瀬崎祐の本棚

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詩集「しゃぼん玉の時間」  禿慶子  (2016/06)  砂子屋書房

2016-08-07 11:06:06 | 詩集
 122頁に29編を収める。
 「あとがき」で、作者は「永いこと生きてきたと実感するようになった」とのことだが、そんな中にあって「詩は、私にとって別の、固有の時間を紡ぎ出してくれる」という。たしかにそれが詩を書いてきたことの効用のようなものだろう。
 「窓」。区切られた何かをつなぐものとして窓はあるのだろう。窓からは区切られた向こう側を見ることはできるが、いくら見えても向こう側へ行くことはできない。それは、見えているように思い出される記憶に触れることができないことに似ているのだろう。

   開かない窓の外側を
   使い捨ての今だけが流れていく
   たとえば 過去のあるとき
   ひなびたホームの先端に立って
   小さくハンカチを振るひとがいたとしても

 詩集タイトルの作品はないのだが、「休日」ではテラスでしゃぼん玉遊びをしている父子が詩われている。

   しゃぼん玉がこれほど
   単純な遊びだったろうか
   さしたる確認もなく
   飛び交う情報のように
   安易に繰り返される
   日常のような

 ここでは、一般には無邪気な遊びと思われがちなしゃぼん玉が、まるで生気を失った無表情の行為のように捉えられている。鋭い視線だと思える。やがて父親はぼんやりと空を見上げはじめ、「子どもは まだ/つまらなそうにしゃぼん玉を吹いていた」のである。
 ぼんやりしている父も、つまらなさそうな子どもも、作者の思いを反映している。先に引いた作者の言葉を思い返せば、そのような”しゃぼん玉の時間”があるからこそ書かれた詩作品なのだろう。

 後半には少し長めの散文詩が収められている。これらの詩篇は物語性を強く帯びており、読み応えのあるものだった。
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