竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

土左日記(土佐日記) 原文 対比読下及び訳文付き (3)

2012年10月13日 | 資料書庫
土左日記 原文
対比読下及び訳文付き(3)

十二日安女不良寸不武止幾己礼毛知可布禰乃遠久礼多利之奈良之徒与利武呂川幾奴
十二日あめふらすふむときこれもちかふねのをくれたりしならしつよりむろつにきぬ
十二日、雨降らず。文時、惟持が舟の遅れたりし、奈良志津より室津に来ぬ。

十三日乃安可川幾爾以左ゝ加爾安女布留之波之安利天也美奴
十三日のあかつきにいさゝかにあめふるしはしありてやみぬ
十三日の暁に、いささかに雨降る。しばしありて、止みぬ。

女己礼加礼由安美奈止世无止天安多利乃与呂之幾所爾於利天由久宇美遠見也礼者
女これかれゆあみなとせむとてあたりのよろしき所におりてゆくうみを見やれは
女これかれ、「沐浴などせむ」とて、あたりのよろしき所に下りて行く。海を見やれば、

 久毛ゝ美奈浪止曽見由留安万毛加奈以川礼可宇美止ゝ比天之留部久
くもゝみな浪とそ見ゆるあまもかないつれかうみとゝひてしるへく
雲もみな浪とぞ見ゆる海人もがないづれか海と問ひて知るべく

止奈无宇多与女留左天止宇可安末利奈礼者月於毛之呂之
となむうたよめるさてとうかあまりなれは月おもしろし
となむ歌詠める。さて、十日あまりなれば、月おもしろし。

舟爾乃利者之女之日与利舟爾八久礼奈為己久与幾ゝ奴幾寸
舟にのりはしめし日より舟にはくれなゐこくよきゝぬきす
舟に乗り始めし日より、舟には紅濃く、よき衣着ず。

曽礼者宇美乃神爾越知天止以比天奈爾乃安之加計爾己止川个天保也乃川万乃以寸之
それはうみの神にをちてといひてなにのあしかけにことつけてほやのつまのいすし
それは「海の神に怖ぢて」と云ひて、何の葦蔭にことつけて、老海鼠の交の貽貝鮨

数之安者比遠曽心爾毛安良奴者幾爾安个天見世个留
すしあはひをそ心にもあらぬはきにあけて見せける
鮨鮑をぞ、心にもあらぬ脛に上げて見せける。

十四日安可川幾与利安女布礼者於奈之所爾止万礼利布奈幾美世知見寸左宇之毛乃奈个礼者
十四日あかつきよりあめふれはおなし所にとまれりふなきみせち見すさうしものなけれは
十四日、暁より雨降れば、同じ所に泊れり。舟君、節見す。精進物なければ、

武万時与利乃知爾加知止利幾乃不徒利多利之堂比爾世爾奈个礼八与禰遠止利加个天
むま時よりのちにかちとりきのふつりたりしたひにせになけれはよねをとりかけて
午時より後に舵取、昨日釣りたりし鯛に、銭なければ、米を取り掛けて、

於知良礼奴加ゝ留己止奈本安利奴加知止利又多比毛天幾多利与禰左計奈止久累
おちられぬかゝることなほありぬかちとり又たひもてきたりよねさけなとくる
落ちられぬ。かゝること、なほありぬ。舵取、又鯛持て来たり。米酒など、来る。

加知止利気之幾安之可良寸
かちとり気しきあしからす
舵取、気色悪しからず。

十五日遣不安徒幾加由爾須久知於之久奈本日乃安之个礼者為左累本止爾曽
十五日けふあつきかゆにすくちおしくなほ日のあしけれはゐさるほとにそ
十五日、今日、小豆粥煮ず。口惜しく、なほ日の悪しければ、ゐざるほどにぞ、

个不者川可安万利部奴留以多川良爾日遠不礼者人ゝ海遠奈可女川ゝ曽安留
けふはつかあまりへぬるいたつらに日をふれは人ゝ海をなかめつゝそある
今日二十日あまり経ぬる。いたづらに日を経れば、人々海を眺めつゝぞある。

女乃和良波乃以部留
めのわらはのいへる
女の童の云へる。

 堂天者太川為礼者又為留不久風止奈美止者思不止知爾也安留良无
たてはたつゐれは又ゐるふく風となみとは思ふとちにやあるらむ
立てば立つゐれば又ゐる吹く風と浪とは思ふどちにやあるらむ

以不可比奈幾毛乃ゝ以部留爾者爾徒可者之
いふかひなきものゝいへるにはにつかはし
云ふ甲斐なき者の云へるには、似つかはし。

十六日風奈美也万禰者奈本於奈之所爾安利止万礼利
十六日風なみやまねはなほおなし所にありとまれり
十六日、風浪止まねば、なほ同じ所にあり泊れり。

多ゝ宇美爾浪奈久之天以徒之可美左幾止以不止己呂和多良无止乃美奈无於毛婦
たゝうみに浪なくしていつしかみさきといふところわたらむとのみなむおもふ
ただ、「海に浪なくして、いつしか御崎といふ所、渡らむ」とのみなむ思ふ。

風奈美止爾ゝ也武部久毛安良寸安留人乃己乃浪多川遠見天与女留宇多
風なみとにゝやむへくもあらすある人のこの浪たつを見てよめるうた
風浪、とにに止むべくもあらず、ある人の、この浪立つを見て詠める歌、

 霜多爾毛遠可奴方曽止以不奈礼止奈美乃奈可爾者由幾曽不利个留
霜たにもをかぬ方そといふなれとなみのなかにはゆきそふりける
霜だにも置かぬ方ぞといふなれど浪の中には雪ぞ降りける

佐天舟爾能利之日与利个不万天爾者川可安万利以川可爾奈利爾个利
さて舟にのりし日よりけふまてにはつかあまりいつかになりにけり
さて、舟に乗りし日より今日までに、二十日余り五日になりにけり。

十七日久毛礼留久毛奈久天安可川幾徒久与以止毛於毛之呂个礼者舟遠以多之天己幾由久
十七日くもれるくもなくてあかつきつくよいともおもしろけれは舟をいたしてこきゆく
十七日、曇れる雲なくて、暁月夜、いともおもしろければ、舟を出だして漕ぎ行く。

己乃安比多爾久毛乃宇部毛宇美乃曽己毛於奈之己止久爾奈无安利个留
このあひたにくものうへもうみのそこもおなしことくになむありける
この間に、雲の上も海の底も、同じごとくになむありける。

武部毛武可之乃乎止己者
むへもむかしのをとこは
むべも昔の男は、

佐於者宇加部奈美乃宇部乃月遠布禰者遠曽不宇美乃宇知乃曽良遠
さおはうかへなみのうへの月をふねはをそふうみのうちのそらを
「棹は浮かべ浪の上の月を舟はおそふ海の中の空を」

止者以日个武幾ゝ左礼爾幾个留也又安留人乃与女留宇多
とはいひけむきゝされにきける也又ある人のよめるうた
とは云ひけむ。聞き戯れに聞けるなり。又、ある人の詠める歌、

 美那曽己乃月乃宇部与利己久舟乃左於爾左者留者加川良奈留良之
みなそこの月のうへよりこく舟のさおにさはるはかつらなるらし
水底の月の上より漕ぐ舟の棹に障るは桂なるらし

己礼遠幾ゝ天安留人乃又与女留
これをきゝてある人の又よめる
これを聞きて、ある人のまた詠める。

 加計見礼者浪乃曽己奈留比左可多乃曽良己幾和多留和礼曽和日之幾
かけ見れは浪のそこなるひさかたのそらこきわたるわれそわひしき
影見れば浪の底なる久方の空漕ぎ渡る我ぞわびしき

加久以不安比多爾夜也宇也久安个留安比多爾由久爾加知止利良
かくいふあひたに夜やうやくあけるあひたにゆくにかちとりら
かく云ふ間に、夜やうやく明ける間に行くに、舵取ら、

久呂幾久毛爾者可爾以天幾奴風布幾奴部之美布禰可部之天武
くろきくもにはかにいてきぬ風ふきぬへしみふねかへしてむ
「黒き雲にはかに出で来ぬ。風吹きぬべし。御舟返してむ」

止以比天舟加部留己乃安比多雨布利奴以止和比之
といひて舟かへるこのあひた雨ふりぬいとわひし
と云ひて、舟返る。この間、雨降りぬ。いとわびし。

十八日奈本於奈之所爾安利宇美安良个礼者舟以多左寸
十八日なほおなし所にありうみあらけれは舟いたさす
十八日、なほ同じ所にあり。海荒ければ、舟ださず。

己乃止万利止本久美礼止毛知可久美礼止毛以止於毛之呂之
このとまりとほくみれともちかくみれともいとおもしろし
この泊、遠く見れども、近く見れども、いとおもしろし。

加ゝ礼止毛久留之个礼者奈爾己止毛於毛保衣須乎止己止知者心也利爾也安良无
かゝれともくるしけれはなにこともおもほえすをとことちは心やりにやあらむ
かかれども苦しければ、何事も思ほえず。男どちは心やりにやあらむ、

加良宇多奈止以布部之舟毛以多左天以多川良奈礼者安留人乃与女留
からうたなといふへし舟もいたさていたつらなれはある人のよめる
漢詩などいふべし、舟も出ださでいたづらなれば、ある人の詠める、

 伊曽不利乃与寸留以曽爾八年月遠以川止毛和可奴由幾乃美曽不留
いそふりのよするいそには年月をいつともわかぬゆきのみそふる
磯ふりの寄する磯には年月をいつともわかぬ雪のみぞ降る

己乃宇多者川禰爾世奴人乃己止也又人乃与女留
このうたはつねにせぬ人のこと也又人のよめる
この歌は常にせぬ人のことなり。又、人の詠める、

 風爾与留浪乃以曽爾者宇久比寸毛春毛衣之良奴花乃美曽佐久
風による浪のいそにはうくひすも春もえしらぬ花のみそさく
風に寄る浪の磯には鴬も春もえ知らぬ花のみぞ咲く

己乃宇多止多止毛遠寸己之与呂之止幾ゝ天
このうたともをすこしよろしときゝて
この歌どもを、すこしよろしと聞きて

舟乃遠佐之个留於幾奈月己呂久留之幾心也利爾与女留
舟のをさしけるおきな月ころくるしき心やりによめる
舟の長しける翁、月ごろ苦しき心やりに詠める、

 堂川浪遠雪可花可止吹風曽与世川ゝ人遠者可留部良奈留
たつ浪を雪か花かと吹風そよせつゝ人をはかるへらなる
立つ浪を雪か花かと吹風ぞ寄せつつ人をはかるべらなる

己乃宇多止毛遠人乃奈爾可止以不遠安留人幾ゝ布个利天与女利
このうたともを人のなにかといふをある人きゝふけりてよめり
この歌どもを人の何かと云ふを、ある人聞きふけりて詠めり。

曽乃宇多与女留毛之美曽毛之安万利奈ゝ毛之人美那衣安良天和良不也宇奈利
そのうたよめるもしみそもしあまりなゝもし人みなえあらてわらふやうなり
その歌詠める文字、三十文字余り七文字。人みなえあらで笑ふやうなり。

宇多奴之以止計之幾安之久天恵寸万禰部止毛衣万禰者寸
うたぬしいとけしきあしくてゑすまねへともえまねはす
歌主、いと気色悪しくて怨ず。真似べども、え真似ばず。

加个利止毛衣与美寸部加多可留部之遣不多爾加久以比加多之満之天乃知爾者以可奈良无
かけりともえよみすへかたかるへしけふたにかくいひかたしましてのちにはいかならむ
書けりとも、え詠み据ゑ難かるべし。今日だにかく云ひ難し。まして後にはいかならむ。

十九日飛安之个礼者舟以多左須
十九日ひあしけれは舟いたさす
十九日、日悪しければ、舟出ださず。

廿日幾乃不乃也宇奈礼者舟以多左数美那人ゝ宇礼部奈計久ゝ累之久心毛止奈个連者
廿日きのふのやうなれは舟いたさすみな人ゝうれへなけくゝるしく心もとなけれは
廿日、昨日のやうなれば、舟出ださず。みな人々憂へ嘆く。苦しく心もとなければ、

多ゝ日乃部奴留加寸遠个不以久可者川可美曽加止加曽不礼者
たゝ日のへぬるかすをけふいくかはつかみそかとかそふれは
ただ日の経ぬる数を、「今日幾日」、「二十日」、「三十日」と、数ふれば、

於与比毛曽己奈八礼奴部之以止和比之以毛禰寸者川可乃月以天爾个利
およひもそこなはれぬへしいとわひしいもねすはつかの月いてにけり
指も損はれぬべし。いとわびし。寝も寝ず。二十日の月出でにけり。

山乃葉毛奈久天海乃奈可与利曽以天久留加也宇奈留遠見天也
山のはもなくて海のなかよりそいてくるかやうなるを見てや
山の端もなくて海の中よりぞ出で来る。かやうなるを見てや、

武可之安部乃仲麿止以比个累人者毛呂己之爾和多利天加部利幾个留時爾
むかしあへの仲麿といひける人はもろこしにわたりてかへりきける時に
昔、阿倍の仲麿といひける人は、唐土に渡りて、帰り来ける時に、

舟爾乃留部幾所爾天加乃久爾人武万乃者那武个之和可礼於之美天
舟にのるへき所にてかのくに人むまのはなむけしわかれおしみて
舟に乗るべき所にて、かの国人、馬のはなむけし、別れ惜しみて、

加之己乃加良宇多川久利奈止之个留安可寸也安利个无
かしこのからうたつくりなとしけるあかすやありけむ
かしこの漢詩作りなどしける。飽かずやありけむ、

者川可乃与乃月以徒留万天曽安利个留曽乃月者海与利曽以天个留
はつかのよの月いつるまてそありけるその月は海よりそいてける
二十日の夜の月出づるまでぞありける。その月は、海よりぞ出でける。

己礼遠見天曽仲末呂乃奴之
これを見てそ仲まろのぬし
これを見てぞ仲麿の主、

和可久爾者加ゝ留哥遠奈无神世与利神毛与武多比以末者加美奈可之毛乃人毛
わかくにはかゝる哥をなむ神世より神もよむたひいまはかみなかしもの人も
「我が国は、かゝる哥をなむ神世より神も詠む給び、今は上中下の人も、

加也宇爾和可礼於之美与呂己比毛安利加奈之比毛安留時爾八与武
かやうにわかれおしみよろこひもありかなしひもある時にはよむ
かやうに別れ惜しみ、喜びもあり、悲しびもある時には詠む」

止天与女利个留宇多
とてよめりけるうた
とて、詠めりける歌、

安乎宇奈者良婦利左个見礼者加寸可奈留美可佐乃也満耳以天之月可毛
あをうなはらふりさけ見れはかすかなるみかさのやまにいてし月かも
青海原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも

止曽与女利个留
とそよめりける
とぞ、詠めりける。

加乃久爾人幾ゝ之留満之宇於毛本衣多礼止毛己止乃乎止己毛之爾左満遠加幾以多之天
かのくに人きゝしるましうおもほえたれともことのをとこもしにさまをかきいたして
かの国人聞き知るまじう思ほえたれども、ことの男文字にさまを書き出だして、

己ゝ乃己止波徒多部多留人爾以比以之良世个礼者心遠也幾ゝ衣多利个武
こゝのことはつたへたる人にいひしらせけれは心をやきゝえたりけむ
ここの言葉伝へたる人に云ひ知らせければ、心をや聞き得たりけむ、

以止於毛比乃保可爾奈无女天个留毛呂己之止己能久爾止者己止ゝゝ奈累毛乃奈礼止
いとおもひのほかになむめてけるもろこしとこのくにとはことゝゝなるものなれと
いと思ひの外になむ愛でける。唐土とこの国とは言異なるものなれど、

月能影者於奈之己止奈留部个連八人能心毛於那之己止爾也安良无
月の影はおなしことなるへけれは人の心もおなしことにやあらむ
月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらむ。

佐天以末曽乃可美遠思也里天安留人乃与女留宇多
さていまそのかみを思やりてある人のよめるうた
さて、今、当時を思やりてある人の詠める歌、

 美也己爾天山乃者爾見之月奈礼止浪与利以天ゝ浪爾己曽以礼
みやこにて山のはに見し月なれと浪よりいてゝ浪にこそいれ
京にて山の端に見し月なれど浪より出でて浪にこそ入れ

廿一日宇乃時者可利爾舟伊多寸美奈人ゝ能布禰以徒
廿一日うの時はかりに舟いたすみな人ゝのふねいつ
廿一日、卯の時ばかりに舟出だす。みな人々の舟出づ。

己礼遠見礼者春乃海爾秋乃己乃葉之毛知礼留也宇爾曽安利个留
これを見れは春の海に秋のこの葉しもちれるやうにそありける
これを見れば春の海に秋の木の葉しも散れるやうにぞありける。

於保呂遣乃願爾与利天爾也安良武風毛布可寸与幾日以天幾天己幾由久
おほろけの願によりてにやあらむ風もふかすよき日いてきてこきゆく
おぼろけの願によりてにやあらむ、風も吹かず、好き日出で来て、漕ぎ行く。

己乃安比多爾川可者礼无止天川幾天久留和良波安利曽礼可宇多不ゝ奈宇多
このあひたにつかはれむとてつきてくるわらはありそれかうたふゝなうた
この間に使はれむとて、付きて来る童あり。それが歌ふ舟唄、

奈保己曽久爾乃方者見也良留礼和可知ゝ波ゝ安利止之於毛部者加部良也
なほこそくにの方は見やらるれわかちゝはゝありとしおもへはかへらや
なほこそ国の方は見やらるれ我が父母ありとし思へば帰らや

止宇多不曽安者礼奈留可久宇多不遠幾ゝ川ゝ己幾久留爾
とうたふそあはれなるかくうたふをきゝつゝこきくるに
と歌ふぞあはれなる。かく歌ふを聞きつつ漕ぎ来るに、

久呂止利止以鳥以者乃宇部爾安川満利遠利曽乃以者乃毛止爾浪志呂久宇知与寸
くろとりといふ鳥いはのうへにあつまりをりそのいはのもとに浪しろくうちよす
黒鳥と云ふ鳥、岩の上に集まり居り。その岩のもとに浪白く打ち寄す。

加知止利乃以不也宇久呂幾鳥乃毛止爾之呂幾浪遠与寸止曽以不
かちとりのいふやうくろき鳥のもとにしろき浪をよすとそいふ
舵取の云ふやう、「黒き鳥のもとに白き浪を寄す」とぞ云ふ。

曽乃己止者奈爾止爾八奈个礼止毛物以不也宇爾曽幾己衣多留
そのことはなにとにはなけれとも物いふやうにそきこえたる
その言葉、何とにはなけれども、物云ふやうにぞ聞こえたる。

人乃本止爾安者禰者止可武留奈利加久以比川ゝ由久爾布奈幾美奈留人浪遠見天
人のほとにあはねはとかむるなりかくいひつゝゆくにふなきみなる人浪を見て
人の程に合はねば、咎むるなり。かく云ひつつ行くに、舟君なる人、浪を見て、

久爾与利者之女天加以曽久武久為世武止以不奈留己止乎於毛不宇部爾
くによりはしめてかいそくむくゐせむといふなることをおもふうへに
国より始めて、「海賊報せむ」と云ふなることを思ふ上に、

海乃又於曽呂之个礼者加之良毛美那之良計奴奈ゝ曽知也曽知者海爾安留物奈利个利
海の又おそろしけれはかしらもみなしらけぬなゝそちやそちは海にある物なりけり
海のまた恐ろしければ、頭もみな白けぬ。七十、八十は、海にあるものなりけり。

和可ゝ美乃雪止以曽部乃白浪止以徒礼万左礼利於幾川之万毛利
わかゝみの雪といそへの白浪といつれまされりおきつしまもり
我が髪の雪と磯辺の白浪といづれまされり沖つ島守

加知止利以部
かちとりいへ
舵取、云へ

廿二日与武部乃止万利与利己止ゝ満利遠ゝ比天由久者留可爾山見由
廿二日よむへのとまりよりことゝまりをゝひてゆくはるかに山見ゆ
廿二日、昨夜の泊より、異泊を追ひて行く。遥かに山見ゆ。

止之己ゝ乃徒者可利奈留遠乃和良八年与利者於左那久曽安留己乃和良波舟遠己久末ゝ爾
としこゝのつはかりなるをのわらは年よりはおさなくそあるこのわらは舟をこくまゝに
年九つばかりなる男の童、年よりは幼くぞある。この童、舟を漕ぐままに、

山毛由久止見由留遠見天安也之幾己止宇多遠曽与女留曽乃宇多
山もゆくと見ゆるを見てあやしきことうたをそよめるそのうた
山も行くと見ゆるを見て、あやしきこと、歌をぞ詠める。その歌、

 己幾天由久舟爾天見礼八安之比幾乃山左部遊久遠末川者之良寸也
こきてゆく舟にて見れはあしひきの山さへゆくをまつはしらすや
漕ぎて行く舟にて見ればあしひきの山さへ行くを松は知らずや

止曽以部留於左奈幾和良波乃事爾天者仁川可者之
とそいへるおさなきわらはの事にてはにつかはし
とぞ云へる。幼き童の云にては、似つかはし。

个不海安良計爾天以曽爾由幾布利奈美乃花佐个利安留人乃与女留
けふ海あらけにていそにゆきふりなみの花さけりある人のよめる
今日、海荒らげにて磯に雪降り、浪の花咲けり。ある人の詠める、

 浪止乃美飛止川爾幾个止以呂美礼八由幾止花止爾末可比个留哉
浪とのみひとつにきけといろみれはゆきと花とにまかひける哉
浪とのみ一つに聞けど色見れば雪と花とに紛ひけるや

廿三日日天利天久毛利奴己乃和多里加以曽久乃於曽利安利止以部者神保止个遠以乃留
廿三日日てりてくもりぬこのわたりかいそくのおそりありといへは神ほとけをいのる
廿三日、日照りて曇りぬ。「この渡り、海賊の恐りあり」と云へば、神仏を祈る。

廿四日幾乃布乃於奈之所也
廿四日きのふのおなし所也
廿四日、昨日の同じ所なり。

廿五日加知止利良乃幾多可世安之止以部者舟以多左寸
廿五日かちとりらのきたかせあしといへは舟いたさす
廿五日、舵取らの「北風悪し」と云へば、舟出ださず。

加以曽久遠比久止以不己止多衣須幾己由
かいそくをひくといふことたえすきこゆ
「海賊追ひ来」と云ふこと、絶えず聞こゆ。

廿六日末己止爾也安良无加以曽久遠不止以部者夜中者可利舟遠以多之天
廿六日まことにやあらむかいそくをふといへは夜中はかり舟をいたして
廿六日、まことにやあらむ。「海賊追ふ」と云へば、夜中ばかり舟を出だして

己幾久留美知爾多武計寸類所安利加知止利之天奴左多以万徒良寸留爾
こきくるみちにたむけする所ありかちとりしてぬさたいまつらするに
漕ぎ来る路に手向する所あり。舵取して幣奉らするに、

奴左乃比无可之部知礼者加知止利乃申天多天万川留己止波
ぬさのひむかしへちれはかちとりの申てたてまつることは
幣の東へ散れば舵取の申て奉ることは、

己乃奴左乃知留可多爾美不禰寸美也可爾己可之女多万部止申天多天万川留遠幾ゝ天
このぬさのちるかたにみふねすみやかにこかしめたまへと申てたてまつるをきゝて
「この幣の散る方に御舟すみやかに漕がしめ給へ」と申て奉るを聞きて、

安留女乃和良波乃与女留
あるめのわらはのよめる
ある女の童の詠める、

 和多川美乃知不利乃神爾太武計寸留奴左乃於比可世也万寸布可奈无
わたつみのちふりの神にたむけするぬさのおひかせやますふかなむ
わたつみの道触の神に手向する幣の追風止まず吹かなむ

止曽与女留己乃保止爾風乃与計連者加知止利以多久本己利天布禰爾本安計奈止与呂己布
とそよめるこのほとに風のよけれはかちとりいたくほこりてふねにほあけなとよろこふ
とぞ詠める。この程に風のよければ舵取いたく誇りて、舟に帆上げなど喜ぶ。

曽乃遠止遠幾ゝ天和良波毛於幾奈毛以徒之可止於毛部者爾也安良无以多久与呂己不
そのをとをきゝてわらはもおきなもいつしかとおもへはにやあらむいたくよろこふ
その音を聞きて、童も翁も「いつしか」と思ほへばにやあらむ、いたく喜ぶ。

己乃奈可爾阿者知乃多宇女止以不人乃与女留宇多
このなかにあはちのたうめといふ人のよめるうた
この中に淡路の専女といふ人の詠める歌、

 於飛風乃婦幾奴留時波由久舟毛保天宇知天己曽宇礼之可利个礼
おひ風のふきぬる時はゆく舟もほてうちてこそうれしかりけれ
追風の吹きぬる時は行く舟も帆手打ちてこそ嬉しかりけれ

止曽天以計乃己止爾川个天以乃留
とそていけのことにつけていのる
とぞ、天気のことにつけて祈る。

廿七日風布幾浪安良个礼者布禰以多左須己礼可礼加之己久奈計久
廿七日風ふき浪あらけれはふねいたさすこれかれかしこくなけく
廿七日、風吹き浪荒らければ、舟出ださず。これかれ、かしこく嘆く。

乎止己多知乃加良宇多爾日遠乃曽女者美也己止遠之奈止以布奈留事乃左万遠幾ゝ天
をとこたちのからうたに日をのそめはみやことをしなといふなる事のさまをきゝて
男たちの漢詩に「日を望めば、都遠し」など云ふなる言の様を聞きて、

安留遠无奈乃与女累
あるをむなのよめる
ある女の詠める、

 日遠多爾毛安万雲知可久見留物遠美也己部止思不美知乃者留个佐
日をたにもあま雲ちかく見る物をみやこへと思ふみちのはるけさ
日をだにも天雲近く見る物を都へと思ふ路の遥けさ

又安留人乃与女留
又ある人のよめる
又、ある人の詠める、

 吹風乃太部奴可幾利之多知久礼八奈美地者以止ゝ者留个可利个利
吹風のたへぬかきりしたちくれはなみ地はいとゝはるけかりけり
吹風の絶えぬかぎりし立ち来れば波路はいとど遥けかりけり

飛ゝ止比風也万寸川万者之幾之天禰奴
ひゝとひ風やますつまはしきしてねぬ
日一日、風止まず。爪弾きして寝ぬ。

廿八日夜毛寸可良雨毛也万寸計左毛
廿八日夜もすから雨もやますけさも
廿八日、夜もすがら、雨も止まず。今朝も。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土左日記(土佐日記) 原文 対比読下及び訳文付き (2)

2012年10月13日 | 資料書庫
土左日記 原文
対比読下及び訳文付き (2)

元日猶於奈之止万利也白散遠安留毛乃与乃満止天布奈也可多爾佐之者左女利个礼者
元日猶おなしとまり也白散をあるものよのまとてふなやかたにさしはさめりけれは
元日、猶、同じ泊りなり。白散をある者「夜の間」とて、船屋形に差し挟めりければ、

風爾布幾奈良左世天宇美爾以礼天衣乃万寸奈利奴
風にふきならさせてうみにいれてえのますなりぬ
風に吹き馴らさせて、海に入れて、え飲まずなりぬ。

以毛之安良女毛者可多女毛奈之加宇也宇乃物毛奈幾久爾也毛止女之毛遠可寸
いもしあらめもはかためもなしかうやうの物もなきくに也もとめしもをかす
芋茎、荒布も、歯固もなし。かうやうの物もなき国なり。求めしも置かず。

堂ゝ遠之安由乃久知遠乃美曽春不人ゝ乃久知遠遠之安由毛之思不也宇安良无也
たゝをしあゆのくちをのみそすふ人ゝのくちををしあゆもし思ふやうあらむや
ただ、押鮎の口をのみぞ吸ふ。人々の口を、押鮎もし思ふやうあらむや。

个不者美也己乃美曽於毛日也良留ゝ己部乃可止乃之利久部奈者乃奈与之能加之良
けふはみやこのみそおもひやらるゝこへのかとのしりくへなはのなよしのかしら
今日は京のみぞ思ひやらるる。小家の門の注連縄の鯔の頭、

飛ゝ良木良以加爾曽止曽以比安部奈留
ひゝら木らいかにそとそいひあへなる
「柊ら、いかにぞ」とぞ言ひあへなる。

二日猶於本美奈止爾止万礼利講師毛乃左計遠己世多利
二日猶おほみなとにとまれり講師ものさけをこせたり
二日、猶、大湊に泊れり。講師、物、酒おこせたり。

三日於奈之所也毛之風奈美乃猶志波之止於之武心也安良无心毛止奈之
三日おなし所也もし風なみの猶しはしとおしむ心やあらむ心もとなし
三日、同じ所なり。もし風波の、猶、しばしと惜しむ心やあらむ。心もとなし。

四日風布計者衣以天多ゝ寸万左徒良左計与幾物多天万川礼利
四日風ふけはえいてたゝすまさつらさけよき物たてまつれり
四日、風吹けば、え出で立たず。正貫、酒、美物たてまつれり。

己乃加宇也宇爾物毛天久留人爾猶之毛者安良天以左ゝ計和左世左須
このかうやうに物もてくる人に猶しもはあらていさゝけわさせさす
このかうやうに物持てくる人に、猶、下はあらで、いささけ業せさす。

毛乃毛奈之爾幾和ゝ之幾也宇奈礼止末久留己ゝ知寸
ものもなしにきわゝしきやうなれとまくるこゝちす
物もなし。賑ははしきやうなれど、負くる心地す。

五日風波也万禰者猶於奈之所爾安利人ゝ多衣寸止不良日爾久
五日風波やまねは猶おなし所にあり人ゝたえすとふらひにく
五日、風波止まねば、猶、同じ所にあり。人々、絶えず訪ひに来。

六日幾乃不乃己止之
六日きのふのことし
六日、昨日のごとし。

七日爾奈利奴於奈之美那止爾安利个不者安於武万奈止於毛部止加比奈之
七日になりぬおなしみなとにありけふはあおむまなとおもへとかひなし
七日になりぬ。同じ湊にあり。今日は白馬など思へど、甲斐なし。

多ゝ浪乃之呂幾乃美曽見由留
たゝ浪のしろきのみそ見ゆる
ただ浪の白きのみぞ見ゆる。

加ゝ留保止爾人能家乃池止奈安留所与利己飛者奈久天布奈与利者志女天
かゝるほとに人の家の池となある所よりこひはなくてふなよりはしめて
かかるほどに、人の家の、池と名ある所より、鯉はなくて、鮒よりはじめて、

加者乃毛宇美乃毛己止物止毛奈可比川爾ゝ奈比川ゝ計天遠己世多里
かはのもうみのもこと物ともなかひつにゝなひつゝけてをこせたり
川のも海のも、こと物ども、長櫃に担ひ続けておこせたり。

和可那曽个布遠者之良世多留宇多安利曽乃宇多
わかなそけふをはしらせたるうたありそのうた
若菜ぞ、今日をば知らせたる。歌あり。その歌、

 安左知布乃ゝ部爾之安礼者水毛奈幾池爾川美川留和可那ゝ利个利
あさちふのゝへにしあれは水もなき池につみつるわかなゝりけり
浅茅生の野辺にしあれば水もなき池に摘みつる若菜なりけり

以止毛加之己之己乃以計止以不者所乃名奈利
いともかしこしこのいけといふは所の名なり
いともかしこし。この池といふは、所の名なり。

与幾人能於止己爾川幾天久多利天数美个留奈利个利
よき人のおとこにつきてくたりてすみけるなりけり
よき人の男につきて下りて、住みけるなりけり。

己乃奈可飛徒乃物者美奈人ゝ爾和良波万天爾久礼多礼者安幾美知天
このなかひつの物はみな人ゝにわらはまてにくれたれはあきみちて
この長櫃の物は、みな人々に童までにくれたれば、飽き満ちて、

布奈己止毛者波良川ゝ美遠宇知天宇美遠左部於止呂可之天奈美多天徒部之
ふなこともははらつゝみをうちてうみをさへおとろかしてなみたてつへし
船子どもは腹鼓を打ちて、海をさへ驚かして、波立てつべし。

加久天己乃安比多爾己止於保可利个
かくてこのあひたにことおほかりけ
かくて、この間に事多かり。

布和利己毛多世天幾多留人曽乃奈ゝ止曽也以万於毛比以天武
ふわりこもたせてきたる人そのなゝとそやいまおもひいてむ
今日、割籠持たせて来たる人、その名なとぞや、今、思ひ出でむ。

己能人宇多与満武止於毛不心安利天奈利个利止加久以比ゝゝ天
この人うたよまむとおもふ心ありてなりけりとかくいひゝゝて
この人、歌詠まむと思ふ心ありてなりけり。とかく云ひ云ひて、

奈美乃堂川奈留己止ゝ宇留部以比天与免留宇多
なみのたつなることゝうるへいひてよめるうた
「波の立つなること」と、憂へ云ひて詠める歌

 由久左幾爾堂川白浪乃声与利毛遠久礼天奈可武和礼也万左良无
ゆくさきにたつ白浪の声よりもをくれてなかむわれやまさらむ
行く先に立つ白浪の声よりも遅れて泣かむ我やまさらむ

止曽与女留以止於保己恵奈留部之毛天幾多留物与利者宇多波以可ゝ安良无
とそよめるいとおほこゑなるへしもてきたる物よりはうたはいかゝあらむ
とぞ詠める。いと大声なるべし。持て来たる物よりは、歌はいかがあらむ。

己乃宇多遠己礼可礼安者礼可礼止毛飛止利毛加部之世春
このうたをこれかれあはれかれともひとりもかへしせす
この歌を、これかれあはれがれども、一人も返しせず。

志川部幾人毛満之礼ゝ止己礼遠乃美以多可利物遠乃美久比天与布个奴
しつへき人もましれゝとこれをのみいたかり物をのみくひてよふけぬ
しつべき人も交れれど、これをのみいたがり、物をのみ食ひて、夜更けぬ。

己乃宇多奴之者万多満可良寸止以比天多知奴
このうたぬしはまたまからすといひてたちぬ
この歌主は「まだ罷らず」と、云ひて立ちぬ。

安留人乃己乃和良波奈留飛可爾以不万呂古能宇多乃加部之世无止以不
ある人のこのわらはなるひそかにいふまろこのうたのかへしせむといふ
ある人の子の童なる、ひそかに云ふ。「まろ、この歌の返しせむ」と云ふ。

於止呂幾天以止於可之幾己止可那与美天武也者与美川部久者ゝ也以部可之止以不
おとろきていとおかしきことかなよみてむやはよみつへくはゝやいへかしといふ
驚きて、「いとをかしきことかな。詠みてむやは。詠みつべくは。はや云へかし」と云ふ。

末可良寸止天多知奴留人遠万知天与万无
まからすとてたちぬる人をまちてよまむ
「『罷らず』とて立ちぬる人を待ちて詠まむ」

止天毛止女个留遠夜布計奴止爾也ゝ加天以爾个利
とてもとめけるを夜ふけぬとにやゝかていにけり
とて、求めけるを、夜更けぬとにや、やがて往にけり。

曽毛ゝゝ以可ゝ与武多留止以不加志加利天止不
そもゝゝいかゝよむたるといふかしかりてとふ
「そもそも、いかが詠むだる」と、いぶかしがりて問ふ。

己乃和良波左寸可爾者知天以者寸之比天止部者以部留宇多
このわらはさすかにはちていはすしひてとへはいへるうた
この童さすがに恥ぢて云はず。強ひて問へば、云へる歌、

 由久人毛止万留毛袖乃奈美多可八美幾者乃美己曽奴礼万左利个礼
ゆく人もとまるも袖のなみたかはみきはのみこそぬれまさりけれ
行く人もとまるも袖の涙川汀のみこそ濡れまさりけれ

止奈无与女留加久波以不毛乃可宇川久之个礼者爾也安良无以止於毛者寸奈利
となむよめるかくはいふものかうつくしけれはにやあらむいとおもはすなり
となむ詠める。かくは云ふものか。うつくしければにやあらむ、いと思はずなり。

王良波己止爾天者奈爾可世武於无奈乎幾奈爾越之徒部之安之久毛安礼以可爾毛安礼
わらはことにてはなにかせむおむなをきなにをしつへしあしくもあれいかにもあれ
「童言にては、何かせむ。嫗翁に捺しつべし。悪しくもあれ、いかにもあれ、

多与利安良波也良武止天遠可礼奴女利
たよりあらはやらむとてをかれぬめり
便りあらばやらむ」とて、置かれぬめり。

八日左者留己止安利天奈本於奈之止己呂奈利己与比月者宇美爾曽以留
八日さはることありてなほおなしところなりこよひ月はうみにそいる
八日、障ることありて、なほ、同じ所なり。今宵、月は海にぞ入る。

己礼遠見天奈利比良乃幾三乃山乃者爾个天以礼寸毛安良奈无止以不宇多奈无於保由留
これを見てなりひらのきみの山のはにけていれすもあらなむといふうたなむおほゆる
これを見て、業平の君の「山の端逃て入れずもあらなむ」といふ歌なむ思ゆる。

毛之宇美部爾天与末ゝ之加者奈美堂知左部天以礼寸毛安良奈无止毛与美天末之也
もしうみへにてよまゝしかはなみたちさへていれすもあらなむともよみてましや
もし、海辺にて詠まましかば、「波たち障へて入れずもあらなむ」とも詠みてましや。

以万己乃宇多遠思以天ゝ安留人乃与女利个留
いまこのうたを思いてゝある人のよめりける
今、この歌を思出でて、ある人の詠めりける。

 亭留月乃奈可留ゝ美礼者安万乃河以徒留美那止者宇美爾左利个留
てる月のなかるゝみれはあまの河いつるみなとはうみにさりける
照る月の流るる見れば天の河出つる水門は海にさりける

止也
とや
とや。

九日乃徒止女天於保美奈止与利奈波乃止末利遠ゝ波武止天己幾以天个利
九日のつとめておほみなとよりなはのとまりをゝはむとてこきいてけり
九日の夙めて、大湊より奈半の泊を追はむとて、漕ぎ出でけり。

己礼可礼堂可比爾久爾乃佐可比乃宇知者止天見遠久利爾久留人安末多可奈可爾
これかれたかひにくにのさかひのうちはとて見をくりにくる人あまたかなかに
これかれ互に「国の境のうちは」とて、見送りに来る人、あまたがなかに、

藤原乃止幾左禰橘乃寸恵比良者世部能由起万左良奈无
藤原のときさね橘のすゑひらはせへのゆきまさらなむ
藤原時実、橘末平、長谷部行正等なむ、

美多知与利以天堂宇比之日与利己ゝ加之己爾遠日久留己乃人ゝ曽心左之安留人奈利个累
みたちよりいてたうひし日よりこゝかしこにをひくるこの人ゝそ心さしある人なりける
御館より出で給びし日より、ここかしこに追ひ来る。この人々ぞ、志ある人なりける。

己能比止ゝゝ乃布可幾心左之八己乃宇美爾毛於止良左留部之
このひとゝゝのふかき心さしはこのうみにもおとらさるへし
この人々の深き志はこの海にも劣らざるべし。

己礼与利以末者己幾者奈礼天由久己礼遠見遠久良无止天曽己乃人止毛者遠飛幾个留
これよりいまはこきはなれてゆくこれを見をくらむとてそこの人ともはをひきける
これより今は、漕ぎ離れて行く。これを見送らむとてぞ、この人どもは追ひ来ける。

加久天己幾由久満爾ゝゝ宇美乃本止利爾止万礼留人毛止遠久奈利奴
かくてこきゆくまにゝゝうみのほとりにとまれる人もとをくなりぬ
かくて漕ぎ行くまにまに、海のほとりにとまれる人も、遠くなりぬ。

舟乃人毛見盈数奈利奴幾之爾毛以不己止安留部之舟爾毛思不己止安礼止加飛奈之
舟の人も見えすなりぬきしにもいふことあるへし舟にも思ふことあれとかひなし
舟の人も見えずなりぬ。岸にも云ふことあるべし。舟にも思ふことあれど、甲斐なし。

加ゝ礼止己乃宇多遠比止利己止爾之天也美奴
かゝれとこのうたをひとりことにしてやみぬ
かかれど、この歌をひとり言にしてやみぬ。

 思也留心者宇美遠和多礼止毛布美之奈个礼者之良寸也安留良无
思やる心はうみをわたれともふみしなけれはしらすやあるらむ
思やる心は海を渡れども書しなければ知らずやあるらむ

加久天宇多乃松原遠由幾数久曽乃末川乃加寸以久曽波久以久知止世部多利止之良須
かくて宇多の松原をゆきすくそのまつのかすいくそはくいくちとせへたりとしらす
かくて、宇多の松原を行き過ぐ。その松の数幾許、幾千歳へたりと、知らず。

毛止己止爾浪宇知与世枝己止爾徒留曽止比加不於毛之呂之止見留爾太部寸之天
もとことに浪うちよせ枝ことにつるそとひかふおもしろしと見るにたへすして
元ごとに浪うち寄せ、枝ごとに鶴ぞ飛び交ふ。おもしろし、と見るに堪へずして、

布奈人乃与女留宇多
ふな人のよめるうた
舟人の詠める歌、

 見和多世者松乃宇礼己止爾寸武川留八知与乃止知止曽思不部良奈留
見わたせは松のうれことにすむつるはちよのとちとそ思ふへらなる
見渡せば松の末ごとに棲む鶴は千代のどちとぞ思ふべらなる

止也己乃宇多者止己呂遠見留爾衣万左良須加久安留遠見川ゝ己幾由久満爾ゝゝ
とやこのうたはところを見るにえまさらすかくあるを見つゝこきゆくまにゝゝ
とや。この歌は、所を見るに、えまさらず。かくあるを見つつ漕ぎ行くまにまに、

山毛海毛美奈久礼夜不遣天爾之飛无可之毛見衣寸之天天計乃己止加知止利乃心爾万可世徒
山も海もみなくれ夜ふけてにしひむかしも見えすしててけのことかちとりの心にまかせつ
山も海もみな暮れ、夜更けて、西東も見えずして、天気のこと、舵取の心に任せつ。

越乃己毛奈良者奴者以止毛心本曽志満之天遠无奈者布奈曽己爾加之良遠徒幾安天ゝ
をのこもならはぬはいとも心ほそしましてをむなはふなそこにかしらをつきあてゝ
男も慣らはぬは、いとも心細し。まして女は、舟底に頭を突きあてて、

禰遠乃美曽奈久加久於毛部八布奈己加知止利波布奈宇多ゝゝ比天奈爾止毛於毛部良寸
ねをのみそなくかくおもへはふなこかちとりはふなうたゝゝひてなにともおもへらす
音をのみぞ泣く。かく思へば、舟子、舵取は舟唄歌ひて、何とも思へらず。

曽乃宇多不宇多八
そのうたふうたは
その歌ふ唄は、

 者累乃ゝ爾天曽禰遠者奈久和可寸ゝ幾爾天幾留ゝゝ徒武多留奈遠於也ゝ末本留良无
はるのゝにてそねをはなくわかすゝきにてきるゝゝつむたるなをおやゝまほるらむ
春の野にてぞ 音をば泣く 若薄に 手切るきる 摘むだる菜を 親やまぼるらむ

志宇止女也久不良无加徒良也与武部乃宇奈為毛可那世爾己者武曽良己止遠之天
しうとめやくふらむかつらやよむへのうなゐもかなせにこはむそらことをして
姑や食ふらむ かつらや 昨夜のうなゐもがな 銭乞はむ 空言をして

越幾乃利和左遠之天世爾毛毛天己寸遠乃礼多爾己寸
をきのりわさをしてせにももてこすをのれたにこす
をぎのりわざをして 銭も持て来ず 己だに来ず

己礼奈良寸於保可礼止加ゝ須己礼良遠人乃和良不遠幾ゝ天宇美者安留礼止毛
これならすおほかれとかゝすこれらを人のわらふをきゝてうみはあるれとも
これならず多かれど、書かず。これらを人の笑ふを聞きて、海は荒るれども、

心者寸己之奈幾奴加久天由幾久良之天止末利爾以多利亭於幾那比止飛止利
心はすこしなきぬかくてゆきくらしてとまりにいたりておきなひとひとり
心はすこし凪ぎぬ。かくて行き暮らして、泊に到りて、翁人一人、

多宇女比止利安留可奈可爾心地安之美之天毛乃毛ゝ乃之多者天比曽万利奴
たうめひとりあるかなかに心地あしみしてものもゝのしたはてひそまりぬ
専女一人、あるが中に心地悪しみして、物もものし給ばで、ひそまりぬ。

十日个不者己乃奈者乃止万利爾止万利奴
十日けふはこのなはのとまりにとまりぬ
十日、今日は、この奈半の泊に泊りぬ。

十一日安可川幾爾舟遠以多之天武呂徒遠ゝ不人美那末多禰多礼者宇美乃安利也宇毛見衣寸
十一日あかつきに舟をいたしてむろつをゝふ人みなまたねたれはうみのありやうも見えす
十一日、暁に舟を出だして、室津を追ふ。人みなまだ寝たれば、海のありやうも見えず。

多ゝ月遠見天曽爾之比无可之遠者志利个留加ゝ留安比多爾美那与安个天ゝ安良比
たゝ月を見てそにしひむかしをはしりけるかゝるあひたにみなよあけてゝあらひ
ただ月を見てぞ、西東をば知りける。かかる間に、みな夜明けて、手洗ひ、

礼以乃己止ゝ毛之天比留爾奈利奴以万之者禰止以不所爾幾奴
れいのことゝもしてひるになりぬいましはねといふ所にきぬ
例の事どもして、昼になりぬ。今し、羽根といふ所に来ぬ。

和可幾和良波己乃所乃名遠幾ゝ天者禰止以不所者止利乃者禰乃也宇爾也安留止以不
わかきわらはこの所の名をきゝてはねといふ所はとりのはねのやうにやあるといふ
若き童、この所の名を聞きて、「羽根といふ所は鳥の羽根のやうにやある」と云ふ。

満多於左奈幾和良波乃己止奈礼者人ゝ和良不時爾安利个留女和良波奈无己乃哥遠与女留
またおさなきわらはのことなれは人ゝわらふ時にありける女わらはなむこの歌をよめる
まだ幼き童の言ことなれば、人々笑ふ時に、ありける女童なむ、この歌を詠める。

 満己止爾天奈爾幾久所者禰奈良者止不可己止久爾美也己部毛可那
まことにてなにきく所はねならはとふかことくにみやこへもかな
まことにて名に聞く所羽根ならば飛ぶがごとくに都へもがな

止曽以部留乎止己毛遠无奈毛以可天登久京部毛可那止思不心安礼者
とそいへるをとこもをむなもいかてとく京へもかなと思ふ心あれは
とぞ云へる。男も女も「いかでとく京へもがな」と思ふ心あれば、

己乃宇多与之止爾八安良禰止計爾止思天人ゝ和寸礼寸
このうたよしとにはあらねとけにと思て人ゝわすれす
この歌よしとにはあらねど、「げに」と思て、人々忘れず。

己乃者禰止以不所止不王良者乃徒以天爾曽又武可之乃人遠思以天ゝ
このはねといふ所とふわらはのついてにそ又むかしの人を思いてゝ
この羽根といふ所問ふ童のついでにぞ、又昔の人を思出でて、

伊川礼乃時爾可和寸留ゝ个不者満之天者ゝ乃加奈之可良留ゝ己止波
いつれの時にかわするゝけふはましてはゝのかなしからるゝことは
いづれの時にか忘るる。今日はまして、母の悲しからるることは。

久多利之時能人乃加寸多良禰者
くたりし時の人のかすたらねは
下りし時の人の数足らねば、

布留宇多爾加数者多良天曽加部留部良奈留止以不己止遠思以天ゝ人乃与女累
ふるうたにかすはたらてそかへるへらなるといふことを思いてゝ人のよめる
古歌に「数は足らでぞ帰るべらなる」といふ言を思出でて、人の詠める。

 世中爾思日也礼止毛己遠己不留於毛比爾万左留於毛比奈幾可那
世中に思ひやれともこをこふるおもひにまさるおもひなきかな
世中に思ひやれども子を恋ふる思ひにまさる思ひなきかな

止以比川ゝ奈无
といひつゝなむ
と云ひつつなむ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土左日記(土佐日記)原文 対比読下及び訳文付き (1)

2012年10月13日 | 資料書庫
土左日記 原文
対比読下及び訳文付き (1)

注意事項
 本ブログでは紀貫之著「土左日記」の原文を扱っています。今日の高校生や大学生が学ぶ、また、教科書や大学入試などに使われるテキストである藤原定家翻訳本「土佐日記」などとは違うものであることをご理解下さい。伝存する「土佐日記」は鎌倉時代以降の「土左日記」に対する翻訳本であって、そこには翻訳者の解釈を含んだものであることは研究からは明白ですし、本文に対する表記方法自体がまったくに違います。
 大学入学試験は入学と云うことが目的ですので、学問上の正誤の世界ではありません。従いまして、高校生のみなさんは本来の学問研究とは別物と理解し、入学と云う目的の為に藤原定家翻訳本「土佐日記」を勉学して下さい。なお、本ブログでは原文鑑賞を目的としており、鎌倉時代に成立した藤原定家翻訳本「土佐日記」などは扱っていません。

はじめに
 ここで紹介する「土左日記 原文」は、高千穂大学の経営学部教授 渋谷栄一氏が率いる渋谷栄一(国語・国文学)研究室の研究成果である「平成7年度文部省科学研究費補助金《研究成果報告書》研究種目一般研究(C)課題番号 07801057; 藤原定家自筆の仮名文字に関するテキストデータベースと画像データベースの作成研究『定家本「土左日記」本文の基礎的研究』」を使用させて頂いています。
 本来の原文表記は句読点も無い一行十四文字表記ですが、ここではその表記スタイルには従っていません。原文の表記スタイルについては『定家本「土左日記」本文の基礎的研究』を参照願います。
 次に、「対比読下及び訳文付き」は、入手が容易で広く知られている岩波文庫「土左日記 鈴木知太郎校注」を参考に使かわさせて頂いています。なお、「土左日記 原文」を参照し、音を示す借字による表記ではなく漢語として原文で漢字が使われているものは原文表記に従っています。また、原文の解釈で「訳文」が違うものもあります。つまり、岩波文庫「土左日記」そのものの引き写しにはなっていません。従いまして、鑑賞以外での使用については、注意をお願いいたします。
 なお、岩波文庫の「土左日記」は青谿書屋本(藤原為家自筆本系統)を底本にしています。このため、原文の底本となった前田家蔵書本(藤原定家自筆本)との「原文とその対比読下」において違う底本を使うことからの異同が生じている可能性があります。この異同の有無の検証は行っていません。
 参考に前田家蔵書本と青谿書屋本とでは、その表示が相違するものが相互にそれぞれ百廿八か所と三十七か所あるそうです。ただし、藤原定家は「无(mo)」の借字を意図的に「毛」や「裳」に換字しています。これが六六か所もありますので、他の場所でも「定家仮名遣い」に従い換字したものがあるでしょうが、全文一万一千七百九十余文字あまりに対しては大勢に影響はないものと考えます。

原文紹介の目的
 弊作業員は、ブログ「竹取翁と万葉集のお勉強」で紹介するように万葉集の歌を鑑賞しています。その鑑賞のため万葉集の歌の訓み、特に「之」の文字をどのように訓むかを自習しています。
 この自習において、万葉集に入らぬ歌を集めた古今和歌集を編纂した時代、その表裏として万葉集を完全に読めた時代、その時代の平安貴族はどのように「之」の文字を認識していたかを調べています。その過程において、既に「秋萩帖 伝小野道風筆」の第一紙 第一首及び第二首の原文をブログにて紹介しました。ここでは「土左日記 原文」を紹介し、紀貫之が「之」の文字をどのように訓んでいたかを推察する資料として提供したいと思います。なお、このような背景があるため、「土左日記」自体の研究ではないことを、ご了解下さい。
 弊作業員の数えではこの「土左日記 原文」では「之」の文字は三七六回、使われていています。そして、それは音を示す借字であり、訓みは「し」の音字だけです。ちなみに秋萩帖に収められた全四八首に「之」の文字は五四回使われ、それの訓みは全て「し」と読みます。これは、現在の校本万葉集を基にした「訓読み万葉集」が万葉集歌で使われる音字を示す借字(万葉仮名)の「之」の文字を「し」、「の」、「が」等と訓む姿とは、大きく違うものです。
 おまけですが、秋萩帖では「所」の文字は二三回使われ、それの訓みは全て「そ」と読みます。ところが、この「土左日記 原文」では「所」の文字は漢語の「所(=ところ)」として使われ、音を表す借字の「そ」は「曽」の文字が使われています。
 このような自習の目的にこれを整理しています。
 補足として、紀貫之の自筆本の題名は「土左日記」ですが、藤原定家以降の漢字混じり平仮名に翻訳されたものは自筆本との混同を避けるためか題名が「土佐日記」と改訂されています。現在、テキストとして採用されているものは、基本的に翻訳本の「土佐日記」であることは指摘するまでもありません。ただし、世界標準とするとき、それを原文とは称しません。


土左日記

乎止己毛春止以不日記止以不物遠ゝ武奈毛志天心美武止天寸留奈利
をとこもすといふ日記といふ物をゝむなもして心みむとてするなり
男もすといふ日記といふ物を、女もして心みむとて、するなり。

楚礼乃止之ゝ波数乃者川可安満利飛止比乃日乃以奴能時爾加止天数
それのとしゝはすのはつかあまりひとひの日のいぬの時にかとてす
それの年十二月の二十日あまり一日の日の戌の時に、門出す。

曽乃与之伊左ゝ加爾物耳加幾徒久
そのよしいさゝかに物にかきつく
そのよし、いささかにものに書きつく。

安留人安可多乃与止勢以徒止世者天ゝ礼以乃己止ゝ毛美奈志遠部天
ある人あかたのよとせいつとせはてゝれいのことゝもみなしをへて
ある人、県の四年五年果てて、例の事どもみなし終へて、

計由奈止ゝ利天寸武堂知与利以亭ゝ舟爾乃留部幾所部王多類
けゆなとゝりてすむたちよりいてゝ舟にのるへき所へわたる
解由など取りて、住む館より出でて、舟に乗るべき所へ渡る。

加礼己礼志留之良奴遠久利寸止之己呂与久ゝ良部川留人ゝ奈武和可礼可多具思日天
かれこれしるしらぬをくりすとしころよくゝらへつる人ゝなむわかれかたく思ひて
かれこれ、知る知らぬ、送りす。年来よく比べつる人々なむ、別れ難く思ひて、

新幾里爾止可久之徒ゝ乃ゝ之留宇知爾夜不个奴
しきりにとかくしつゝのゝしるうちに夜ふけぬ
しきりにとかくしつつ、ののしるうちに夜更けぬ。

廿二日爾以徒美乃久爾万天止太飛良可爾願堂川布知者良乃止幾左禰布奈地奈礼止
廿二日にいつみのくにまてとたひらかに願たつふちはらのときさねふな地なれと
廿二日に、和泉の国までと、平らかに願立つ。藤原時実、舟地なれど、

武万乃者那武个数加美之奈可毛恵飛安幾天以止安也之久志保宇美乃保止利爾天
むまのはなむけすかみしなかもゑひあきていとあやしくしほうみのほとりにて
餞す。上し中も、酔ひ飽きて、いとあやしく、潮海のほとりにて、

阿左礼安部里
あされあへり
あざれあへり。

廿三日也幾乃也寸乃利止以不人安利
廿三日やきのやすのりといふ人あり
廿三日、八木康則といふ人あり。

己乃人久爾ゝ加奈良寸之毛以飛徒可不毛乃爾毛安良春奈利
この人くにゝかならすしもいひつかふものにもあらすなり
この人、国に必ずしも云ひ使ふ者にもあらずなり。

己礼曽堂ゝ波之幾也宇爾天武満乃者那武个志多留加美可良爾也安良武
これそたゝはしきやうにてむまのはなむけしたるかみからにやあらむ
これぞ、たたはしきやうにて、餞したる。守がらにやあらむ。

久爾人乃心乃徒禰止之天以万者止天見衣寸奈留遠心安留物者波知寸曽奈武幾个留
くに人の心のつねとしていまはとて見えすなるを心ある物ははちすそなむきける
国人の心のつねとして、いまはとて、見えずなるを、心ある者は、恥ぢずぞなむ来ける。

己礼者毛乃爾与里天保武留爾之毛安良寸
これはものによりてほむるにしもあらす
これは物によりてほむるにしもあらず。

廿四日講師武万乃者那武个之爾以天万世利
廿四日講師むまのはなむけしにいてませり
廿四日、講師、餞しに出でませり。

安里止安留上下和良八末天恵比之礼天一文字遠多爾志良奴毛乃之加
ありとある上下わらはまてゑひしれて一文字をたにしらぬものしか
ありとある上下童まで、酔ひしれて、一文字をだに知らぬ者しが、

安之者十文字爾布美天曽安曽不
あしは十文字にふみてそあそふ
足は十文字に踏みてぞ遊ぶ。

廿五日加美乃堂知与利与比爾布美毛天幾多奈利
廿五日かみのたちよりよひにふみもてきたなり
廿五日、守の館より、呼びに文持て来たなり。

与者礼天以多利天日飛止比与比止与止可久安曽不也宇爾天安个爾个利
よはれていたりて日ひとひよひとよとかくあそふやうにてあけにけり
呼ばれて到りて、日一日、夜一夜、とかく遊ぶやうにて明けにけり。

廿六日猶加美乃多知爾天安留爾安留之ゝ能ゝ之利天郎等末天爾毛乃加徒个多利
廿六日猶かみのたちにてあるにあるしゝのゝしりて郎等まてにものかつけたり
廿六日、猶、守の館にてあるに、饗応し、ののしりて、郎等までに物かづけたり。

加良宇多己恵安計天以飛个利也万止宇太安留之毛満良宇止毛己止人毛以比安部利个利
からうたこゑあけていひけりやまとうたあるしもまらうともこと人もいひあへりけり
漢詩、声上げて云ひけり。和歌、主人も、客人も、他人も云ひあへりけり。

加良宇多者己礼爾衣加ゝ寸也万止宇多安留之乃加美乃与女利个留
からうたはこれにえかゝすやまとうたあるしのかみのよめりける
漢詩は、これにえ書かず。和歌、主人の守の詠めりける、

 美也己以天ゝ幾美爾安者武止己之物遠己之可比毛奈久和可礼奴留可那
みやこいてゝきみにあはむとこし物をこしかひもなくわかれぬるかな
都出でて君に逢はむと来し物を来しかひもなく別れぬるかな

止奈无安利个礼者加部留左幾乃可美乃与女利个累
となむありけれはかへるさきのかみのよめりける
となむありければ、帰る前の守の詠めりける

 志呂多部乃浪地遠止遠久由幾可日天和礼爾ゝ部幾者太礼奈良奈久爾
しろたへの浪地をとをくゆきかひてわれにゝへきはたれならなくに
白妙の浪地を遠く行き交ひて我に似べきは誰ならなくに

己止人ゝゝ乃毛安利个礼止佐可之幾毛奈可留部之
こと人ゝのもありけれとさかしきもなかるへし
他人々のもありけれど、さかしきもなかるべし。

止可久以比天左幾乃加美以末乃毛ゝ呂止毛爾於里天
とかくいひてさきのかみいまのもゝろともにおりて
とかく云ひて、前の守、今のも、もろともに下りて、

今乃安留之毛左幾乃毛手止利可者之天恵比己止爾心与个奈留己止之天以天爾个利
今のあるしもさきのも手とりかはしてゑひことに心よけなることしていてにけり
今の主人も、前のも、手取り交はして、酔言に心よげなることして、出でにけり。

廿七日於保川与利宇良止遠左之天己幾以徒
廿七日おほつよりうらとをさしてこきいつ
廿七日、大津より浦戸をさして漕ぎ出づ。

加久数留宇知爾京爾天宇万礼多利之遠无奈己久爾ゝ天爾和可爾宇世爾之加者
かくするうちに京にてうまれたりしをむなこくにゝてにわかにうせにしかは
かくするうちに、京にて生まれたりし女児、国にて俄かに失せにしかば、

己乃己呂乃以天多知以曽幾遠見礼止奈爾己止毛以者須京部加部留爾
このころのいてたちいそきを見れとなにこともいはす京へかへるに
このころの出で立ち、いそぎを見れど、何言も云はず、京へ帰るに、

遠无奈己乃奈幾乃美曽加奈之比己不留
をむなこのなきのみそかなしひこふる
女児の亡きのみぞ悲しび恋ふる。

安留人ゝ毛衣多部寸己乃安飛多爾安累飛止乃加幾天以多世留宇多
ある人ゝもえたへすこのあひたにあるひとのかきていたせるうた
ある人々もえ堪へず。この間に、ある人の書きて出だせる歌、

美也己部止思不毛乃ゝ加奈之幾者加部良奴人乃安礼者奈利个利
みやこへと思ふものゝかなしきはかへらぬ人のあれはなりけり
京へと思ふものの悲しきは帰らぬ人のあればなりけり

又安留時爾者
又ある時には
又、ある時には、

 安累毛乃止和寸礼川ゝ猶奈幾人遠以徒良止ゝ不曽加奈之可利个留
あるものとわすれつゝ猶なき人をいつらとゝふそかなしかりける
あるものと忘れつつ、なほ、亡き人をいづらと問ふぞ悲しかりける

止伊比个留安比多爾加己乃左幾止以不止己呂爾
といひけるあひたにかこのさきといふところに
と云ひける間に、鹿児の崎と云ふ所に、

加美乃者良可良又己止人己礼可礼左計奈爾止毛天遠比幾天以曽爾於里為天
かみのはらから又こと人これかれさけなにともてをひきていそにおりゐて
守の同胞、又、他人、これかれ酒なにと持て追ひ来て、磯に下り居て、

和可礼可多幾己止遠以不加美乃多知乃人ゝ乃奈可爾己乃幾多留人ゝ曽
わかれかたきことをいふかみのたちの人ゝのなかにこのきたる人ゝそ
別れがたきことを云ふ。守の館の人々のなかに、この来たる人々ぞ

己ゝ呂安留也宇爾以者礼本乃女久加久和可礼可多久以比天
こゝろあるやうにいはれほのめくかくわかれかたくいひて
心あるやうに云はれほのめく。かく別れがたく云ひて、

加乃比止ゝゝ乃久知安三毛ゝ呂者知爾天己乃宇美部爾天爾奈比以多世留宇多
かのひとゝゝのくちあみもゝろはちにてこのうみへにてになひいたせるうた
かの人々の口網ももろはちにて、この海辺にて、担ひ出だせる歌、

 於之止思不人也止万留止安之可毛乃宇知武礼天己曽和礼者幾爾个礼
おしと思ふ人やとまるとあしかものうちむれてこそわれはきにけれ
惜しと思ふ人やとまると葦鴨のうち群れてこそ我は来にけれ

止以比天安利个礼者以止以多久女天ゝ由久人乃与女利个留
といひてありけれはいといたくめてゝゆく人のよめりける
と言ひてありければ、いといたく愛でて、行く人の詠めりける、

 佐乎左世止曽己比毛志良奴和多川美乃婦可幾心遠幾美爾見留可那
さをさせとそこひもしらぬわたつみのふかき心をきみに見るかな
棹させど底ひも知らぬわたつみの深き心を君に見るかな

止以不安比多爾加知止利物乃安者礼毛之良天遠乃礼之左个遠久良日徒礼者
といふあひたにかちとり物のあはれもしらてをのれしさけをくらひつれは
と云ふ間に、楫取もののあはれも知で、己し酒を食らひつれば、

波也久以奈武止天志本美知奴風毛布幾奴部之止左和計八舟爾乃利奈无止寸
はやくいなむとてしほみちぬ風もふきぬへしとさわけは舟にのりなむとす
早く往なむとて、「潮満ちぬ。風も吹きぬべし」と騒げば、舟に乗りなむとす。

己乃於利爾安留比止ゝゝ於里不之爾徒遣天加良乃宇多止毛時爾ゝ川可者之幾以不
このおりにあるひとゝゝおりふしにつけてからのうたとも時にゝつかはしきいふ
この折に、ある人々、折節につけて、漢詩ども、時に似つかはしき云ふ。

又安留人爾之久爾奈礼止加飛宇多奈止以不
又ある人にしくになれとかひうたなといふ
また、ある人「西国なれど、甲斐歌」など云ふ。

加久宇多不爾布奈也可堂乃知利毛曽良由久ゝ毛ゝ堂ゝ与日奴止曽以不奈留
かくうたふにふなやかたのちりもそらゆくゝもゝたゝよひぬとそいふなる
かく歌ふに、「船屋形の塵も空行く雲ゝ漂ひぬ」とぞ云ふなる。

己与比宇良止爾止末留布知者良乃止幾左禰多知者那乃春恵比良己止人ゝ遠比幾太利
こよひうらとにとまるふちはらのときさねたちはなのすゑひらこと人ゝをひきたり
今宵、浦戸に泊る。藤原時実、橘末平、他人々、追ひ来たり。

廿八日宇良止与利己幾以天ゝ於保美那止遠ゝ不
廿八日うらとよりこきいてゝおほみなとをゝふ
廿八日、浦戸より漕ぎ出でて、大湊を追ふ。

己乃安比多爾者也久乃可美乃己山久知能千美禰左計与幾物止毛ゝ天幾天布禰爾以礼多利
このあひたにはやくのかみのこ山くちの千みねさけよき物ともゝてきてふねにいれたり
この間に、はやくの守の子、山口千峯、酒、美物ども持て来て、船に入れたり。

由久ゝゝ乃美久不
ゆくゝゝのみくふ
ゆくゆく、飲み食ふ。

廿九日於保美奈止爾止万礼利具春之布利者部天止宇曽白散左遣久者部天毛亭幾多利
廿九日おほみなとにとまれりくすしふりはへてとうそ白散さけくはへてもてきたり
廿九日、大湊に泊れり。医師、振り放へて、屠蘇、白散、酒加へて持て来たり。

心佐之安留爾ゝ多利
心さしあるにゝたり
志あるに似たり。
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

万葉雑記 色眼鏡 その五 和歌技法「本歌取り」

2012年10月07日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 その五 和歌技法「本歌取り」

 和歌の作歌技法に「本歌取り」と云う技法が、あります。これをフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に参照すると、つぎのような解説があります。

本歌取(ほんかどり)とは、歌学における和歌の作成技法の一つで、有名な古歌(本歌)の一句もしくは二句を自作に取り入れて作歌を行う方法。主に本歌を背景として用いることで奥行きを与えて表現効果の重層化を図る際に用いた。
例えば、
 古今和歌集 巻2-94番歌 紀貫之
三輪山を しかも隠すか 春霞 人に知られぬ 花や咲くらむ
 万葉集 巻1-18番歌 額田王
三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも かくさふべしや
この、二作品を比較すれば明らかなように、貫之は額田王の第一句・第二句をそのまま採用して、第三句以後を自作としている。
こうした本歌取については様々な受け取り方があった。六条藤家の藤原清輔はこれを「盗古歌」(こかをとる)ものとして批判的に評価した。これに対して御子左家の藤原俊成はこれを表現技法として評価している。
俊成の子・藤原定家は、「近代秀歌」・「詠歌大概」において、本歌取の原則を以下のようにまとめている。
 本歌と句の置き所を変えないで用いる場合には二句未満とする。
 本歌と句の置き所を変えて用いる場合には二句+三・四字までとする。
 著名歌人の秀句と評される歌を除いて、枕詞・序詞を含む初二句を、本歌をそのまま用いるのは許容される。
 本歌とは主題を合致させない。
 本歌として採用するのは、三代集・「伊勢物語」・「三十六人家集」から採るものとし、(定家から見て)近代詩は採用しない。

と紹介があります。ここで、この解説から「本歌取」の技法で最重要なことは、「本歌を背景として用いることで奥行きを与えて表現効果の重層化を図る際に用いた」技法であることから、本歌は皆が知る歌でなければなりません。つまり、本歌取の技法が成立するには、古歌(本歌)が十分に和歌を詠う人々に認識されている必要があります。従いまして、特定少数の人だけが古歌を知るのではなく、広く人々が知るためにも古歌が載る歌集が存在して流布している必要があります。和歌の専門家の間では、この本歌取の技法が成立するための要請上、万葉集の歌が詠われた時代では古歌が載る歌集の流布問題から、まだ、本歌取の技法は成立しないと考えられているようです。そのためか、先の参考例として取り上げた紀貫之が詠う「三輪山を しかも隠すか 春霞 人に知られぬ 花や咲くらむ」の歌を本歌取の技法が使われた、早い時期のものと考えるようです。
 本歌取の技法については、平安時代中期から後期には「詠み益し」と云う名称で知られ、「引用した古歌を越えるものなら良い」と云う立場で「古歌引用」した歌が詠われていたようです。およそ、「本歌取」と云う技法名称とは別に、紀貫之たちが活躍した「古今和歌集」の時代前後には「詠み益し」と云う形で本歌取の技法は始まっていたと推定されています。紀貫之の歌の例の他に古今和歌集には次のような歌も見つけることが出来ます。

古今和歌集 852番歌 題しらず 読人知らず
須磨の海人の塩やく煙風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり

万葉集 巻7-1246番歌 読人知らず
原文 之加乃白水郎之 燒塩煙 風乎疾 立者不上 山尓軽引
訓読 志賀の海人し塩焼く煙風を疾(と)く立ちは上らず山に棚引く

ここで山口女王が大伴家持に贈った歌を紹介しようと思います。この歌は山口女王が詠ったものです。

山口女王賜大伴宿祢家持謌五首より一首を選抜したもの
集歌616 劔大刀 名惜雲 吾者無 君尓不相而 年之經去礼者
訓読 剣太刀(つるぎたち)名(な)し惜しけくも吾はなし君に逢はずて年し経ぬれば

この歌の解釈を身近な万葉集解説書から探してみますと、次のような解釈を見つけることが出来ました。

解釈1;新日本古典文学大系 岩波書店
(剣太刀)名などは私には惜しくはありません。あなたに逢わず年が経ったので。

解釈2;日本古典文学全集 小学館
(剣太刀)立つ名の惜しいことも、もうわたしにはありません あなたに逢わずに 年が経たので
解説;剣太刀 名の枕詞。刃の古語ナと名をかけた語という

解釈3;新潮日本古典集成
浮名が立つのを惜しがる気持ちは、もう私にはありません。あなたに逢わずにこんなに年月が経ったものですもの。
解説;剣太刀 「名」にかかる枕詞。刃(カタナ)のナは刃の意。このナと「名」とをかけたもの。

解釈4;万葉集 伊藤博 集英社文庫
浮名が立つのを惜しがる気持ちは、もう私にはありません。あなたに逢わずにこんなに年月が経ったものですもの。
解説;剣太刀 名の枕詞。「刃」の「な」は刃の意。この「な」と「名」とをかけたものかという。

解釈5;万葉集 全訳注原文付 中西進 講談社文庫
りっぱな剣太刀の名など私は惜しくありません。あなたにお逢いせず年月もたっていきましたので。
解説;刃物をナという(カタナ・カンナ・ナタ)によってつづく。

 これらの解釈は共通して、解釈1の新日本古典文学大系では明確には説明されていませんが、初句の「劔大刀」を枕詞として歌を解釈しています。ただ、枕詞とした時、その理由付けに「発声」には関係しない「剣太刀 名の枕詞。刃の古語ナと名をかけた語という」と云うような苦しい解説を行う必要があります。それに万葉集歌の中で「剣太刀」や「釼刀」と表記され、「つるぎたち」と訓む言葉が特定の言葉「名」を修辞するかと云うとそうではありません。例として、次のような句を万葉集から見つけることが出来ます。
劔太刀 身尓取副常 つるぎたち みにとりそふと
剱刀 身尓佩副流 つるぎたち みにはきそふる
釼刀 諸刃利 つるぎたち もろはのときに
釼刀 名惜 つるぎたち なしおしけくも
釼 従鞘納野迩 つるぎたち さやゆいりのに

 以前、色眼鏡 その四 枕詞「あしひき」の与太話で、万葉集の歌には新古今和歌集以降の和歌修辞技法の内の枕詞技法を一律に適用するには無理があると提起しました。その観点からは、一字一音の借字での真仮名表記法ではない、山口女王が詠う集歌616の歌の「劔大刀」を枕詞で処理できるか、どうか確認する必要があると考えます。それに、一番の問題は、この歌を詠ったのは女性である山口女王であって、男性では無いことです。そうした時、女性が自分の名の形容に殿上人たる大夫を示唆する「劔大刀」の言葉を使うか、どうかです。まず、「劔大刀」の言葉を枕詞とするには無理があるのではないでしょうか。

 ここで、山口女王が詠う集歌616の歌が「本歌取」の技法の歌と考えたら、どうでしょうか。この視線で万葉集を見てみますと、本歌と推定される歌が万葉集の人麻呂歌集の中に収められています。それが次に示す歌です。

集歌2499 我妹 戀度 釼刀 名惜 念不得
訓読 我妹子し恋ひしわたれば剣太刀(つるぎたち)名し惜しけくも思ひかねつも

 原文の漢字表記では「釼刀 名惜」と「劔大刀 名惜雲」との違いはありますが、訓読みでは共に「剣太刀名し惜しけくも」と読むことが出来ます。集歌616の歌が「本歌取」の技法の歌ですと、集歌2499の歌がその本歌と推定されます。なお、集歌2499の歌は集歌2498の歌との二首相聞歌として解釈するのが良いと考えます。従いまして、「本歌取」の技法での「本歌を背景として用いることで奥行きを与える」と云う狙いがあるのなら、本歌取での本歌の世界は集歌2498と集歌2499との歌、二首相聞歌として鑑賞・理解する必要があると思います。

集歌2498 釼刀 諸刃利 足踏 死ゞ 公依
訓読 剣太刀(つるぎたち)諸刃(もろは)し利(と)きに足踏みて死なば死なむよ君し依(よ)りては
私訳 貴方が常に身に帯びる剣や太刀の諸刃の鋭い刃に足が触れる、そのように貴方の“もの”でこの身が貫かれ、恋の営みに死ぬのなら死にましょう。貴方のお側に寄り添ったためなら。

集歌2499 我妹 戀度 釼刀 名惜 念不得
訓読 我妹子し恋ひしわたれば剣太刀(つるぎたち)名し惜しけくも思ひかねつも
私訳 剣を鞘に収めるように私の愛しい貴女を押し伏せて抱いていると、剣や太刀を身に付けている大夫たる男の名を惜しむことも忘れてしまいます。

 当然、山口女王が詠う集歌616の歌が本歌取の技法の歌とする時、大きな問題が生じます。本歌取の技法の歌が成立するには、先行する古歌(本歌)が和歌を詠う人々に認識されている必要があります。つまり、古歌(本歌)が収容される人麻呂歌集が書籍などのような形で流布している必要があります。
 ではその可能性はあるでしょうか。そうした時、本歌取の技法に適う歌を万葉集に探してみると、次のような歌を見つけることが出来ます。

笠女郎の大伴宿祢家持に贈れる謌廿四首より抜粋
抜粋1;
集歌593 君尓戀 痛毛為便無見 楢山之 小松之下尓 立嘆鴨
訓読 君に恋ひ甚(いた)も便(すべ)なみ平山(ならやま)し小松し下(した)に立ち嘆くかも
私訳 貴方に恋い慕ってもどうしようもありません。奈良山に生える小松の下で立ち嘆くでしょう。
本歌
集歌2487 平山 子松末 有廉叙波 我思妹 不相止看
訓読 平山(ならやま)し小松し末(うれ)しうれむそは我が思(も)ふ妹し逢はず看(み)む止(や)む
私訳 奈良山の小松の末(うれ=若芽)、その言葉のひびきではないが、うれむそは(どうしてまあ)、成長した貴女、そのような私が恋い慕う貴女に逢えないし、姿をながめることも出来なくなってしまった。

抜粋2;
集歌603 念西 死為物尓 有麻世波 千遍曽吾者 死變益
訓読 念(おも)ふにし死するものにあらませば千遍(ちたび)ぞ吾は死に返(かへ)らまし
私訳 閨で貴方に抱かれて死ぬような思いをすることがあるのならば、千遍でも私は死んで生き返りましょう。
本歌
集歌2390 戀為 死為物 有 我身千遍 死反
訓読 恋するに死するものしあらませば我が身千遍(ちたび)し死にかへらまし
私訳 貴方に抱かれる恋の行いをして、そのために死ぬのでしたら、私の体は千遍も死んで生き還りましょう。

 山口女王が詠う集歌616の歌、笠女郎が詠う集歌593と集歌603の歌が、人麻呂歌集の歌の句と偶然の一致でないのなら、これらの歌は人麻呂歌集の歌を本歌とした本歌取技法の歌となります。逆に、この技法が成立することから推測すると、奈良時代中期の歌人たちは人麻呂歌集の歌を知ることが必然の教養となっていたと考えられます。
 当然、専門家はこのような歌句の類似は良く知っています。しかしながら、この「歌句の類似」は万葉集の研究では「類型歌」として扱われ、「本歌取の技法を使った歌」としては扱いません。専門家は「本歌取の技法を使った歌」は紀貫之以降と云う約束があるようです。しかし、「剣太刀、名し惜しけくも」と云うフレーズが共通表現の頻度の高いものかと云うそうではありません。枕詞の検証例で示しましたが、非常に特殊な表現です。ですから、類型歌とするには無理があると考えます。

 ここで、万葉集の歌もまた本歌取の技法で詠われた歌が成立すると云う立場で、再度、山口女王が詠う集歌616の歌を見てみたいと思います。この時、本歌は集歌2499の歌となります。集歌2499の歌の「剣太刀」の言葉は「殿上人たる大夫の身分を持つ男」を意味します。集歌2498と集歌2499との歌が二首相聞歌の関係としますと、女から見て「剣太刀」たる男は「女に死ぬほどの思いでの性愛の喜びを夜通し与える男」です。これが、山口女王が詠う「剣太刀」の情景です。
 従いまして、集歌616の歌の初句「剣太刀」は「大夫たる男」=「大伴家持」を意味し、さらに、以前に「山口女王に死ぬほどの思いでの性愛の喜びを夜通し与えた男」をも示唆することになります。

山口女王賜大伴宿祢家持謌五首より一首を選抜したもの
集歌616 劔大刀 名惜雲 吾者無 君尓不相而 年之經去礼者
訓読 剣太刀(つるぎたち)名(な)し惜しけくも吾はなし君に逢はずて年し経ぬれば
私訳 柿本人麻呂たちが歌に詠う、その「剣太刀」のような貴方。私にはもう淑女でなければならないと云う女の評判を惜しむと云う気持ちは、もう、ありません。貴方に逢えないままに年月が過ぎて往きましたから。

標準的な現代語訳 「万葉集 伊藤博 集英社文庫」より
意訳 浮名が立つのを惜しがる気持ちは、もう私にはありません。あなたに逢わずにこんなに年月が経ったものですもの。


 本歌取の技法が成り立つとすると、この歌は、世のしがらみや相性などの理由で一人の男を奪い合う女同士の戦いに負けた女が、愛されなくても良いから、せめてもう一度、一夜の愛欲に溺れさせて欲しいと願う歌となるのではないでしょうか。
 本来、集歌616の歌は五首一組の歌です。五首連続で鑑賞すると、男に性愛の喜びを教えられ、そして、身も心も満ち足りた時、その男は他の女へと去って行った、その若い女の悲鳴が聞こえて来るのではないでしょうか。大伴家持は、この山口女王との罪作りな恋愛に前後して、笠女郎にもまた女に捨てられた悲鳴のような歌を作らせています。大伴家持は、この頃に、山口女王や笠女郎から大伴坂上大嬢へと愛情を移しています。

山口女王の大伴宿祢家持に贈れる謌五首
集歌613 物念跡 人尓不見常 奈麻強 常念弊利 在曽金津流
訓読 もの念(おも)ふと人に見えじとなまじひし常し念(おも)へりありぞかねつる
私訳 物思いをしていると人からは見えないようにと生半可に我慢して、貴方を常に慕っています。生きているのが辛くてたまりません。

集歌614 不相念 人乎也本名 白細之 袖漬左右二 哭耳四泣裳
訓読 相念(おも)はぬ人をやもとな白栲し袖漬(ひづ)つさへに哭(ね)のみし泣くも
私訳 私を慕ってもくれない人をいたずらに恋い慕い、夜着の白い栲の袖を濡れそぼるほどに忍び泣きします。

集歌615 吾背子者 不相念跡裳 敷細乃 君之枕者 夢尓見乞
訓読 吾が背子は相念(おも)はずとも敷栲の君し枕は夢(いめ)に見えこそ
私訳 私の愛しい貴方は私のことを愛してくれなくとも、床に敷く栲の上で共寝するでしょう貴方の、その枕姿だけでも、私の夢の中に見えて欲しい。

集歌616 劔大刀 名惜雲 吾者無 君尓不相而 年之經去礼者
訓読 剣太刀(つるぎたち)名(な)し惜しけくも吾はなし君に逢はずて年し経ぬれば
私訳 柿本人麻呂たちが歌に詠う、その「剣太刀」のような貴方。私にはもう淑女でなければならないと云う女の評判を惜しむと云う気持ちは、もう、ありません。貴方に逢えないままに年月が過ぎて往きましたから。

集歌617 従蘆邊 満来塩乃 弥益荷 念歟君之 忘金鶴
訓読 葦辺(あしへ)より満ち来る潮のいや増しに念(おも)へか君し忘れかねつる
私訳 葦の生える岸辺に満ち来る潮のように、ひたひたと満ち来る貴方への慕情でしょうか。私は貴方が忘れられません。

おまけの一首
山口女王賜大伴宿祢家持謌一首
標訓 山口(やまくちの)女王(おほきみ)の大伴宿祢家持に賜(たまは)れし謌一首
集歌1617 秋芽子尓 置有露乃 風吹而 落涙者 留不勝都毛
訓読 秋萩に置きたる露の風吹きて落つる涙は留(とど)めかねつも
私訳 名残の秋萩に置いている露が、風が吹いてこぼれ落ちるように、貴方に逢えない寂しさに私の瞳からこぼれ落ちる涙は留めることができません。

 さて、歌の鑑賞は、鑑賞者の心です。剣太刀の言葉を枕詞とするか、本歌取の一部とするかは、皆さんの鑑賞に委ねます。

 参考として、山口女王や笠女郎は、ほぼ同じ時期(天平十年前後?)に、人麻呂歌集の集歌2498と集歌2499との二首相聞歌を題材に歌物語のような歌群を大伴家持に対して詠っています。偶然の一致としては出来すぎでしょうか。
 穿って考えると、元正太上天皇のサロンで歌会のような宴があり、そこで山口女王や笠女郎たちが歌会の相手となる男達に対して歌物語を競ったのかもしれません。その歌の記録者は内舎人の家持でしょうか。なぜか、このような可能性を空想してしまいます。山口女王の歌五首や笠女郎の歌廿四首は、歌物語として鑑賞すると非常に楽しい歌群で、これに地文を付けると、ある種、長編小説のように鑑賞することが出来ると思います。歌物語かも知れないと云う色眼鏡で、鑑賞をしてみてください。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする