瀬崎祐の本棚

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詩集「持ち重り」 鎌田尚美 (2022/10) 思潮社

2022-12-06 18:07:44 | 詩集
第1詩集。124頁に23編を収める。野村喜和夫、和合亮一の栞が付く。

この詩集に収められた作品魅力は、その全体で構築される異世界のありようである。それなので、作品の一部分を引用しても作品の面白さを充分に伝えることができないもどかしさを感じる。滑らかな語り口でありながら、いつの間にか作品は捻れて此岸から彼岸へと読むものを連れて行くのだ。

たとえば「スチール」。私は上野ガード下のコインロッカーの中に入っていくのだ。人には狭い閉所で安心感を得るところがあるのかもしれない。どうやら右上のロッカーに入っている人もいるようなのだ。もしかすればそこは死者が横たわる場所かもしれないではないか。最終連は、

   扉の僅かな隙間から入ってくる光と、微かな線香の匂いで覚醒すると、私の
   臍から出た柔らかな蔓状のものが、扉へとまっすぐに向かって伸びておりま
   した

このように、作者の現実世界と異世界は境界などなくて浮遊したまま自在に行き来しているようだ。いや、というよりも、作者の位置を越えて二つの世界が入り乱れている。だから作者自身も今いるのはどちらの世界なのか途惑ったりもするのだろう。

「涸れ井戸」でも、虻は血を吸うんだよ、と言うまさおをはじめとして、生者と死者が同じ次元の世界にあらわれている。「天井から下がる蠅取紙には幾つかの命が囚われ」て扇風機の風に揺れているし、私が目覚めると「死者に囲まれているのは私だけで、隣の床の生物の厚みは無かった」りする。共同体のような村の生活では、死者が血を吸ったりしているのかもしれないと思われてくる。しかも血を吸うのは雌だけらしいのだ。

   生み付けられた土の温度によって、性別の変化する生物がいる
   母の体温を感じながら母の胎内で、私は女になったのだろうか
   母は温かかっただろうか

異世界と往来する意識を持つことによって、現実世界で見えはじめるものもあるのだろう。作者の構築する世界は、異世界のふりをした現実なのかもしれない。
コメント
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