瀬崎祐の本棚

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詩集「here 宿久理花子 (2020/09) 土曜美術社出版販売

2020-12-08 18:03:12 | 詩集
 第2詩集か。114頁に24編を収める。
巻頭の「シ、どこでも/」。若い女性と思われる関西弁の混じるモノローグは、不意の改行や挟み込まれるスラッシュで叙述の意味を分断したり結びつけたりしている。それはためらいとか戸惑いなどよりもさらに原初的な感覚から来ているのだろう。

   (略)かたわら予告なく変更され
   る場合があり
   ます/の/を知っててHP減らすんやもん/ジゴージトクなんやろ
   うるさいないちいち

「シ」は死に通じているのだろうが、軽い調子で続く言葉を読み進んでいると、それは言い切ることのない語尾の「し」でもあるような気にもなってくる。そこに生じているうねりは心地よい。モノローグは思いつくままに続いているようで、そこには真剣なものが感じられるからだろう。

「あぶない仕事」ではミステリーじみた状況が展開される。依頼人は部屋で勝手にいろいろ起きるのだと訴える。私にはテレビの横にいる”きみ”が見え、私の説得で”きみ”はもう諦めるという。

   美談にすることで、きみはわかりやすく決着をつける。
   あぶない。
   でも私もきみも依頼人も独りで頼りなくて毎日危なくないですか。
   保証のない、綱渡りみたいな気持ちがあって。

「部屋はがらんとして」、「あるべきものだけが残っている」のだ。依頼人に寄り添っていた”きみ”はどこへ去って行ったのだろうか。本当は居てもらわなくては困る存在だったかもしれないのに。私(瀬崎)にも無視してしまっている”きみ”が居るのかもしれない。

 「なんで今」は電話口で話している作品。取り止めもないような事柄が続くのだが、読んでいるうちに、それこそ今の自分の有り様を形として捉えておきたいという希求を感じるようになってくる。この詩集そのものがその希求から成り立っているわけだ。最終部分は、

   ここ、どこかな。すぐ戻るつもりだったのに。開け放した窓へ火照った主語を投げ入れた
   ら母音だけになって返ってきて寝て起きて、もしもし、なんか今しゃべってることとか、
   あの、なんか今のこれとか湯気になって消えていってない? 切るわ。

コメント
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