Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

イエズスは、聖寵の超自然の御恵みで、御血を流された功徳によって、私たちに肥やしを与え、超自然の実りを付けるように全てして下さっている

2021年09月30日 | お説教・霊的講話

2021年9月25日(土)九月の四季の斎日 土曜日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日の福音では、2つの話が出ました。

1つは、畑に植えられたイチジクの木の例えです。主人がやって来て、「3年ここに木が植わっているけれども、全く用がない、何の実も付けない。切って捨ててしまえ。火にくべてしまえ!」すると、そこで使われてる人がやって来て、「ご主人様、お願いです。勘弁してやって下さい。私が周りに水を掘って、肥やしをやります。水をあげます。もう少し辛抱して下さい。きっと美味しいイチジクの実がなるでしょう。もしもそれでもダメだったならば、切って火にくべて下さい。」

これは、この「木」は、「人類」を表しています。天主の為に実を付ける事ができない、全く不毛の、役に立たない人類です。

しかし、イエズス様が聖寵を以って、御恵みを以って、超自然の御恵みで、特に御血の流された功徳によって、私たちに肥やしを与え、御恵みを与えて、そして何とか超自然の御恵みを、実りを付けるように、と全てして下さる。もしもこれでもダメならば、仕方がありません。

しかし人類は、イエズス様の世話、イエズス・キリストの流された御血という肥やし、その功徳、御恵みがなければ、全く用がなく、切り倒されて火にくべられるしか、価値のないものである、という事を教えています。私たちを生かして下さるのは、実を付けさせて下さるのは、イエズス・キリストしかおられません。

第2の話は、その直後に、18年間、病でサタンに縛り付けられていて、天に目を上げる事ができない、腰の曲がった婦人の話が出ます。18年間、よほど本当に大変だった事でしょう。腰が真っ直ぐにならずに、いつも上を見る事ができなかったのですから。

これもやはり、サタンに影響を受けて、地上の事しか目が向けられていない、私たち人類の悲しい姿を現しています。

しかし、イエズス・キリストがこの人類を癒して、天に目を上げる事ができるようにして下さいます。これをする事ができるのは、イエズス・キリストしかいません。なぜなら、イエズス様は、天から来た御方で、真の天主であるからです。

今日この福音で、「私たちは、イエズス・キリストだけに信頼するように、もしも私たちが実を結びたいのならば、天へと帰る事ができるようになりたいのならば、イエズス・キリストを通すしかない、イエズス・キリストに依り頼むしかない」と教えています。

私たちがそれをする事ができますように、イエズス様の御母、天主の御母マリア様にお祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

 


マリア様は私たちの永遠の命の救いを望んでおられます。悪魔の奴隷状態から私たちが解放されるように望んでおられます。

2021年09月29日 | お説教・霊的講話

2021年9月24日(金)九月の四季の斎日 金曜日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日は九月の四季の斎日の金曜日と同時に、マリア様の記念日でもあります。贖虜のマリア様、メルセデスの聖母です。このマリア様の話を少し黙想致しましょう。

スペインはその当時、イスラム教徒によって大部分が占領されていました。イスラム教徒のもとにあったカトリック信者たちは、「信仰を捨てるか、あるいは殺されるか」等の脅迫を受けていました。そこで残念ながら、中には信仰を捨てて、命を選ぶという人たちもいました。

そんな時に、マリア様は二人の聖人を選んで、このような霊魂たちの永遠の救いの為に、修道会を創る事をお望みになっている、という事を知らせました。

その内の一人は、ペトロ・ノラスコで、マリア様からの特別の啓示を受けて、「御子イエズス・キリストとマリア様の御心にとって、イスラム教の奴隷となってしまっている信者たちの、カトリック信者の解放を望んでいる、その為に働く修道会が設立される事を望んでいる」と仰いました。

ペトロ・ノラスコはその時、聖レイモンド・デ・ピナフォールという聴罪司祭を持っていました。彼に相談に行きました、「このような啓示を受けた。」実は、全く同じ時に、全く同じ内容を、聖レイモンド・デ・ピナフォールも知らされていました。実はマリア様が、同じ事を望んでいるという事を彼にも教えた、と。そしてこの二人の聖人は、「確かにこれは、マリア様がお望みだ」という事が分かりました。

実はマリア様は同時に、その当時の王であったヤコボに同じ事をお願いしたのでした、「スペインの王が是非、この修道会を立てる事を王の権威によって認めるように。」そして1218年8月10日に、王ヤコボ・ハインは、このメルセデスの聖母の修道会の創立を、王の勅令によって認可しました。

この修道会は3つの従順・貞潔・清貧の誓願の他に、第4の誓願として、「イスラム教徒の奴隷の解放の為に働く」ということがありました。奴隷の解放の為には身代金を支払うのですが、普通は献金を集めたり、あるいは何か修道会の農作物などの利益を支払って解放されます。しかし、もしもその為に必要であれば、その身代金が手に入るまで、修道士がそのカトリック信者に代わってその仕事を、彼の代わりに奴隷となる、その保証になる、その人質に取られるという事を含んでいました。

そしてこの修道会は、マリア様の祝福によって、多くのカトリック信者をイスラムの手から解放しました。そして永遠の命の危険から救いました。

マリア様は今でも、私たちの永遠の命の救いを望んでおられます。そして今でも、悪魔の奴隷状態から私たちが解放されるように望んでおられます。私たちはその為に多くの事をする事ができます。メルセデスのマリア様の修道者がやっていたような事を、私たちも霊的にする事ができます。

今日その福音では、有名な非常に美しい福音の一コマが、歴史の一コマが読まれました。
悪魔の支配下から抜け出すには、痛悔が必要です。そしてその「愛」の身代金が必要です。その愛を捧げる事が、愛の黄金を支払う事が必要です。この罪の女、今日の福音の女性はそれをしました。涙を流して、そして主の御足に香油を塗って、痛悔の心を示して、それを示しました。

近くに隣にいたファリザイ人は、ただ人を裁いただけでした。外面を見て、「この女は何をしているのか。この人はおかしいんじゃないか。これがどんな人か知っているはずだ。」心は非常に冷たく、そして外面しか、そして人を蔑む事だけを考えていました。

私たちは是非、今日このメルセデスのマリア様に、この痛悔女聖マグダラのマリアに倣う恵みを乞い求めましょう。そして自分のみならず、愛の捧げものを以って、イエズスの様の至聖なる聖心とマリア様の汚れなき御心の無限の功徳によって、憐れな罪人の回心をぜひ乞い求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


聖リノ教皇が私たちに教えている事は「聖ペトロと同じ信仰告白をした」ということ

2021年09月29日 | お説教・霊的講話

2021年9月23日(木)教皇殉教者聖リノのミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

お知らせがあります。皆さんもご存知かもしれませんが、一昨日ミカエルさんがお亡くなりになりました。そこで明日、山形で葬儀のミサがあります。ミカエルさんの為にお祈り下さい。

今日祝う聖リノは、聖ペトロ初代教皇の後継者です。第2代教皇で、この名前はローマ典文の中にも書かれています。聖リノは特に有名なのは、「聖ペトロの命令をそのまま繰り返すだけだ」と言いながら、「女性は教会の中ではベールをかぶるように、頭に被り物をするように」と命じたということです。

ネロから始まった迫害時代でしたので、バチカンで殉教して、聖ペトロのお墓のすぐ近くに葬られました。

聖リノ、第2代教皇が私たちに教えている事は何か?それは、「聖ペトロと同じ信仰告白をした」という事です。

つまり教皇様の役割、教皇様が教皇様であるという事は、「イエズス・キリストこそが生ける天主の聖子であって、それ以外には私たちには救いがない。私たちが救われる名前は、永遠の命が与えられる名前は、この他にはない」と皆の前に宣言する事です。そして聖リノはこれを立派に成し遂げて、そして殉教していきました。

願わくは、私たちもこのような立派な多くの教皇様たちの声を聞いて、それに従う事ができますように、お祈り致しましょう。またマリア様の御取次ぎで、教皇様たちが、その後継者が、聖ペトロ、聖リノ、また聖クレメンテ等に従うものとなりますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


ラ・サレットのマリア様が涙ながらに訴えたのは主日を無視している事でした。その為に御子イエズスの手は重くなっている、と訴えました。

2021年09月29日 | お説教・霊的講話

2021年9月19日(主日)聖霊降臨後第17主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(東京)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

御説教の前にお知らせがあります。
来たる水・金・土は四季の斎日で、伝統的には聖伝によると大小斎を守る日でした。聖ピオ十世会の会員は大小斎を守りますけれども、皆さんにはその義務はありません。しかし、もしも一緒に大小斎を捧げたい、という方はどうぞ一緒になさって下さい。来たる水・金・土、四季の斎日です。

最後には、先日の9月15日、コロンビアのボゴタの修道院で働いておられた、まだ若い神父様、聖ピオ十世会の神父様、ユリアノ・デ・ソウサ(Juliano de Souza)神父様がお亡くなりになりました。どうぞその霊魂の為にお祈り下さい。また山形の信徒の方で、よく山形からこちらに来られていたミカエルさんも、今、癌でもう数日の命だ、との事です。お祈り下さい。

愛する兄妹姉妹の皆様、今日福音でイエズス様は、ファリザイ人たちに問われました、「一番重大な掟は何か?」と。

「『全てを越えて、心を尽くして、霊魂を尽くして、精神を尽くして、汝の主なる天主を愛せよ。』これが最大で最高の第一の掟である。」(マテオ22:37-38)
私たちの主は、最大の、天主に対する愛の掟について思い出させて下さいました。

今日、175年前の今日9月19日、ラ・サレットでマリア様は同じような事を仰いました。フランスのラ・サレットというのは、本当に山の中にあって、人の誰もいないような寒村です。そこに二人の子供たち、メラニー・カルヴァと、マキシマン・ジローという二人の子供たちにマリア様がお現れになりました。そのマリア様の御現れになるその直前には、子供たちはお遊びをして、「天国」というものを作っていたのです。石で二階建ての家を作って、一階が人間の住んでいる世界、そして二階が天国だと遊んでいました。

すると、非常に太陽よりも眩しい光が近付いてきて、それに目を奪われると、その光が開いて、更にもっと美しい光がありました。その光の中には、非常に美しい女性の方が、高貴な御方が、今子供たちが作った天国の上に座って、天国に座して、そして両手で顔を覆って、非常に悲しんで苦しんでいるように、その御姿が見えました。光り輝いている美しい貴婦人でした。

子供たちがその方に気付くと、その方はマリア様は立ち上がって、子供たちに、「近寄っていらっしゃい。恐れる事はありません」と招かれました。

そこで子供たちがマリア様のすぐ近くに来ると、マリア様は目から涙をポロポロポロと流しながら、子供たちに訴えました。「御子の手は、非常に重くなっている。私はそれを支えていたけれども、もう支えきれないほど重くなっている。」

何を意味するかというと、「天主聖子はあまりにも世の罪によって犯されているので、侮辱を受けているので、どうしても正義によって罰をせざるを得ない、下さざるを得ない。しかしマリア様はそれを何とかして宥めて、お願いして、懇願して、それを食い止めている、今その瀬戸際だ。でも罪があまりにも重いので、手もあまりにも重くなって、もうマリア様でもどうしようもない。でもその人々は何も無関心でいる、という状態だ」という事をマリア様を仰るのです。

メラニーは後で手記を書いていて、そのマリア様のお言葉や、そのご様子を描いていますけれども、「母の、愛の母として、私たちに訴えられてこられたマリア様。このこれほど美しい、これほど良い、親切な、これほどのお母様が、涙を流しているのを見て、どうしてその慰めを、涙を流さないように自分ができる事をしないわけにいられるだろうか、と思った。そしてもう見れば見るほど、マリア様に吸い込まれて『お愛ししたい』という事でいっぱいになってしまった、何とかマリア様の為にしたい、と思った」と言っています。

「マリア様の胸には、イエズス様の御体が付けられた十字架がかかっていた」と言います。「ある時には、イエズス様は死んでおられるように見えて、ある時にはイエズス様は生きて、自分で自発的に十字架に付いておられるようだ」とも言っています。

そのマリア様が、「何故このように御子の手が重くなっているのか、その理由は二つある」と言います。「この二つの罪さえ何とかできれば、その罰から逃れる、軽くなる、何とかしてほしい」と。

それは、地球を汚すとか、あるいはプラスチックのリサイクルをする、とかいう話では全然ありませんでした。

マリア様が涙ながらに訴えているのは主日を無視している事でした。『主日を聖とする』という事を、人々は全く忘れている、労働をしている、自分の為に使っている、教会にミサに与りに来ない、その事の為に、この御子の手は重くなっている、と訴えました。

その次が、「冒瀆の罪」でした。

この175年前のマリア様の訴えは、特に現代ではますます当てはまると言わざるを得ません。特にミサが無視され、しかもミサを聖なるものとする、というよりは、御聖体が却って冒涜されたり、イエズス様よりも別のものが、人間が中心になっていたり、あるいは天主の礼拝よりも、自然環境が、あるいはその他の事が話題になっていたりしちるからです。ますます天主に対する直接の愛が横にやられ、天主を心を尽くして、力を尽くして、霊魂を尽くし、精神を尽くして、全てに超えて主を愛する、という最高の第一の最大の掟がないがしろにされているからです。

その当時マリア様は、「収穫が無くなるでしょう。ジャガイモもブドウもみんな腐ってしまうでしょう」と仰いました。「飢饉が来るでしょう。食べ物がないだろう。子供が病気で死ぬだろう。そうやって償いを果たさざるを得なくなるだろう」と涙ながらに、「何とかしてこれを避けて欲しい」と訴えました。

私たちが何とかして苦しまないように、母の心でイエズス様を宥めて、宥めて、宥めて、祈りを捧げているにも関わらず、人類は私たちは、それをあまりにも軽々しく無視しているので、マリア様でももう支えきれない。

天主は私たちに七日の内に一週間の内に六日を下さいました。そして一日、御自分の栄光の為に、御自分の礼拝の為に、そして私たちの霊的な、そして肉体の健康の為に取っておかれました。「働く事はない」と、「私がお前を休ませよう。祝福しよう」と。

旧約の時代においては週の最初、天主聖父が全宇宙を、「光あれ!」と言って創造した、その最初の日でした。
また聖子イエズス・キリストが、超自然の命に、私たちに先駆けて復活された日でした。
また聖霊が降臨された日も、この週の最初の日、主日でした。

そして新約の時代からは、この主日が、聖なる日が、週の最初になりました。
「今後はこの主日を、聖なるものとしてミサに与って、イエズス・キリストからの多くの恵みを受けてほしい。」

ミサというものがどれほど高貴で、どれほど荘厳で、どれほど大切で聖なるものか、宝に、祝福に、御恵みに満ち溢れているものか、という事を、私たちは天国に行ったらびっくりするほど、「それほどだったのか!」という事を知った時に、感謝と讃美で永遠でも足りないほどのものが、私たちに主日にミサで与えられています。

何十億円の宝くじが当たるよりもものすごいものが、私たちの手に「さあ、さあ」と与えられようとしているのですけれども、残念な事に人類は「いやだ!」とそれを無視している、それこそが、イエズス・キリストとマリア様を悲しませる元となっているのです。

せっかくお母さんが、これほどの心を詰めて、子供の為にお弁当を作って、学校に行く前に、「さあ、今日この一週間、お小遣いとお弁当と、さあこれを持って、お前のみならず、その周りの全ての人々の為に十分なものを与える」と言うのにも関わらず、「いらない!」と言っているかのようです。

「主日にミサに与る事がどれほど大切か」という事を、マリア様は涙を流して話しておられます。

マリア様は今日も、おそらく涙を流されておられると思います。私たちはどうしたら良いでしょうか?何とかマリア様に、その御悲しみを慰めて差し上げる事はできないでしょうか?

もちろん今日このミサに与っていらっしゃる皆さんはその事をよくご存知で、だからこそ「万難を排しても、どうしても聖伝のラテン語のミサに与るんだ!」遠い所から何時間もかけて、そして予定をキャンセルして、毎週主日にミサに与っている事をもちろんよく知っています。

そしてもしもミサに与れない時には、公教会祈祷文の中にある「ミサに与るを得ざる時の祈り」を唱えて、ロザリオを唱えていらっしゃる方も、仕方がなくされて、心が苦しい思いを持っていらっしゃる事をよく知っています。

ですからこのようなお話は、皆さんではなくてその皆さん以外の方に本当なら言わなければならない話ですけれども、もしもお友達の中で、イエズス様ではなくて、「ああ、日曜日ぐらい、なんだ、俺の好きなようにしたい」という人がもしいたら、「ああ、どれほどもったいない事をしているか、どれほどイエズス様とマリア様を御悲しませしてるか」という事を教えてあげて下さい。

天主を、心を尽くして、力を尽くして、霊魂を尽くして、精神を尽くして愛する、その直接の事が、ミサによって行なわれます。ミサによって果たす事ができます。週の最初に祝福の充満を受ける事は、何と素晴らしい事でしょうか。

ラ・サレットのマリア様に今日はお祈り致しましょう。そしてマリア様の涙、悲しみの涙を、私たちも慰める事ができるように、この主日をますます良く聖化する事ができるように、お祈り致しましょう。
「マリア様、どうぞ私たちが、マリア様の御悲しみのその深い原因をよく理解する事ができますように。他の方々に代わって、ミサにも与れない全世界の人々に代わって、ミサを無視するような人々に代わって、私たちがミサを、主日を聖化する事ができますように。イエズス様とマリア様をお慰めする事ができますように。マリア様と一緒になって御子の手を支える事ができますように、微力ながらマリア様に協力する事ができますように、お祈りを、そして御恵みをお願い致します。」

何故かというと、もしも私たちさえも何もしないならば、どれほど大きな恐ろしいことが私たちに迫っているか分からないからです。しかしマリア様の憐れみと、マリア様の御力と、私たちに対する愛に信頼致しましょう。

皆さんの寛大なご協力と、「主日を聖化したい」というその望み、そして多くのお友達を、「聖化をするように、主日を大切に過ごすように」と誘って下さる事によって、ますますマリア様もお喜びになると信じております。

では、ラ・サレットのマリア様に祈りつつ、私たちが主を全てに超えてお愛しする事ができるように、その御恵みを乞い求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


大天使聖ミカエルへの聖ピオ十世会日本の奉献

2021年09月28日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

明日、暁の星の聖母の修道院では、最初のミサの直後に次の奉献を行います。心を合わせてお祈りください。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田神父

大天使聖ミカエルへの聖ピオ十世会日本の奉献

われらが愛する大天使聖ミカエルよ、天使諸階級の誰よりも高貴なる頭にして、全能の天主の勇敢なる戦士、天主の栄光を熱烈に愛さん者、反乱せる堕天使どもの恐怖、すべての義人の愛と喜びよ、われらが御身への信心深きしもべの内に数えられんことを望みつつ、われら、今日(こんにち)、われら自身を、すなわち聖ピオ十世会日本を御身に奉献し、またわれらがミッション、並びに、すべての司祭、修道者、信徒、友人、恩人たちをも、御身の最も力強き御保護の下に置き奉る。

御身のしもべたる、憐れな罪人にすぎざるわれらが奉献の拙なさには御目を向け給わず、むしろ、われらが奉献し奉らん折の、御身への、われらが真心よりの信頼を見そなわし給え。

今日より、われら御身の御保護の下にあるがゆえに、御身は、われらを生涯にわたりて助け給い、かつ、われらが犯さんあまたの傲慢なる非礼と罪の赦しの御恵みと、天主にしてわれらの愛すべき救い主イエズス、そして御身御自身の元后たる、甘美なるわれらが聖母マリアを、われらが心を尽くして愛し奉る御恵みが、われらに与えられんよう取り計らい給うべきを、覚え給え。また、われらが天国の栄光の冠に達せんがため必要なる御助けを、われらに与え給え。

霊的な敵どもより常にわれらを守り、とりわけ、われらが一生の最後の時にあたりて、われらを守り給え。栄えある天軍の総帥よ、来たり給え。また、われらが戦いにおいて、われらを助け給え。御身の力強き武器もて、御身がかつて天上の戦(いく)さにおいてひれ伏させ給うた、かの偽り者にして高慢なる堕天使を、われらよりかなたへ、地獄の深淵へと投げ入れ給え。

聖ミカエルよ、最後の審判においてわれらが滅ぶることのなきよう、われらが日々の戦いにおいて、われらを守り給え。

さらには、キリスト教諸国民の偉大な守護者なる大天使聖ミカエルよ、御身に委ねられし教会の守護の使命をいみじくも果たし、異端を根絶し、離教を一掃し、不信仰と唯物論を打ち負かし給え。われらが信仰を破壊せんとする地獄の怪物どもを討伐し続け給え。イエズス・キリストの一にして聖なる教会が、選ばれし霊魂をもって天国を満たさんがため、新たなる信者を迎え、諸国をことごとく束ねんことを。そは、御身に、凱旋、功徳、並びに永遠の幸福を与え給う天主なる贖い主の、より大いなる栄光のためなり。

アーメン。

[English Text]

Consecration of the SSPX JAPAN to Saint Michael the Archangel

O most Noble Prince of the Angelic Hierarchies, valorous warrior of Almighty God, and zealous lover of His Glory, terror of the rebellious angels, and love and delight of all the just ones, our beloved Archangel Saint Michael, desiring to be numbered among thy devoted servants, we, today, offer and consecrate ourselves, the Society of Saint Pius X Japan, to thee, and place us, our missions and all our priests, religious, faithful, friends and benefactors under thy most powerful protection.

We entreat thee not to look at how little, we, as thy servants have to offer, being only wretched sinners, but gaze, rather, with favorable eye at the heartfelt trust with which this offering is made, and remember that if from this day onward we are under thy patronage, thou must during all our lives assist us, and procure for us the pardon of our many grievous offenses, and sins, the grace to love with all our hearts our God, our dear Savior Jesus and our Sweet Mother Mary, thine own Queen, and obtain for us the help necessary to arrive at our crowns of glory.

Defend us always from our spiritual enemies, particularly in the last moments of our lives. Come then, O Glorious Prince, and succor us in our struggles, and with thy powerful weapon cast far from us and into the infernal abyss that prevaricator and proud angel that one day thou prostrated in the celestial battle.

Saint Michael, defend us in our daily battles so that we may not perish in the Last Judgment.

Furthermore, O great defender of Christian peoples, Saint Michael the Archangel, to fulfill worthily the mission that has been entrusted to thee to defend the Church, weed out heresies, wipe out schisms, and overcome disbelief and materialism. Multiply thy victories over infernal monsters who are determined to destroy our faith. May the one and only holy Church of Jesus Christ welcome new faithful and incorporate entire countries so that she can fill heaven with chosen souls, for the greater glory of the Divine Redeemer, to Whom thou owest thy triumphs, thy merits and thy eternal happiness.

Amen.




ヴィガノ大司教「キリストの天主の王権が違法となるような世界政府の構築を望むことは、決して成功しない。キリストが統治しないところでは、サタンが暴君となる。

2021年09月27日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】Abp. Viganò on the Great Reset and New World Order

ヴィガノ大司教「グレート・リセットと新世界秩序について」(後半)

【参考情報として、ヴィガノ大司教「グレート・リセットと新世界秩序について」の続きをご紹介いたします。前半はここにあります。この続きは、直視するにも言葉にするにも、恐ろしい内容が含まれています。しかし、アダムとエワの時から人類が直面している、天主とサタン(ルチフェル)との戦い、光りと闇との闘いの最終の戦いにたどり着こうとしているという思いさえ抱かせます。大天使聖ミカエルの祝日を前に、天軍の総帥にひたすら保護を祈りならがら、愛する兄弟姉妹の皆様に、参考資料としてご紹介いたします。】


世界の人口減少化計画

この「邪悪な合意」(pactum sceleris)の仲間には、教皇庁生命アカデミーの何名かのメンバーも含まれなければならないはずです。同アカデミーは、最近、ベルゴリオがその組織構造を覆し、教導権に最も忠実なメンバーを排除し、代わりに人口減少、避妊、中絶を支持するメンバーを配置したからです。聖座がワクチンを支持していることに驚きはないでしょう。

2011年6月、「ソブリン・インディペンデント」(Sovereign Independent)紙は一面に次のような見出しを掲げました。「強制ワクチン接種による人口減少。炭素排出量ゼロの解決法!」(こちら)。
その見出しの横には、ビル・ゲイツの写真と彼の次の言葉が掲載されていました。「現在、世界の人口は68億人です。それが約90億人に向かっています。今もし私たちが新しいワクチン、ヘルスケア、リプロダクティブ・サービス(中絶や避妊)などで素晴らしい仕事をすれば、おそらく10〜15%は下げることができるでしょう」。これは、ビル・ゲイツが11年前に言ったことです。今日では、彼は、ワクチンを製造する複数の製薬会社に資金を提供するブラック・ロック・グループの株主の一人であり、世界保健機関(WHO)のメイン・スポンサーの一人であり、健康に関連する無数の公私の団体のスポンサーでもあります。奇妙なことに、彼のそばには、「オープンソサエティー財団」の「慈善家」であるジョージ・ソロスがいます。同財団は、「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」とともに、最近、新型コロナウイルス感染症検査用の綿棒を製造する英国企業に投資しています(こちら)。

また、私たちは経済問題について話題にしていますから付け加えますと、聖座は、避妊薬を製造した二つの製薬会社に約二千万ユーロ相当の株式を保有していることを思い起こしたいと思います(こちら)。さらに最近では、聖座は、地政学的危機やパンデミック危機の発生時に、国際通貨への投機によって非常に高い利益を保証するファンド --- メリルリンチ投資銀行が運営する「ジオ・リスク」ファンド --- に、聖座は投資しました。しかし、パンデミック発生後の最初の数カ月間で利回りが急上昇したため、「ジオ・リスク」ファンドは閉鎖しなければなりませんでした(こちら)。その他にも、「聖ペトロ使徒座への献金」収集から得られた資金は、さまざまな取り組みに使われ、エルトン・ジョンの自伝的映画「ロケットマン」などを手がける(イタリアの)ビジネスマン、ラポ・エルカン氏との協力関係(コラボレーション)さえも実現しました。不動産投機や、ロンドンのスローンアベニュー60番地のビルを購入については、私たちは報道で十分に知っていますから言うまでもないのですが、信頼できる筋からの情報で私は知っているところでは、その購入はベルゴリオ自身が決定したとのことです。

そして、中国です。ベルゴリオが大切にしている「一貫性(coherence)」と「貧しい者のための貧しい者の教会」の名の下に、イエズス会とセオドア・マカリック元枢機卿が用意した秘密の協定は、カトリック信者の迫害や人権侵害に対するバチカンの沈黙と引き換えに、北京の共産主義政権から多額の資金を得ていたのではないかと考える人々がいます(こちら)。

同じことが、移民騒動についても当てはまります。移民を受け入れることで利益を得ているのは、各国が不法移民の受け入れのため多額の資金を提供しているバチカンの諸委員会や各国の司教協議会です。ベルゴリオがサン・ピエトロ広場に建立したブロンズ製のボートの恐ろしいモニュメントは、この教皇職の特徴的なしるしである偽善を造形で表現したものです。最近の水曜日の謁見では、私たちはこのような言葉を聞かされました。「偽善者とは、顔に仮面をかぶって生活し、真実を直視する勇気がないために、偽りの見せかけを示したり、お世辞を言ったり、だましたりする人々のことです。[・・・]教会での偽善は特に憎むべきものであり、残念ながら教会には偽善が存在し、多くの偽善的なキリスト信者や役務者がいます」(こちら)。コメントの必要はないと思います。


ディープ・ステートの干渉

教会の生活にディープ・ステートが干渉した例は数多くあります。ジョン・ポデスタとヒラリー・クリントンのメールを忘れることはできません。そこには、ベネディクト十六世を教皇座から追放し、進歩主義的かつグローバリスト的な新しい「教会の春」を始めようとする意図が表れていました。これは後にベネディクトの辞任と、かのアルゼンチン人の選出によって実現しました。

また、「ブナイ・ブリス」(B'nai B'rith)のような宗教に近いとは言えない団体や組織が、第二バチカン公会議後の教会の「刷新」の方向付け、とりわけ今の教皇職の下での方向付けを決定するために干渉していることも見逃すことはできません。最後に、一方で保守的な政治家や組織の要人を軽蔑して謁見を断り、他方で左派や進歩主義の指導者たちと情熱的な笑顔で接し、彼らが当選した際には熱狂的な満足感を示していることを私たちは思い出すべきです。

彼らの多くは、イエズス会が運営する大学、あるいはイタリアで「ドセッティアン」[1]と呼ばれるカトリックのサークルで学んだことが成功の要因となっています。そこでは、社会的・政治的な関係のネットワークが一種の進歩的なフリーメーソンを構成しており、いわゆる「大人のカトリック」、つまり公務に従事する際にキリスト教の信仰や道徳と一貫性のある行動を取ることなく「キリスト信者」の名を使う人々に、まばゆいばかりのキャリアを約束しているのです。ジョー・バイデンやナンシー・ペロシ、またロマーノ・プロディ、マリオ・モンティ、ジュゼッペ・コンテ、マリオ・ドラギらがそのごく一部の例です。このように、「ディープ・ステート」と「ディープ・チャーチ」の協力関係は長年続いており、国家と宗教の両方に深刻なダメージを与えながら、その関係の支持者が期待した結果を今、生み出しているのです。

「世俗の当局が都市封鎖を押し付ける以前であっても行われた、2020年初頭の教会の閉鎖」「パンデミック緊急事態の間のミサの挙行や秘蹟の執行の禁止」「2020年3月27日にサン・ピエトロ広場で行われたグロテスクな儀式(こちら)」「中絶された胎児に由来する細胞株で作られたにもかかわらず、ワクチンと、その道徳的正当性の宣伝へのこだわり」「遺伝子の血清はすべてのキリスト信者にとって『道徳的な義務』であるとするベルゴリオの宣言」「バチカン、そして最近ではカトリック学校や一部の神学校への健康パスポート『グリーン・パス』の導入」「いくつかの司教協議会が速やかに支持したワクチン接種義務に反対する司教の発表の聖座による禁止」。
これらはすべて、「ディープ・チャーチ」が「ディープ・ステート」の命令に従属していることを示す要素であり、ベルゴリオ教会がグローバリストの計画に不可欠な部分であることを示しています。

「平和神学のエキュメニズムや平和主義、貧困主義を主張すること」「状況倫理の支持や『アモーリス・レティチア』での姦淫と同棲の実質的な正当化」「死刑は道徳的に違法であるという宣言」「左派の政治家や革命指導者、妊娠中絶活動家の支持」「LGBT問題や同性愛、性転換に理解を示す言葉」「同性愛の結合の正当化についての沈黙や、さらにはドイツの司教や司祭による同性愛カップルの祝福に関する沈黙」「そして、ベネディクト十六世の自発教令『スンモールム・ポンティフィクム』の廃止によるトリエント・ミサの禁止」。

これらのすべてを、聖ペトロ大聖堂のアーチの下での「パチャママ」の偶像崇拝と組み合わせれば、私たちは次のように理解します。ホルヘ・マリオ・ベルゴリオはグローバリストのエリートから委託された任務を遂行しているのであって、このエリートは、ベルゴリオをカトリック教会の清算人にするとともに、彼を、新世界秩序を支える「普遍的宗教」を設立することを目的とする、フリーメーソンの触発を受けた慈善活動的でエキュメニカルなカルトの創設者とするのを望んでいる、ということです。このような行為が行われているのが、十分に認識した上なのか、恐怖心からなのか、あるいは脅迫されているのかにかかわらず、起きていることの重大性や、それを推進する人々の道徳的責任を減じるものは何もありません。

新世界秩序のルチフェル的母体

この段階で、明らかにしておく必要があるのは、「新世界秩序」とは何を意味するのか、すなわち、表向きには何と言っていようとも、その創造者たちにとっては何を意味するのか、です。なぜなら、一方では、プロジェクトが存在し、特定の人々がそれを構想し、実行する責任を負っていることは事実ですが、他方では、プロジェクトに着想を与えた原理が常に開示されているわけではなく、少なくとも、今日起こっていることと密接に関係していることを彼らは公に認めることができないことも、また事実です。なぜなら、このように認めれば、最も平和的で穏健な人々からさえも反対が起こるであろうからです。パンデミックを口実に「グリーン・パス」を押し付けることと、パスポートの目的が私たちに追跡されることに慣れさせることであることを認識することは全く別のことであり、さらに、この完全な管理が黙示録で語られている「獣のしるし」(黙示録13章16-18節)であると言うことも別のことです。私の主張を証明するために、戸惑いと恐怖を覚えるほどの重大で邪悪な引用を用いなければならないことを、読者の皆さんは許してくださるでしょう。しかし、この陰謀の立役者(architects)の真の意図が何であるかを理解し、また彼らがキリストとその教会に対して行っている歴史的な戦いの真の本質を理解するためには、このようなことが必要なのです。

ジュゼッペ・マッツィーニ(19世紀のイタリアの政治活動家)が悲願としていた国際連合の基礎となる思想の秘教的根源を理解するためには、アルバート・パイク、エリファス・レヴィ、ヘレナ・ブラヴァツキー、アリス・アン・ベイリーや、ルシフェリアン(ルチフェル崇拝者)のセクトの他の弟子たちを考えないわけにはいきません。19世紀末から出版されている彼らの著作は、非常に興味深いものです。

マッツィーニの友人であり、フリーメーソンの仲間であったアルバート・パイクは、1889年にフランスでフリーメーソンの最高レベルの人々に向けて演説を行い、その内容は1935年1月19日に英国の雑誌「ザ・フリーメーソン」(The Freemason)で再出版されました。パイクはこう宣言しました。

「われわれが群衆に言わなければならないことは、われわれは神を礼拝しているが、その神は人が迷信を伴わずに礼拝する神だということである(…)。メーソンの宗教は、最高位の秘伝伝授者であるわれわれ全員が、ルシフェリアン(ルチフェル崇拝者)の教理の純粋さを維持すべきものである。もしルチフェルが神でなかったとしたなら、アドナイ(ママ)【キリスト教信者の天主のこと】は --- その行為が人間への残虐性や背信性、憎悪、また科学の野蛮性や反発だと証明している --- 、アドナイとその司祭は、ルチフェルを【神でないと】中傷するだろうか?」。
「そう、ルチフェルは神であり、残念ながらアドナイもまた神なのである。永遠の法則とは、影のない光はなく、醜さのない美はなく、黒のない白はないということであり、絶対的なものは二つの神として存在することしかできないのであり、像に台座が必要であるように、機関車にはブレーキが必要であるように、その箔としての役割を果たすために、光には闇が必要であり、…サタニズムの教理は異端である。真にして純粋な哲学的宗教とは、アドナイと同等のルチフェルを信じることであるが、光の神にして善の神であるルチフェルは、暗黒と悪の神であるアドナイ(ママ)に対抗して人類のために戦っているのである」。

サタンの神性への信仰告白は、フリーメーソンが礼拝する真の大建築家(Great Architect)が誰であるかを認めているだけでなく、フリーメーソンを最初の理論家とする第二バチカン公会議のエキュメニズムを貫通している冒涜的な政治プロジェクトでもあるのです。

「キリスト信者、ユダヤ教徒、イスラム教徒、仏教徒、孔子やゾロアスターの信者は、兄弟として団結し、他のすべての神々の上に立つ唯一の神に一緒に祈りを捧げるのである」(Albert Pike, Morals and Dogma, ed. Bastogi, Foggia 1984, vol. VI, p. 153を参照)。

そして、「他のすべての神々の上に立つ唯一の神」の正体が何かは、直前に引用した文でよく説明されています。

パイクは別の手紙で、マッツィーニにこう書いています。

「われわれは虚無主義者や無神論者を解き放ち、恐るべき社会的大変動を引き起こし、絶対的な無神論の影響、野蛮と血塗られた破壊の起源を、その恐ろしさの全てにおいて、諸国民にはっきりと示すであろう。そうすれば、世界の少数の革命家たちから自らを守ることを余儀なくされた世界中の市民は、(…)最終的に公衆の目に明らかにされたルチフェルの純粋な教理の普遍的な表れを通して、真の光を受けることになるであろう。この表れは、キリスト教の破壊と無神論の破壊に続くもので、キリスト教徒無神論は同時に征服され、粉砕されるであろう」(Letter of 15 August 1871 to Giuseppe Mazzini, Library of the British Museum, Londonを参照)。

「分離性(separativeness)の大異端」という表現は、ピオ十一世が回勅「モルタリウム・アニモス」(Mortalium Animos)で断罪したエキュメニズムと、奇妙なことに一致しているように聞こえます。また同様に、第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」(Dignitatis Humanae)で採用され、最近では聖ペトロ大聖堂でのパチャママへの偶像崇拝を許した人々が提唱した「包括性」(inclusivity)の教理に融合したエキュメニズムと一致しているのは、見落とすことができません。

「分離性」という言葉が、人間の行動を道徳的に判断する基準となる、善と悪、真と偽、正と誤という必要な分離を否定的な意味で表すことを意図しているのは明らかです。「包括性」とは、この区別に反対するもので、善に混ぜ物をするために意図的に悪に汚染されることを許し、真理を堕落させ誤りに正当性を与えるために真と偽を等しくすることです。


エキュメニズムの思想的根源の共有

エキュメニズムの思想的な根源が、メーソン的・ルシフェリアン的な秘教(esoterism)と本質的に結びついていることを理解していなければ、第二バチカン公会議の教理上の逸脱を新世界秩序の計画と結びつける関連性を把握することはできません。1968年の革命は、それらの平和主義者とエキュメニズム信奉者の野望を表わす悲しむべき例でした。この革命で、「水瓶座の時代」は、ミュージカル「ヘアー」(1969年)、そしてジョン・レノンによる「イマジン」(1971年)によって祝われました。

Imagine there’s no heaven. It’s easy if you try.
No hell below us. Above us only sky.
Imagine all the people, living for today.
Imagine there’s no countries. It isn’t hard to do.
Nothing to kill or die for, and no religion too.
Imagine all the people, living life in peace.
You may say I’m a dreamer, but I’m not the only one.
I hope someday you’ll join us, and the world will be as one.
Imagine no possessions. I wonder if you can.
No need for greed or hunger, a brotherhood of man.
Imagine all the people, sharing all the world.
天国がないと想像してくれ。やってみれば簡単だ。
僕らの下には地獄はない。僕らの上には空があるだけだ。
すべての人もが今日のために生きていることを想像してみよう。
国がないことを想像してくれ。それは難しいことではない。
殺すことも死ぬこともないし、宗教もない。
すべての人もが平和に生活していることを想像してくれ。
君は僕のことを夢想家だと言うかもしれないが、それは僕だけではない。
いつの日か、君も僕らの仲間になって、世界が一つになることを願っている。
何も持っていない状態を想像してくれ。君にできるかな。
欲も飢えも必要ない、人間の兄弟愛を。
すべての人が、すべての世界を共有することを想像してくれ。

このメーソンの虚無主義を表明したマニフェストともいえる歌詞は、グローバリズムと新しい普遍的な宗教の賛美歌と考えられます。2012年のロンドン五輪、そして最近では東京五輪のテーマソングとして使われたのは偶然ではありません。迷えることのない霊魂は、このような冒涜的な言葉に恐怖を感じるしかありません。同じことが、レノンの同じくらい冒涜的な歌「ゴッド」(1970年)の歌詞にも言えます。

God is a concept by which we measure our pain. […]
I just believe in me.
神とは、僕らの痛みを測るための概念だ。(…)
僕はただ、自分を信じているだけだ。

教会の霊魂ともいえる中核そのものに触れる問題で、位階階級が敵に騙されて、敵の要求を自らのものにするのを許してしまったかもしれない、ということを受け入れるのは、多くの人にとって苦痛であると私は理解しています。自分たちの考えを偽装させて公会議に導入することに成功し、その考えが宗教の破壊の実現に必ずつながることを十分に認識していたメーソンの高位聖職者たちがいたのは確かです。宗教の破壊は、社会から主キリストを追放して反キリストを迎える新時代(水瓶座の時代)を確立するための前提でした。そうすると、多くのカトリックの著名人(私は多くの人々のうちでもマルティーニ枢機卿やラヴァシ枢機卿を思い浮かべます)がフリーメーソンに好意を示して寛容な態度を取っていることや、教皇たちがこのセクトに対して破門を新たに発することに反対していることが理解できます。また、ベルゴリオが選出されたときにメーソンのロッジが熱狂した理由や、逆に排除されるべき「カテコン」(kathèkon)(「とどめている者」(テサロニケ後書2章7節参照))とみなされていたベネディクト十六世への隠しきれない憎しみも理解できます。

また、忘れてはならないのは、恥ずかしいことですが、ラッツィンガーの以下の言明が、グローバリストのプロジェクトを、反キリスト的かつ反キリスト教的なものとして断罪することなく、「キリスト教化する」試みを提案していることです。

「ベトレヘムの幼子イエズスが、手をとってあなたを連れて行くがままにしてください。恐れることなく、彼に信頼を置きましょう。主の光の生命を与える力は、新しい世界秩序を構築するための動機となります(こちら)」。

この言葉は、残念ながら、このチュービンゲン出身の教授が教皇座に就くまで影響を受けていたヘーゲル思想という誤った考えをもっていたことを裏付けるものです。確かに、イタリア大統領ジョルジョ・ナポリターノが2006年の年末にイタリア国民に向けて行った演説で、「新世界秩序を支持するという点で、教皇ベネディクトと私の間は調和がとれている」(2006年12月31日)と断言することができたとしても、教皇はどんな意味でもグローバリストの計画の味方であるとみなされるような立場の表明をしませんでした。他方で、テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼというヘーゲル的なプロセスは、フリーメーソンやルシフェリアンの秘教が採用した錬金術のモットー「溶かして固めよ」(Solve et Coagula)と呼応しています。それは、メーソン・セクトの最も中心となるメンバーが認めたように、メーソンの最高レベルのメンバーが礼拝する地獄の偶像、バフォメットの腕に描かれているモットーです。フィリップ・ジョーンズは「ルシファー・ライジング」(Lucifer Rising)というエッセーの中で、ヘーゲル的弁証法は「テーゼとしてのキリスト教とアンチテーゼとしての異教の心霊主義を組み合わせたものであり、その結果、バビロニアの神秘宗教に非常によく似た総合物【ジンテーゼ】となっている」と述べています。

テイヤール・ド・シャルダンによるグローバリズムの汎神論

エキュメニズムは、グローバリズム思想の重要なテーマの一つです。これを裏付けるのが、国際連合事務次長だったロバート・ミュラーの言葉です。「われわれは、単一世界政府(one-world government)、単一世界宗教(one-world religion)、そして単一の世界指導者(single world leader)に向かって、できるだけ早く進まなければならない」。彼以前には、国際連盟の提唱者の一人であるアーサー・バルフォアが、「単一世界宗教」をつくることを目的とした「総合協会」(Synthetic Society)を設立しました。ピエール・ティヤール・ド・シャルダンは、検邪聖省に断罪されたイエズス会士の異端者で、今日ではたたえられる進歩的神学者ですが、国際連合を「自分の哲学を組織的に具現化した進歩主義的なもの」とみなし、次のように自分の希望を述べました。
「宗教すべてを成就する普遍的なキリストに、諸宗教が全般的に収束することは、…唯一可能な世界の回心であり、将来の宗教が考えられる唯一の形態であるように私には思われる。」それは「汎神論の中にあるキリスト教的な霊魂、あるいはキリスト教にある汎神論的な側面とでもいうべきものを引き出すことによって、汎神論とキリスト教との間の隔たりを縮める」ためであると表現しました。

「パチャママ」や母なる大地にマリア的な意味合いが付与されていることを見ると、ティヤール・ド・シャルダンのこれらの概念が、不安を覚えさせる現実になっていると気づきます。また、それだけではありません。世界政府の理論家であり、神智学者アリス・A・ベイリーの弟子でもあるロバート・ミュラーはこう宣言しています。「ティヤール・ド・シャルダンは、彼の仲間(国連で重要な役職に就いていたイエズス会のエマニュエル・サゲ・ド・ブルヴァリー神父)に影響を与え、その仲間が同僚たちを触発し、その同僚たちが国連の中でグローバルかつ長期的な思考の豊かなプロセスを開始し、それが世界中の多くの国や人々に影響を与えてきたのです。私はティヤールから多大な影響を受けました」。ティヤールは著書「人間の未来」(The Future of Men)の中で、「たとえその形がまだ見えなくても、将来、人類は汎組織化された(pan-organized)世界で目覚めるだろう」と書いています。

ミュラーは「ワールド・コア・カリキュラム」(World Core Curriculum)の創設者でした。このカリキュラムの目的は「21世紀の労働力のために必要とされる、地球市民、地球を中心とした信念、社会主義的価値観、集団的考え方へと子どもたちを方向付ける」ことです(「ニュー・マン・マガジン」)。また、彼が自分に影響を与えた人々の中にアリス・A・ベイリーがいると自慢して主張しますが、ベイリーは、公然たるルシフェリアンであるヘレナ・ブラヴァツキーが創設した神智学運動の弟子であることが、私たちには分かっています。ブラヴァツキーの人物像を正しく理解するために、彼女の著作からいくつか引用してみましょう。

「ルチフェルは生命、思想、進歩、文明、自由、独立などを象徴している。ルチフェルはロゴスであり、ヘビであり、救い主である。」

そして、パチャママのことをほぼ予想しています。

「このようにして天上の童貞は、同時に神々と悪魔の母となる、何故なら永遠の愛に満ちた慈悲深い神であるがゆえに。…しかし、古代においても現実においても、(この神の)名はルチフェルである。ルチフェルは神の光、また地の光であり、聖霊であると同時にサタンでもある」。

そして、最後にこうあります。

「サタンこそが、われらの惑星の神にして唯一の神である」。

「ルシファー出版社」(現在の「ルシス出版社」)を設立したのは、アリス・A・ベイリーであり、同社は国連のNGOに認定されている「ルシス・トラスト」(旧「ルシファー・トラスト」)と密接な関係があります。この地獄のようなとりとめのない堆積物に、国連の地球イニシアティブ・プロジェクト(Planetary Initiative Project)のディレクターであるデヴィッド・スパングラーの次の言葉を加えれば、私たち全員の上につるされている脅威がいかに恐ろしいものであるかが分かるでしょう。

「ルチフェルへの礼拝行為を実行しなければ、誰も新世界秩序の一員にはならないだろう。ルチフェルの入門式を受けなければ、誰も新時代に入らないだろう」(Reflections on the Christ, Findhorn, 1978)。

アリス・A・ベイリーは、ニューエイジについて、こう書いています。

「科学の成果、国家の征服、領土の征服はすべて、理想主義や戦闘性、そして宗教、政治、経済などあらゆる分野における分離性を持つ、魚座の時代(キリストの時代)の方法を示している。しかし、総合の時代、包括性の時代、そして理解の時代が到来しており、水瓶座の時代(反キリストの時代)の新しい教育は、非常に繊細に人間のオーラに浸透し始めなければならない」。

今日では、ミュラーが「ワールド・コア・カリキュラム」で理論化した教育法が、LGBTイデオロギーやジェンダー論など、あらゆる形の教え込みを含めて、ほとんどすべての国で採用されていることが分かります。このことは、WHOの元事務局長であるブロック・チザム博士が、国連の教育方針が何を実現したいのかを、次のように説明していることからも確認できます。

「世界政府を実現するためには、人間の心から、個人主義、家族の伝統への忠実さ、愛国心、宗教的教義などを取り除く必要がある」(Christian World Report, Marzo 1991, Vol. 3を参照)。

クラウス・シュワブやヘルダー・カマラだけでなく、ロバート・ミュラー、アリス・A・ベイリー、ピエール・ティヤール・ド・シャルダン、エマニュエル・サゲ・ド・ブルヴァリーを結びつける「赤い糸」(fil rouge)が、常にグローバリストの鍵となり、ルシフェリアン思想という悪しき霊感の下に存在していることを、いま一度見てみましょう。これらの不安を覚えさせる面を徹底的に分析することで、真実に光を当て、敵の奴隷となっている少なからぬ教会関係者の共犯と裏切りを明らかにすることができるでしょう。

権威の危機への私たちの対応

権威の腐敗は、少なくとも人間の言葉で言えば、平和的な出口を仮定することが非常に難しいものです。歴史を振り返ると、全体主義的な体制は武力によって打倒されてきました。ここ数カ月の間に確立された健康独裁体制は、国家のすべての権力、すべての情報手段、すべての国際的な公的・私的機関、すべての経済的・金融的権力者がこの犯罪に加担しているため、武力とは違う方法で戦いができるとは考えにくいものです。

腐敗と利益相反という暗い脚本に直面したとき、グローバリストの計画に従属していないすべての人々が、天賦の権利と宗教の権利、自分自身と愛する人の健康、自由、財産を守るために、コンパクトでまとまった戦線に団結することが不可欠です。権威がその義務を果たさず、設立された目的を実際に裏切る場合、不従順は合法であるだけでなく、義務でもあります。少なくとも今のところ、非暴力の不従順ですが、断固とした勇気ある行動です。教会の権威自らが新世界秩序という地獄の計画の共犯者であることを見せるのなら、その権威による正当でない専制的な「命令」(diktats)には不従順です。

結論

この考察の最後に、簡単な霊的考えを述べさせていただきます。現在展開されている世界的な陰謀について、私たちが知り、発見し、理解しているすべてのことは、途方もない現実を示していますが、それは同時に、鋭くはっきりとしたものでもあります。二つの側があり、それは天主の側とサタンの側、光の子の側と闇の子の側ということです。敵と折り合いをつけることはできませんし、二人の主人に仕えることもできません(マテオ6章24節)。次の主のみ言葉を、私たちの心に刻まなければなりません。「私の味方でない人は私に背き、私とともに集めぬ者は散らしてしまう」(マテオ12章30節)。

イエズス・キリストの天主の王権が違法となるような世界政府の構築を望むことは、正気ではなく、天主への冒涜であり、そのような計画を持っている人は決して成功しないでしょう。キリストが統治するところでは、平和と調和と正義が統治し、キリストが統治しないところでは、サタンが暴君となります。偽りの平和的共存の名の下に、敵対者と協定を結ぶかどうかを選択しなければならないときはいつでも、このことをよく考えましょう。そして、自分たちの加担が影響するのは経済や健康の問題だけだと考え、このすべての背後にあるものを知らないふりをしているこれらの高位聖職者たちや世俗の指導者たちにも、このことをよく考えてもらいましょう。

心の王、家庭の王、社会の王、そして国家の王であるキリストに目を向けましょう。この方を私たちの王として、そして至聖なるマリアを私たちの元后として宣言しましょう。新世界秩序という邪悪な計画を打ち負かすことができるのは、この方法によるしかありません。裏切り者や反逆者から聖なる教会を浄化することができるのは、この方法によるしかありません。そして、天主が私たちの祈りに耳を傾けてくださいますように。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

司教証聖者教会博士聖アウグスティノの祝日

[1]ジュゼッペ・ドセッティ神父(1913-1996年)は、「進歩的カトリシズム」の「ボローニャ学派」の創始者とされている。第二バチカン公会議では、ボローニャ大司教のジャコモ・レルカーロ枢機卿の専門家(peritus)を務め、公会議の手続きをコントロールする上で大きな影響力を持っていた。

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カトリック聖伝のミサの報告 聖ピオ十世会 Traditional Latin Mass in Tokyo, Osaka and Nagoya, SSPX Japan

2021年09月26日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日、9月26日、東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計122人でした。これは今までの東京でのミサに与られた方の最高記録です。大阪では25人、名古屋では20人でした。日本では167人でした。ミサの恵みに感謝します。天主様に感謝します!

秋分の日に東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計39人でした。大阪では14人でした。マリア様に感謝!

今年の10月10日から来年の1月16日までの3か月間、例外的に、特に大阪でのミサの時間が午後6時に変更になると予想されております。
詳しくは、分かり次第、お知らせいたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

【報告】【東京】
Dear Fathers:

Shown below are the number of attendees at the masses in Tokyo today. The total number of attendees at the masses in Tokyo today was 122, including children.

09:00 mass
M: 24 (incl. 4 children)
F: 28 (incl. 4 children)
Total: 52 (incl. 8 children)

11:00 mass
M: 20 (incl. 4 children)
F: 21 (incl. 7 children)
Total: 41 (incl. 11 children)

12:30 mass
M: 9 (incl. 0 child)
F: 26 (incl. 3 children)
Total: 35 (incl. 3 children)

Total of 3 masses (excl. 6 people who participated in multiple masses)
M: 50 (incl. 8 children)
F: 72 (incl. 14 children)
Total: 122 (incl. 22 children)




今日は午後5時30分から名古屋で主日の聖伝のミサがあります

2021年09月26日 | 聖伝のミサの予定
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
【今日は名古屋で主日のミサがあります】 

名古屋において、聖伝の典礼を信徒の皆様に体験していただくためにも愛する兄弟姉妹の皆様を全てご招待いたします。

場所:愛知県名古屋市中村区名駅南1-3-14 石原ビル6階
日時:9月26日(日) 16:30 ロザリオ及び告解  17:30(午後5時半) ミサ聖祭【ミサの時間が早くなりました。ご注意ください。】

場所は松屋の入っているビルの6階です。




2021年9月26日(主日)前後の聖伝のミサの予定:Traditional Latin Mass for September 26, 2021

2021年09月26日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--


愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します。

年間の予定はSSPX JAPAN MISSION CALENDARをご覧下さい。


今週末:2021年9月24日(金)25日(土)26日(主日)のミサの予定を確定します。

【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002

(アクセス)JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分(地図

9月23日(木) 10:00 ロザリオ及び告解 10:30 ミサ聖祭【追加されました】
 9月24日(金) 17:20 ロザリオ及び告解 18:00 ミサ聖祭
 9月25日(土) 10:00 ロザリオ及び告解  10:30 ミサ聖祭
 9月26日(日) 10:00 ロザリオ及び告解  10:30 ミサ聖祭

【東京】 「聖ピオ十世会 聖なる日本の殉教者巡回聖堂」 東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図 )http://g.co/maps/nxeh5

9月23日(木)【秋分の日】10:30 ミサが一回捧げられます。

9月26日(日)主日ミサが三回捧げられます。
午前8時20分頃から準備が出来次第、告解の秘蹟を受けることができます。二階です。
09:00 ミサ聖祭 歌ミサ(ライブ中継をいたします)Facebook live : https://www.facebook.com/arata.nunobe
11:00 ミサ聖祭 読誦ミサ12:30 ミサ聖祭 読誦ミサ
それぞれのミサの間にも告解の秘蹟を受けることができます。二階の告解の部屋に司祭は待機しております。お互いに社会的距離を取ることができるように、分散してミサにあずかっていただければ幸いです。

【名古屋】 主日のミサが捧げられます。
名古屋においては、次の場所と日時に聖伝のミサを捧げる予定です。
聖伝の典礼を信徒の皆様に体験していただくためにも愛する兄弟姉妹の皆様を全てご招待いたします。

場所:愛知県名古屋市中村区名駅南1-3-14 石原ビル6階
日時:9月26日(日) 16:30 ロザリオ及び告解  17:30(午後5時半) ミサ聖祭【ミサの時間が早くなりました。ご注意ください。】

【訃報】山形のミカエルさんは9月21日に亡くなりました。葬儀ミサは9月24日(金)の午前10時に山形で行われます。愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願い致します。
 
Ave Maria Immaculata!
My dearest Brethren!
I would like to confirm the Mass schedule for the weekend of Sept 26, 2021.

Mass schedule in Tokyo:
Sept 23
10:30 - Low mass
Sept 26
09:00 - Sung mass Facebook live
https://www.facebook.com/arata.nunobe
11:00 - Low mass
12:30 - Low mass
Mass location:
"Holy Japanese Martyrs' Mass Center"
Akebonocho Jido-kaikan
1-12-5 Honkomagome, Bunkyo-ku, Tokyo
Map: http://g.co/maps/nxeh5

Mass schedule in OSAKA:
Thu, September 23: Holy Sacrifice of the Mass at 10:30 (!) 
Fri, September 24: Holy Sacrifice of the Mass at 18:00
Sat, September 25: Holy Sacrifice of the Mass at 10:30
Sun, September 26: Holy Sacrifice of the Mass at 10:30

Mass schedule in NAGOYA:
Location : Ishihara building 6th floor, Mei-eki-Minami 1-3-14, Nakamura-ku, Nagoya.
All of you are heartily welcome!
Sun, September 22: Holy Sacrifice of the Mass at 17:30. 👈 Attention to the Mass time!

「起きて、主日に、天主の家に行きなさい、ミサに行きなさい!」 まだ時のある間に聖伝のミサに与ってください。ミサ聖祭にまさるものは地上では存在しませんミサ聖祭にまさるものは地上では存在しません。

2021年09月25日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、2021年9月26日は聖霊降臨後第十八主日です。

「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「聖霊降臨後第十八主日の説教」の動画をご紹介いたします。

この動画が気に入ったら、お友達にもご紹介くださいね。

天主様の祝福が豊にありますように!

トマス小野田圭志神父


聖ピオ十世会日本の創立の年に当たり、聖フランシスコ・ザベリオにならって、聖ピオ十世会の全てのミッションと信徒の方々を大天使聖ミカエルに奉献する予定です。

2021年09月24日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

来る9月29日は日本の守護者である大天使聖ミカエルの大祝日です。聖ピオ十世会日本の創立の年に当たり、聖フランシスコ・ザベリオにならって、聖ピオ十世会の全てのミッションと信徒の方々を大天使聖ミカエルに奉献する予定です。心を合わせてお祈りください。

「聖フランシスコ・ザビエルと大天使聖ミカエルと日本」というメッセージをご紹介いたします。

聖フランシスコ・ザビエルと大天使聖ミカエルと日本

愛する兄弟の皆様、

9月29日は大天使聖ミカエル、日本の守護者の祝日です。日本の守護者は二人というか二位あります。聖母の汚れなき御心(最上位の守護の聖人)と大天使聖ミカエルです。何故でしょうか?

日本におけるカトリック教会の歴史を少しお話したいと思います。

聖フランシスコ・ザビエル(ザベリオ)は1506年、スペインに生まれました。イエズス会の宣教師としてインドに派遣されます。マラッカにいた時、日本人アンジロウ(或いはヤジロウとも言われています)に出会い、1549年8月15日にアンジロウの故郷・鹿児島に上陸しました。パウロ・デ・サンタフェという霊名を受けた日本人信徒のアンジロウは、聖フランシスコ・ザベリオの日本への航海を大いに助けてくれました。

アンジロウは、時の領主 島津第十五代 貴久(しまづ たかひさ)に面会に行きますが、その時、インドから持ってきた幼きイエズスを膝に抱く聖母の美しい御影(ごえい)をもっていきそれを島津貴久に見せました。島津はそれを見ると大変に感激して、跪いて最高の敬意を表し、そこに居合わせた者たち全てにもそうするように命じたほどです。貴久の母親もこれを見て感激して、自分にも一つ欲しい、と言い、キリスト教の教えについて書いたものを願いました。アンジロウは数日一生懸命これを作って彼女に送ります。

聖フランシスコ・ザベリオは、聖ミカエルの日(すなわち1549年9月29日)に、一宇治城(いちうじじょう:薩摩の国の伊集院あったお城で、現在の城山公園)で島津貴久と面会します。島津はこの聖なる宣教師を大切に迎え、数日後、彼にキリシタンの教えを説く許可を与えます。もしも臣下たちが選むならば誰でもこの信仰を受け入れることができると信仰を許しました。

そこで、聖フランシスコ・ザベリオは日本とその宣教活動をを大天使聖ミカエルに捧げたのです。
1549年に書かれた手紙の中で、彼は次のように述べています。

「私たちは、実に、たった一つのことしか頭にありません。それは、日本人に私たちの主イエズス・キリストの知識と信仰をもたらすことであり、私たちが仕える主の助けによってこれを達成できると信じています。…しかし、もしもこのように敬虔で善き大義のために私たちの生命を捧げることを天主がお望みであれば、私たちは間違いなくそれを天主の最大の恩恵の一つであると考え、私たちは今の生活 -- この続く死のようなものですが -- に終わりをもたらし、祝福された永遠のかの生命に入らせてくれる敵たちに感謝することでしょう。
わたしたちは、敵のどんな脅しや恐怖によっても、真理を宣べ伝えることをやめないことを決意しています。もし天主が、彼らの霊魂の救いをあきらめるよりも、私たちの命を失うことを望んでおられるならば、天主の善き助けを得て、天主から強さと勇気を与えられて、日本人を迷信の暗闇から福音の光の中に引き込むために、私たちは天主の命令に従うことを決意しています。
私は、このようなことにおいて、天主の助けが私たちに足りないことは決してないと極めて大きい希望を持っています。何故なら、私たちは自分の力に頼らず、私たちのすべての希望を私たちの主の力と最高の権能に、そして主のいもと聖なる御母と、全ての天使たちに、とりわけ戦闘教会の頭である大天使聖ミカエルの保護に置いたからです。
私たちはまた、この大天使に多くの希望を託し、彼の保護と警護のもとに日本を置きました。そして、大天使聖ミカエルと、その他の天使たち、つまり人間らの守護の天使たちに、私たちは毎日自分たちと私たちの事業を祈り託しています。それは、天使たちが自分たちの擁護のもとにある日本人たちの回心と救いのために天主に絶えず懇願するためです。」

では、愛する兄弟姉妹の皆様、来る9月29日には大阪の聖ピオ十世会の聖堂で大天使聖ミカエルの聖伝のミサが捧げられます。聖フランシスコ・ザベリオの捧げたミサです。大天使聖ミカエルに祈りましょう。私たちが聖フランシスコ・ザベリオの信仰と精神とを続けることができますように。イエズス・キリストに関する真理を宣言し、日本に住むすべての方々が福音の光に導かれ、永遠の霊魂の救いを得ることができますように!


2021年9月23日(秋分の日)のミサの予定

2021年09月22日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

明日、9月23日、秋分の日は、次の場所で聖伝のミサが行われます。

東京:曙町会館:午前10時半

大阪:聖母の汚れなき御心聖堂:午前10時半

【暁の星の聖母修道院では、いつもの7時15分のミサはありませんので、ご注意ください。】

 


罪の無かったマリア様は、想像をはるかに超えたような苦しみをお受けになりました。

2021年09月22日 | お説教・霊的講話

2021年9月18日(土)証聖者クペルチーノの聖ヨゼフのミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(修道院)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日、クペルチーノの聖ヨゼフのミサを捧げています。

しかしマリア様の七つの御悲しみの祝日がつい先日ありましたので、一緒にマリア様の悲しみについて黙想致しましょう。

マリア様は罪の無い御方でした。ですから私たちはともすると、マリア様は一生の間、平和に、何も苦労もなく、何も心配する事もなく、天主様から愛された方ですから、そのまま平安な喜びに満ちた、幸せな生活をされたに違いない、と私たちはつい想像してしまいがちです。

しかし、罪の無かったマリア様こそ、罪の無かったイエズス様と共に、私たちがおそらく経験する事もできないような、私たちの想像をはるかに超えたような苦しみをお受けになりました。マリア様の受けたその苦しみを、全世界の今生きている40億人の人にちょうど等しく分けて、その私たちの配分の、その等しく分けられたものの一つをもしも私たちが感じたとしたら、あまりにも辛い事なので、苦しくて、苦しいあまりに心臓が痛くなって、息もできないほど苦しくなって、もうそのまま気絶してしまうか、息を引き取ってしまうほどの苦しみだった、それをマリア様は更に集めて、御一人でイエズス様と共に苦しまれた、と言われています。

マリア様の七つの悲しみにまとめられるこの苦しみは、

1.まず、シメオンの預言。

考えても見て下さい。赤ちゃんが生まれたばかりの若い16か7になる若い、汚れの無いお母さんが、イエズス様を苦しみもなくお産みになって、そして初めてそのモーゼの掟の通り、40日目に初子を、初めての赤ちゃんを御潔めの式に与り、その時に老人が全てを知っていて、「この子は、イスラエルの全ての民の栄えと滅びの原因となる。この子によって全ての良心が明らかになる。イスラエルの栄光であって、異邦人を照らす光だ」とシメオンが預言します。「そしてあなたの心も、剣で刺し貫かれるだろう。悲しみで貫かれるだろう」と預言されました。

2.マリア様の第二の御悲しみは、エジプトに脱出しなければならなかった事です。

人類の為にお生まれになった天主の御言葉、御一人子、救い主が、地上の王によって命を狙われている。何という忘恩。

3.第三の悲しみは、イエズス様が神殿で12歳の時に行方不明になられた事です。

マリア様は、「もしかしたら自分のせいで、自分の過失で(そんな事はあり得ないのですけれども)もしかしたら、なぜイエズスはいなくなったのか。」3日間、暗黒のような暗闇のような気持ちで、イエズス様を探されました。

イエズス様を神殿に見出された時に、イエズス様は「何故あなたは、私が聖父の仕事をしなければならない事を知らなかったのですか?」とも言いました。マリア様はこの言葉がその時には分かりませんでした。ずっと汚れ無き御心の中に留めて黙想しておられました。イエズス様が十字架に付けられて3日目によみがえるその時に、その深い意味がお分かりになる事だった事でしょう。

残る四つは、「イエズス様の御受難だ」と言われています。

4.マリア様が、十字架を担って十字架の道を歩まれる、傷だらけの、血にまみれた姿の、目も当てられないイエズス様とお会いになった事。

どれほどの苦しみだった事でしょうか。

5.第五が、イエズス様の十字架での釘付け。

かつて殉教者の母が、自分たちの子供が殉教するのを励ましながら見た、聖なる母親たちがいました。マリア様はこのイエズス様の御苦しみの為に、血は流さなくとも、多くの殉教の苦しみを受けました。

今日書簡の中で、「聖クペルチーノの愛徳があまりにも熱烈だったので、その体さえも天に上げられた」という史実の、歴史の本当の話から、聖パウロの「愛」についてのコリント人への手紙が読まれましたが、「もしも私たちが、天主の成聖の恩寵の愛の状態になければ、全く虚しい」と聖パウロは言っています。「もし私が体を焼かれる為に与えても、自分の持っている財産を全て貧しい人々に施しても、天主への愛がなかったら全く空しい。」

マリア様がイエズス様の十字架の足元に立ったのは、この天主への愛に燃えていて、成聖の御恵みの、成聖の状態の極みにあったからです。天主の御母にふさわしい、ほぼ私たちが理解する事のできないほどの巨大な御恵みを持っていたからこそ、マリア様はそれほどの、イエズス様と共に苦しみを捧げる事によって、「共贖者」と、共同の罪の贖いをする事ができる方となりました。

イエズス様の苦しみとマリア様の苦しみは、分かち難く一つになりました。アダムとエヴァの罪が二人で犯されたように、第二のアダムと第二のエヴァの贖いの業は、二人で完成されました。

6.マリア様の第六の御悲しみは、その傷だらけの御子を胸に受け取られたこと。

7.そして第七に、お墓に葬られます。

このマリア様、このような苦しみを何故お受けになったのでしょうか?

それは、私たちを愛する為でした。イエズス・キリストと共に、私たちを愛する為でした。ですから、マリア様に是非、私たちにもマリア様の御心にある炎をできるだけ頂いて、そして私たちの日常の辛い事や苦しみを、御捧げする事ができる御恵みを乞い求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


私たちはファリザイ人たちのようではなく、この水腫の男のように、謙遜に、イエズス様の愛の聖心に、憐れみの聖心に近寄りましょう。

2021年09月21日 | お説教・霊的講話
2021年9月12日(主日)聖霊降臨後第16主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

一つ、お祈りの意向のお願いがあります。昨日山形のミカエルさんの奥さんから電話がありました。私たちの兄弟であるミカエルさんが、どうも調子が悪かったので病院に行ったところ、緊急に入院されるとの事でした。癌の末期で、全身に癌が広がっていて、もう何もする事ができない、…との事です。お祈りをお願い致します。

今日は主日で、イエズス様の前に出た二人のグループの人がいます。
一つのグループは、ファリサイ人たちで、イエズス様の行動を見計らっていました。
もう一つは、イエズスがいらっしゃると聞いてやって来た、水腫を患った人でした。
私たちは、今日、このミサに水腫の病を患った人の態度で、イエズス様の前に近付きましょう。

この人は、水腫の為に体中に水が溜まってむくんでいて、体中全体が痛くてたまらず、イエズス様がいらっしゃると聞いて近くにやって来ました。そしていきなり前に姿を現しました。何も頼みませんでした。ただ目で、「主よ、憐れんで下さい!」と叫んでいました。「この姿を見て下さい」とも言うかのように、自分の姿を見せて、イエズス様に全幅の信頼を置いて、憐れみとそして恵みを乞い求めていたかのようです。「イエズス様ならば、私の姿を見て憐れんで下さる。そして私を癒して下さる」という信頼に満ちていました。

彼を見たイエズス様は、律法学士やあるいはファリザイ人たちに問いかけます。
「安息日に癒やす事は許されているのか?」

彼らは何も答えませんでした。イエズス様はこの水腫の男を癒して、家に帰らせます。

ファリザイ人たちは何故答えなかったのでしょうか?何故イエズス様を見張っていたのでしょうか?
何故かというと、イエズス様のなさる事のどこかに悪いところがあるか、攻撃の内容があるかないか、という事を探っていたからです。ドン・ゲランジェによると「それはファリザイ人たちが傲慢であり、妬んでおり、イエズス・キリストのその力を、その成功を、それを悲しんでいたからだ」と言います。

「ちょうど悪魔がルチフェルが、人間が天国に行くのを妬んで悲しんだように、あるいはカインがアベルの犠牲(いけにえ)をねたんで、アベルの犠牲が受け入れられたのを悲しんだように、ファリザイ人も、イエズス様のその良さに、その善徳を見て悲しんだからだ」と言います。

ですから、今日、私たちはファリザイ人たちのようではなく、この水腫の男のように、謙遜に、イエズス様の愛の聖心に、憐れみの聖心に近寄りましょう。
「他の人ではなく、私の欠点、私の惨めさ、私の足らなさ、私の罪、咎、私の不足、弱点、弱さを御覧下さい。イエズス様、御身が憐んで下されば、全能の力で私が望んだよりも以上の事を更にして下さる事ができます。」

そのイエズス様の愛の深さと、広さと、高さと、その崇高さと、それは計り知れないものですから、イエズス様の愛の聖心に近寄って、その御憐れみを乞い求めましょう。そして私たちがその憐れみによって癒されますように、マリア様の御名によって、私たちの御取次ぎを乞い願いましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。








童貞聖マリアの御名とウィーンでの勝利

2021年09月21日 | お説教・霊的講話
2021年9月11日(土)童貞聖マリアの御名の祝日の随意ミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日は、童貞聖マリアの御名の祝日のミサを随意ミサで行なっております。本当の祝日は明日9月12日ですが、明日は主日でこのミサをする事ができないので、また、今日は聖母の土曜日ですので、随意ミサとして捧げています。このマリア様の御名の祝日について一緒に黙想致しましょう。

レパントの海戦で、海を通ってキリスト教世界を侵略しようとしたイスラム帝国はトルコは、レパントの海戦によってその野望を打ち砕かれました。教皇聖ピオ五世がロザリオの十字軍を起こし、ロザリオと、そしてキリスト教の海軍によってこの侵略は阻止されました。

そして今度は陸を使って、つまりコンスタンティノープルの陥落の後、もう西洋を守る砦は失われました。そこで特に西洋のカトリックの要塞であったウィーンを陥落させようと、トルコ軍が陸を使って攻撃しました。キリスト教の軍人たちはウィーンをよく守りました。しかし圧倒的なトルコ軍の力には包囲され、そして陥落はもう目の前に迫っていました。

キリスト教全世界は祈りを捧げていました。もしもウィーンが陥落するならば、もう西洋はイスラム化するしかありません。どうしてもこの砦は失われてはなりません。その時に、ポーランドの英雄ソビエスキが、軍人が、王ヨハネのもとに任命を受けて、ウィーンを助ける為に出発しました。

出発する前に、チェンストホーヴァのマリア様の所に立ち寄って、マリア様に祈りを捧げて後に突撃しました。ソビエスキーが到着するや否や、そのマリア様に守られたキリスト教の軍隊は、遂にイスラム教徒からウィーンを守る事ができました。

その時にイスラム教徒たちが退散して残していったコーヒーの豆から、最初のカプチーノができたとか、あるいはその勝利を祝う為にクロワッサンの三日月の形のパンができた、というのは有名な話です。

ウィーンは共産主義に襲われた時もありました。第二次世界大戦の時に、ソ連によって占領されました。その時もやはり同じような事が起こりました。ロザリオの十字軍を起こして、そして多くのオーストリアの市民たちがロザリオを必ず唱えると約束しました。すると、これほど大切な都市であったにも、戦略上重要な場所であったにも関わらず、結局ソ連軍はウィーンから撤退する事を決断しました。

一体何故なのか分かりませんが、ウィーンをそのまま残して撤退しました。歴史家は、「これは、ロザリオのマリア様の勝利だ」と言っています。

今、私たちも似たような状況に置かれています。全世界は共産主義化されようとしているようです。一部の超エリートの発言によると、彼らがこの世界を所有して、私たちを奴隷化しようと、私たちから全ての財産を奪い、私たちの体さえも、私たちから所有権を奪ってしまおうとしています。彼らは、第四次産業革命という名前の大革命を起こそうとしているとのことです。

もはや「私たちの体さえも所有権がない」というのは、あるいは政府の言うままに、拒否もできずに、どんな注射でも受けなければならなくなるかもしれないし、もしもそれがなければ買う事もできなくなるし、移動する事も、電車に乗る事もできなくなるかもしれません。今、ヨーロッパではそのような事が起こっています。もしもワクチンを注射しなければ、オンラインの授業も受ける事ができない、仕事に就く事もできなければ、何もする事ができなくなる、と。

つまり私たちは国家の、あるいは世界政府の奴隷となって、所有物となってしまう危険があります。世界政府が全てを所有し、子供も政府のものとなり、家族も無くなってしまう危険があります。すべてが専制独裁政府の思い通りのものとなってしまう、その直前に今、なるかならないかの瀬戸際にいるかのようです。ちょうどイスラム軍にウィーンが包囲されて、もう陥落するかしないかの瀬戸際にいたかのように思われます。

私たちは一体、どうしたら良いでしょうか?

カトリック教会の歴史は、「マリア様を呼べ。マリア様の御名に助けを求めよ」と教えています。
「マリア様にのみ、私たちの希望がある。マリア様は私たちを決して見捨てる事がない。全能の聖父、全能の天主三位一体の元で力強い取次ぎをして下さる。そのマリア様のお祈りを決してして天主は拒まれる事はない。御子は拒む事ができない」と私たちは知っています。

ですからこの時代に、特に聖母マリア様にお祈り致しましょう。この聖なる御名を呼び求める事に致しましょう。そしてマリア様の御心が、マリアの御名が、私たちを救って下さいますように、陥落寸前であったとしても、私たちを解放する何かが与えられますように、祈りましょう。

歴史家たちが「一体、何でこうなったのか分からないけれども、結局グレート・リセットは失敗した。」あるいは「できなかった」あるいはこのまま「未遂で終わった」となりますように、聖母にひたすらお祈り致しましょう。聖母の御名を呼び求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。




--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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