瀬崎祐の本棚

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詩誌「詩素」 16号 (2024/05) 神奈川

2024-05-21 17:48:24 | 「さ行」で始まる詩誌
22人のメンバーの詩作品+ゲストの詩作品、他にエッセイや詩集評があり、75頁。毎号充実した詩誌である。

「シーソー」松下育男はゲストの作品。
ポケットの中から小さなシーソ-の音がカタンカタンと聞こえてきて、それは泣き声だと思うのだ。誰と誰が乗っているんだろうと思ったりしていたのだが、実はそれはわたしの喘息の呼吸音だったのだ。

   目がさめて
   立ち上がって
   さて人間の泣き声はどんなだっただろうって思って
   このところ泣いたことなんてないから
   大人になってからずっと我慢していたから
   なかなか思いだせなかった

ああ、そうか、そうだよな、と感じられるような日常の身近なところに在る物語をていねいにすくい上げている。普通にがさつな生活を過ごしていてはそのまま通り過ぎてしまうようなことにも、繊細な気持ちを向ければ豊かな物語があることを教えられる作品だった。(でもまさか「詩ー素ー」ではないよなあ。)

「投壜通信 漆」海埜今日子。
壜の中には文字があって、ざわめいていて、川から海へと向かっているようだ。幻想的な喩の世界が広がっている。ところどころで作者独特の話法も出てきて魅せられる。たとえば「波の音が、降りだした雨のように、かすかに、たよりだ。」主語と述語の間が微妙にずれていて、あるいは跳んでいて、読む者はその間に広がる風景を自分で創らないといけないのだ。

    はばたきが、影を落として、壜をずっと、卵のように温めていました。手紙では、文字
   ですら、ありませんでした。投げた軌跡、流すことが、それだったような気もします。

中に文字を孕んだまま、壜はどこまで行こうとしているのか。言葉を伝えようとしているのか、それとも、言葉が移動すること自体が目的だったのか・・・。

「大井貞平2516番地」坂多塋子。
人名のような地名の場所で話者の正月があって、今も泣き叫ぶじぶんの声が聞こえるのだ。

   おおまたさんが来たのよ
   おおまたさん
   獅子のはり裂けたような大きな口のなからは
   からっぽの金ぴか
   歯なんて見えなかった
   金ぴかにぱっくり噛まれて
   ゼンセカイの人が笑ったよ

おおまたさんて、何だろう? そんな風に記憶の世界はどこか甘酸っぱくて切ない。かつての自分が甦ってきているかのようだ。しかし、案外それは今の自分が昔の自分に語っている物語なのかもしれない。今の自分が必要としている物語なのかもしれない。だから切ないのかもしれない。
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