gifts, and inspirations of the Holy Ghost. But Her HEART also becomes the “refuge and the way that leads us to God.” Fatima is the spiritual vessel in which we can return to God and become saints by the faithful practice of devotion to Her Immaculate Heart.

Through the heavenly confirmation and “signature” of the miracle of the sun on October 13, 1917, the essential message of Our Lady was revealed to the world with such overwhelming proof that every man of good will could believe without hesitation. But the history of Fatima is not finished with October 13, 1917. Firstly, Our Lady herself announced the continuation of Her revelations on two essential matters: to explain what precisely is devotion to Her Immaculate Heart, and to demonstrate the importance of consecration to Her Immaculate Heart. Secondly, Our Lady would give Lucy indications of when, how, and to whom each part of the Great Secret of July 13, 1917 should be revealed. Our Lady’s intention to direct the timing and circumstances of the disclosure of the Great Secret must have a very special meaning and spiritual background.

In this second volume we present for your meditation first of all an essential part of the message of Fatima: the life and spirituality of the three children who had the privilege to see Our Lady. Afterwards we will thoroughly analyze the last two great apparitions following July 13th, in which Our Lady taught practices of devotion to Her Immaculate Heart: observance of the five first Saturdays and the consecration of Russia to Her Immaculate Heart. These events together with the spiritual experiences of the three seers will give us lessons of the utmost importance about the great mystery revealed at Fatima: Her Immaculate Heart!

As in the first volume, here also neither footnotes nor references to the sources are provided, but all quotations and information about the events are taken from volumes II and III of Frère Michel de la Sainte Trinité “The Whole Truth about Fatima: Science and Facts.”

Fr. Karl Stehlin
Singapore, October 7, 2016, Feast of Our Lady of the Holy Rosary
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シカゴ、香港、マカオ、リバプール、カラガンダなどにおける、ファチマ100周年の聖母の行列や聖母の汚れなき御心への奉献をご紹介します

2017年05月20日 | ファチマ
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ファチマ100周年における、各国のファチマの聖母の行列や聖母の汚れなき御心への奉献をご紹介します。YouTubeで見つけた動画です。

アメリカのシカゴでは、5月13日から、10月13日まで、聖母行列を13日に6回行います。
次が5月13日の聖母行列です。




香港でも5月13日にファチマの聖母の行列がありました。




マカオでも5月13日にファチマの聖母の行列がありました。




 イギリスのリバプールでも5月13日に聖母行列がありました。




 アジア・ニュースによると、カザフスタンのカラガンダ司教区では、アデリオ・デロロ司教様が、5月9日から始まる講話と祈りの中央アジアとロシアのカトリック教会の集いで、その集いの締めくくりに5月13日には聖母の汚れなき御心にカラガンダ教区を奉献します。

 私たちも、ファチマ100周年を記念して、8月11日から15日まで、聖母の小黙想会を開きます

 8月15日には、聖母被昇天の歌ミサの後、私たちもファチマの聖母行列を行いたいと思っています。

 1945年8月15日終戦を受けて、日本司教団は一致して、聖母の汚れなき御心に日本を捧げることを決議し、奉献しました。

 ファチマ100周年にあたり、是非、2017年8月15日に、聖母行列の後、私たちもこの奉献を更新しようと思っています。

 どうぞ、8月15日のファチマ100周年の聖母行列に参加して下さい!

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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聖母小黙想会にお招きいたします。

2017年05月14日 | ファチマ
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様

「聖母小黙想会」にお招きいたします。

8月11日(山の日)から8月15日には、5日間連続で大阪にある聖ピオ十世会の聖母の汚れなき御心聖堂で、ファチマの聖母100周年を記念する特別の「小黙想会」を予定しています。

・日帰りで(泊まり込みではなく)、毎日通いで参加できる「小黙想会」です。
・泊まり込みで大沈黙を守る「黙想会」ではなく、緩い黙想会なので、「小黙想会」としました。
・午前10時のロザリオの祈りから始まり、ミサ聖祭を捧げ、簡単な昼食の後にファチマの聖母に関する講話、聖体降福式と聖時間を毎日もうける予定です。
・午後の5時には毎日解散します。


特に、ファチマの聖母は私たちに本当の平和を与えようとしておられます。まず霊魂たちの天主との平和、そして、世界の平和です。
もしも私たちが、本当に平和を希求しているのなら、私たちは聖母の汚れなき御心に向かわなければなりません。これは絶対に必要な条件です。

ファチマの天使:
「恐れないで。私は平和の天使です。私と一緒に祈りなさい。」
天使は地面に跪き、額が地につくまで身を屈めました。そしてこう祈りました。
「我が天主よ、私は信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!
信じない人々、礼拝しない人々、希望しない人々、御身を愛さない人々のために、御身に赦しを願います。」

「あなたがたができるすべてのことを犠牲とし、それを天主に背く罪の償いの行いとして、また罪人の回心を嘆願して天主に捧げなさい。
あなたがたはこのようにして自分たちの国に平和をもたらすでしょう。
私はあなたがたの国の守護の天使、ポルトガルの天使です。
特に主があなたがたにお与えになる苦しみを従順に受け入れ、忍びなさい。」

ファチマの聖母:
「世界平和と戦争終結がもたらされるように毎日ロザリオの祈りを唱えなさい。」

「ロザリオの聖母を崇敬するために、世界が平和を得、戦争の終わりを勝ち取るためにロザリオを毎日唱え続けることを望みます。なぜなら、そのお方(彼女)だけがあなたたちを助けることが出来るからです。」

「あなたたちはかわいそうな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、天主はこの世に私の汚れ無き御心に対する信心を確立するように望んでいます。もし私があなたたちにこれから言うことを人が実行するなら多くの霊魂たちは救われ平和になるでしょう。戦争は終わるでしょう。しかし、もし天主を侮辱することを止めないなら、ピオ11世の統治下で別の更にひどい戦争が起こるでしょう。」

「もし人が私の要求を聞くなら、ロシアは回心し平和がやってくるでしょう。さもなければロシアはその誤謬を世界中に広め、戦争と教会に対する迫害とをもって挑発するでしょう。多くの善良なものが殉教し、教皇様は多く苦しまねばならないでしょう。無くなってしまう国々もあるでしょう。」


多くの愛する兄弟姉妹の皆様がご参加なさることをお待ちしております。お友達や知人にも、この聖母小黙想会について教えて上げて下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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「ファチマのアヴェ・マリア」  (続き) その4

2017年05月08日 | ファチマ
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

「ファチマのアヴェ・マリア」の聖歌の記事の続きです。

「カトリック聖歌集」に掲載されている歌詞の続きで、さらに新しい歌詞の提案もいただきました。合計39番になりました。追加の歌詞(32番から38番まで)があります。聖歌の歌詞のよいアイデアがありましたらもっともっと知らせて下さい。投稿をお待ちしております!

日本を訪問されたシュテーリン神父様に、日本ではファチマのアヴェ・マリアは33番まであると自慢したら、インドでは聖アントニオを称える聖歌が48番まであってインドでは毎回全部歌っている(20分かかる)と言われました。そう言われれば、フィリピンでは聖週間に Pasyong mahal ni Jesucristo という天地の創造からイエズス・キリストの御復活と最後の審判までの歌があります。これを全部歌うのは一日かかります。

心に染み入る歌詞がたくさんあり、甲乙つけがたいのですが、その中でも、愛する兄弟姉妹の皆様に五つを無理やり選んでもらったところ、投票が多かったのは次の歌詞です。

3 おんみこそは 愛の極み 我らの母 慕いまつらん
5 おおマリアよ み手をのべて 世の行末(ゆくすえ)照らし給え
8 我が天主よ われは信じ あがめ、のぞみ 愛しまつらん
9 おおイエズス 愛するため 我が苦しみ 捧げまつる
10 汚れの無き 御心こそ 我が避難所(のがれば) 天(あめ)への道 (3)
11 茨刺(いばらさ)さる 母の御心(こころ) 慰めたい、償いたい (4)
19 秋の空に 踊る太陽 色とりどり 染まる大地 (2)
24 優し母の 御心(みこころ)こそ あまねく世の 救いとなれ! (2)
28 我が御母の 御手によりて 主の玉座の 花とならん (3)
29 ロザリオもて 祈るならば 解決せぬ ことはあらじ
30 天主に付き、地獄仇し、われら臨む 霊のいくさ
32 インマクラータの 凱旋(かちほこり)を 待ちて祈る アヴェ・マリアぞ


天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


ファティマのアヴェ・マリア

1 ああうるわし 若葉ゆれて 光りの君 立たせ給う
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

2 幼子たち 招き給い 神の秘密 ささやきたもう
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

3 おんみこそは 愛の極み 我らの母 慕いまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

4 ロザリオもて 平和祈れ 罪に泣けと 諭させたもう
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

5 おおマリアよ み手をのべて 世の行末(ゆくすえ)照らし給え
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

6 ああ懐かし 空のかなた 導きてよ 愛のみ母
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

【続き】

7 世の罪にて 悲しみ給う 主を慰め 奉らん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

8 我が天主よ われは信じ あがめのぞみ 愛しまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

9 おおイエズス 愛するため 我が苦しみ 捧げまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

10 汚れの無き 御心こそ 我が避難所(のがれば) 天(あめ)への道
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

11 茨刺(いばらさ)さる 母の御心(こころ) 慰めたい、償いたい
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

12 母の心 愛するなら 我が救いを 保証し給う
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

13 「初土(はつど)毎(ごと)に 五回続け ロザリオもて お勤めせよ」
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

14 主と聖母(せいぼ)の 計り知れぬ 功徳により 祈りまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

15 御聖体を 全ての罪の 償いとて 捧げまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

16 主と母との 御心により 世の回心 願いまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

17 あまたの人 地獄の中 幼子らに 見せさせたもう
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

18 雨の中を 民は集う 奇跡を見に 祈るために
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

19 秋の空に 踊る太陽 色とりどり 染まる大地
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

20 人知れずに 子供ヤシンタ 病(やまい)の身を 捧げ逝けり
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

21 罪に痛む 主の姿を 見て祈るは フランシスコ
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

22 ルチアは地で 母の御心 知らせるため 選ばれたり
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

23 「聖母に会い この目で見た 間違いない 嘘はつけぬ」
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

24 優し母の 御心(みこころ)こそ あまねく世の 救いとなれ!
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

25 我が日の本(ひのもと) 平和求む 主の御母(みはは)よ 祈り給え
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

26 信じまつる 崇めまつる 望みまつる 愛しまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

27 苦しみもて 罪償い 我ら全て 捧げまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

28 我が御母の 御手によりて 主の玉座の 花とならん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

29 ロザリオもて 祈るならば 解決せぬ ことはあらじ
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

30 天主に付き、地獄仇し、われら臨む 霊のいくさ
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

31 汚れのなき 御心もて 主と聖母に 御栄えあれ
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

32 イェズス、マリア、愛しまつる 霊魂たち 救い給え
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

33 主のみ旨を 果たすために 我を母に 捧げまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

34 汚れなき み心にて わが十字架 愛させてよ
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

35 全世界の 司教たちと パパにたのむ ロシア奉献
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

36 百年(ももとせ)超(こ)え 国を越えて われら集う ファチマの丘
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

37 いやし身なる われらなれど 母通せば 主は受け給う
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

38 汚れの無き 母御心(ははごころ)を 知らしめんと 望み給う
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア


39 インマクラータの 凱旋(かちほこり)を 待ちて祈る アヴェ・マリアぞ
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア
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「ファチマのアヴェ・マリア」  (続き) その3

2017年04月25日 | ファチマ
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

「ファチマのアヴェ・マリア」の聖歌の記事の続きです。

「カトリック聖歌集」に掲載されている歌詞の続きで、さらに新しい歌詞の提案もいただきました。愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

追加の歌詞は、27番から32番です。

聖歌の歌詞のよいアイデアがありましたらもっともっと知らせて下さい。投稿をお待ちしております!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


ファティマのアヴェ・マリア

1 ああうるわし 若葉ゆれて 光りの君 立たせ給う
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

2 幼子たち 招き給い 神の秘密 ささやきたもう
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

3 おんみこそは 愛の極み 我らの母 慕いまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

4 ロザリオもて 平和祈れ 罪に泣けと 諭させたもう
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

5 おおマリアよ み手をのべて 世の行末(ゆくすえ)照らし給え
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

6 ああ懐かし 空のかなた 導きてよ 愛のみ母
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

【続き】

7 世の罪にて 悲しみ給う 主を慰め 奉らん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

8 我が天主よ われは信じ あがめのぞみ 愛しまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

9 おおイエズス 愛するため 我が苦しみ 捧げまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

10 汚れの無き 御心こそ 我が避難所(のがれば) 天(あめ)への道
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

11 茨刺(いばらさ)さる 母の御心(こころ) 慰めたい、償いたい
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

12 母の心 愛するなら 我が救いを 保証し給う
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

13 「初土(はつど)毎(ごと)に 五回続け ロザリオもて お勤めせよ」
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

14 主と聖母の 計り知れぬ 功徳により 祈りまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

15 御聖体を 全ての罪の 償いとて 捧げまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

16 み主と母の 御心により 世の回心 願いまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

17 あまたの人 地獄の中 幼子らに みせさせたもう
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

18 雨の中を 民は集う 奇跡を見に 祈るために
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

19 秋の空に 踊る太陽 色とりどり 染まる大地
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

20 人知れずに 子供ヤシンタ 病(やまい)の身を 捧げ逝けり
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

21 罪に痛む 主の姿を 見て祈るは フランシスコ
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

22 ルチアは地で 母の御心 知らせるため 選ばれたり
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

23 「聖母に会い この目で見た 間違いない 嘘はつけぬ」
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

24 優し母の 御心(みこころ)こそ あまねく世の 救いとなれ!
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

25 我が日の本(ひのもと) 平和求む 主の御母(みはは)よ 祈り給え
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

26 信じまつる 崇めまつる 望みまつる 愛しまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

27 苦しみもて 罪償い 我ら全て 捧げまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

28 我が御母の 御手によりて 主の玉座の 花とならん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

29 ロザリオもて 祈るならば 解決せぬ ことはあらじ
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

30 天主に付き、地獄仇し、われら臨む 霊のいくさ
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

31 汚れのなき 御心もて 主と聖母に 御栄えあれ
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

32 インマクラータの 凱旋(かちほこり)を 待ちて祈る アヴェ・マリアぞ
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア
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「ファチマのアヴェ・マリア」  (続き) その2

2017年04月20日 | ファチマ
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

「ファチマのアヴェ・マリア」の聖歌の記事の続きです。

「カトリック聖歌集」に掲載されている歌詞の続きで、さらに新しい歌詞の提案もいただきました。愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。追加の歌詞は、ゴチックにしてみました。

聖歌の歌詞のよいアイデアがありましたら是非知らせて下さい。投稿をお待ちしております!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


ファティマのアヴェマリア

1 ああうるわし 若葉ゆれて 光りの君 立たせ給う
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

2 幼子たち 招き給い 神の秘密 ささやきたもう
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

3 おんみこそは 愛の極み 我らの母 慕いまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

4 ロザリオもて 平和祈れ 罪に泣けと 諭させたもう
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

5 おおマリアよ み手をのべて 世の行末(ゆくすえ)照らし給え
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

6 ああ懐かし 空のかなた 導きてよ 愛のみ母
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

【続き】

7 世の罪にて 悲しみ給う 主を慰め 奉らん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

8 我が天主よ われは信じ あがめのぞみ 愛しまつらん
アヴェ~アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

9 おおイエズス 愛するため 我が苦しみ 捧げまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

10 汚れの無き 御心こそ 我が避難所(のがれば) 天(あめ)への道
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

11 茨刺(いばらさ)さる 母の御心(こころ) 慰めたい、償いたい
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

12 母の心 愛するなら 我が救いを 保証し給う
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

13 「初土ごとに 五回続け ロザリオもて お勤めせよ」
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア


14 主と聖母の 計り知れぬ 功徳により 祈りまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

15 御聖体を 全ての罪の 償いとて 捧げまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

16 み主と母の 御心により 世の回心 願いまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

17 あまたの人 地獄の中 幼子らに みせさせたもう
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

18 雨の中を 民は集う 奇跡を見に 祈るために
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

19 秋の空に 踊る太陽 色とりどり 染まる大地
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

20 人知れずに 子供ヤシンタ 病(やまい)の身を 捧げ逝けり
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

21 罪に痛む 主の姿を 見て祈るは フランシスコ
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

22 ルチアは地で 母の御心 知らせるため 選ばれたり
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

23 「聖母に会い この目で見た 間違いない 嘘はつけぬ」
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア


24 優しき母の 御心こそ あまねく世の 救いとなれ!
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

25 我が日の本(ひのもと) 平和求む 主の御母(みはは)よ 祈り給え
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

26 信じまつる 崇めまつる 望みまつる 愛しまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア
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「ファチマのアヴェ・マリア」  (続き)

2017年04月05日 | ファチマ
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

「ファチマのアヴェ・マリア」の聖歌の記事の続きです。

「カトリック聖歌集」に掲載されている6番の続きの歌詞を、更に考えてみました。新しい歌詞の提案もいただきました。
愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

聖歌の歌詞のよいアイデアがありましたら是非知らせて下さい。投稿をお待ちしております!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


ファティマのアヴェマリア

1 ああうるわし 若葉ゆれて 光りの君 立たせ給う
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

2 幼子たち 招き給い 神の秘密 ささやきたもう
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

3 おんみこそは 愛の極み 我らの母 慕いまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

4 ロザリオもて 平和祈れ 罪に泣けと 諭させたもう
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

5 おおマリアよ み手をのべて 世の行末(ゆくすえ)照らし給え
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

6 ああ懐かし 空のかなた 導きてよ 愛のみ母
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア


【続き】

7 世の罪にて 悲しみ給う 主を慰め 奉らん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

8 おおイエズス 愛するため 我が苦しみ 捧げまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

9 汚れの無き 御心こそ 我が避難所(のがれば) 天(あめ)への道
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

10 我が天主よ われは信じ あがめのぞみ 愛しまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

11 御聖体を 全ての罪の 償いとて 捧げまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

12 み主と母の 御心により 世の回心 願いまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

13 あまたの人 地獄の中 幼子らに みせさせたもう
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

14 雨の中を 民は集う 奇跡を見に 祈るために
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

15 秋の空に 踊る太陽 色とりどり 染まる大地
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

16 人知れずに 子供ヤシンタ 病(やまい)の身を 捧げ逝けり
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

17 罪に痛む 主の姿を 見て祈るは フランシスコ
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

18 主と聖母の 計り知れぬ 功徳により 祈りまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

19 優しき母の 御心こそ あまねく世の 救いとなれ!
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

20 我が日の本(ひのもと) 平和求む 主の御母(みはは)よ 祈り給え
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

21 信じまつる 崇めまつる 望みまつる 愛しまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア
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「ファチマのアヴェ・マリア」  中国語・韓国語もご紹介します

2017年03月29日 | ファチマ
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今年は私たちはミサの司祭退堂時にいつも「ファチマのアヴェ・マリア」の聖歌を歌っています。
「カトリック聖歌集」には6番までしかありませんが、12番まで歌詞を考えてみました。ご紹介いたします。
中国語の歌詞と、韓国語の歌詞もご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


ファティマのアヴェマリア

1 ああうるわし 若葉ゆれて 光りの君 立たせ給う
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

2 幼子たち 招き給い 神の秘密 ささやきたもう
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

3 おんみこそは 愛の極み 我らの母 慕いまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

4 ロザリオもて 平和祈れ 罪に泣けと 諭させたもう
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

5 おおマリアよ み手をのべて 世の行末(ゆくすえ)照らし給え
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

6 ああ懐かし 空のかなた 導きてよ 愛のみ母
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア


7 罪人らの 罪償い 主を慰め 奉らん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

8 おおイエズス 愛するため 我が苦しみ 捧げまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

9 汚れの無き 御心こそ 我が避難所 天への道
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

10 御聖体を 無関心の 償いとて 捧げまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

11 主と聖母の 計り知れぬ 功徳により 祈りまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

12 優しき母の 御心こそ 全世界の 救いとなれ!
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア



法蒂瑪聖母歌

1.天主母 世人母 童貞聖瑪利亞
慈祥的 曾顯現 於葡國法蒂瑪

萬福 萬福 萬福瑪利亞
萬福 萬福 萬福瑪利亞

2.好聖母 囑世人 悔罪祈禱虔誠
可望主 發慈心 寬恕罪賜洪恩

3.珍貴的 玫瑰經 誦念持之以恆
仁慈主 將賜與 世界永久和平

4.嘆世界 作惡人 面向地獄狂奔
好信友 想救靈 速獲聖寵神恩

5.我中華 仁慈后 童貞聖瑪利亞
請垂手 急援助 災難遍地中華

https://www.youtube.com/watch?v=q4jr5oArxBs



파티마의 성모

1. 오월 십삼일 오늘 이리아 골짜기
동정녀 마리아 나타나셨네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

2. 구세주의 어머니 양치는 목동에
찬란한 빛으로 나타나셨네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

3. 놀란 목동들 번개인 줄 알고
집으로 돌아가려 했네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

4. 아름다운 여인이 나무속에서
정답게 말씀을 시작하셨네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

5. 오 아름다운이여 당신의 이름을
우리는 무어라 부르리이까
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

6. 빛나는 묵주를 손에 쥔 여인은
하늘서 왔노라 대답하셨네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

7. 너희가 열심히 묵주기도 하면
무서운 죄와 벌 면할 수 있다
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

8. 목동들은 성모님 부탁을 받고
다섯달 동안 그리로 갔네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

9. 약속대로 나타난 여인의 옷은
찬란한 금빛이 둘어져 있네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

10. 우리들의 죄로 성모의 얼굴엔
슬픈 표정이 서리어 있네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

11. 너희들이 희생과 보속을 행하면
무서운 전쟁을 면할 수 있다
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

12. 사욕편정 누르고 사치를 버려라
겸손은 주앞에 제일 좋도다
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

13. 인자하신 어머님 우리가 비오니
어지런 세상에 평화 주소서
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아
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