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竹取翁と万葉集のお勉強

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「和歌とは何か」 渡部泰明 岩波新書 を読む

2009年08月21日 | 万葉集 雑記
「和歌とは何か」 渡部泰明 岩波新書 を読む

 庶民が個々人の直感で和歌を楽しむレベルから、多数との繋がりを持った楽しみにレベルアップをするとき、和歌での約束事を知らなければいけないようです。例えば、「枕詞」、「序詞」、「掛詞」や「本歌取り」といった技法です。それらを詳しく解説した本に東京大学文学部教授の渡部泰明氏が著す「和歌とは何か」(岩波書店 本体780円)の本があります。この本は、平成二十一年七月に出版された最新の書物で、普段の私たちのために「和歌の成り立ち」を判り易く解説されたものです。
 さて、和歌の成り立ちで重要な要素である「枕詞」について、渡部泰明氏が著す「和歌とは何か」から、その枕詞の説明を見ていますと、「枕詞」は和歌一首の中での「詞の孤立性」の有無で判断するようです。
 その「詞の孤立性」の概念を説明するものを「和歌とは何か」から抜粋して紹介します。(I-1 枕詞 P27-28)

『例えば、

うつせみの人目を繁(しげ)み石橋(いしはし)の間(ま)近(ぢか)き君に恋ひわたるかも
(万葉集・巻四・五九七・作者未詳)
世間の人目をはばかって、イシバシノ間近にいるあなたに、逢えなくて恋い慕うばかり。

のうち、枕詞はどれだろうか。「うつせみの」だと思ったなら、あなたは詳しい人だ。確かに「うつせみの」は、「世」「人」などにかかる枕詞である。ただこの「うつせみの人目を繁み」の「うつせみの」は、「世間の人の(人目)」という意味を持っていて、一首の文脈の中で生かされている、と見ることもできる。それゆえ、これを枕詞とはしないという説もあるくらいである。それよりむしろ、第三句の「石橋の」の方がまぎれもない枕詞である。おや、変だ、と思うだろうか。枕詞は「実質的な意味がない」のではなかったろうか。「石橋」はいわゆる飛び石のことであって、きちんと意味がある。そしてその間隔が短いことから、「間近し」の枕詞となっている。石橋は、それ自体としては意味のはっきりした言葉だが、一首全体の趣意とはまったく関係なく、ただ「間近し」を導き出すだけに機能していて、やはり孤立的である。この点こそが、枕詞だと認定する最大の根拠である。』

と説明されています。

 この説明を見ただけでも、学問における万葉集の研究と普段の私たちの万葉集の鑑賞とでは、当たり前ですが、相当な相違があります。その広大な相違を埋めるために無謀ですが、少し、素人なりの解説をしてみたいと思います。
 先に示された「枕詞」に対する例題の歌は、天平十三年の山背国大養徳(やまと)恭仁(くに)大宮(おほみや)(京都府加茂・木津付近)の造営時代のものです。そして、それは笠女郎が木津川のほとりにある恭仁大宮で建設に従事している恋人の大伴家持に贈った歌二十四首の中の一首です。笠女郎の歌の流れからすると、どうも、一度は関係があった二人ですが家持は笠女郎との恋から逃げ出したようで、最後には別れの歌を家持は笠女郎に贈っています。その別れの歌が集歌611と612の歌です。

笠女郎贈大伴宿祢家持謌廿四首より抜粋
標訓 笠女郎の大伴宿祢家持に贈れる歌二十四首より
抜粋
集歌597 宇都蝉之 人目乎繁見 石走 間近尓 戀度可聞
訓読 うつせみの人目を繁(しげ)み石(いは)走(はし)の間(あひだ)近くに恋ひわたるかも

中略

集歌609 従情毛 我者不念寸 又更 吾故郷尓 将還来者
訓読 情(こころ)ゆも我は念(おも)はずきまたさらに吾が故郷(ふるさと)に還(かへ)り来(こ)むとは

集歌610 近有者 雖不見在乎 弥遠 君之伊座者 有不勝自
訓読 近くあれば見ねどもあるをいや遠く君が座(いま)さば有りかつましじ
右二首、相別後更来贈
注訓 右の二首は、相別れし後に更来(また)贈れり

大伴宿祢家持和歌二首
標訓 大伴宿祢家持の和(こた)へたる歌二首
集歌611 今更 妹尓将相八跡 念可聞 幾許吾胸 欝悒将有
訓読 今さらに妹に逢はめやと念(おも)へかもここだ吾が胸(むね)欝悒(いぶせ)くあるらむ

集歌612 中々者 點毛有益呼 何為跡香 相見始兼 不遂尓
訓読 なかなかに黙然(もだ)もあらましを何すとか相見そめけむ遂(と)げざらまくに

なぜ、確定的に大伴家持が天平十三年に木津川のほとりにある恭仁大宮で建設に従事していたかは、次の家持が紀女郎に贈った歌の「黒木乃屋根者」の詞が理由です。

集歌779 板盖之 黒木乃屋根者 山近之 明日取而 持将参来
訓読 板葺(いたふき)の黒木(くろき)の屋根(やね)は山近し明日(あした)取りて持ちて参(ま)ゐ来(こ)む
私訳 板葺きの黒木の屋根の新嘗宮のある恭仁(くに)の都は平山(ならやま)に近いので、明日、黒木に因む尾花を取って貴女の許に持参しましょう。

 従って、例題の集歌597の歌を渡部泰明氏は「作者未詳」とされていますが、この歌は笠女郎が詠った歌二十四首の十一番目に配置されていたための見落としと思われます。
 さて、集歌597の歌は奈良の平城京に住む笠女郎が木津川のほとりで恭仁大宮を建設している大伴家持に贈った歌ですから、二人が思う川は木津川です。こうしたとき、渡部泰明氏は原文の「石走」を「いははしの」と音字で読んで「石橋の」と訓読みされていますが、その訓読みが正しいかどうかに疑問が生じます。そこで、万葉集全体で「石走」の詞を見てみますと、「石走」の漢字表記は全部で十首、「石走」を表現したと思われる「伊波婆之流」が一首、類語の「石流」が一首、を見つけることが出来ます。ところが、万葉集での「石走」やその類語の「石流」の表現する世界は、河底の岩や石が顔をのぞかせるような浅瀬を水が水しぶきを上げながら水量豊かに流れ下る状況を示しています。せせらぎの小川に石を置き「飛び石の橋」とした情景ではありません。
 可能性として集歌1126の歌の「石走」を「石橋」と読めるかも知れません。ところが、当時の明日香川は、大伴旅人が詠う集歌969の歌から推測して、都市開発の進行により荒廃が進み、淵は埋まり瀬の水量も減ったようです。こうしたとき、集歌1126の歌の「石走」を「石橋」と読んだとしても二重の意味を持ちます。「浅瀬の水しぶきを上げて流れる情景はもう無い」であり、「自然の浅瀬の岩を飛び越え、飛び越え渡った面影は、水量も減りもう無い」です。つまり、一義的に「石橋」を意味しないと思いますし、漢字の用字からも「石橋」の意味合いはありません。漢字の用字からは「水が石の上を走る」です。

集歌1126 年月毛 末經尓 明日香河 湍瀬由渡之 石走無
訓読 年月もいまだ経(へ)なくに明日香川瀬々(せせ)ゆ渡しの石(いは)走(はし)も無み

集歌969 須臾 去而見牡鹿 神名火乃 淵者淺而 瀬二香成良武
訓読 須臾(しましく)も去(い)きて牡鹿(しか)見む神南備(かむなび)の淵(ふち)は浅(あ)さびて瀬にかなるらむ

 すると、

うつせみの人目を繁(しげ)み石橋(いしはし)の間(ま)近(ぢか)き君に恋ひわたるかも

と解釈して「石走」を孤立語とする説明は成り立たなくなります。笠女郎にとって最重要なことは「石走 間近尓 戀度可聞」の私の訓読である「石(いは)走(はし)の間(あひだ)近くに恋ひわたるかも」です。この「石(いは)走(はし)の間(あひだ)近くに」は、明らかに木津川のほとりにある恭仁大宮にいる恋人の大伴家持のことを比喩していますから、その家持に「恋ひわたるかも」なのです。
 すると、歌本来の意味は次のようなものになるのではないでしょうか。

集歌597 宇都蝉之 人目乎繁見 石走 間近尓 戀度可聞
訓読 うつせみの人目を繁(しげ)み石(いは)走(はし)の間(あひだ)近くに恋ひわたるかも
私訳 私の振舞いを見る多くの世間の人の目を感じますが、浅瀬を水が跳ね流れる木津川のほとりにある恭仁大宮にいる貴方に私は緊密に恋し慕っています。

 素人は素人なのでしょう。このように「背の君」と呼ぶことが出来ない片思いの女性の歌と私は解釈しましたが、そのように解釈するのではないようです。そのために、最後まで集歌597の歌に「詞の孤立性」のあるものを見つけることは出来ませんでした。
 結果、私には理解できませんでしたが、渡部泰明氏の著す「和歌とは何か」は、このような視点から書かれています。和歌の原点である万葉集を楽しまれる方は、是非、中西進氏の「万葉集」の原文と照らし合わせながら読まれることをお勧めします。きっと、万葉集の鑑賞に新たな視点が付け加えられると思いますし、専門家の万葉集の研究や解釈と普段の私たちの万葉集の鑑賞の乖離を知ることが出来ます。

 長い間、こんな学問を知らない素人の酔論に、お付き合いいただきありがとうございました。


例‐一 「石走」の漢字表記
集歌29 玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世従 (或云 自宮) 阿礼座師 神之書 樛木乃 弥継嗣尓 天下 所知食之乎 (或云 食来) 天尓満 倭乎置而 青丹吉 平山乎超 (或云 虚見 倭乎置 青丹吉 平山越而) 何方 御念食可 (或云 所念計米可) 天離 夷者雖有 石走 淡海國乃 樂浪乃 大津宮尓 天下 所知食兼 天皇之 神之御言能 大宮者 此間等雖聞 大殿者 此間等雖云 春草之 茂生有 霞立 春日之霧流 (或云 霞立 春日香霧流 夏草香 繁成奴留) 百礒城之 大宮處 見者悲毛 (或云 見者左夫思毛)

訓読 玉(たま)襷(たすき) 畝火の山の 橿原(かしはら)の 日(ひ)知(しり)の御世(みよ)ゆ (或は云はく、宮ゆ) 生(あ)れましし 神の書(ふみ)の 樛(つが)の木の いや継(つ)ぎ嗣(つ)ぎに 天の下 知らし食(め)ししを (或は云はく、食(め)しける) 天(そら)に満(み)つ 大和を置きて 青(あを)丹(に)よし 平山(ならやま)を越え (或は云はく、そらみつ 大和を置き あをによし 平山越えて) いかさまに 念(おも)ほし食(め)せか (或は云はく、念ほしけめか) 天離る 鄙にはあれど 石(いは)走る 淡海(あふみ)の国の 楽浪(ささなみ)の 大津の宮に 天の下 知らし食(め)しけむ 天皇(すめろぎ)の 神の御言(みこと)の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の 茂く生(お)ひたる 霞立つ 春(はる)日(ひ)の霧(き)れる (或は云はく、霞立つ 春日か霧れる 夏草か 繁くなりぬる) 百磯城(ももしき)の 大宮ところ 見れば悲しも (或は云はく、見れば寂(さぶ)しも)

集歌597 宇都蝉之 人目乎繁見 石走 間近尓 戀度可聞
訓読 現世(うつせみ)の人目を繁み石(いは)走(はし)の間(あひだ)近くに恋ひ渡るかも

集歌991 石走 多藝千流留 泊瀬河 絶事無 亦毛来而将見
訓読 石(いは)走り激(たぎ)ち流るる泊瀬川絶ゆることなくまたも来て見む

集歌1126 年月毛 末經尓 明日香河 湍瀬由渡之 石走無
訓読 年月もいまだ経(へ)なくに明日香川瀬々(せせ)ゆ渡しの石(いは)走(はし)も無み

集歌1283 橋立 倉椅川 石走者裳 壮子時 我度為 石走者裳
訓読 橋立(はしたて)の倉椅(くらはし)川(かわ)の石(いは)走りはも 壮子(を)時(さかり)に我が渡りてし石走りはも

集歌1287 青角髪 依網原 人相鴨 石走 淡海縣 物語為
訓読 青みづら依網(よさみ)の原に人も逢はぬかも 石(いは)走る淡海(あふみ)県(あがた)の物語りせむ

集歌2288 石走 間々生有 皃花乃 花西有来 在筒見者
訓読 石(いは)走る間々(まま)に生(お)ひたる貌花(かほはな)の花にしありけりありつつ見れば

集歌2701 明日香川 明日文将渡 石走 遠心者 不思鴨
訓読 明日香川明日(あす)も渡らむ石(いは)走る遠き心は思ほえぬかも

集歌3025 石走 垂水之水能 早敷八師 君尓戀良久 吾情柄
訓読 石(いは)走る垂水(たるみ)の水の愛(は)しきやし君に恋ふらく吾(あ)が心から

集歌3230 帛叨 楢従出而 水蓼 穂積至 鳥網張 坂手乎過 石走 甘南備山丹 朝宮 仕奉而 吉野部登 入座見者 古所念
訓読 幣帛(みてぐら)を 奈良より出でて 水(みず)蓼(たで) 穂積(ほづみ)に至り 鳥網(となみ)張る 坂手を過ぎ 石(いは)走る 神南備山に 朝宮に 仕(つか)へ奉(まつ)りて 吉野へと 入り坐(ま)す見れば 古(いにしへ)思ほゆ

例‐二 「伊波婆之流」の万葉仮名表記
集歌3617 伊波婆之流 多伎毛登杼呂尓 鳴蝉乃 許恵乎之伎氣婆 京師之於毛保由
訓読 石(いは)走る激(たぎ)もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば都し思ほゆ

例‐三 類語の「石流」の漢字表記
集歌1142 命 幸久吉 石流 垂水々乎 結飲都
訓読 命(みこと)幸(さち)久しくよけむ石(いは)走る垂水(たるみ)の水を結すびて飲みつ


参照 万葉集 巻四より
笠女郎贈大伴宿祢家持謌廿四首
標訓 笠女郎(かさのいらつめ)の大伴宿祢家持に贈れる歌二十四首
集歌587 吾形見 々管之努波世 荒珠 年之緒長 吾毛将思
訓読 吾が形見(かたみ)見つつ偲(しの)はせあらたまの年の緒長く吾(わ)れも思(おも)はむ

集歌588 白鳥能 飛羽山松之 待乍曽 吾戀度 此月比乎
訓読 白鳥(しらとり)の飛羽(とば)山(やま)松(まつ)の待ちつつぞ吾が恋ひ渡るこの月ごろを

集歌589 衣手乎 打廻乃里尓 有吾乎 不知曽人者 待跡不来家留
訓読 衣手(ころもて)を打廻(うちみ)の里にある吾を知らにぞ人は待てど来(こ)ずける

集歌590 荒玉 年之經去者 今師波登 勤与吾背子 吾名告為莫
訓読 あらたまの年の経(へ)ぬれば今しはと勤(いめ)よ吾が背子吾が名告(の)らすな

集歌591 吾念乎 人尓令知哉 玉匣 開阿氣津跡 夢西所見
訓読 吾が思ひを人に知るれか玉匣(たまくしげ)開き明(あ)けつと夢(いめ)にし見ゆる

集歌592 闇夜尓 鳴奈流鶴之 外耳 聞乍可将有 相跡羽奈之尓
訓読 闇(やみ)の夜に鳴くなる鶴(たづ)の外(よそ)のみに聞きつつかあらむ逢ふとはなしに

集歌593 君尓戀 痛毛為便無見 楢山之 小松之下尓 立嘆鴨
訓読 君に恋ひ甚(いた)も便(すべ)なみ平山(ならやま)の小松が下(した)に立ち嘆くかも

集歌594 吾屋戸之 暮陰草乃 白露之 消蟹本名 所念鴨
訓読 吾が屋戸(やと)の夕蔭草(ゆうかげくさ)の白露の消(け)ぬがにもとな思ほゆるかも

集歌595 吾命之 将全牟限 忘目八 弥日異者 念益十方
訓読 吾が命(いのち)の全(また)けむ限り忘れめやいや日に異(け)には念(おも)ひ増すとも

集歌596 八百日徃 濱之沙毛 吾戀二 豈不益歟 奥嶋守
訓読 八百日(やほか)行く浜の沙(まなご)も吾が恋にあに益(まさ)らじか沖つ島守(しまもり)

集歌597 宇都蝉之 人目乎繁見 石走 間近尓 戀度可聞
訓読 現世(うつせみ)の人目を繁み石(いは)走(はし)る間(あひだ)近くに恋ひ渡るかも

集歌598 戀尓毛曽 人者死為 水無瀬河 下従吾痩 月日異
訓読 恋にもぞ人は死にする水無瀬(みなせ)川(かは)下(した)ゆ吾れ痩(や)す月に日に異(け)に

集歌599 朝霧之 欝相見之 人故尓 命可死 戀渡鴨
訓読 朝霧のおほに相見し人故(ゆゑ)に命(いのち)死ぬべく恋ひわたるかも

集歌600 伊勢海之 礒毛動尓 因流波 恐人尓 戀渡鴨
訓読 伊勢の海の礒(いそ)もとどろに寄する波恐(かしこ)き人に恋ひわたるかも

集歌601 従情毛 吾者不念寸 山河毛 隔莫國 如是戀常羽
訓読 情(こころ)ゆも吾は念(おも)はずき山川も隔(へだ)たらなくにかく恋ひむとは

集歌602 暮去者 物念益 見之人乃 言問為形 面景尓而
訓読 夕されば物(もの)念(おも)ひ益(まさ)る見し人の言(こと)問(と)ふ姿面影(おもかげ)にして

集歌603 念西 死為物尓 有麻世波 千遍曽吾者 死變益
訓読 念(おも)ふにし死にするものにあらませば千遍(ちたび)ぞ吾は死に返(かへ)らまし

集歌604 劔太刀 身尓取副常 夢見津 何如之恠曽毛 君尓相為
訓読 剣(つるぎ)太刀(たち)身(み)に取り副(そ)ふと夢(いめ)に見つ如何(いか)なる怪(け)そも君に相(あ)はむため

集歌605 天地之 神理 無者社 吾念君尓 不相死為目
訓読 天地の神の理(ことわり)なくはこそ吾が念(おも)ふ君に逢はず死にせめ

集歌606 吾毛念 人毛莫忘 多奈和丹 浦吹風之 止時無有
訓読 吾も念(おも)ふ人もな忘れおほなわに浦吹く風の止(や)む時もなし

集歌607 皆人乎 宿与殿金者 打礼杼 君乎之念者 寐不勝鴨
訓読 皆(みな)人(ひと)を寝(ね)よとの鐘(かね)は打つなれど君をし念(も)へば寝(い)ねかてぬかも

集歌608 不相念 人乎思者 大寺之 餓鬼之後尓 額衝如
訓読 相念(おも)はぬ人を思ふは大寺(おほでら)の餓鬼(がき)の後方(しりへ)に額(ぬか)つく如(ごと)

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