彦四郎の中国生活

中国滞在記

一日一日の歳月が静かに過ぎてもいく 之(これ)も也(また)好し 歳月静之也好—私の目に映る中国の日々

2024-05-12 12:22:22 | 滞在記

 早朝5時50分頃にアパートを出て大学方面に向かう。一つ目の「上渡」という名のバス停へ向かう。そのバス停に行く途中に「閩王廟  」がある。紀元前200年頃、始皇帝が建国した秦王朝が滅び、劉邦が漢王朝が成立した。この漢王朝の全国支配はまだ、ここ福建省まで及んでいなくて、独立国の「閩国」という国があった。その国の王の「朝廟」だ。いつもこの辺りで休憩しタバコを一服する。

 午前6時30分発の43番バスに乗車し20分ほどのところにある「融信第一城」で下車。次の95番バスに乗る。このバスの車内にはいつも大声で話しまくるおじさんたちが乗っている。なぜ、中国の人たちは、こんなにも大声で話すのだろう」と、日本人の私からすると困りはてる通勤バス内。午前7時30分頃に閩江大学正門(南門)近くのバス停にようやく到着するまで大声は30分間ほど続く。

 5月9日(木)、大学構内の水辺に龍船(ドラゴンボート)が一隻浮かんでいた。毎年、6月の中国の端午節の時に、龍船大会が中国全土、津々浦々の市町村で開催される。閩江大学のチームも、福建省福州市で開催される龍船競技大会で近年、優勝を狙うチームとなっているようだ。今年の端午節は6月10日(月)、5月に入り練習を始めたのだろう。

 大学構内の何箇所かにある30本余りのデェイゴの木。それらの木々が今、満開の赤い花を咲かせている。この花は日本の沖縄県の県花の一つとなっている亜熱帯地方の花だ。

 大学構内の鐘楼(時計台)近くの森には、このデェイゴやバナナの木が多く、亜熱帯地方特有の森ができている。8時30分から始まる授業前に、ここに立ち寄りしばし休憩する。

 デェイゴの花は、中国では「刺桐(さしきり)」と呼ばれる。福州市の南にある福建省泉州市(世界遺産となっている都市)の市の花となっていて、この町の街路樹にはデェイゴが多い。黄色い花々もこの季節に見られるが、まだ名前はわからない。

 5月10日(金)の午後、アパートからほど近い福建師範大学倉山キャンパス正門付近。デリバリー配達員たちがたくさんある食堂(レストラン)の前で出前の料理を受け取っている。このようなデリバリー配達員は、中国の就職難もあって、ここ数年でたくさん増えた。指定時間内に配達できないとその分の賃金は彼らは受け取れない。毎日、長時間働いて月収は5000元(約10万円)ほどになればよい方だとも言われている。

 この界隈にある理髪店と店のネオン。ネオンは日本と同じようなものだが、中国では理髪店の看板は「造型」と書かれていることが多い。この店は珍しく「理発店」(※「髪」ではなく「発」)と書かれている。中国では街角の理髪店はとても多い(※少なくても日本の10倍はあるだろうか)。顔そりなどはなく、主に電動バリカンで髪を切るだけ。料金は男性の場合は店によって10元から30元(200円~600円)。私はいつも福建師範大学構内にある行きつけの理髪店に行く。(30元)

  中国では、日本と違って生け花をする文化はほぼない(一般的ではない)ので、花屋はとても少ない。たまにあったとしても、花はとても種類的にも少ない。師範大学界隈の一軒の花屋。5月12日(日)の「母の日」向けのカーネーションの花がたくさん置かれていた。(※中国の人々にとって、花は、プレゼント用に買うもためのもので、自分の家に飾るためのものではない。また、新規開店の店の店頭に飾るためなどのもののようだ。)

 日本の1950年代を思い出される三輪オートバイのタクシー。中国では2017年ころまでは、このオートバイタクシーはよく走っていて、私もたまには利用したが、最近はその台数もめっきりと減った。福州市の市の樹木であるカジュマル(榕木)は街路樹に多く、半年は真夏日の福州の歩道に木陰を作ってくれる。

 午後1時半過ぎ、祖父母たちが小学生の孫たちを学校まで付き添い送っていく。中国の小学校は、日本のような児童による集団登下校がないので、主に祖父母が登下校に付き添う。昼休みは11時半から2時まであるので、家に帰り昼食を児童たちは食べる。このため、祖父母はたちは、1日に4回も孫たちに付き添って登下校をすることになる。その時に孫(低学年だけでなく高学年でも)の通学カバン(リュック)を背負うのは、祖父母がほとんどだ。この辺りは、日本と中国の子供に対するしつけの違いがある。(※日本は幼年期から、「自分のことは自分でする」というしつけがあるが、中国は、甘やかすというか、「子供のことは子供で」というしつけはあまりないようだ。)

 アパートのある団地の入り口付近には、いつも地方から長期出稼ぎに来ている農民工たち十数人が昼休みに集まっている。電動バイクにはスコップや鍬(くわ)などがあり、ひとときの昼休み時間に、ここに集まって談笑している。(※市内にはこのような集まるところがたくさんある。)

 団地の道路に面した歩道には、これもほぼ毎日、団地内の高齢者たちが集まって、少額の金銭が賭けられたトランプが行われている場所がある。いつも十数人がここに来ている。団地内の食堂の改装作業に来ている農民工の一人が、昼休み時間に道路わきで器用に熟睡していた。段ボールなどの廃品回収の三輪バイクトラックも昼休み中か。道路わきに座って、段ボールに入れてあるメロンを売っている30歳くらいの男性の姿も。

 中国に住み始めて10年以上が経ったが、毎日、このような庶民の生活の日々を眺めながら暮らしている。私の目に映る中国の日々。

 私が暮らす界隈は古街も多い。かって、アヘン戦争敗戦後の1850年代から、欧米日露の外国に開港されたところの一つが福州。閩江の大河沿いには諸外国の領事館や銀行、商社、商店などがたくさんつくられた。その建物(洋館)が現在もたくさん残されていて、「倉山景観区」として多くの観光客が訪れる。私も日頃、この辺りの散歩に行くこともよくある。5月11日(土)の午前中、1時間ほどここを散歩した。

 この季節、初夏の花である「濫花盈(らんかえい)」(英語名:ジャカランダ)の木の薄紫の花が満開となり美しく涼しげだ。そして、街路樹としてもこの界隈は多い。ハイビスカスも咲く。日本の夏(7月)の花の一つ合歓(ネム)の花に似た花も咲いていた。

 濫花盈、ハイビスカス、そしてブーゲンビリアの咲く洋館街の倉山景観区。

 アパートの部屋のある棟の近くの中国風の路地。この路地からは、「琉球人墓地」も近い。

 

 

 

 

 


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